22 泣き食い虫の少年

 民家の二階部分は、自然と障害物が多くなる。それらは風通しの良いベランダに集中しており、物干し、洗濯物、時には犬の置物や鉢植えまでがひしめきあっている。

 小型の不二は、格子の中に鎮座している犬の置物を目掛けていた。

 ベランダの手すりを越え、敢えて自らの姿を敵前に晒す。

 大胆な不二の行動に取り乱したのは、気の小さな監視者だ。

 四方を囲まれているベランダの外に脱出すべく、飛行しながら格子の隙間を一気に抜けようとしたらしい。

 ガツン、という金属との衝突音が勝利の視界上方で派手に鳴り響いた。

「あ~あ」ダブルワークも、監視者のレベルに思うところがあるのだろう。額に左手を当て、姿無き敵の未熟さを嘆く。「こりゃ、闇の地上侵攻はまだまだ先だな。神材の育成が先だろ」

 敵が衝突音を発した。そんな事実一つに、勝利は妙な感動を覚えてしまう。

「見えなくても、いるんですね。…って、変な事が気になってすみません」

「私達を見る為に、向こうも同じ層に留まる必要があるんだ」ライムが、眼鏡の位置を調整する。外さずに、フレームの位置だけを直しているのだ。度の入っていない伊達眼鏡だというのに。「実体があるという事は、神造体を持つ敵か…」

 不二が高度を下げ、異音を発した格子の上に立つ。

 ああ、足首があるのだな。勝利はふと、些細な事に感心してしまった。

 そして、小さな疑問が一つ胸の奥で再燃するところを自覚する。

 縫修機には何故足首が無いのだろう、と。

 不可視の監視者が、不二を嫌ってか別の格子に体当たりした。ほぼ真反対の方向だ。

 二度の体当たりで更に混乱したのかもしれない。真上を覆う南側の屋根にも衝突をし、音を立ててベランダの床に落下する。

 不二が武装の使用を躊躇っていた。使うまでもない相手、というより、迂闊に使用し直撃させてしまう事を危惧したのだ。

 自滅しかけている敵に威嚇の射撃は、偶発的事故により当たってしまう確率が意外と高いと聞く。勝利の従者として、闇の排除よりも主の命令を優先している証だ。

 不二が、尚もベランダの内側を覗き込んでいた。

「俺があの中に手を突っ込んで外に出してやろうか?」少々もどかしくなってきたのか、ダブルワークが自らのヴァイエル化を提案する。

「いや。サイズ的にぎりぎりだ」と、ライムが制止した。「幸いあの家の住人は外出中のようだし、これ以上敵を怯えさせる前に不二に引き揚げさせた方がいい」

 どうする?と尋ねる目線が、ライムとダブルワーク双方から勝利に送られてきた。

 いつの間にやら、決断するのは勝利、という事になってしまっている。

「そうですね…。不二にやらせます。不二!!」と植え込みの外から二階の手すりに声をかけつつ、右手の親指と人差し指で輪を拵え下から上へと持ち上げる仕草をする。「わかるか?」

 藤色をした小さな頭部が頷いた。

 ベランダの内側に無断侵入すると、両腕を肩幅程度に広げ何かを持ち上げる姿勢のまま白い家の敷地外まで水平に飛行する。

 しかし、ここで不二の姿勢が大きく崩れた。

 右から左へと横に力をかけられたのか、頭と肩を流され落下しかけた後、瞬時に立て直す。

 その両腕は、だらりと垂れ下がっていた。逃げられたのだ。

 不二の背中に装備されている一対の砲塔が一段上方にスライドし、機体正面を狙うべく九〇度に折れた。

「不二の奴、撃つ気だぞ!!」

 ダブルワークに警告されるまでもなく、勝利にも悪寒めいた危機感が増してゆく。

「不二!! 殺してはいけない!!」

 声に出す訳にはゆかず、心中で絶叫する。

 出現直後の不二は、勝利の脳に直接言葉を届ける事ができた。もしかしたら、主従の関係の間ならば、声に出さずとも不二に届くかもしれない、と信じて。

 向かいの家に植えられている大きな松の枝に向け、不二が赤色のビームを放った。

 極端に細い光を一度きり。

 血の気が引いてゆく勝利の頭上に、実体化し落下するものが現れる。

 不二とほぼ同じサイズをした、裸体の妖精か何かだ。

 落下の速度が下がった。不二が妖精の脇の下に手を入れ、掬い上げたからだ。

 咄嗟にコートを脱いだダブルワークが、不二から妖精を受け取る。細くて白い体は、優しくコートに包まれた。

 不二が、勝利の顔前まで高度を下げる。

 神名乗りの時よりも、両者の距離は短い。

「主。この不二を信用していないのか?」

 はっとしてから、ぶんぶんと首を横に振る。

 だが、それは嘘だ。

 息をついた後、勝利は「ごめん」と謝った。「君の仕事ぶりを見るのはこれが初めてだから、少し不安になった」

「ならば、信じるに足ると認識を改めるか?」

「ああ。君はよくやってくれた。ありがとう」勝利は、素直な気持ちのまま小さな機械の顔に微笑みかける。「これから、お互いの事をどんどん見て知っていこう」

「了解した。主」

 不二との話をつけると、すぐにダブルワークの元へと走り寄る。

「どんな感じですか?」と声をかけつつ、コートに包まれている敵の姿に視線を落とす。

「どんな…ってもよ」ダブルワークがコートをめくりながら言葉を濁す。「不二が撃ったのは、背中の翅だけだ。怪我はしてねぇようだが、この通り翅のほとんどは燃えちまってる」

「ああ…」

 落下の理由はこれか、と思うと勝利の胸が痛んだ。

 元は四枚の翅を背に生やしていたらしい。しかし今では、付け根に六~七センチの痕跡を残すのみとなっている。

 ライムの白い指先が、残った翅の縁紋をなぞる。

「これは、闇の虫のものだ。闇の羽虫には、『愛飲み』、『泣き食い』といるんだが。この縁紋は、泣き食いの方かもしれない」

「虫、なんですか? これで」勝利は、まじまじと監視者の顔から胸までを眺めて眉をひそめる。見事な金髪、白い肌、線の細い体躯、そしてなかなかの美少年ぶり。確かに、白スーツの男に近いが、『虫』と断定されれば流石に首を捻りたくなる。「イラスト集とかにある、きれいな妖精画そのままですよ」

 生憎とライムからの返事がない。相槌なりそれ相応のリアクションを期待していたのだが。

 ついと、ダブルワークがライムを見やる。その気遣わしげな様子で勝利も紳士の顔を仰ぎ直すと、全身の血が凍った。

 怒りか、悲しみか。或いは、その両方が共に大きすぎるのかもしれない。

 あのライムが、自らの感情に飲まれている。まるで、血塗られた殺戮の現場にでも遭遇したかのような表情をし。

 見つめているのは、翅をなくし気を失っている裸体の少年だ。



          -- 「23 土地守が営む店」 に続く --

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