26 工房に繋がる道 その3
「炉の炎……」
その説明を聞いた途端、二つの姿を持つダブルワーク達三人の勇姿を勝利は脳裏に思い描いた。
巨大ロボットを思わせる外見をしたヴァイエルと、人間に極めて近い二メートル弱の容姿は、彼等の意志でタイミングを選び神造体を変化させた結果と言える。大きさだけでなく質感・性能まで全く異なる二つの姿は、鍛冶神の手による神造体ならばこそ可能な文字通り神の御技だ。
ライムの神造体の誕生も、あの系統の炎と無関係ではないと考えていいのだろう。
「全然熱くないんですね、これ」
眼鏡の紳士が説明する通り、目前の炎が何か特別な力である事は明らかだ。
何しろ、近くにいる勝利にまで熱が伝わってこない。火勢故の音や物の弾ける音なども皆無な上、焦げる臭いがしないなど、火の側にいる感覚を失わせる要素がここには三つも揃っている。
それを本物の炎と知覚する事ができたのは、視覚が受ける情報の正確さというより、本能の領域が捉える危機感と、より深い関係があった。
怖いのだ。「あれは燃えているもの、燃やすものだ」と、今も全神経で理解し納得してしまう自分がいる。
笑顔混じりの湖守が、「何言ってるの」と右手をひらひらさせた。「この中に入ると、熱いよ。それなりにね」
「それなりに、ですか?」
「ま、炎は、炎だから。沸騰したお湯くらいのものは、想像しておいて。でも、そんなの全然本気のうちには入らないよ」道中の障害にはなり得ない事を、店長が強調する。「全開の火勢で迎え撃たれるのは、それこそ招かれざる客くらい。勝利君は違うでしょ」
「違うといっても……」ぎこちなく首を横に動かし、勝利は童顔の表情を凍らせる。「百度もかなりきついですよ、普通の人間には」
「その為の不二よ~。護りの力を信じて。向こうに着くまでは~」
左手で前方に楯を構える小型ヴァイエルの姿勢を、ミカギが真似た。ようやく勝利は、「ああ」と心の膝を打つ。
元々不二の反射技は、白スーツの斬撃と闇の気配の両方に対応可能な優れ物だ。ならば、工房の炉の炎と工房から流れ出る光域の気配の両方に対応させても、まず問題は生じまい。
音もなく炎は揺らめき続けた。縦縞の白いカーテンの横で。
ビルの前の道を、駅方向に車が走る音がする。歩行者の多くは、いずれも平日と同じ足早な靴音を響かせていた。
午前七時台の音が、閉め切った三階の窓から入ってくる。壁の外に広がっているのは、比較的時間が速く進む土曜日らしい朝の光景だ。
「窓の横だと、落ち着かない?」
湖守に図星を刺され、「はい」と勝利は正直に答えた。「工房への入り口って、この壁じゃないとダメなんですか?」
「他でもいいんだけど、同じ場所に二度続けては作れないんだ。この前、僕の寝室とここを隔てる壁だったから、今日は道路側に」そろそろ時間なのか、湖守がライムをちらと見、頷く。「なるべく早く慣れてね。カーテンと乃宇里亜のシールドがあるから、勝利君が心配する程、外からは見えないよ」
「では、行ってきます」
勝利同様、靴を脱いでいるライムが、躊躇なく歩き始めると炎の中に吸い込まれて消える。
ダブルワークは片手を挙げ、ライムに続く前に手招きをした。
「俺からそう離れるなよ、勝利。それから、コートは脱いでいけ。必要ねぇからな」
「はい」
緑髪の男が見えなくなった後、勝利は慌てて着たままのコートを脱ぎ「すみません、ここに置きます」と長椅子にかける。
これでいよいよかと炎の前に立とうとするも、ふと思い出し「あ、携帯!」とコートのポケットから愛用の携帯端末を取り出し尻のポケツトに移す。
「もたもたして、本当にすみません!」
「いいけど、急いでね。勝利クンの後ろから、私達がついて行くわよ。前と後ろをライム達と私達で挟むから、心配しないで」
女神の気遣いに「はい」と頷き 勝利は今度こそと壁で燃える炎の前に立つ。
ビルの前を、親子連れが会話しながら通り過ぎた。
ふぅと息をつく。手に汗が滲んだ。
思わず、右手の人差し指で不二の背中にそっと触れる。
「頼むぞ、不二。ここから更にきつくなるぞ」
「了解した、主」
「行ってきます、湖守さん」
「具合のチェックは頻繁に」と念を押す言葉を最後まで聞いてから、勝利は炎の中へと突き進んだ。
建物の壁に直進した、筈なのに。直進こそが正解と言わんばかりに、激しい炎がいきなり四方を囲む。
なるほど。不二の技が発動しているが故の、この適温か。温度の変化は全く感じないが、光域の気配と高温が侵入者を激しく攻撃していると拍動数の変化で理解する。
四方のみならず、頭上と足の下もまた、赤黒い揺らめきでいっぱいだ。
靴下だけを履いている足の裏に、宙に浮いたような無感覚と吹き上げる炎の圧らしきものを同時に感じる。
足の裏に訴えてくるのは、「それでも自身の力で歩け」という上位者からのメッセージだ。
ライムとダブルワークは、一体何処にいるのだろう。彼等の背を追うつもりだったのに、「ライムさん?」と声を上げでも返事は返ってこない。
その上、勝利に続いている筈のミカギ達も追いつく様子がなかった。
出発前に彼女は言っていた。ライム達と自分達で勝利を挟む、と。
緊張と心細さに翻弄され、口の中が異様に乾く。悪い思考とは生まれやすいもので、炎が支配する領域はこの先に一キロ二キロと続くような気がしてきた。
一旦戻るべきなのか。尤も、戻るといっても、来た方向がわからなくなっているのだが。
歩け、と炎の世界が訴える。しかし、どちらに行けばいい?
孤独感が強く、数歩歩くだけで気が滅入った。こういう時に、不二の小さな背中が頼もしく見えてくるのは錯覚などではない筈だ。
「不二。俺達はライムさん達とはぐれちゃったみたいなんだけど、このまま適当に進むだけでいいと思うか?」
「問題ない」と、武装した小さなヴァイエルが即答する。「鍛冶神が客と認めれば、すぐに工房への入り口と繋がる」
「すぐ?」
嫌な考えが頭を過ぎった。炎に飛び込んだ後何分経過したかは知らないが、「すぐ」の範疇はとうに越えている気がする。
ライム達四人と合流できないのは、彼等だけが既に工房に迎えられている為ではないのか。
勝利と不二の周囲では、入った直後のまま、劫火という程ではない炎が牽制しつつ歩き続けろと促していた。
それらに敵意は感じない。
しかし何故、自分達だけが拒まれる。湖守の話では、勝利の訪問は鍛冶神も知っているという事だったのに。
気が変わったのか? だとしたら、何故。
人間である為。いや、もしかしたらと、別の可能性を勝利は考える。
一周勝利という存在は、未来の吸魔だ。それは、清浄に保ちたい世界の中にあって一体何を意味するのだろう、と。
-- 「27 名を持たぬ神との交渉 その1」 に続く --
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