31 三人の縫修師
「マスター」ツェルバが立ち上がり、右手の人差し指と中指で欲する物の形を描く。「フォーク出して。デザート用の小さいやつ」
誰もが「ああ」と合点する中、キッチンに入った湖守が「勝利君、これを渡して」と小さな二股のフォークを一本勝利に差し出した。
そのまま湖守は、手慣れた様子で料理に取りかかる。
「ライム、君の分は今から作り直すよ。その子は熱いのが苦手だろうし、カルボナーラは熱いうちが一番美味しいしね」
三人分のパスタを茹でている間、「仕方ないなぁ」と繰り返す湖守の声を勝利はずっと聞いていた。若干弾んで聞こえるのは、決して気の所為ではないと思う。
勝利からフォークを受け取ったツェルバは、「ありがとう」も言わず虫の少年の為にパスタ二本を皿の中で巻いてやる。
「ほら、あーん」
大きく開口するツェルバと中身を提供したライムを見比べ、少年はようやく無言で口を開けた。黒の縫修師は、その中に丸めたパスタを入れてやる。
もむもむと咀嚼する少年の背で、千切れた翅がしきりと前後した。
ダブルワークが空席のままになっている椅子を引き、「ツェルバ、ここを使っていいぞ」と自分の隣に誘導する。
「あ、助かるよ」今は不愉快に思う理由が無いのか、ライムと向かい合う形でツェルバは席についた。しかも、「ライム、その手拭きも貸して。この子、よくこぼすから」と自分から話しかけもする。
「構わないが、足りるか?」
「もう少し必要かもね」
「あ。それは俺が…」
とうとう勝利まで手拭きの予備を出す羽目になり、店内は虫の少年とツェルバを中心に回り始めた。
危ういと決めつけていたライムとのコミュニケーションも、今のところ良好なまま進んでいる。それが勝利の主観でない事は、ダブルワークの沈黙でも証明する事ができよう。
何たる事か。ツェルバに対する勝利の強い警戒心は、ここに来ていきなり行き場をなくしてしまった。
散々ツェルバの傍若無人を吹き込んだ仲間達も静かなもので、ミカギなどはカウンター・テーブルに軽く背を預け、少年の旺盛な食欲にすっかりご満悦だ。
(あれ……)
何故だろう。少年に対する気の配り方が、縫修師の三人は酷似している。
一方で、ダブルワーク、チリ、そしてスールゥーの縫修機達は、何かを飲み込んでいるのか揃って浮かない顔をしていた。
虫の少年に対しすっかり気を許している縫修師の三人と、警戒心を残している縫修機の三人、という二極の構図が静かに成立する。
勝利自身は、ダブルワーク達の心情により近い。しかし一方で、少年を取り巻くものに憤りを感じてもいる。立ち位置としては、第三グループというところか。
よもや、ライムのいる側にツェルバがつく可能性が高まろうとは。意外な事もあったものだ。一方的に緑の縫修師を忌み嫌っていると思っていた為、彼等のいるテーブルを眺めつつ自分の頬を派手に抓りたくなってしまう。
正に「神のみぞ知る」裏事情だ。
勝利の中で、神々に関する好奇心を溜め込んでいる重い引き出しに手がかかった。
黒の縫修機に背後から近づく。
「あの…、スールゥー」
「勝利」
年下の容姿が、人当たりのよい爽やかな口調で勝利を容赦なく呼び捨てにする。
彼等神々は揃って不死だ。年齢の上でも神として積み上げたキャリアの上でも、人間の勝利と縫修師では地上で過ごしている時間の長さが二桁以上は違う。見下ろされるのはやむを得なしだ。
「一つ訊いてもいい?」
「ツェルバの事なら何も言わないよ。僕は、ツェルバの味方だから」
「あー…。そ、そんなに身構えなくても」勝利は対処に困って、つい線目になる。大人の嫌らしい詮索癖の臭いに、子供の気質を持つ者は非常に敏感だ。「いい子なんだね、ツェルバは。もっとやんちゃな男の子を想像していたから、他の時はどんななのかなって知りたくなったんだ」
「えっ!?」スールゥーが突然顔を歪め、苦手そうに勝利から一歩離れる。
好意的な返球は少々苦手なのだろうか。スールゥーはぷいと左を向いた後、「僕もそうだけど、自分に正直なだけだよ」と目を反らしたまま小声で呟いた。「もっともっとよく見ててよ。ツェルバは自分なりに色々考えて動いてるんだから」
相方と同じ顔立ちをした少年は、彼なりに、パートナーが理解されていないもどかしさを訴えた。
勝利は笑顔で何度も頷き、「わかった、そうするよ」と敵ではない事を強調する。
「仕方がないなぁ」
またも繰り返す湖守が、すっかり上機嫌になって三枚の皿にパスタを盛りつけてゆく。
それをミカギが配膳し、ツェルバはライムの向かいで、スールゥーは勝利の一つ置いた右隣で食事を始める事にした。
チリがサラダとスープを運び、全員が着席する。
ツェルバはというと、自身のパスタには一切手をつけず、虫の少年の食事を優先し続けていた。
やはり、ライムとツェルバの眼差しが何処か似ている。自身のパスタには背を向け、体を捻って最も遠い所から少年の食事に頬を緩めているミカギも同じだ。
それぞれに壮絶な美の領域に立ちながらも、彼等の目鼻立ちは全く違う。その三人がほぼ同じ心境を共有し、虫の少年を介してほぼ同じ表情を浮かべる不思議。互いに心境を表す言葉などは全く交わしていないのに、彼等は地続きとなる濃密な精神世界の中にいた。
縫修師ともなれば、敵すら慈しむ事が容易なのかもしれない。ならば確かに、背中合わせにある彼等の無防備ぶりを補い万一の事態に備えるのは、パートナーたる者の役割だろう。
縫修師。彼等はどのようにして誕生したのか、いよいよ興味が膨らんでゆく。
勝利は湖守に事情を尋ねようとしたが、「食事をしようよ。折角のカルボナーラが冷めてしまうから」とはぐらかされた。
渋々、冷めかけたパスタを口に含む。
と、ドアのベルが鳴って、貸し切りの店内に来客を告げる。
遂に来たか。『CLOSE』のプレートを視認した上で尚も入店する気になる人物など、そもそも一人しか心当たりがない。
正に、その女性が立っていた。駅から徒歩で来たのか息は整っており、狼狽は化粧と理性の下にそっと隠している。
しかし、絞り出そうとする華奢な第一声はたどたどしい上、小刻みに震えていた。
「お…、遅くなりました」女性が、後ろ手にドアを閉める。「湖守様。さな、真田君恵です」
-- 「32 和也ではない者」 に続く --
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