第3話

01 中難度の相談

「確か、明後日は勝利君の誕生日だよね」

 アルバイトの一周勝利がテーブルを拭いていると、カウンターの奥から店主の湖守が話しかけてきた。

 ランチタイムの喧噪が終わり、まんぼう亭は客の少ない時間帯を迎えつつある。

 店の雰囲気は良いし、料理も飲み物も美味しい。価格も控えめに調整されているので、正直この店が今一つ流行らない事を勝利は大変残念に思う。

 客が一人もいないのなら、と勝利は敢えて口に出す事にした。多少長めの黒髪が、感動のあまりぴょこんと跳ねる。

「はい。よく知ってますね。流石は本物の神様です!!」

「あはは、忘れちゃったの?」黒髪をオールバックに撫でつけた紳士が、商売人向きの表情で悪戯っぽく笑う。「一昨日出してくれた履歴書に、君、自分で書いてたでしょ」

「はぅっ!!」

 ライムとダブルワークが、揃ってカウンターで上半身を揺らした。

 緑の縫修師とそのパートナーは、ランチタイムになると三階の自室に戻って定位置を客達に譲る。彼らが下りてきたのは、これから全員で遅めの昼食をとる為だ。

 眼鏡にスーツ姿のライムと、カシュアルな服装をしたダブルワーク。茶髪に眼鏡の紳士と緑の短髪を持つ精悍な相棒は、率先して店の手伝いをしようとはしない。

 一方、赤の縫修師ミカギとそのパートナーのチリは、ウエイトレスとウエイターになる事を当然と捉えているのか、ここ二日は連続して昼限定のヘルプに入っていた。

「へぇ~。勝利クン、十二月七日が誕生日なのぉ~?」

 そのミカギが、水音を絡ませながら話題に加わる。彼女は、長い金髪を手元に割り込ませぬよう器用に、そして素早く片づけや洗い物をこなしてゆく。

「はい」自身で埋めた書類の事を思い出し、勝利の頬が紅に染まった。「だから、二五になる前に転職先をって、随分と焦ってました。自分的に印象が違うんですよ。履歴書に二四って書くのと、二五って書くのは」

「良かったじゃねぇか、ここで働けるようになって」褐色の肌をした美男子に、勝利は「はい、嬉しいです」と真っ直ぐな視線で飾らずに返す。

 ダブルワークは、男の理想像を形にしたような美形だ。尤も、この建物に住む神々は皆、人間離れした美貌を持っているのだが。

 それは、神々の入れ物である器の容姿が整っているという事を意味する。たとえ人間が如何に努力しようと、美形同士が結婚しようと、この領域の美しさを手に入れる事は人の身では不可能なのかもしれない。

 生物臭を持たぬ存在。彼らは正に、神、なのだ。

「いいねぇ、勝利君は素直で。付け合わせのポテトフライ、増量するよ」

 下を向いた湖守が、喜々として揚げ物の調理を始めた。

「い、いえ、その……。そんなつもりじゃなかったんですけど……」すみません、と言いかけ、ダブルワークの一瞥を食らう。「あ、ありがとうございます」

「そうそう。習慣づけろよ。もし謝ったら、ぶっ飛ばす!!」

「気をつけてます。俺だって直したいんですから、謝り癖」

 勝利がダブルワークに唇を尖らせるのを見、「君達はいつも仲がいいな」と傍観者然としたライムが呟く。

「いえ、これは……」

 勝利は口ごもり、込み上げてくる言葉の数々を咄嗟に飲み込んだ。誰に対しどのような思いを抱いているか。その本当のところは、本人に知られたくないのが普通だ。

 まんぼう亭のアルバイトを始め、今日で二日。本当に良い職場と縁づいたものだ、と勝利は改めて喜びを噛みしめる。

 接客業は初めてなのだが、いざ始めてみると、頭を下げる事、後片づけをする事などが妙に馴染みやすく慣れが早い。面接の上で使えると判断した湖守の目は、勝利の無自覚な資質までもを見事に看破していた。

 勿論、採用の理由は他にもあるのだろうが。

 黒の縫修師ツェルバとそのパートナー・スールゥーは、今日も不在だ。一昨日の夜、敵の攻撃を受け両腕を負傷したスールゥーに付き添い、ツェルバも鍛冶神のところに残っているらしい。

「ところで勝利。隣の百合音ちゃん、あの後、何か言ってきたか?」

 ダブルワークに真面目な話を振られ、勝利はまず「いえ」と答えた。「昨日は部屋に帰った後、俺が爆睡してそのままです。今朝は、彼女の通学時間と噛み合わなくて会えませんでした。……縫修を覚えている事は、やっぱり問題なんですよね」

「前例がないからな」と、ライムが首肯する。「勝利君の声、或いは顔も覚えているのなら、私の声と顔も記憶していると見て間違いないだろう。縫修と我々についての記憶を持ち続けているなら、人間としての日常に完全な復帰を果たすのは些か困難かもしれない」

「そうね~」手を止めず、赤の縫修師も僅かに表情を曇らせる。「記憶って欲に影響を及ぼすから、もし私達に興味を持ってしまったら、結局こっち側に引かれてしまうのよぉ~」

 ミカギの言う「こっち側」とは、不死の神々が属する領域の事だ。

 百合音については、神々よりも勝利の方が幾らか多くの情報を持っている。何しろ、アパートの隣に建つ戸建ての住人、勝利にとっては「お隣さん」だ。

 百合音は、吸魔という闇の魔物に三日分の過去を奪われ、彼女自身も吸魔となって勝利を襲った。

 幸い、ライムの縫修が成功し、代償を払った末に百合音は人間に戻る事ができた。今までの縫修ならば、対象者は吸魔にされた過去と縫修の瞬間を記憶から手放し、ほぼ普通の人間として再び社会に溶け込んでゆくという。

 ところが、百合音に施した縫修を彼女は記憶していた。本人の唇が、勝利に語ったのだ。

 縫修の時にいましたね、と。

 神々はそれを、小さからぬ変化と受け止めている。

「勝利君」料理を次々と整えつつ、湖守が顔を上げた。表情から察するに、これから始まるのは真面目な話だ。「五月雨百合音ちゃん、だよね。僕達は、その子と話がしてみたいんだ。……どうやったら問題なく、いい大人が女子高生に近づけるかな?」



          -- 「02 神技を記憶している少女」 に続く --

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