43 吸魔との対話

 ピンを体内に取り込む事を拒絶しているのか。或いは、縫修をされたくないのか。獣型の吸魔は、四本の足を動かす事なく有明の上空から南下を始めた。

「逃がすか!?」

 ダブルワークと一対のビーム兵器は、標的を追って同じく湾内に入る。

 僅かに揺れる内海は陽光を反射し、太陽と空気だけの世界を倍近くの光量で満たす。冬至が過ぎたばかりの斜度とはいえ、日没にはまだ間がある午後だ。晴天の恵みは内陸の比ではない。

 球状モニターの全てに、グレーのスクリーンがかけられた。

 元々、有明に接近する際に幾らかかけていたのだろうが、建物と水面の混在と水面のみでは陽光の反射率が違う。

 更なるスクリーンの恩恵を受けた事で、勝利は自分が眉間に皺を寄せている事に気がついた。

 ライムは、と横を見ると、しっかり目を開いてロックしたと思われる二つめの刺接点を凝視している。モニターと対峙しているのではない、という事を勝利は思い出した。

 吸魔が高度を下げる。

 ダブルワークが加速する。

 吸魔の上空に機体を滑り込ませたダブルワークが、二つの射撃武器で吸魔を左右から挟んだ。

「三〇分逃げ回ろうったって、そうはいかねぇ!!」

 白い二つの射撃武器が、直進しつつ左右から真横にいる吸魔に細い閃光を幾度も浴びせる。それらは皆、赤く見えるのだが、ピンを打ち込んでいるのではないようだ。

 三郷の上空で二度使用していた攻撃用ビームの方かもしれない。

 吸魔も吸魔で、体を傷つけられまいと、青い炎を二つ左右に盾として展開しビームの全てを相殺する。

「もうちょい出力を上げてもいいとは思うんだが」ダブルワークが、もどかしいながらも慣れた様子で実行者としての感触を語る。「致命傷を与えちまったら意味がねぇ。チリが打撃特化を選んだのは、打撃でちまちま削ぐ方が調整がしやすいからだ」

 獣型吸魔が急減速した。

 二つの射撃武器とダブルワークが揃って前進を続けてしまい、吸魔との距離が一旦は離れてしまう。

「ま、基本、俺は混在型だ」

 言うが早いか、機体を翻し、ダブルワークが吸魔の額に右の両刃刀を突き出す。正面衝突さえ辞さない思いきりの良さだ。

 吸魔の左半身を守っていた青い炎が、危機を察知し咄嗟に顔面へと回り込む。

「右が、がら空きだァァッ!!」

 左の両刃刀が、吸魔の顎を軽く掬い上げた。

 しかし、それはあくまで、吸魔の正面に向かって加速していたダブルワークの仕種だ。

 前進する運動エネルギーは、剣先から吸魔へと確実に伝えられる。

 吸魔の首が九〇度に折れた。仰け反りつつ、黒い体がまたも上方に打ち上げられる。

「あ、腹が…」と勝利が呟いているうちに、吸魔の右方を攻撃していたビーム兵器がピンを含む赤い閃光を放つ。

 魔物の臍辺りにそれは食い込んで、体内にピンを残した。

 移動している相手によく当てられるものだ、と勝利は感心してしまう。

 ただ、「上手く当てますね」は言わずにおく事にした。それがプロの手際ならば、ダブルワークは素人が誉めても喜ばないだろうから。

 とうとう、二本目のピンが二つめの刺接点「自我」を刺した事になる。

 ダブルワークの話によると、これで縫修師は吸魔と話ができるようになるそうだが、それは何が始まるという事なのか。勝利には見当もつかない。

 右横にいるライムの表情が険しくなった。もしかしたら、「自我」点を突いた事で判明した第三の刺接点「時間」の特定を先に済ませてしまいたいのだろうか。

 場所が判明しさえすれば、後はダブルワークの仕事になる。その時、刺接点の割り出しを終えた縫修師は、新たな作業にかかる筈なのだ。

 傍観しているだけの勝利が、真横を向いたまま小刻みに息をする。

 音を立てる事を避けたかった。呼吸音や衣擦れの音など、事態に割り込む他者の音は、普通に考えてもプラスに働くとは考えにくい。

 二本のピンを体内に留めたまま、吸魔は動きを止めた。

 剣先のアッパーカットを食らい真上よりやや後方に下がる形で飛んだ体を立て直すも、怒りに震えるでなく、四つ足で立つ姿勢を整えダブルワークを見下ろしている。

 殺気で周辺の空気さえ焦がす、あの歪んだ感情の高ぶりが削がれたのか。勝利には、今までの吸魔とは別の気配が支配しているように感じられた。

 「自我」点を突く事で、これ程大きな変化をもたらすとは。

 隣のシートに身を預けるライムが、微かに頷いた。

 勝利には、それが決意の仕草と映る。

「ダブルワーク。いつもの通り、後は任せる」

「ああ。やっとくぜ。さっくりとな」

 白と新緑の群星機が接近すると、吸魔が急上昇した。ロケットよろしく緩やかな弧を描いて、雲の上に逃れる先を見出そうとしているのか。

 当然、ダブルワークと一対のビーム兵器も吸魔を追って縦の追跡行につく。

 一方、ライムは自らシートベルトを外し、シートの右側に立った姿勢で浮かぶ。新緑の虹彩は自ら発光する事をやめておらず、スクリーンのかかったコクピット内で虹彩の輝きがライムの白い肌を照らしていた。

「聞こえるか? 私の声が。私の話す言葉を理解できるか? 五月雨百合音君」

 何が始まったのかを理解できず、勝利はドキリとして緑の縫修師を呆然と見つめた。

 獣型の吸魔はダブルワークと格闘中で、最後の刺接点を守る為に青い爪を装着しダブルワークの両刃刀を弾き返している。殺気は失われ、闘志というものも失われかけている気がする。

 しかし、悲しみはむしろ増すばかりで、ダブルワークを拒絶する気力に衰えは全く見られなかった。

『あなた、ハ…誰? 今、わたシを攻、撃していル、のは、アナた?』

 か細い嗄れ声が、たどたどしく女言葉を操る。勝利は、その声をして百合音と認識する事ができなかった。

 少女の声をよく覚えているとは言い難いにしても、これではないと断言はできる。

 しかし、ライムは、ようやくこの時が訪れたとばかりに表情を拵えた。あの押し殺した対応に、一瞬だけだが、冬の日差しが差し込む。

「私は、緑の縫修師、ライム・ライト。今、君を人間に戻す為の段取りを組んでいる」



          -- 「44 吸魔の決断」に続く --

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