09 神との面接 その5
「田辺家は、妻、息子、娘の四人家族です」
極端に口数の少ないチリが、赤の縫修機として参照データを声に出す。
「子供達の年齢は?」と問いかける湖守に、今度はミカギが「息子ちゃんが三歳、娘ちゃんが一歳です」と何も見ずに答えた。「吸魔化は七四日間と長かったので、奥さん、倒れる前にご実家の助力を求めていたようです」
折に触れ、被害者の自宅を見に行っていたのか。ミカギは、田辺家の中の様子にも通じていた。
昨日、ダブルワークが話していた事を思い出す。ミカギ達はマス・タイプの吸魔を一度ロストした、と。
七四日間も主人が帰らない家庭の不安は、百合音の両親が抱えていたものとは別物だ。しかも子供が小さすぎる。
赤の縫修師として、一度ならず探りに行かずにはおれなかったのだろう。勝利は、初めて縫修師としてのミカギの一面に触れた気がした。
「どっちもちっせぇなぁ」ダブルワークが、空のコップを指先で弾いた。「ま、当分は家庭の雰囲気の建て直しが最優先ってとこだろ。もし、縫修の事を覚えていたとして。興味に火がつくとしたら、むしろ落ち着いた後だな」
「覚えていないといいですね」勝利は、テーブルの下で両手を組む。「縫修を思い出すなら、三日吸いのあの瞬間も思い出しますよ。きっと。悲鳴を上げて、お父さんが真夜中に飛び起きるとか。小さな子がかわいそうです」
三日吸いの体験者だからこそ、悪夢から抜け出せない苦しみを勝利は察してやる事ができる。たとえ改変前の過去を覚えていないとしても、吸魔であった自分や縫修を覚えているなら、記憶している筈なのだ。
他者が割り込んで容赦なく三日を奪ってゆく、あのおぞましい吸引音を。
父親の不安は、家庭内の不安定に直接繋がってゆく。決して覚えていて欲しくはない。
「お前らしい願い方だな、勝利」カウンターの端で、体を捻ったダブルワークが白い歯を光らせる。
「俺も、家族の幸せを願う神になりたいんですよ」言いながら、右手で天井、正確には建物の三階を指さす。「どの家族もみんな、ライムさん達の部屋にある、あの絵みたいになるようにって」
ふっと、店内の空気が和んだ。
狙って言った訳ではないのだが、ダブルワークなどは立ち上がって勝利に近づくなり、「お前みたいな奴は、こうだぁ~」と笑いを交えて勝利の髪をくしゃくしゃにする。
「やめてくださいよ。まだ面接は終わっていないんですから」
「悪ぃ悪ぃ。あんまりかわいかったから、つい。な」
「な、じゃないですよ。もう…」手櫛で整え直しつつ、皆のほぐれた表情にそっと安堵する。
ライム達がどれだけの時間を地上ですごし、何度縫修を行ったのか。勝利は知る由もない。
ただ、前例のない事が立て続けに起き、彼らははっきりと何らかの変化を感じ取っている様子だった。
単独での行動をしなくなった吸魔たち。
三日吸い前の記憶を残している勝利の登場。
そして、縫修の瞬間を映像に見、勝利の顔を覚えている百合音の存在。
現象ばかりを突きつけられ、一方では、変化の根本にあるものが共通しているのか、別物なのか。縫修師達には、それすら判別がつかないのが現状だ。
三日吸いによって書き換えられた過去が、勝利の足下をぐらつかせているのなら。ライム達はこの時期になって突然引かれた境界線の存在に戸惑っていた。線の向こうとこちら側は、使用前・使用後のような全く別々の性質を帯び、今後についての予想を難しくしている。
僭越な事かもしれないが、勝利は救いになりたかった。田辺家と五月雨家の為だけではなく、ライムや湖守達、人間の為に密かな活動をしている神々の救いに。
彼らの緊張をほぐしてやれるのなら、頭髪が乱れる事くらい何でもなかった。おそらく、ダブルワークは全員の感情を全て読み取った上で勝利に絡み、おどけているのだろう。
全員分の飲み物を作りながら、湖守が対策について考える。
「百合音ちゃんと仁氏は家族の元に帰って、縫修師との縁は切れた。再始動に必要なものは手に入れているし、それぞれが次のステージに進んでいるんだ。今、僕達が悪戯に不安がって混ぜっ返す方が、むしろ怖い結果を生むかもしれないね」
ならば、無策でいいのか。全員が、湖守の発する次の言葉を待った。
「勝利君」
「はい」、縫修師ではなく自分の名をリーダーが呼んだ事に少なからず驚く。
いや。これは、彼等の仲間として数に入った、という事だ。
「百合音ちゃんは、どうやら相応の事を覚えていそうだ。君が彼女から、何をどれだけ覚えているのか。会って、直接訊いてみて」
「はい。それも、なるべく早い時点に。ですよね」
「こっちの勝手な希望を言うなら」現状をよく見つめているだけに、湖守はよく理解している。「だけど、隣のアパートのお兄さんが娘とどういう接近の仕方をしているのか。戻って来た直後は特に、親御さんが気を揉むんじゃないかな。不自然にならない機会が来た時、でいいよ。もし、それだけの配慮をしても防ぎきれない事が起きるなら、元々回避が不可能なものなんだよ」
幾らかの諦観を交え、湖守が力点の置き場を強調する。
「田辺仁氏については?」
眼鏡の紳士がもう一人の縫修体験者の名を出すと、「地元に監視の強化を頼んでおこうか」との返答が来た。
「地元?」
事情の見えない勝利は、首を傾げて繰り返す。
「そう」湖守が肯定した。「土地守がいるんだよ。日本を沢山の地区に分けて、それぞれが自分の担当を守護している。まんぼう亭のあるこの場所も、僕達とは別に土地守の守護も受けているんだ。勝利君。君は一昨日の夜、吸魔に襲われたでしょ。ネットワークに第一報を入れてくれたのは、土地守なんだよ」
「はぁ…。やっばり神様なんです、よね」
「もちろん!」湖守は即答した。「後で会う? 君が住んでいる場所の担当と」
-- 「10 神との面接 その6」 に続く--
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