23 土地守が営む店  その1

「ライムさん…?」敢えて紳士の名をはっきりと発音し、勝利は声と言葉で紳士の内側から揺さぶりをかける。神にとって、名は特別な筈だ。兎に角今は、他に方法が思いつかない。「ライムさん!!」

 勝利の中で、新緑色をした宝石の表面に薄く曇りが重なってゆく。

 ただ、悲しかった。ライムの中に、これ程までの激情が秘められていたと知る事が。

 敢えて言葉に変換するなら、やはり「憎悪」や「嫌悪」の部類に入ってしまう感情なのだろう。

 形の良いライムの人差し指が、虫だという少年の広い額を優しく撫でた。金髪が指に押し出され、まとめて耳たぶに掛けられる。

「あの…。もしかして、知り合いに似ている、とかですか?」

「ああ」ライムは否定しなかった。「この顔、一度だけまんぼう亭で見かけているような。…確か、湖守さんを訪ね閉店後に入店したのではなかったか」

 赤子を抱き抱えている父親風のダブルワークが、「そんな事があったか?」と改めて少年の顔を観察する。そして「何となくだが、俺にも記憶があるぞ。湖守さんに席を外すように言われたから、用件の記憶は曖昧だな」と緑の縫修機にしては珍しくゆっくりと話す。

 少年についての記憶は、ライムの中でより鮮明に残っていた。

「あの少年も土地守だったと記憶している。…そう、一ヶ月前。いや、半月前だ」

「よく覚えているな」

「私が、彼に水と手拭きを出したからな。申し訳なさそうな、体を小さく縮めた座り方がとても印象的だった」

「で、その時、俺は? 一緒にいたよな」

 両手が塞がっている分、ダブルワークが言葉で自身を指す。

「間違いなく。ようやく帰って来たツェルバに食ってかかっていた」

「あー…」

 短髪の男が、後悔を混ぜ込んで短く唸る。

 実際、その風景は目に浮かぶようだ。勝利は、ようやく自分を取り戻したライムの横で苦笑いをする。

 ライムを毛嫌いし常に一定の距離を置く黒の縫修師ツェルバを、ダブルワークはあまり良く思っていない。それでも、今日の午前中は携帯端末を見えるようテーブル上に置き、その不仲な仲間からの連絡を待っていた。

 ライムの言う「仕事を疎かにするところを見た事がない」は行きすぎだとしても、ダブルワーク自身、一応黒チームを評価してはいるのだ。何年も、或いは何百年も、同じ経過を踏む衝突を繰り返していたとしても。

「半月前…」と、ライムが繰り返す。「一体、誰に確認を取ればいい…」

「湖守さんを訪ねてきたのなら、やっぱり湖守さんじゃないですか?」

 あまり深く考えず回答する勝利に、「そういう事じゃねぇ」とダブルワークが沈痛な面持ちで何かを否定する。「こんなに小さくなって、泣き食い虫の翅まで生やしてるんだ。出掛ける前の話で言うなら、こりゃもう、最悪の事態だろ。俺としては、ミカギとツェルバには知られたくねぇんだよ」

「土地守が虫になっている事が、ですか?」

「そう、だが、そうじゃねぇ」ダブルワークが意味深長な返し方をする。「悪い方にもう一歩進んじまってるって事が、な。…ああーっ!!」

「すみません。上手く察する事ができなくて…」

 勝利としては、続きを話しづらくなってしまった。

 事実は最早変える事ができない。そして、湖守は行方不明の土地守を懸命に探している。たとえどのような結果になっていようとも、湖守は知りたいと思っているのではないか。

 誰に何が起き、現状はどうなってしまっているのか、を。

 三人が見下ろす中で、コートに包まれた小さな美少年が目を開いた。

 さぞや驚いたろう。頭上から影を落とし、敵と認識している大きな顔が三つも、自分を取り囲んでいるのだから。

 矢も盾もたまらず自力で空中に飛び上がろうと、少年が翅であったものをしきりと上下させる。

 しかし、体が浮き上がる事はなかった。

 少年が、首を折らんばかりに項垂れる。今になって、翅を撃ち抜かれた事を思い出したようだ。

「すまない。君から翅を奪ったのは私達だ」ライムがそっと小さな頭を撫でる。「痛みはないか?」

 少年を胸に抱いているのはダブルワークだ。なのに、一周分仰いでからライムと勝利にだけこくりと頷く。

「どうして俺は無視される?」

「多分、さっき俺を吊し上げているところを見られたんですよ」褐色の肌の男がやや不満顔を示すので、勝利は最も高い可能性を指摘する。「あんな風に凄まれたら、怖い人だと思いますって。普通」

「あんだとォ~!!」

「ほら、また」

 勝利が唇を尖らせると、少年はきょとんと勝利とダブルワークを見比べる。どうやら本当に、脅す、脅される側という本来相容れない関係と認識していたのだろう。

「怪我がなくて良かった」落ち着くよう、ライムが静かに言い聞かせる。

 眼鏡をかけた彼の横顔は、陳腐な言い方をすれば聖母めいており、だが決して『母』ではない紳士の色気を含む。

 ある意味、実に奇妙な気の遣い方だった。

 全裸の少年が、首肯しつつ赤面する。あの白スーツの美男子を見慣れた身でも、ライムの微笑には耐性がないとみえる。

「なら、バトンタッチだ」ダブルワークが、コートごと少年をライムにそっと押しつけた。

 コートの塊を引き寄せ、ライムが手元で抱き上げる。

 嬉しそうに少年が笑う。小さな右手が、ライムのトレンチコートの襟を引き寄せた。

 くんくんと臭いを嗅いだ後、ようやく何かを納得したのか、せわしい動きを止める。

「声、出ないんでしょうか」

 笑い声一つ聞かせてくれないので、勝利は口の構造が違うのかと考える。

「虫の性質の方が強く出ているんだろう。元々、泣き食い虫は話せないからな」

 ライムの左手と右手の肘は下からコートの包みを支え、右手首は折り返して少年の金髪に優しく触れ続けていた。

 絵としては様になっているが、ライムの底にも虫の少年の底にも、本来蟠っているのは困惑だ。

 このままではいけない。

 勝利は、土地守だったという少年の経歴を思い出す。

「あの…。この辺りにある土地守の店って何処ですか? まず、その人に会いましょう。それで、行方不明になった土地守と親交のあった神様を探すんです」

 ダブルワークが、大きく頷いた。

「来い、勝利。俺が案内してやる」

 ダブルワークの左手が、少年を抱えるライムの左肩に回る。

 小走り、というより、三人は走っていた。

 二つ、三つと角を曲がり、十字路を渡って、小さな駐車場を設けているコンビニの敷地に出る。

「あ…」勝利は、話すより先にまず見慣れた店の構えを指し示した。

 入口横の少しくたびれた赤い集荷用ポスト、店舗用のガラスに貼りつけてある手描きのPOPの列。見慣れすぎていて、間違えようがない。

「あの…、ここ。俺が一昨日の夜、来るつもりだったコンビニです。ここに来る途中で、俺は吸魔に襲われたんです」



          -- 「24 土地守が営む店  その2」 に続く --

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