最終話 逆襲の始まり
どんなに厳しい寒さが続いても、春は必ずやってくる。
でも、一度廃れてしまったものが復活を遂げるのは極めて難しい。
ほんの半年ほど前まで、ゲームショップは終わり行く運命にあった。
大手複合店のように大量入荷できる体力もなく。
ネット通販とは違い、わざわざ買いに来てもらわなくてはいけなくて。
販売経路すらダウンロードに奪われて、まともに新作が棚に並ばない。
それらはどうしようもない事実で、ゲームショップに抗う手は何一つとしてなかった。
次から次へと店を閉め、気がつけば街からゲームショップは消えていった。
その日。
美織はある人物の来店を心待ちにしていた。
その人物からメールを貰ったのは一週間ほど前。
メールの内容を久乃から聞いた美織は、珍しく自ら返事を書いた。
『良かったら一度『ぱらいそ』に来てみませんか?』
それは社交辞令にも見える、ごく普通の一言。
だけど美織は送信した後で、まるで「好きです、付き合ってください」と告白したような気分になった。
だから相手からの返事がこれほど待ち遠しいことはこれまでなかった。
返事が来た時も、メールを開くのが怖かった。
美織にとってそのやり取りは、本当に恋愛みたいなものだった。
約束の時間まであと十五分。
意中の相手はまだ来ていない。
だけど美織は買取対戦キャンペーンを黛に代わってもらって、今日何度も繰り返したようにお店の中を確認する為に見回り始めた。
ポスターの剥がれ、なし。
商品の陳列、よし。
床のゴミも見当たらない。
もちろん美織ご自慢のぱらいそスタッフも、いつもと同じように頑張ってくれている。
奈保は、かの大金持ちヒル・ゲインツと婚約したにもかかわらず、いつものように胸の谷間を強調するちょっとエッチな制服を着て、お客様を明るく元気に出迎えているし。
レンの格闘ゲームの腕はますます上がり、全国からやってくる猛者たちと熱い死闘を繰り広げている。
黛とかずさの買取対戦キャンペーン組は、買取金額を掛けた勝負なのにお客さんたちと楽しそうにゲームに興じ。
司と杏樹はまるで本当の姉妹のように、息のあったやり取りでカウンターを切り盛りしている。
そんなふたりの姿を温かく見守る久乃は、いつだって頼りになる存在だ。
そして。
「ねぇ、これ、本当にパンツ、見えてないよね? 大丈夫だよね?」
お客さんたちに何度も確認しながら、葵はリクエストされた「荒ぶる鷲のポーズ」をして、店内の片隅に設置された撮影コーナーでフラッシュを浴びていた。
『ぱらいそクエスト』のキャラクターのモデルとなった『ぱらいそ』スタッフたちを一目見ようと大勢の人たちがお店にやってくるのはいいのだが、さすがに盗撮の類が目立ってきた。
そこでだったらこちらから撮影時間を設けてしまおうと、毎日一時間ごとに十分間だけ、その日出勤のスタッフが代わりばんこで撮影に応じているのだ。
ちなみに一番人気は不動のつかさちゃんだが、葵も最近はファンを増やしつつある。
もっとも。
「葵、そういうのは訊いても無駄だと思うわよ」
「へ? なんでさ?」
「だって仮にパンツが見えていても、あんたを撮影しようって奴らがそれを正直に言うと思う?」
「え? ちょっと! まさか、それって……」
「うん。さっきからチラチラ見えてるわよ、パンツ」
「ぎゃあああああああああ!!!」
微妙にガードが甘いところが人気の秘訣だったりするのだが。
「さて」
過剰なサービスで思わぬ痴態を曝け出してしまい、「あああ」と落ち込む葵のことは放っておいて、美織は改めて店内全体を見渡した。
春休みも近い日曜日。
受験シーズンも終わり、みんな心置きなくゲームにハマれる絶好の季節ということもあって、今日も朝から大盛況である。
ただ、『ぱらいそ』は――美織がやってきてからの『ぱらいそ』はいつだってこうだった。
自分に勝てたら買取金額倍増の対戦キャンペーンを打ち立て、お客さんがいつでもレンと戦えるようにとアーケード筐体を購入し、一年目の夏にはぱらいそテーマソングのライブまで行った。
他にも人気同人絵師だった葵に『月刊ぱらいそ』という小冊子を描いてもらったり、本当は坊主頭の男の子である司が女装したらとんでもない可愛くなって熱狂的なファンがついたりと運が味方したところもある。
まぁ、なにはともあれ美織は『ぱらいそ』というお店を一年間で見事に立ち直してみせた。
そんな美織だが、店長になって二年目のシーズンを迎えた時、実はこれといって何をやるべきなのか見えていなかった。
自身、一年目と違って学校に通うようになり、そちらで忙しくなったということもある。
が、同時に『ぱらいそ』はもう大丈夫だと、安心もしていたのだ。
祖父が愛した『ぱらいそ』を潰したくない。
一年目はそんな強い思いで必死だった。
その結果、多くのお客さんが来てくれるようになったのは心から嬉しい。
だけど常にそのような状況が続くと、自然と最初に持っていた危機感は薄れていった。
だから二年目に何をするのかと言われても、計画性も何もなく二号店を出そうとか言ったりしたのだ。
そこへあの『ロングフィールド』事件が起きる。
厳しい現実を突きつけられた美織は自身の無力さを知り、泣いた。
『ぱらいそ』を立て直すことは出来たけれど、ゲームショップを取り巻く環境は相変わらず厳しく、絶望的なことを思い知らされたのだ。
悔しかった。
悲しかった。
何も出来ない自分に腹が立った。
そして美織は自分が次にやるなくてはいけないことを理解した。
今度はゲームショップ業界そのものを助けてみせる!
そうやって生まれた『ぱらいそクエスト』。
美織の必死な思いが一年目に司たちを集めたように、業界を救いたい一心で考え付いた『ぱらいそクエスト』はヒル・ゲインツという大物を呼び寄せた。
『ぱらいそクエスト』があれほどまでに嵐を呼び起こしたのは、ヒル・ゲインツという大物の力だと分析する人は多い。
だが、そのヒルも仮に彼自身が『ぱらいそクエスト』を思い付いたとしても、おそらくは自分の妄想の内にしまいこんで動きはしなかったであろう。
あまりにムチャクチャで、壮大な夢物語だからだ。
しかし、ヒルは美織が語る、そんな妄想甚だしい夢物語に乗った。
美織の熱意が彼をやる気にさせたのだ。
その後の大躍進は今更語る必要もないだろう。
『ぱらいそクエスト』は一気に業界を変え、閑古鳥が鳴いていた全国のゲームショップに、お客さんたちが日々押し寄せてきた。
それはまるで在りし日に戻ったかのような光景だった。
この逆転現象を世間では『ゲームショップの逆襲だ!』と騒ぎ立てている。
でも、美織に言わせるならば、それはまだ時期尚早だ。
逆襲とは……。
本当のゲームショップの逆襲というものは……。
「あの、すみません。あなたが晴笠美織さんでしょうか?」
不意に声を掛けられて、美織は我に帰った。
ふと視界に入った時計を見ると、丁度約束の時間を指している。
そして今、自分の目の前には三十代半ばぐらいの、スーツ姿の男性が立っていた。
「そうよ。あなたがメールをくれた人ね?」
「はい。
高本という男性が深々と頭を下げる。
どこからどうみても普通の中年男性だった。
メールで軽く話を聞いたが、昔からゲームが大好きで、子供の頃から自分のゲームショップを持つのが夢だったそうだ。とは言え、昨今の厳しい状況ではそんな無理は出来ず、大学を卒業してからは一般商社に就職し、夢は諦めていたのだが……。
「この度、一念発起して脱サラし、新たにゲームショップを始めることにしました!」
顔を上げた高本が真剣な眼差しで美織を見つめてくる。
その瞳は「長年の夢がついに叶う!」という喜びに輝いていた。
『ぱらいそクエスト』の大流行に便乗すべく「新たにゲームを取り扱いたい」とか「『ぱらいそクエスト』に参加したい」なんて言ってくる金目当ての輩とは違う、純粋な眼差しだ。
「……」
そんな高本に、美織は黙って右手を差し出した。
日本ではこういう時、普通は名刺交換なので高本は少し驚いたような顔をしたが、すぐににっこり笑って美織の右手を握り返す。
と、その手を離した瞬間、美織がいきなり高本に抱きついてきた!
「待ってた! 待ってたわ、あなたのような人が出てきてくれるのを!」
「え? いや、ちょっと……待ってたと言われても、自分、そんな大した人間では……」
「知ってる! でも、ヒルみたいなお金持ちでもない、あなたの様な普通の人がゲームショップを新たに開店しようって決意してくれたことが嬉しいのっ!」
美織は高本の胸に頭を埋めながら、目頭が熱くなるのを感じた。
逆襲とは押されていた者が逆に反撃することを言う。
だからそれまで逆境に追い込まれていたゲームショップがその窮地を脱し、お客さんで溢れる今の状況も立派な逆襲と言える。
だけど、美織にとって真のゲームショップの逆襲とは、かつてのようにどんな街にも普通にゲームショップがある光景に戻ることであった。
こればかりはさすがの美織も直接どうのこうの出来る話ではない。
誰かが、今の『ぱらいそクエスト』で息を吹き返したゲームショップ業界を見て、「自分も昔からゲームショップをやってみたかった。やってみよう!」と勇気を出してくれるのを待つしかなかった。
そしてそんな人がついに現れた今こそ、美織は己の仕掛けた逆襲が本当の意味で始まったんだと思った。
心が昂ぶる。
ワクワクが止まらなかった。
「ようし、やるわよっ!」
美織は高本の胸に自分の目頭をごしごしと擦り付けてから、満面の笑顔を浮かべて高々に宣言する。
「ゲームショップの逆襲はここから始まるわっ!」
『ぱらいそ~逆襲するゲームショップ!~』 完
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