19 小さなヴァイエル  その1

 新緑色に近い携帯端末の背面を、無色透明なケースがほぼ全て覆っている。ケースの保護から外れ剥き出しになっているのは、中央やや上方に穿たれたカメラのレンズ部分と右サイドに取りつけられている電源ボタンだけだ。

 レンズの円形を更に一回り小さい穴とすべく、リング状のカバーが敢えて一つ加えてある。まんぼう亭で湖守から預かったリングには、勝利を守る為の力を鍛冶神が仕込んでいると聞く。

 護りの力には未だ定まった形が与えられておらず、その形を決めるのも、契約の為の名を与えるのも、力を託された勝利の役割になっていた。

「今、思ったんです。大きさが五〇センチなら上手く尾行をさせられるんじゃないか、って」リングの下方にある小さなつまみに爪先をかけると、軽い音を立てパーツがケース本体から外れた。「俺が人間として普通の状態にない事は、白スーツの男に伝わってしまっています。そんな人間を全力で庇う連れなんて、神とか縫修師くらいしかいない。そう思っていたりしたら、まずいですよね」

「確かに」頷くライムが、それとなく周囲に視線を巡らせる。「あの男は、勝利君について知りすぎた。私が縫修師、ダブルワークが縫修機である事をつきとめるのも時間の問題だろう。勝利君とまんぼう亭、湖守さんを守る方法は、そう幾つも無い。…しかし、尾行をさせても問題の解決にはならないぞ」

「なら、いっそ引き返して、三人で何とか取り押さえますか?」

 勝利が問うと、「勝負神はどうしてる?」ダブルワークが問いかけを無視し、勝利の胸をつんと指した。「勝利。あんまりはっきり言いたくはないんだが、俺は縫修機として昨日のサイズまででかくはなれる。だが、あの力はあくまで縫修の為のものだ。闇との…、それもあんな大物と戦うってなったら、覚悟だけじゃどうにもならねぇ」

「そんな…」今は二メートル以下の身長しかない闇の間者に、ヴァイエルとしての能力を振るうダブルワークが劣るのか。「チリとスールゥーに手伝ってもらっても無理ですか? 一つ間違えたら、まんぼう亭の一大事ですよ」

「わかってる。だから。勝負神はどうかって訊いてるんだ」

「あ…。ええと。俺の内側は、新小岩駅を出た時より静かな感じがします。今の話は聞こえている筈ですから、答える気がないか、答える事ができないか、のどちらかだと思います」

 勝利の回答に、ダブルワークが一つ頷く。

「だとしたら、強気の行動は厳禁だな。俺達がボコボコにされた後、勝利を吸魔にされるのが、最悪のパターンだ」

「歯痒いですね。お互い、こんなに近くにいるのに…」

「ん?」ライムが突然、立ち止まる。しかも、前進する事を完全に拒絶した足の止め方だ。「そうだ…。何故、あの男は手を引いた? 勝利君の状態に気づきながらこのまま私達を自由に泳がせ、一体何のメリットがある?」

 流石に、全員が不気味な発想にとらわれた。顔を見合わせ、互いに同じ思考を共有した事を確認する。

 木陰、一戸建てのベランダと次々に視線を飛ばし、闇が放つ微かな痕跡を突き止めようと神経を研ぎ澄ます。

 最も高い可能性は一つ。

 勝利と全く同じ尾行という発想を、あの白スーツの男も行った。そう考えれば筋が通るのだ。

 一度見逃した事も、敢えて勝利を吸魔化しない事も、逃す気がないからこそ整えられる形式だ。

「十中八九、白スーツが放った監視の目が近くに潜んでいる筈だ」どこかの家の洗濯物が揺れる度に、ダブルワークが周辺を睨みつける。雲が多いだけに日差しは弱く、冷風が小路を吹き抜ける際に常緑の枝をも弄んだ。

「つい、動く物に反応してしまいますね」いつもの勘に期待をし、勝利も自分なりの探索を試みる。「何となく、いる気はするんです。視線が…」

 それが白いスーツの男によるものではないとの確信はある。

 あの男の気配は、周囲に僅かな歪みさえ生じさせる類のものだ。ある意味、ダブルワークの背後に立っていた有翼の戦士に近い。人間サイズの収量を持て余し、エネルギーや存在感といったものが入りきらず溢れてしまっている。

 しかし、今勝利にまとわりついている視線は、規格外の能力の露出ではなく、むしろ通りがかりの猫や人間が送って寄越す視線に似ていた。

 弱者なのかもしれない。ふと、そんな考えが過ぎる。

 監視役に向いている、というより、それしかできない闇の弱者などいるのだろうか。

 吸魔の乾きは、そもそもが人間の放つものだ。炎のように激しく粘着性まで帯び、他者を襲う攻撃的な行動力は肉食獣を彷彿とさせる。

 一方で、今小路に忍び入っているのは、控えめで眼力とはあまりにも無縁な視線だ。人間にさえ警戒しているのかもしれない。

 地上が恐ろしくて。人間と縫修師の区別がつかないから。



          -- 「20 小さなヴァイエル  その2」 に続く --

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