齟齬-1

 あおい頭は人波の中でも見つけることができた。町の規模、道の幅に対して人は多すぎるが、これまで四人で通り過ぎてきた街よりもずっと人の数自体は少ないのだ。見つけやすい反面、ひやりともする。これだけの人出では『まぎれきる』ことが難しい。特に、追われている父娘が目立つ身なりをしているのだから。

「問題はないのか」

 部屋を取った宿のレストランで、流風に念押しするつもりで聞いてみる。狭苦しいレストランだ。テーブルとテーブル、イスとイスの間を縫って、給仕が高く両手の盆を上げ進んでいる。四人で食事をするには窮屈なテーブルだった。座りきれない客が立ち飲みしているテーブルもある。そのためにがやがやと人の声がけたたましく、メイズの肩は常に誰かとぶつかっていた。イスが小さすぎるのもいけない。

「問題?」

 流風は何度か聞き返して、結局オウム返しした。

「この町では身を隠しきれない。深く詮索するつもりもないが」

 流風はわかりきっているはずだ。それなのにここに来たということは、それなりの対策なり、相応の目的があるものだろう。だが流風はのんきに、

「今夜だけ乗り切れればオッケー。直前まで奴らが粘るかはちょっと分からないけど」

 食事の手も止めない。今夜だけ? 直前? 詮索しないと言ったばかりだが気になってしまう。なにか待っているのかもしれない。明日の朝、なにかが来るのだ。それを受け取るのか、――一緒に行こうと言ったのはこれか――どこかに行く。船だろう。

「いや、そもそも、私たちはここまでの約束だったろう。面倒事はご免だぞ」

「明日の朝。朝まででいいから。もしかしたらもしかするかもしれないしね。奴らにとっては最後のチャンスだ」

「最後?」

 流風が身を乗り出した。

「異世界に行くんだ。こことは違う世界にさ」

 にたり、わらう流風は冗談を言っているようにも、なにがしかの比喩を駆使して上手いことを言っているようにも見える。それが通じなければ何の意味もない。

「なんだ、どういう意味だ。説明しろ」

 冗談ならこれで冷める。上手いことを言って得意げになっていた場合は、つまらなそうに説明を始めるのが常だ。

 だが今回は違った。

「そのまんまだよ。こことは違う世界に行くんだ。奴らが追って来られないところ」

 そんなものがあるものか。確かにこの町は地図には載っていない。 

「そんなものはない」

 そんな世迷いごとを、まさかこの男が口にするとは。この、計算高くずる賢く、冷徹なリアリストが。流風に比べれば自分など、大それた夢想家だ。相手にもされない敵に追いすがって敵討ちをすることより、娘のために不可能であろう逃亡の日々を続けてきたこの男の方がずっと、この現実というものに向き合っている。

 私は己を誤魔化し誇張し生きているにすぎない。

 そこまでは口に出すことはできなかった。あまりにも惨めだ。だがこの男の言う妄言を受け入れる気にもなれなかった。否、自分が思い知らせてやらなければいけない使命を感じた。

「そんなものはない。寝言は寝て言え」

 ぐい、旨くもないビールを飲み干して席を立つ。当たっていた肩が人を押し退け倒したかもしれない感触があるが気にしてなどやるものか。今は頭に血が上っていて、誰彼構わず殴り倒してしまいたい。目の前の流風が、殴り倒すだけでわからない男だからよけいに腹が立った。

 行くぞ、声を掛けて、掛ける相手が見つからない。いつもと違う服装だから見落としているのかといえば、そういったわけでもない。こそこそと子供たちだけで笑い合っていた少女たちが、テーブルから消えていた。

「えっ、うそ、環!」

 異変に気が付いたらしい流風が引けた腰で立ち上がる。張ったはずの声は喧噪に飲まれて広がらない。とたんに強ばった顔がこちらを見、眼が合ってメイズは身体を翻した。人の詰まった店内をかき分けず、身体で押し通ったまま、店を出た。追ってくる声は無い。

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