60 二つの願い  その4

「ほう……」

 白スーツは、たった一言短く呟くのみだった。高位であるらしい謎の人間神にいきなり質問する事をせず、かといって、翅を失った部下の代わりに手を上げる事もしない。

 極度の緊張状態を強いられ、勝利の息が浅くなる。

 ふと、ダブルワークの中で各種の分析を行われた昨日の昼を思い出す。あの時は体をシートに固定され、恐怖も不快なものも存分に味わった。

 しかし、あの比ではない。

 白スーツのやっている事といったら、機械に頼らず単に視線で勝利を射抜いているだけだ。しかし、思惑の絡む好奇心が他者に視線を送り出せば、それは途端に凶悪な武器と化す。

 手の内を明らかにせぬまま、闇神は勝利が取るであろう次の行動を待っていた。

 品さえ醸し出す紳士の視線が、三〇秒、四〇秒と時間を積み重ねる程に勝利の体力を削ぎ落としてゆく。

「あの……、何か言ってく……」

 気まずさの重みに耐えかね、気弱な声で懇願した。次第に自分の声さえ遠く聞こえるのは、気の所為か。

 膝が崩れる勝利の体を、闇神の右手が支えにかかった。

 それを「ダメよ」とミカギが鋭く制す。

 白スーツが、咄嗟に腕を引いた。

 支えを見込めなくなった勝利の体は、チリの左手の上で不格好な四つん這いになる。もし、不二の右手が襟元を掴んで引き上げなければ、敵の前で倒れ込んでいただろう。

 ミカギが重ねて警告する。「決して彼には触れないで。あなたの濃度では、彼を吸魔に変えてしまうのよ」

(吸魔は、嫌だな)

 正面だけが映るモノトーンの視野世界に、遠方より女神の声が届く。

「目を覚まして立つのだ、主」不二の声も何処か遠い。「主は、名乗っただけだ。まだ何もしていない」

(そうだ……!!)

 霧散しかけた意識の欠片が集まり、元々の熱量と形を取り戻す。足の裏からチリの手にしっかりと力を伝え、勝利は「そうだった!!」と自力で立ち上がった。「目を回してる場合じゃないだろ、俺」

「ほぉ」と、白スーツが同じ呟きを繰り返す。何故か、好意的とも解釈できる喜色が表情の大半を占めていた。「意気込みはある、と認めよう。一周勝利君。しかし、見たまえ。彼の翅は永遠に失われてしまった。それをどう償うつもりなのかな?」

「何故撃ったのか、は訊かないんですね」

「当然だ」との返答が、鋭く打ち返されてきた。「敵の監視に対する反射的な行動、という可能性を考えている。君にも縫修師達にも悪意などない。不可視の相手を撃ってから子供と気づいた。大方、そんなところだろう。愛着と良心の呵責を混同しているのは、その為だ」

「い……、いえ」白スーツと目を合わせたまま、勝利は首を横に振って否定する。「あんな顔でパスタやクッキーをねだられたら、かわいいと思います。口を開けて待つんですよ、次の一口を。本当に楽しい食事でした」

 闇神が、眉間に皺を寄せた。

「それが、君の言うトモダチの定義か? だから償う必要などない、と」

「いえ……、そういうつもりはないんですけど」

 上手い言葉を探しつつ、確かに少年に対する償いが抜け落ちているのだと思い知る。単に、縫修師達と少年の親密さに便乗しただけだ。勝利自身のけじめは未だ何処にも存在していない。

「ならば、空を失った彼の側で彼を護る、というのはどうだ?」

 両手を大きく広げ、白スーツが勝利を包み込もうとする。波打つ長髪が更にその外周で半円を成し、不二づきのまま勝利は既に男の手中だ。

『それも無理だって』ツェルバが、黒の縫修機の中から闇神を見下した。『勝利の神性を調べたいなら、勝利のままにしておくしかないだろ? それができるのは地上世界だけ。闇の空気は、向こうに行った勝利をあっという間に吸魔に変えちゃうんだから』

 白スーツの端正な顔のうち、左半分だけが忌々しげに歪む。

 事実なのだ、と勝利は悟った。

 なるほど。確かに、勝利が吸魔化する時は、自動的に内なる勝負神と諸共だ。『謎の人間神』を探りたくば、吸魔に変えてしまっては意味がない、という事になる。

 つまり、あり得ないのだ。勝利の闇行きなど。

 光闇の両陣営が納得する中、勝利も安堵の息をついた。しかし、翅に代わる何かが少年に必要なのも事実ではある。

 自分に何かできるのだろう、と改めて考え始めた矢先。グフッと胸から嫌な音を奏でる者がいた。

 決死の訴えによって白スーツと黒組の戦闘に介入した虫の少年だ。

 体が一度弾んだきり、彼が生の証を声高に訴える事はなくなった。

 薄く開いた両目は、ミカギの顔を捉えているのだろうか。間近な筈の女神を見るにしては遠い眼差しが、傍観者の神経を逆撫でする。

 勝利どころか白スーツまで言葉を失い、敵味方双方が織りなす気まずい沈黙が訪れた。

 勝利を囲む金髪の壁が、白スーツの背後に収納される。が、そこに事態が好転した様子などない。

 ミカギとチリの間を、冬の北風が吹き抜けた。もの悲しく聞こえる声は、微かな悲鳴か、それとも嗚咽なのだろうか。

 勝利の喉で、血管が膨張と収縮を繰り返した。

 今わかる事はたった一つ。ここで動かなければ取り返しのつかない事になる。それだけだ。

 ミカギの白く長い指が、少年の胸に当てられた。

「どんどん弱くなっていく」

「何か……!!」良策など思いつかず、勝利の視線は光明が差す方向を探し回る。止まった時は、少年を地上に連れて来た白スーツのところだ。「知りませんか? この子を繋ぎ止める方法を」

 尋ねてから、まともな答えなど返って来る筈もない事に気づく。

 もしかしたら、勝利が発している声すら最早まともに届いていないかもしれなかった。

「あの……」

 闇神は、笑っていた。

 少年に起きた異変を受け止めきれず、笑っていたのだ。

「どうした? 案ずる事などあるまい。死は、彼を避けて通る筈だ。不死の因子を持つのだからな」

「でも……」

 言い淀む勝利を、白スーツの男が突然指さす。

 口ごたえがよほど勘に障ったのか、尋常でなく闇神の口端が吊り上がってゆく。所作の美しさを一切損なわぬまま、男は飲まれていた。

 不死なる生の中で濃度を増した自身の暗い絶望に。

「ならば、君にゴズの生還を祈ってもらおう。『勝利』を名に持つ尊き神よ」

「え? でも、今の俺は……」

 頭上では、今正にライムづきの天使達が君恵の過去を抽出している。

 君恵の生還についても願いたい。

 しかし、ただの人間には不可能だ。神が絡む二つの願いを同時に叶える事など。

「それでも、俺は……」



          -- 「61 小さな約束」 に続く --

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