33 和也ではない者  その2

 何しろ、小さな少年の顔立ちときたら、真田の元を去った和也そのものだ。しかし、テーブルの上でその一角を占めるのが精一杯という三〇センチ程の身長は、当然和也本人ではない事を指す。

 加えて、青い服の背から延びている四枚の翅は、人間にも神にも本来ならば無いものだった。そのような代物が、仕掛けなどを必要とせず付け根から動いていれば、君恵でなくとも言葉を失ってしまうだろう。

 親しい者にとって、俄には受け入れ難い残酷な光景の筈だ。

 会わせずに帰してやってもいいものを。勝利の中で、もやもやとした蟠りが胸の奥に淀みを作る。

 残酷な事実は、結局のところ誰一人幸せにしない。「依然行方不明」と伝え一旦帰す判断も有りだったろうに。和也少年の「行方不明」は、一つの事実なのだから。

「和也君が闇に行った後の事を知りたいそうだ」君恵を連れて来た湖守が、彼女の中に育まれた決意を明かす。「…本当の家族ではないけれど、二人は、限りなく肉親に近い関係だからね」

 虫の少年が、君恵の前で小首を傾げた。そして、同じテーブルについているライムとツェルバを同じ表情で見上げ比べる。

 餌付けの成果なのだろうか。少年は縫修師にばかりなついている。

「私が訊こう」と、ライムが名乗りを上げた。

 少年の頭を柔らかく撫でてやると、嬉しそうに頭を擦り返してくる。

「私の言葉がわかるね?」

 少年が首肯した。

「彼女は、君と同じ顔をした少年の家族だ。君が知っている事を幾つか教えて欲しい」

 虫の少年が、恐る恐る君恵と視線を交わす。その仕草は、渋々了解したようだ、と周囲を囲む者達に認識させる。

 遅れて、ようやく少年が頷いた。

「彼と闇の拠点で会っているのか?」

 こくり、と小さな首が縦に動いた。

「彼は、まだそこにいるのか?」

 間を置いてから、俯き加減になった顔が重々しく左右に揺れる。

 ダブルワークとツェルバが、無言のまま目を閉じた。

「ああっ……」君恵が、両手を口に押し当てる。

 今度こそ卒倒し倒れるのでは、と勝利は危惧した。

 だが、彼女は嗚咽を一度漏らしたきり、極限の状態にもかかわらず崖っぷちに留まっている。或いは、移動中の車内で相応の覚悟を固めていたのかもしれない。

 覚悟の話は、嘘ではなかったという事だ。

 ライムの質問に答えた虫の少年が、突然顔をくしゃくしゃに歪める。しかも、まんぼう亭の天井を仰ぎつつ大きな口を開けた。

 始めたのは、声にならない絶叫の放出だ。

 次から次へと涙が溢れる。次第に目の周辺が赤く腫れ、涙は全て青い服の腹に落ちた。

 しかし、声だけが発せられない。ひゅっ、ひゅっと、息を吐く時に空気を押し出す音が起きる。

 その哀れが、かえって傍観する者の心に突き刺さった。

 少年は、テーブルに両足を投げ出し両腕をだらんと下ろしている。小さな体の中に貯まっているエネルギーの全てを、頭、というより顔に集めているのだ。

 涙を流すのは、神の側面。声を持たないのは、虫の側面。両者の性質を混合させた結果と頭ではわかっても、どちらにもなりきれない彼の喜怒哀楽は、その行き場が救いようもない程半端なところに陥ってしまう。

 逢いたくて。いなくなってしまった者を今も慕って。虫の少年は、内なる嵐にただ苛まれていた。

 その彼に、ツェルバが手を差し伸べようとする。

 もう一つの手が同時に動き始め、褐色の手に触れた。重ねてきたのは、君恵のものだ。

 途端に、ツェルバの表情が険しくなる。

「あんた。この子をどうしたいんだ?」荒々しい口調が、和也と同じ真田姓の女神に向けられる。「首に手をかけるってんなら、僕があんたの首を締めるよ」

「ツェルバ!!」

 ライムにしては珍しい強めの語気が、仲間の縫修師を窘める。

 しかし、黒の縫修師が抱いている猜疑心は、決して度を超した特別なものではない。和也少年に最も近い者ならば、翅付きの容姿に嫌悪する方が自然ではあるのだ。

 それを理解しているからこそ、湖守も「君恵さん」とその真意を質しにかかる。

「……その子が泣いていると、赤ん坊に偽装していた頃の和也さんを思い出すんです」か細い声で、君恵が落涙する。「どうにもならない事に抵抗しきれず、和也さんもよく泣いていました。闇の神々も、和也さんを楽にしてはくれなかったんですね」

 細く長い右の五指が、虫の少年の頭を撫でる。嫌悪と思慕が綯交ぜになる事を自らに許し、君恵は、少年の耳たぶを、更に頬にも触れてやった。

 和也似の少年が、両目を細め小さな頭を押しつけてゆく。

 白い手が、そっと離れた。

 あどけない眼差しが、テーブルの上から女性に注がれる。「敵ではない者」という認識ではなく、更に一段親しい関係を築いた者として君恵を受け入れたのだろう。

「か…ずや……、さん…」

 突然テーブルの前でしゃがみ込み、とうとう君恵が泣き崩れてしまった。

「ぼ…、僕のせい?」

 気まずそうに問うツェルバに、「違うよ」とスールゥーが相棒として答えてやる。「そういうものなんだよ、女の人はみんな」

「いや。今回の件は特別だから」

 すかさず勝利が、彼女のフォローに入る。

 ミカギ達赤組も腰を上げた。揃ってカウンターを離れ、チリと共に弛緩してしまった体を支えつつ、君恵を間仕切り壁の向こうへと連れて行く。

 湖守が、大きく息をついた。

「帰れるかな、彼女…」

「もし難しいようでしたら、私の所に一泊させましょう」

 上手い提案をする石塚に、湖守が「ありがとう、そうしてもらえると助かる」とその話をよしとした。「うちの場合、今夜が山だからね。君の店の近くに現れたらしい白スーツの男。あれとやりあいそうなのが、今夜なんだ。君恵さんとその男の対面なんて、それだけでも最悪の事態だよ」



          -- 「34 まんぼう亭の夜」 に続く --

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る