28 ツェルバとスールゥー  その1

 コートの塊を抱えたダブルワークが、カウンターの定位置には座らず、最もカウンター寄りにある四人卓の手前側にコートの塊をそっと置いた。次いで、なるべく音が立たぬよう配慮し隣の席の椅子を引く。

 ライムは自身のコートをダブルワークの向かいにあたる奥の椅子にかけ、包みの向かいに腰かけた。

「勝利君はカウンターがいい?」座る位置を確認すべく、ミカギが勝利に問いかける。湖守が人数分のカップ入りコーンスープを用意し、ミカギとチリの赤組二人で配膳を始めた為だ。

「はい」と定位置で了承はするものの、敢えてすぐには座らない。注目を浴びているダブルワークのコートの中身に、勝利の意識も強烈に吸い寄せられていた。

 なるべくなら、早い時点で不二の件を湖守に報告したいのだが。しかし、行方不明事件に関係するとわかっているだけに、少年の話は何を差し置いても進めるべき最優先事項だ。

 勝利の踵の近くで、不二が待機している。体を捻って後ろを向くと、勝利は右手の人差し指を口元に当てながら、もう一方の左の掌を上から下へと垂直に動かした。

 不二が、小さな頭で首肯する。今は動かぬよう指示した事を了解したようだ。

「ちょっとそっちに行くよ」スープの提供を終えた湖守が、エプロンをつけたまま一旦キッチンから出る。ライム達部下を暖かいスープで労った後、いよいよ少年の顔を確認するつもりなのだろう。

 全員の視線を一身に集め、湖守が前屈みになってコートをめくった。横顔、正面と安らかな寝顔の向きを変えた後、「なるほど。和也君にそっくりだ」と上体を起こす。「闇がまだこんな惨い事を続けていとはね。…この子を真田姓の神々に見せるのが忍びないよ」

 そうこぼす湖守の声は、やはり打ちのめされたが故の寂寥感を伴っていた。

「あ…、あの」勝利は尋ねずにはいられない。「惨い事って、何の話なんですか?」

 直後、ライムばかりか、明るく振る舞っていたミカギの表情にまで陰が差す。

 ダブルワークとチリは揃って眉根を寄せるが、最早「今は言うな」とは制しなかった。

「勝利君。その話は、ここで聞いたら君の胸にずっとしまっておいてくれるかな」

 湖守が僅かに俯き、説明向きと思われる言葉の数々を探している。

「はい。勿論です」

「平たく言うと、和也君は抱かれたんだよ。闇に住む泣き食い虫に。そして、和也君の容姿と光域の神の力が、闇の虫と融合して、この子が生まれた」

「そ…、そんな……!!」

 勝利の背筋を、おぞけが電撃となって走り抜ける。

 反射で体が捻れた。表皮の上を何かがしきりと這い回る妄想に襲撃され、拒絶を示す胃が中の液体を一瞬上へと押し上げる。

 口中を不愉快な酸味が満たした。

 座らずにいたのは正解だ。結局、跳ね上がる事になっていたのだから。

 続けるべき言葉が見当たらない。

 無邪気な問いかけをやめるようダブルワークに制止されるのも当然だ。いつもの冷静さが消し飛ぶライムの怒りも、一方で小さな少年を慈しむその態度の正体も、全て合点がいった。

 土地守の真田和也少年を弄び、戯れから次世代の誕生を強要する闇の神々に、あの時ライムは凄まじい嫌悪と憎悪の念を抱いたのだ。

 虫の少年は、歪んだ企みの結果ここにいる。地上の全てに恐怖し感情を解き放つ者や力ある者に怯える彼は、闇の邪念からも身を守る術がない。

 その上、監視の任さえまともにこなす事ができないと知られてしまったら。何が起こるかは語るまでもない、という事だ。

「闇の生き物との交わりは、神格の低い神には負荷が大きい」湖守が重い口調で付け加える。「神造体は確実に汚染されるし、極短時間で変質してしまう。もし仮に、和也君が命を繋ぎ留めていたとしても。神造体は元の形を留めてはいないだろう。勿論、地上で再び生活する事も、土地守の仕事に戻る事も、もうできなくなる」

「…それで。その子の姿を見てから…、ダブルワークさんは、和也君の方を心配していたんですね。…『だから』の意味、俺にもようやく、わかりました」

 しきりと唾を飲み込んで呼吸を整え、勝利は長い言葉を紡ぎ出す。三日吸いの吸引音にもうなされたが、和也少年の屈辱を思うと、今夜の眠りは一層浅くなってしまいそうだ。

 短い緑髪の男が、「謝るなよ、謝るんじゃねぇ」と突然念を押す。「わかったのなら、この話はもう終いにしようぜ。この後、嫌でももっとしんみりする事になるんだからな」

「…そうですね」素直に返事はするものの、正直、話の重さ、そして湖守やライムの様子に飲まれ、引きずらずにいる自信はなかった。

 苦し紛れに考える。ダブルワークの言う通り、すぐにでも話題を変えねば。

 そう。たとえ多少強引な形を描こうとも。

 勝利は、パチンと頬を叩く。柏手のように、鋭い打音が店内全域に響いた。

 流れるジャズも、一曲終わって雰囲気が変わる。

「ところで。さっき湖守さんが話しているのを聞いて、あっと思ったんですけど。ここに戻って来るんですか? ツェルバ達」勝利は咄嗟に、黒組の話を持ち出した。「俺は昨日、ダブルワークの中で声しか聞いてないんです」

 不自然な方向転換に付き合って、湖守が「ああ、そうか」と話を合わせる。「性格は、今風の若い子に似ているよ。勝利君はびっくりしちゃうかな?」

「あはは」後頭部に手を当て笑って誤魔化した後、「何とか合わせます!!」と力んで返した。

 正直、対面した途端、顔をしかめてしまいそうな不安ならある。それは事実だ。

 何しろ、緑の縫修師に「人殺しライム」と言い放った少年が、他ならぬ黒の縫修師ツェルバなのだから。勝利の内なる印象は決して良くはない。

 それでも、全てを知りたい思いの方が勝ってはいる。ツェルバなら虫の少年にどのような反応をするのか、も含め。

「頑張ってね~、勝利くん」ミカギも語尾を延ばして平時の習慣を取り戻し、勝利の振った話題に加わる。「生意気でびっくりするわよぉ。お店、全然手伝わないし~」

「でも、おかげで俺のバイト先の宛ができました」

「そうか。こんな上手い貢献の仕方もあるんだね」と、湖守がようやく本物の笑顔を取り戻す。「勝利君、一回り上の忍耐力がつくよ。彼等とも仲良くね」

「は……、はい」

 やや引きつった顔になっている事を自覚しながらも、はっきりと即答はする。

 勝利の後ろから、不二がゆっくりと浮上を始めた。

 今の状態をいつまで続ければいいのか。その指示を欲しているのだと気づくまで、勝利は幾らかの時間を要してしまった。



          -- 「29 ツェルバとスールゥー  その2」 に続く --

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る