27 名を持たぬ神との交渉  その1

 勝利の内には、勝負神だけではなく、闇がもたらした穢れも同時に存在している。それが心身を汚染し尽くした時、人間の姿は失われ吸魔となるのだ。勝利も。

 不二がかけている反射技は、安定した状態で勝利を包んでいた。光域の炎に包囲されているというのに、内なる闇の傷も疼く事なく大人しい。

 もしそれが、激しい忌避感で不二の護りさえ拒んだら、鍛冶神が闇の気配を拒絶するのも頷けるのに。

 冷たく心に刺さる。勝利という人間そのものが嫌われているかのような、今の状況が。

(思い詰めるな、勝利)つい項垂れた時、内なる神が器たる人間に呼びかけた。(今の勝利は見られているし、炎も来訪者を燃やそうとはしていない。なら、鍛冶神の目的は何だ)

(目的……?)回転を落とした思考の靄に、一条の光が差し込む。(白スーツと同じなんですね!!)

 鍛冶神もまた、試しているのだ。追いつめられた時、一周勝利という光域の見習い神が確率操作を行うか否か、を。

(するのが合格ですか? それとも失格?)

(神として誕生した存在ならば、使うので正解。しかし、人間には何を求めているか。……どちらだろうな)

(それに俺では、何の確率を操作すれば鍛冶神の工房に行けるかがわかりません)と、勝利は正直なところを吐露する。

(さっき、不二が言っていたじゃないか。鍛冶神が客と認めれば、すぐに工房の入り口と繋がる、と)

(つまり……)

 勝利は首を傾げつつ、入り口が偶然繋がる確率というものを思い浮かべた。

(まぁ、不可能ではないな。一時的な第一神格は、鍛冶神の力に干渉できなくもない。ましてや、勝負神の代理として自分に属する力をぶつけるとなれば、その瞬間だけ鍛冶の神に勝る可能性がある。空間操作は、最も得意とする神が別にいるからな)

(へぇ、白スーツみたいですね。こっちにも欲しい能力だなぁ。会ってみたい)

 二人のやりとりに、何故か一瞬の間が生まれた。

(勝負神?)

(勝利はそういう神ではなく、人間のままでは確率操作など行えない。鍛冶神に試されていると気づいた今、ここで何をどうしたいと望む?)

「う~ん」

 声に出して唸りつつ、不二の背と、勝利の周囲で燃え続ける炎を見比べた。

 火力は入った時のまま大した変化がなく、足の裏にかかる圧も歩く事を要求し続けるばかりだ。今なら、不二にも余力がある。

(神様の世界では、得意な能力同士をぶつけて思いを通すのが正解、でしたね)

 鍛冶神が、勝負神の来訪を力で感じたいのであれば、尚の事。

(でも、不二の事を頼みたいのは俺で、今の俺は人間です。だから……!!)

 勝利は、深く深く息を吸う。それを、何の躊躇いもなくあらん限りの声量に換えた。

「鍛冶神様!! 俺は、一周勝利という、人間です!! 不二の主として、不二の件で、お願いしたい事があり、工房を訪ねたいと、湖守さんにお願いしました!! 俺のような人間に、不二を託してくれて、ありがとうございます!!」

 自身の名が出た事に驚いたのか、不二が振り返った。

 その不二ごと、勝利は上下逆転の世界に放り込まれる。炎の先が下に成長を望み、揺らめきは下へ下へと形の変化を伸ばしてゆく。

 重力が頭上から働き始めた事に気づいた時、景色と重さの目指す先が再び一変した。

 足の裏に、硬い床の感触が伝わってくる。下方向に体が引っ張られる感覚は、人間の住む地上と同じものだ。

 これで、頭上に落下する心配はなくなった。

 しかし、ホッとする間もなく、今度は全身の皮膚が急激に粟だつ。

 絶叫が、口を突いて迸った。

 死の恐怖と心身の悲鳴が、勝利の内に内にと食い込んでくる。

 精神と魂の皮膚を切り刻みながら。

「不二ーッ!! ふじーッ!! 止めてくれ、これを!!」

 悪寒に震える、などというレベルではない。普通の光量が、吸いやすい普通の空気が、壁に囲まれているだけの事実が、勝利から命と正気を容赦なく削り取っていった。

 ライムが走り寄り抱きしめるも、勝利は暴れて振りほどいてしまう。

 ダブルワークが、「不二!! 急げ!! 超々最大出力だ!!」と喚いた。

 不二が輝く光球と化す。

 だが、それでも大した変化をもたらす事ができず、勝利にとっては心身の軋みが若干緩くなった程度だった。

(勝利、ここで死んではいけない)姿を持たぬ神の願いが、宿主に届く。(勝負神として、自分の身を自分で護れ)

 そんな声を聞いた。返事をしたか否か、果たしてどちらだったろう。

 生還したと確信した時、勝利は床に四つん這いの姿勢で浅い呼吸を繰り返すのみだった。

 あらゆる対人の危険度を下げたのか、自身の中にある対光域の抵抗力を上げたのか。記憶が飛んでおり、何に干渉したのか定かでない。

 ただ、時間の経過と共に、心身が負荷から解放されてゆく。それをはっきりと自覚する事はできた。

「大丈夫か? 勝利君」

 ライムに声をかけられた途端、すとんと尻が落ちる。床に両手をついたままの姿勢は、萎れた正座といったところか。

「あ……。ようやく、楽に、なりました」そして、光球に埋没している不二に目をやった。「もういいぞ、不二。ありがとう」

 光量が普段並に落ち着くと、不二の全身は何処か心細げに映る。

 小さな武装ヴァイエルが、勝利の目線にまで降下した。

「無事で良かった、主」

「ご心配を、おかけしました。不二にも、ライムさん達にも」

 姿勢を変え、勝利は床に座ったまま右膝だけを立てる。息は粗いままだったが、思考や感情、本能の暴走は完全に収まっていた。

「その力を、何故炎の中で使わなかった?」

 背後から、刃物を研ぐような男の声がする。石の音、水の音、それらが調合され、実に心地よい声として勝利の耳に届いた。

 振り返らずとも、その声の持ち主が何者なのかは見当がつく。

 勝利の知らない声の持ち主で、工房と思われる場所から炎中の勝利を監視していた者なら、鍛冶神と考えてまず間違いない。

「勝負神の神格が肉体に馴染む人間。お前が、一周勝利か」



          -- 「28 名を持たぬ神との交渉  その2」 に続く --

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