30 ツェルバとスールゥー  その3

「勝利君。さっきの挨拶、なかなか上手かったよ」

 左隣でカップを持ち上げている湖守が、咄嗟の反応として起こした勝利の行動を眉を上げながら誉めた。

 仕事の本番は明日からだ。接客でやっていけのるかという不安が、正直無いでは無い。本気の経営者から見れば、ぎこちない部分は相当に目立ったろう。

 それでも勝利は嬉しかった。

「あ、ありがとうございます。明日から頑張ります!!」

 傷心の湖守自身、内に整理のつかないものを抱えているのに、周囲を観察し気を配る事を彼は決してやめようとしない。

 勝利から見て、湖守は理想的なリーダーの一人だった。その湖守でも、神としての悩みを抱えていた和也少年をとうとう救ってやる事ができなかったのか。

「…君が来てくれて良かった。うちの店が随分と明るくなったよ」

「そ、そうですか? まんぼう亭は、元々明るくて感じのいい店ですよ。常連のお客さん、そういう雰囲気も楽しんでいるのだと思います」

 嘘偽りのない感想で、勝利は湖守を励ます。

 実際、外出の挨拶をする時、陽気な客の話し声が店内から漏れ聞こえた。

 常連が愛してやまないのは、何も早くて安いランチばかりではない。喫煙への配慮、暗色系に傾けてある室内と耳を撫でてゆくジャズなど、まんぼう亭という空間には労働者が足繁く通いたくなる要素が幾つも盛りつけてある。

「ありがとう」経営者のたった一言に、勝利は身の引き締まる思いがする。「明日からバリバリ頼むよ」

「はいっ!! では、いただきます」

 白いソースを絡め、勝利はパスタを頬張った。寒い日には有り難いコクのあるチーズと卵の味が、温かさと相まって口の中に広がる。

 まんぼう亭が奥から出してくるのは、安価な乾燥パスタだ。水も塩も、新小岩で使うものと大して変わりはない。

 勝利の部屋に買い置きしてあるものとほぼ同じだが、歯ごたえと塩加減、全てが違う。思わず舌鼓を打ちたくなった。

「う…、うまい~ッッ!!」

 頬が緩み自然と震えを起こす体を落ち着かせ、一口、また一口とフォークで口に運んでゆく。

「……ん?」

 後方で、ダブルワークが緊張を漲らせた。

 反射で全員がコートの塊に注目すると、虫の少年が目をこすりながら上体だけを起こしている。

 そしてライムの皿に視線を移すと、コートの中から這い出してくんくんと鼻を鳴らした。

「お腹がすいているのかしら?」

 仕草から察する限り、ミカギの見立ては正しい。

「泣き食い虫って何を食べるんですか?」

 勝利が誰かの回答を望むと、石塚が「人の悲しみです。固形物には興味を示さない筈なんですが…」と納得がいかない様子でフォークの動きを止めた。

 少年は、ライムの皿の方へと小さな身を乗り出し、白いソースをじっと観察している。

「そういえば、和也君はうちに来ればいつもカルボナーラだったなぁ」

 しみじみと湖守が語った直後、少年は思い切った行動に出る。

 右の手首をいきなりソースに浸し、べたべたになった真っ白な掌と五本の指を丁寧に舐め始めたのだ。

「えええ~っ!?」

 勝利ばかりか、店内にいた全員が驚愕の悲鳴を上げて立ち上がる。

 少年は少年で、周囲の立てる椅子や食器の音など一切気に留める様子もなく、再び同じ事を繰り返した。

 背中に残った四枚の翅の欠片が、小気味よくパタパタと揺れる。さながら歓喜の羽ばたきだ。

 一方で、シールドを兼ねた青い服は、垂れたソースですっかり汚され白い水玉模様を拵えている。

「赤ちゃんですよ、これじゃあ……」

 聞いたばかりの泣き食い虫に関する話と、まるで違う。虫の少年はライムの皿の中身にすっかり夢中だ。

 メインの食事を取り上げられ、最初は呆然としていたライムだが。何を思ったのか、フォークで二本ばかりのパスタを丸め少年の眼前に翳す。

 金髪の少年が、物欲しそうにライムを見上げた。

「食べたいのだろう? いいぞ」

 頷いた少年が、パスタを両手で引き寄せ満面の笑みと共に素手でかぶりつく。

「…いや。そうではなくて…」

 ライムが少年を扱いあぐねていると、再びカランとドアの開閉音がした。

 遂に和也少年の姉が、と女性の立ち姿を全員で覚悟する。

 が、ドアを開けたのは二人連れの少年だった。しかも、背の高さや目鼻立ちが酷似しており、一卵性の双子と錯覚しそうな共通する特徴が多々ある。

 一見、共に未成年で肌は褐色。ダブルワークのものより赤みが強く、色あいも浅い日焼け程度の薄いものだ。

 しかし、それぞれに髪の色と虹彩の色が全く違う。

 片や、短髪の黒髪で虹彩の色は茶色。但し、ライムの髪の色よりも更に明るく光沢もあるので、光の加減によっては鈍い金色に見えなくもない。

 もう一人は短い銀髪に黒の虹彩を持っていた。その為、後者の少年の方が目が大きく見える。

 虫の少年よりも中性的な美貌、やや痩せぎみで手足の長い体躯。そして堂々とまんぼう亭に出入りする辺り、彼等も人間でない事は確かだ。

 黒の縫修師とパートナーたる縫修機か。緑組と赤組の取り合わせを参考に、勝利はそう確信する。

 ライム達緑組、ミカギ達赤組、そして湖守達青組にも言える事だが、黒組の二人も強烈に人の記憶に残る容姿をしていた。それでいて、チームごとに全く異なる印象を焼きつける。

 店内にいる美形が多すぎるのに感覚が麻痺しないのは、彼等がそれぞれ正に別格の域に立つからだ。「放つオーラ込みでその人の美貌」とはよく言ったもので、顔立ちが全てを決めているのではない、と彼等を前にすれば納得する。

「あ、そうだ」勝利は、カウンターの隅に追いやられている『CLOSE』のプレートを握って、開け放たれたドアに向かう。「湖守さん。これ、掛けておきます」

「よく気づいたね、頼むよ」

 フックにプレートを下げ、黒組の二人とすれ違いざま、勝利の方から挨拶をする。

「おかえりなさい。ツェルバとスールゥー、だろう?」

 硬直する二人が、しかめ面で勝利を見上げる。

「誰? あんた」

 顎を尖らせたのは黒い虹彩を持つツェルバで、一方のスールゥーは苦笑いと共に手で制止しかけ、やめていた。

「一周勝利。勝利でいいよ。明日からここでバイトする事になった見習いの神だ」

 案の定、勝利の名が出た途端、ツェルバの警戒心が半分溶けた。昨日の出来事全てをネットワーク経由で把握してはいるのだ。

 だから宜しく。そう付け加えようとしたのだが、ツェルバは勝利の前を挨拶無しで通り過ぎる。

「え? ナニナニ?」彼の関心は既に虫の少年へと移っており、ライム達のテーブルの端にしがみつくと両手を舐める小さな姿に目を細めた。「へぇー、この子がそうなんだ」

 ライムに話しかけているようだが、その口調に邪険さは微塵もない。

 勝利は首を捻りながら、ドアを静かに閉じる。二人増え、店内が乃宇里亜を含め十人もの神々で満たされた。

「面白~い!! 食べっぷりも凄いじゃん」

 ツェルバは、何の抵抗も感じていない様子でライムのいるテーブルに取りついている。

 しかも、「あ~あ」と笑いながら少年の青い服をダブルワークの手拭きで拭ってやっていた。大した世話の焼き方だ。

 ライムはライムで、昨日の暴言など無かった事にしツェルバと虫の少年を見守っている。

 二人の縫修師の間近でため息を堪えているのは、ダブルワークだった。その顔には、「いつもこうならな」と期待少なに書いてある。

 勝利は、自分の中で何かが崩れる音を聞いた。思い込みというより厳然たる事実のつもりで受け止めていたのだが。

 性格のきつい少年、ツェルバ。その理解の仕方が大きく揺らぐ。



          -- 「31 三人の縫修師」 に続く --

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る