40 夜に蠢く  その3

 唐突に、三階のドアが内側から開く。昨日と同様、乃宇里亜が少女の姿を得、勝利達の到着に備えていたからだ。

 既に点灯されている室内を、ツェルバを先頭に九人と一人が奥へと進む。勝利にとって未知の空間、最奥の個室前に様々な身長の九人が集まった。

 青いシールド服をそのままに、虫の少年がツェルバの腕の中で盛んに周囲を見回す。

 安全を確かめる意図、があっての事ではなさそうだ。好奇心に輝く双眸が、既に友達の家気分で照明や窓に掛かったカーテンの模様を眺めている。

 数時間かけ黒の縫修師が密に接した成果だ。不二やダブルワークに怯え逃げまどうばかりだった小さな少年は、この後皆で過ごす楽しい一夜が始まるものと信じて疑わない。

 今日初めて顔を見る青い髪の少女にも、彼は千切れた翅を僅かに動かした。君恵が行ったように柔らかく頬を撫でて欲しいのだろうか。

 ツェルバが、足早に乃宇里亜の前を通り過ぎる。

「お茶はもういらないから。良かったら、お風呂沸かして」

 それだけを早口で並べると、何故か少年を隠すように抱え一人真っ先に奥の部屋へと潜ってしまった。

 長髪の少女が頷くなり、小さな足音を立て玄関の方へと引き返す。右に曲がれば、その先にあるのは、風呂場やッチンなど水回りを集めてある場所だ。

 閉じられたドアの前で、勝利は一人、奥へと進む資格が自分に無い事を理解する。

 今後もこのような状態が当面続くのだとしたら、少し残念だ。神々の拠点、というよりライム達の秘密基地は、勝利に全てを開示しないからこそ『秘密』の部分を今後も保持し続ける事になる。

 二階は、興味を持つ事自体が怖い。せめて、ライム達縫修師の居場所となる三階の中については、その全てを知っておきたかったのだが。

「後は、私達に任せて~」

 ミカギが、服のボタンを弾き飛ばしそうな巨乳を勝利の眼前に寄せる。

「頼むよ、ミカギ」湖守も閉じられたドアの奥には進まず、窓外にちらりと目をやった後、側にある顔を順に見回す。「チリ、スールゥー。今夜の主力は、君達二人と勝利君の不二だ。勝利君の吸魔化を防ぐ為に、ダブルワークは一定の距離を敵と保つ必要があるからね。どうしても手数が減る」

「わかってます」普段は無口なチリが答えた。

「俺の不二が…」湖守の口から主力として名を挙げられ、勝利は緊張感から唇を軽く噛む。「ところで湖守さん。万が一、という話をしてもいいですか?」

「いいよ」

「もし、あの白スーツの男が来るのが明日以降だったり、今夜ぶつかるのがこの建物の外だったりしたら。今の計画は少し変わりますか?」

 即答を避け、湖守がじっと勝利の目を覗き込む。

「そうだね…。もし今夜来なかったら、明日の朝に対策を練り直そう。ただ、今夜この建物の外で、という事になりそうなら…。乃宇里亜の力が及ばなくなる。あの子のシールド服は、建物から離れる距離に応じて効果が下がってしまうんだ」

 ここで一旦、湖守が区切った。

「実は、鍛冶神も同じ危惧を抱いていたよ。後三〇分程で、工房からバスケットと彼の服が届く。ミカギ。届いたら乃宇里亜に部屋まで運ばせるから、ツェルバに着せるよう言ってくれるかな。そして、もし戦闘が始まったら、バスケットを持つのは君の役目だ。あの子はヴァイエル中には入れないし、僕も二階から出る訳にいかないからね」

「ならば、ミカギには変装をさせた方が良いのでは?」

 屋外で素顔を晒すのが彼女一人ならば、ライムの危惧は当然の判断だ。

「ミカギの事なら」と、チリが自身の胸を指した。

「任せたよ」

「という事は、二人だけで動くのは、僕とツェルバだけって事?」虫の少年が使っていた玩具を握りつつ、スールゥーが活力で次第に目を輝かせる。「白スーツって、どんな奴なんだろ。うっわー!! ゾクゾクしてきちゃった!!」

「僕」を強調するスールゥーが、闘志に喜悦を深く編み込んで決意の扉から激しく噴き上げる。

 ダブルワークの人型が神獣の戦士、チリの人型が放つものを剣の鋭利さだとするなら。スールゥーの人型から溢れ出すものは、さながら神々の行く手を切り拓く誉れ高き雷光だ。

 気まぐれに変幻自在の屈曲を繰り返しながらも、確実に射抜くべき敵に届くエネルギーの束。ツェルバの為に、そしてツェルバが望むのなら、スールゥーはその雷をあらゆる傷害に放ち、跡形もなく粉砕するだろう。

 緑、赤、そして黒。星々の威光を掲げ空を駆ける縫修機には、全機が実に個性的な性質を与えられていた。そのセンスの良さに脱帽したいところなのだが。あの鍛冶神の仕事と思うと、幾らか口の中に渋みが広がる。

「勝利君」拳から突き出した親指で、湖守が左手にある別の個室を指し示す。「今日はこの部屋で、ライムとダブルワーク、二人と一緒ね。段取りは、三人で事前に話し合って」

「はい」

「じゃあ、ライム、ミカギ。後は頼んだよ。僕は、乃宇里亜と下の部屋で待機しているから」

 戻って来た青髪の少女を従え、湖守が踵を返す。

「おやすみなさい」

 勝利が挨拶をすると、「明日の朝、みんな揃ってご飯にしよう。楽しみにしてて」と一度振り返って階下に消えた。

「明日の朝にみんな、か…。本当に、全員が揃っていて欲しいです……」

 湖守を吸い出したドアを見つめたまま、勝利が呟く。

 勝利だけが気づかずにいたが、その背を見守る形で五人の縫修師と縫修機がそれぞれの間で頷いていた。

 残った者達が二手に分かれ、勝利はライム達と共に今朝過ごした部屋に入る。

 既に点灯されているのは、乃宇里亜の配慮が行き届いている証だ。

「ちょっと待ってろ」

 絵の前に勝利を残し、ダブルワークが部屋の奥に行く。重い家具を無理矢理動かす音がし、「これでよし」と短髪の男が戻って来た。

「勝利君」最もくつろぐべき自室で、ライムが立ったまま眉根を寄せる。「君がした万一の話。あれは、君自身の思いつきなのか?」



          -- 「41 夜に蠢く  その4」 に続く --

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