34 まんぼう亭の夜

 十二月上旬だけあって、日没の気配が訪れるのは早い。

 ミカギ達が君恵を右のブロックに移した頃、窓外の光量は急速に減少を始めていた。陽光が赤に赤にと傾く一方、暖色系の店内照明は同じ光量のままその主張度を増してゆく。

 石塚は一旦自分の店に戻る事になり、湖守は一人、大量の洗い物をこなしつつ狭いキッチンで物思いに耽っていた。

「え? また万華鏡、見たいの?」ツェルバが円筒状の短い筒を覗かせ、虫の少年の為にわざわざゆっくりと回してやる。「はーい、ぐるぐる~」

 少年の翅が、早いテンポで四枚同時に前後した。声無き号泣はようやく収まって、今は見慣れない人間用の玩具に夢中だ。

「ああいうところ、俺達じゃ真似できねぇな。絶対」ダブルワークがカウンターの定位置で、ツェルバの巧みなあやしに舌を巻く。

 泣いていた少年の目先が変わるよう「ねぇ、楽しい事をしようよ」と誘い、黒の縫修師は意外にも幼児向けの玩具遊びへと引き込んだ。

 自前と思われる数点の玩具を三階の自室から持って下り、テーブルの上に座る少年をスールゥーと二人で挟み込む。一体何をするのかと皆が様子見をしていると、ツェルバは突然紙製の三連風車に息を吹きかけた。

 乾いた音を立て、息が切れるまで三つの風車は回る。

 直径が大小様々なだけで、回り方は違って見える。少年が気を取られるまで一瞬の事だった。

 勝利には、自分が同じ結果を出すなど到底不可能だとわかる。そもそも、玩具で一緒に遊んでやる覚悟などない。

 万華鏡や鳴り物など小さな子供向けのあれこれに、少年の目が輝いている。

(縫修師達の本拠地なのにな)

 そう。彼にとって、まんぼう亭は本来敵の一大拠点。長居すべき場所ではないのに、今やすっかり寛いで、勝利の監視任務の事など忘れてしまっているようだ。

 虫の少年が、小さな赤いゴム玉を右手で指す。

 彼の要求は、視線や手など全てが声のない世界から発せられた。それを器用に掬い上げ、ツェルバは少年とのコミュニケーションを見事に成立させている。

「ツェルバは立派なものだろう」カウンターの定位置に戻ったライムが、最年少と思われる仲間の縫修師を誉め讃える。「ろくに食べずに、ああして頑張っている」

「そうか。自分のお昼、食べてませんよね」

 ライムの言わんとする事を察した時、勝利は、ツェルバが遅めの昼食には一切手をつけていない事に思い至った。

 クッキー二枚を腹に入れたきりで文句の一つも言わない。そんな少年が、吸魔を前にすると緑の縫修師に対し暴言を放つ。

 昨日のあの場面が最後であればいいのに、と勝利はつい願ってしまった。虫の少年の為には、三人の縫修師は一つになる事ができるのだから。

 日没を告げるジャズの音色に、風船を膨らませる音が混じる。まんぼう亭の貸し切りは、どうやら今日の閉店まで、という事になりそうだ。

「あ…」閉店という言葉で、勝利は突然、寝床の件に思考が及ぶ。「俺、今夜ここに泊まる事になってるんですけど、何処に寝ればいいですか?」

 キッチンで食器を重ねながら、湖守が「勝利君の寝る所ね」と悪戯っぼく笑う。「お客さんが来た時には二階を使うようにしているんだ。あ。二階は、一応僕が全部の部屋を使ってるんだけど、来る?」

「え…。も、勿体ないですよ」つい反射で、勝利は首を横に振ってしまった。「ただの従業員はお客じゃないですし。こう…、一階の椅子とかを上手く組み合わせて…」

 店内を見回し、椅子で拵える俄作りの固いベッドを想像する。

 まず間違いなく、寝心地は今一つだ。但し、今夜の場合、睡眠時間が確保できるだけで相当な儲けものに違いない。

「俺達のベッドに来いよ」と、ダブルワークが自身の胸を右の親指で指した。「白スーツの男が来るとすれば、今夜だろ。なるべく固まっていた方がいいし、寝る時間なんて、僅かでもあるだけましだ」

「確かに、君達は一緒の方が良さそうだね」湖守が首肯し、一夜限りの勝利の寝室はライム達の私室と決まった。が、湖守の表情はすぐに穏やかさを失ってゆく。「ツェルバに懐いているようだし、あの子は彼等二人と一緒に行動させよう。問題は、白スーツとの戦力差だ。…さて、どうしたものか……」

「昼間、ダブルワークさんは、『自分は縫修専用機だから多くを期待するな』みたいな事を言っていました。他に、こちら側で充てにできる戦力ってないんですか?」

 神々の絶対数は、まず間違いなく湖守をリーダーとする勢力の方が多い。もし逆ならば、今の時代まで三人きりの縫修師では地上を支えきれないからだ。

 汚染の件一つを取っても、ヴァイエル頼みという現状、数の差は清浄度に直結するのが普通だろう。

 しかし、湖守は首を横に動かした。

「意外に思うかもしれないけど、実はほとんど無いんだ」困惑と、あと一つの別な感情を交え、湖守が窮状を吐露する。「僕も時々考えはするよ。闇に対する備えは、縫修師とは別に必要なんだろう、ってね。でも、鍛冶神の話によると、戦神は闇を選んだ。吸魔は地上の人間を襲う。その全てに本気で備えるつもりなら、僕達はとんでもない準備をしなくちゃならなくなる」

 言い渋った果てに、湖守は一度区切って間を置いた。

「それこそ、人間の世界が滅ぼせるような規模の、ね」

 出来ない、というより、望ましくないものと考えている。湖守の苦しい境地が勝利にも伝わってきた。

「でも、神様と戦えるのは、神様だけですよ。戦うのと備えるのは、違う事じゃないですか」

 生意気と自覚しつつ、勝利は人間の代表として、自身の考えをリーダーの前に臆せず広げる。

 直後に、もう一つの考えが胸中から吹き出した。

「……不二だ…」手違いについて話すなら、今という気がする。「話は少し変わるんですけど。湖守さん。俺のヴァイエル、朝の説明と少し違うみたいなんです」



          -- 「35 誰の為にあるのか」 に続く --

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