告白
『こっちが囮だ。あそこには娘がいる』
颯の声は反射的だった。娘を守るために言ったでまかせだろう。
環の師匠であり王宮魔導師であるピア・スノウの事務所が攻撃されることは想定していた。環を確保するのに颯の不在を狙うのは当然だろう。
事務所の裏で診療所を開いている朱伊皐月の監視を含め、数人配置してあった。だが榊 麻耶相手では不足だろう。
釣りは三日目、敵もこちらの狙いを見抜いているのかもしれない。
こちらにも『引き』があるはずだ。敵が颯の不在を狙うのであれば、彼女をこちらに引き留めておかねばならない。
どちらかが囮。こちらだろう。事務所が敵の本隊であり、餌に掛かったふりをする魚が囮だ。囮作戦で囮を捕まれるなどと。
一小隊をピア・スノウの事務所へ向かわせる。こちらに残った一人に、流風を連れて来るよう指示を出した。
慣れないことをするものではない。こうなる前に、流風に任せるべきだった。
本当なら桜花にもいてもらいたいところだが、居所が掴めない。探す人も時間も惜しい。
『釣り針よりM1。魚がかかった』
颯の声はそわそわとして、無線もそれぞれの連絡で騒がしくなる。チャンネルを分ければいいのだが、肝心な連絡を忘れる阿呆が多かったために使用は一チャンネルと決めていた。事が始まると事態の把握が難しい。
『M2よりM1。ポイントアルファ』
煙草に火を点けたところで、混沌極まる通信の中に鈴のような声があった。桜花の声だ。示す場所は歓楽街からも、ピア・スノウの事務所からも遠い。なぜ今になって。この様子が聞こえているだろうに。
「流風に指揮を任せる。私は急用だ」
無視などできない。流風を待つべきだったが、現場がうまくやる。側に残った一人の隊員に言い置いて、屋上から階段を駆け下りた。
ずっと気になっていた。裏切り者を、「いない」と言い張った様子。あの、首を振るそぶり。なにを言わんとしていたのか、判断を先送りにしていた。颯が、あのとき裏切り者は桜花ではないと言ったからだ。本当にそれだけだった。流風に裏切られていた、それだけで手一杯だった。
桜花が説明したいと言うなら聞かなければ。結果どちらにせよ、榊 麻耶は今夜捕らえられるのだ。聞き届けて、仲間には黙っていればいい。桜花のいない自分は、なぜだかとてもふらふらとして駄目だった。
ポイントアルファ。議場の執務室。夜も遅いのに議場は人の出入りがあり騒がしい。大きな会議があっただろうか、そういえば、病気ということなっていたのだったか。議場と同じ建物、その一番端の部屋はしんとしている。議場のざわめきも、歓楽街の、通信の騒がしさも、少し前まで聞いていたことが嘘のようだった。
扉を開けた中には桜花の姿がある。ひとり。ひとりの少女の影が、月明かりから伸びていた。
「私は、メイズを裏切っている」
はっきりとした声はくっきりと裏切りを告白した。
「白伊のこと、瑠璃のこと、流風のことを、私は思い出していた。でも言わなかった」
思い出していた。なるほど。黙っていたことが裏切りなら、そうだろう。これは裏切りだ。流風と同じ。
「だから、颯が言っていなかったことを教える。竜のこと」
「それで許せと言うのか」
「違う。もう隠し事をしたくないだけ」
ただ首を振るだけだと思いきや、声が飛んできて困る。桜花と会話する日が来るとは。
「颯は先祖返りしている。竜がするように、思うままに魔術を使える」
は? 聞き返したが無視された。この世界には竜が存在する。魔術の塊だと聞いた。魔術で出来ている身体だから、竜は生きる限り息をするように魔術を使う。それを、颯が、できるだと?
「私は、朱伊のつくった出来損ない。麻耶が拾ってくれた」
出来損ない。夏子葉の声が蘇る。朱伊印の子ども。颯の話を思い出す。合致する。筋は通ってしまう。
「麻耶のことを覚えてる。麻耶は、メイズの仇ではない」
いま、なんといった?
「今、なんと言った」
身体が自分のものではないようだった。ずん、ずん、距離を詰める。机の向こうに立つ桜花と、机を隔てて立つ。
「メイズの仇は、違う。麻耶じゃない」
少女は一歩退いた。二歩目の前に、首を掴む。
「ま、や・・・・・・じゃ、な・・・・・・」
少女の身体は驚くほど軽い。よく知っている。つま先が床から離れ、大事な刀を取り落としながら、少女の眼はこちらを見て離さない。
「そんなことを言うために呼び出したのか、今、ここに」
やっと宿願が叶う、その前だ。やっと、やっと、人生をかけて探してきた女がやっと手に入るというのに、それをぶち壊すなどと。
「だが、今夜はいい夜だ。聞かなかったことにしておく」
力をゆるめると、少女の身体はすぐに床へ落ちた。手をさしのべる。少女はあえぎながら刀を握りしめ、にらんだ。
「先に行っているぞ。榊 麻耶が待っている」
これまで、この子に手を貸して立たせたことはなかった。それはこの少女が、少女のかたちをしているだけの、もっと大きな存在に思えたからだったが、まさにそうだった。あの世迷い事を事実とするならば。
手を引っ込め、背を向ける。高揚してたまらなかった。探し求めた仇。あの女に、やっと復讐することができる。
少女は斬りかかってくるでもなく、とぼとぼと後をついて歩いた。そうだ、これで元通り。なにひとつとして変わってはいない。
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