59 二つの願い  その3

 曇天の夜空を背景に、黄金の長髪と白い服装がいよいよ鮮やかな輝きを増す。包囲の輪を成す白片やヴァイエル達も自ら光を放っているだけに、勝利の周囲を飾るのは、戦場には似つかわしくない敵味方入り乱れての幻想的な光景だ。

 しかし、それらに見とれる事なく、深呼吸を繰り返し無形の覚悟を整える。

 スールゥーの飛翔速度が遅い。複雑な思いあってのものだろうが、その分、勝利の耳や鼻は不平をどうにか飲み込もうとする。

 敢えて小さく声に出した。「俺は助ける側になるんだ!!」と。

 研ぎ澄まされてきた勝利の感覚は、白スーツの憤りを温度差のイメージとして知覚する。沸騰点に達した膨張系の高熱の他、凍てつく低温域の存在を突きつけられ、思わず眉根に皺が寄る。

 勝利が機外に出てきた事で、感情の一部が急速に冷却されつつあるのかもしれない。

 罠か。

 一瞬それを疑ったものの、どちらであっても同じだ、と渋々理解する。勝負神もまた、勝利と白スーツとの対面を望んでいるのだから。

 負の感情や闇の気、そしてあの男特有の濃色な何かが空域に広がって、背筋を悪寒が走り抜ける。

 もし、不二が多くの脅威を遮断していなければ、視線を送る相手と距離を縮めるうちに正気を失い、百合音達以上に手のつけられない強奪の使徒となり果てていただろう。

 突然、スールゥーが制動をかけた。

 僅かな横Gの後に真上を仰ぐと、黒の縫修機が『勝利、一つお願いがある』と小声で囁く。

 虫の少年に関する事かと思ったが、『あいつと話す時なんだけど』の前置きでぐっと身が引き締まる。

『闇の連中に、僕達の名前を教えないで』

「名前?」

『そう。僕達は色々知られちゃいけないんだ。特に敵には』

「わかった」と答え、脳内で代わりの呼び名を急遽考える。

 昼間、勝負神が名の縛りについて触れていた事を思い出した。

 人間にとって、名は存在の特定を可能とする記号であり、また有益な個人情報という側面を持つ。ただ、スールゥーが脅威と捉える名の側面は、勝負神と同じ神々の根底に関わるものを指している気がした。

『勝利も、自分の事を話しちゃダメだよ』

「え……」言葉に詰まった挙げ句、引きつった笑みを返してしまう。

 昨日の時点で、百合音吸魔の縫修を望む第一世代神『一周勝利』の登場は、全ての世界に属する神々に広く知れ渡ってしまった。探している筈なのだ、白スーツは。

 三日吸いに遭いながら、未だ吸魔になっていない人間を。

 そして、縫修師達の側にいる『一周勝利』を。

 スールゥーが飛翔を再開し、遂にチリや白スーツ達が間近と映る光景になった。

 チリが、ミカギの乗る赤い右手に自身の左手を開いて添える。勝利を優しく掴んでいたスールゥーの黒い右手が、その左手の上に人の身をゆっくりと立たせた。

 不二が、勝利の左隣につく。白スーツと勝利の間には誰一人いない構図の完成だ。

「おや、これは」白スーツが大袈裟に眉を上げ、勝利の方へと浮遊し近づいて来る。「昼間、チンピラに絡まれていた青年ではないか。ようこそ、神々の戦場へ」

「え……、と」

 皮肉に対し返事に窮する。しかも男の声は、勝者となった者のみが忍ばせる喜悦を多く含んでいた。

 男は感知しているのだ。勝利の内には三日吸いの痕跡がある、と。

 しかも、その怪異の被害者が彼の『一周勝利』と同一人物なる偶然に、推論を重ね手をかけていた。微笑したくもなろう。

 男の視線が、勝利の頬を唇を、そして服の下に隠されている肩や腰を嘗めるように撫でていった。もし不二による相殺がなければ、勝利の内にいる勝負神にまで辿り着かれていたかもしれない。

 この男に、迂遠な言い回しは逆効果だ。咄嗟の判断から上半身を折り曲げ、勝利は白スーツに深々と頭を垂れる。

「すみません。この子が翅をなくしたのは俺の所為です」

 勝利の頭上で、熱を帯びていた男神の感情が外気に触れて冷却された。

 いや。男の内で相反する感情だった二つが、冷静な思考に統合されてゆく。むしろ、そんなところだろうか。

「誰なのかな、君は? 人間のようだが」

 出ると踏んでいた質問が、勝利の後頭部に降り注いだ。

 不二が、シールドを翳したまま二連砲を前方に倒す。

「よせ」落ち着いた声で、勝利は男神への威嚇を禁じた。「俺は、この虫の子の友達です。人間ですが、縫修師達の友達です。彼等だけを許してもらいたくてここに来ました」

「ち、ちょっと!!」

 帽子の下で顔を上げるミカギに、「いいんです」と勝利は短く返す。「俺はまだ、この子程必死になってません」

 ミカギの胸元には視線を移さず、生と死の間でもがいている虫の少年を言葉でそっと労ってやる。

 携帯端末を握ったままの右手を、左手で包んだ。

 怖い。今にも膝が崩れ、萎縮した意識を手放しそうになる。

 だが、それ以上にやり遂げたいという思いが強かった。土壇場で勝利を支えているのは、崇高な志や内なる熱量というより、意地や幼稚な自己主張の類だ。

「俺だけ、まだ何も懸けていないんです。みんなが大事なのは、俺も、この子も、黒組達も赤組も同じなのに。……だから、俺も前に出ます」

 一旦頭を上げ、改めて大きく下げる。腰から体を折り垂直になるまで。

「ほぅ。覚悟があるように言うのだな」

「はい」

「では、君の名を教えてもらおうか」

「ダメっ!!」とミカギが、『そこまでしなくていいから!!』とツェルバが制止する。

 その気持ちに勇気をもらい、勝利は体を立て直した。白スーツの白い虹彩を真っ直ぐに見つめ、内から湧き上がる正直な思いに従う。

「一周勝利です。……あなたが想像している通り、俺が俄神の一周勝利です」



          -- 「60 二つの願い  その4」 に続く --

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