39 夜に蠢く その2
「ご武運を」と短く告げ、君恵は土地守の石塚に連れられまんぼう亭を後にする。移動前、虫の少年にも挨拶をしてゆこうとする彼女の手は、やはり小刻みに震えていた。
無視をせず接した君恵に、勝利は内心で小さく頭を下げる。それは、誰にでもできる事ではないとわかるからだ。
今、彼女は一体何を望んでいるのだろう。和也の無念に一矢報いるべく、君恵が一人で闇を目指すか、帰路につくべき人間でありながらまんぼう亭に取って返すか。いずれの暴走も、あり得ない話ではなかった。
「もし、俺達が白スーツに勝てたら、あの人の溜飲も少しは下がるんでしょうか…」
必勝の決意というより単なる感傷と承知の上で、勝利はそう独りごちる。
「もし、勝てたら、な」勝算の低い側に立っている者として、わざわざダブルワークが独り言に付き合った。それは自身の鼓舞というより、何かに祈っているようでもある。「しっかし。決め手に欠ける現状で、何をどうしたらいいか見当もつかねぇ」
「一応、鍛冶神には相談してみようと思う」
窓越しに歩行者を眺めながら、湖守が七人分の温かい飲み物を用意する。ライム達緑組とミカギ達赤組はカウンターの定位置を、ツェルバ達黒組は小さな少年と共にテーブル席一つを占領したままだ。
カウンターにいる者達一人づつにキッチンから飲み物を提供し、テーブルには二人用の大きなティーポットと三人分の食器を置く。最後に、湖守は勝利にメニューを手渡した。
「勝利君、晩ご飯は何がいいか決めておいて。悪いけど、少し纏まった時間、上に上がってくるよ」
「はい」
返事はしたものの、重い話が長かった事もあり、勝利の空腹感は胃袋のの底で縮こまったままだ。
「ライム。その間は、君に任せる」
「はい」
湖守の姿が通用口から消えると、ジャズの曲ばかりが耳についた。今はツェルバの口数も少なく、店内に残る人数の割に話し声は異様に少ない。
「夕食か…。白スーツの男がいつ襲って来るかもわからない。軽め、早めにしておいた方が良さそうだな」
ライムがそう提案すると、「今夜は勝利クンの初お泊まりだから、軽め、はあり得ないと思うけどぉ~」とミカギが冷蔵庫を指しながら意味深に笑う。
「あ。今日はこのまま閉店だから、色々余ってるのか!」
ダブルワークが何を言わんとしているのか、勝利は気づいてしまった。今日の客に出すつもりだった調理済みのあれこれを、誰かが片づける事になる。
一番の適任者は、明日以降の仕事に備え店の味を覚えておくべき従業員だ。
「が、頑張ります」
引きつる顔をどうにか整えようとすると、「入る分だけ食べればいいのよ~」とミカギが自身の腹をぐるりと擦る。
文字盤の上でローペースの時針が真下を指し、更に上り仕事を始めても、勝利の胃は空だと認識しきれない。
幸か不幸か、湖守は二階に上がったきりだ。
「結構かかりますね」
壁掛け時計を見上げ、勝利は鍛冶神と湖守のやりとりを想像する。会話というより、一方的に湖守が報告しているだけの、あまり熱気のない風景が目に浮かんだ。
たとえ鍛冶神が隠し事をしていても、湖守は知っている事の全てを伝えようとするのだろう。白スーツとの戦いに鍛冶神を巻き込む方法など、そう幾つもありはしないのだから。
「ライムさん。変な質問をしてもいいですか?」
勝利が体を左に捻って、伊達眼鏡の紳士に改まる。
「鍛冶神の事か?」察しの良いダブルワークが、勝利の疑問に先回りをした。
「そうです。鍛冶神がリーダーでないって、結構不自然な感じがするんです。湖守さんは我慢して引き受けていると思うんですけど、他の神様達はみんながそれで納得しているんですか?」
「あー」返事に窮するダブルワークが、「勝利」と改めて名を呼ぶ。「俺達がここで少しだけ答えてやる。だから、その説明だけで納得しとけ。湖守さんには直接訊くなよ」
「え…」配慮を滲ませる事情通の物言いが、勝利の背に冷たいものを走らせる。やはり歪みはあるという事か。和也を追いつめた三世代循環の他にも。「勿論です…」
眼鏡の奥にあるライムの瞳が、キッチンの奥、いや、それよりも更に遠くを見つめる。
「鍛冶神は、物作りの神だ。優れた神造体や武器、携帯端末まで何でも造るが、神使いはあまり得意ではないようだ。私からもそう見える部分はある。長い時の中で、他の神からの要請は何度もあったそうだ。上に立つべき、と。しかし、閉じられた工房からは声さえ発せられる事はなかった。心話が使える神でありながら、だ」
「…ザ・職人、ってところなんでしょうか」
一応は擁護する勝利に、よそ見をしたままライムが頷いた。
「だから、珍事なんだぜ」ダブルワークが、カウンター・テーブルに置いている緑色の携帯端末を指し示す。「不二のリングをお前に渡すよう手配した事は。鍛冶神が自分から外にいる神々にアクションを起こすなんざ、滅多にねぇ」
「結構落差がありますね。……その、関心の差と言おうか、やる気の差と言おうか…」
ミカギはカップの縁に触れながら、ダブルワークとチリは唸る仕草をしつつ、小さめ、或いは微かな首の動きを交えた。
「答えてくれて、ありがとうございます。…大体わかりました」
笑顔で礼は言うものの、勝利の中で鍛冶神に対する評価は更に大きく低下する。湖守に神々の長を押しつけておきながら、「珍事」と揶揄される程の自発的行動が、古い約束の履行だけとは。
やはり逢わねばなるまい。携帯端末や心話では、閉ざされた鍛冶神の口をこじ開けるのは難しい。
もし、自身が勝負神ならば。勝利の心話で直接アポを取る事も可能なのだが。
しかし。噛みつく為に鍛冶神との接触を望んだと知れば、湖守は悲しむに違いない。その上、残念な事に直接接する行為それ自体が、湖守を飛び越える事になってしまう。
粘性を帯びた憤りが表情に現れてしまったのだろう。ダブルワークではなくライムから、「勝利君、唇」と尖らせている事を窘められた。
緊張感をまといつつ時間ばかりが経過してゆく。
湖守が戻って来た時には、午後七時を過ぎだいぶ経った頃だった。
「お腹が空いたでしょ。色々作るよ」
キッチンに入った店主が、気前よく沢山の料理を用意し始める。
「どれが欲しい?」虫の少年の為に、ツェルバが細かく切り分けてやる。「食べたら上に行くよ。今夜、僕達は一緒に寝るんだからね」
異様にサラダを嫌がる少年に対し、「そっか。…野菜は仕方がないか」と黒の縫修師が素直に引き下がる。
「ささ。勝利君も」
サンドイッチから定食など、湖守は次から次へとカウンターに並べてゆく。
鍛冶神とどのようなやりとりをしたのか、湖守は自らの不満を訴えたのか、否か。陽気に振る舞うその様子からは一切読み取らせてはくれなかった。
食事とお茶の後、勝利は店内の片づけと清掃を手伝う事にする。
その後、ツェルバが虫の少年を抱え、八人と一人は三階へと続く階段を昇っていった。
無理をすれば、冷風が吹き込む階段室から襟を立てた人々と家路を急ぐ車の往来を見る事ができる。
食事や清掃の間に時間は経ち、今は午後十時にはなっている。年末故の現象なのか、それでも人々の活動は盛んだ。
まんぼう亭も、この一帯も、今のままもうしばらく平穏であって欲しい。勝利は祈る思いで、夜を迎えた駅前の雑音を聞き続ける。
誰に祈るべきなのだろう。
やはり、勝負神か。
-- 「40 夜に蠢く その3」 に続く --
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