08 神との面接  その4

 隣人の少女にまで話題の範囲が拡大された。

 今こそ触れる機会だ、とばかりに勝利は「その百合音ちゃんの事なんですが」と起床直後のやりとりを思い出す。「今朝、彼女が俺に『縫修の時にいましたね』って隣の窓から口だけ動かしていたんですけど。もしかして、それもレア・ケースだったりしますか?」

 今度は、音楽が一旦演奏を止めた気がした。

 体を捻った拍子に椅子が動いてしまったり、思わず声が出たり、カウンターの厚板を叩いた音も混じっていたかもしれない。

 ライム達縫修師達の動揺が、勝利にも伝わってきた。湖守の顔からは、穏やかさというものが消えている。

「五月雨百合音君が、そう言ったんだね? 君に」

「はい。昨夜から結構親密度が上がっていたから、変な感じはしていたんです。俺の声が吸魔の彼女に届いていた、というより、俺の姿が見えていた、って事かなと」彼女に縫修を行ったのは、緑の縫修師ライムだ。勝利は、吸魔化していた彼女と直接言葉を交わしていない。しかし、それでも尚外野の顔まで覚えているなら、ダブルワーク内のライムと自分を同時に覗いていた、と考えるのが自然だろう。「縫修って、そういうものなんですか? 雰囲気的には違うかなと。それで訊こう訊こうと思っていました」

「その判断は正しいよ。勝利君」湖守がふうと息をついた。「本来、縫修師とのやりとりも記憶には残らない筈なんだ。吸魔化した瞬間と縫修されるまでを本人の時間で繋げば、吸魔として存在していた時間は繋がる先を失う。記憶の継承はできないのが普通なんだ」

「だが、百合音君は覚えていた。縫修の時に立ち合っていた勝利君の顔を」と新緑の虹彩を持つライムが続ける。伊達眼鏡の奥で、思案する眼差しが昨日の一切を回想し直している。

「こいつぁ、ライムの顔も覚えていそうだな」ダブルワークが、右手の指先で水の入ったグラスを弾いた。「湖守さん。ミカギの縫修も疑ってみますか?」

「今は、そうするべきだろう」

 深い水層を彷彿とさせる湖守の虹彩が、勝利からよく見えた。昨日、神代の記憶を発した勝利に向けられたのが驚愕と興奮なら、目前の湖守を支配しているものは、疑念と警戒だ。

「昨日の仁さんが縫修を覚えているかどうかは、私が直接会うのが一番手っ取り早くないですか?」語尾を延ばす普段の話し方はせず、緊張感を含ませミカギが提案する。「というより、他に方法はないですよね」

「いや、ここは一つ冷静に考えてみよう」勝利の使った食器を持って、湖守が立ち上がる。面接は、一時的に中断となった。「直接会うのは危険だ。たとえミカギの顔を覚えていたとしても、記録媒体に残している訳じゃない。今のままにしておけば、都市伝説の類に留める事ができる。余程の酔狂でなければ、『自分は昨日まで怪物でした』と拡散狙いで吹聴したりはしないものだ。叩かれるリスクの方が高いからね」

「だが、会ってしまったら、顔の記憶はより鮮明になる。最悪、盗撮でもされたら最悪だぞ」

 湖守の慎重さに、ライムが賛同する。

「調査はしたい。だが、それは被害者の記憶をがっつり掘り起こす事になる。…ジレンマだな」そう言って、ダブルワークがコップの水を呷った。「勝利。そのお嬢ちゃんは今日、自宅か?」

「いえ。両親に連れられて病院に行っている頃だと思います。昨日は、警察が簡単な検査だけで家族の元に帰したみたいですから」

「警察ねぇ…」赤眼のミカギが、スツールに尻を乗せたまま勝利の方へと体を捻った。「その子の印象だと、警察に勝利クンの事を話しているのかしら」

 考えが及ばず、勝利は身震いをする。百合音が縫修の瞬間について警察に話しているか否かは、朝の段階どころか、今ミカギに指摘されるまで想像の外にあったからだ。

 百合音と田辺仁氏は、ほぼ同じ時間に別々の警察署に転送されている。失踪者が突然、しかも所轄署に現れたのだから、連れてきた人物や運んだ車両の存在を無理にでも信じ、警察は捜索を続けているのかもしれない。

 その件の被害者の口から、「黒い炎の怪物にされていました」、「星の輝きを持つロボットのような機体と美形の神様が、元の人間に戻してくれました」と説明できるものなのだろうか。

「一般論だと」勝利は、面接の時と同じ姿勢のまま湖守、ミカギ達を見比べる。「吸魔になって空を飛んでいたとか、縫修で人間に戻れたとか。まともな状態だと思って欲しかったら、なかなか言えないものですよね。俺なら、『よく覚えていない』ではぐらかし通します」

 それは、田辺氏にも当てはまる可能性だ。

 ましてや。今朝、開かずの雨戸の向こうから受け取った百合音の言葉は、感謝の気持ちに満ちていた。五月雨家にあるべき風景が蘇ったのだ。ならば、彼女の考えは比較的想像しやすい。

「それに、彼女は誰に対しても秘密にしておきたいのだと思います」

「何故、そう考える?」

 ライムらしい尤もな疑問に、勝利は心情優先を承知の上で一つの推理を披露する事にする。

「俺が恩人だから、です。それに、心配をかけた両親が吸魔の話を聞いたら、悲しみが終わらなくなりますよ。監禁時のストレスとか色々なものを想像させてしまうので」

「なるほど」一定以上の説得力を認めてくれたのか、眼鏡の奥でライムの瞼が上下する。



          -- 「09 神との面接  その5」 に続く --

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