第6話 司、妹になる?
「なるほど、事情は分かりました」
翌日、出勤してきた黛は、久乃から昨日あった出来事の報告を受けていた。
昨日は休暇だった黛(注意:決して存在を忘れていたわけではない)。今日も開店からではなく昼過ぎからの出勤だったが、いざ店に来てみたら二日前には見なかった新顔が、しかもふたりも増えていたことに驚いた。
「新人確保が急務と言った矢先にふたりも入ってきたのは喜ばしいことではあるのですが……」
黛は新人ふたりの様子を見ながら、真顔で久乃に尋ねる。
「あのふたり、本当に雇うつもりですか?」
ひとりは司の妹という香住かずさ。黛が出勤してこの方、ひたすら美織とぎゃーぎゃー騒がしくゲームをやっている。
なんでも変わった才能があるらしく、それを見込まれて美織の相手をさせられているらしいのだが、どう考えてもそれは仕事ではない。
まぁ将来的には美織や黛、さらにはレンの代わりを務めることも出来るかもしれないが、それはそれ。美織とゲームをするのなら仕事が終わってからプライベートでやるべきであって、今は基本的な仕事を覚えるべきであろう。
だが、もうひとりの新人・綿貫杏樹を見ていると、そのかずさすらもまだマシと思えてしまう。
美織をお姉さまと慕って押しかけてきた杏樹。相当な男性恐怖症の持ち主で、男を見ると自衛の為につい罵倒してしまうという、まったくもって接客業には向いていない性格をしている。
その杏樹を何とかしようと教育係に「ぱらいそ」唯一の男性スタッフである司を宛がったのだが……。
「……………………」
「………………はぁ」
杏樹は黙々とひたすら傷のついたディスクを研磨するばかりで、司が何を話しかけてきてもまるで聞く耳も持たない。
司とてそれでも最初はなんとか打ち解けようとあれやこれやと話しかけていたが、さすがに心が折れかけているのか、ずーんと沈んだ様子でさっきから溜息ばかりついている。
おかげでカウンター内の雰囲気は最悪だ。
葵なんか「もう帰りたいよー」と泣きべそをかく始末である。
「まぁ、かずさちゃんは美織ちゃんのお気に入りやし、杏樹ちゃんは会長から直々にお願いされてもーたからなぁ」
黛の「本当に雇うのか?」という質問に、久乃は苦笑いを浮かべながら答えた。
お気に入りに上司の縁故関係……人事の世界では珍しいことではない。黛とて前の職場でそういう経験はしたことがある。
「ならば仕方ありませんね。しかし、現状を顧みると早急にふたりの新人教育を見直しは必要でしょう」
特に杏樹の方は深刻な影響が既に出ている。女装している司を宛がって男性恐怖症を緩和させようという試みは価値のある挑戦だったが、完全に失敗だ。
正直なところ誰が教育係をやったところで根本的な問題点は解消できないかもしれない。それでも現状よりかはずっとマシになるだろうと思っての提案だった。
「うーん、まぁまだ初日で始まったばっかですやん。もうちょっと様子見てもええとうちは思いますよ?」
が、久乃がのんびりとそんなことを言った。
「これは意外ですね。では、久乃さんはこのままでなんとかなる見込みがある、と?」
「見込みって言うほど自信はないんやけどねぇ」
黛の問い掛けに久乃はにっこりと笑う。
「ただ、美織ちゃんとかずさちゃん、それに司くんと杏樹ちゃんという組み合わせは結構しっくりくるんとちゃうかなぁ」
前置きとは裏腹に、その言葉にはどこか確信じみた自信が溢れていた。
杏樹の教育係を押し付けられてしまった。
実に無茶である。無茶振りである。
でも、それでもめげることなく、期待に応えようとするのが司という人間だ。
杏樹の新人教育初日にあたって、司はある目標を立てた。
接客はさすがにまだ早い。が、接客以外にも仕事はいっぱいある。
買取査定、商品加工、品出し、清掃、ポスター張り、などなど。
その中でも商品加工と品出しなら一緒に出来る。
だから今日は商品の加工と品出しを一緒にやって、出来る限り杏樹と仲良くなるのが目標。同時に女装しているとはいえ男の子である自分に馴れてもらって、男性恐怖症克服のきっかけを少しずつ作っていくつもりだった。
それがまさか開店して四時間以上経ち、お昼休憩を取り終えた時間になってもいまだ会話ひとつすらまともに出来ないとは……。
甘かった。甘く見すぎていた。
杏樹が生粋なお嬢様で、これまでの男性との接触は彼女の父親か学校の先生ぐらいしかないのは美織から聞いていた。
それでも正直なところ女装に変な自信がついてしまった司は「自分ならなんとか出来るはず」と思っていたのだが。
「……………………」
会話どころか視線すら合わせることなく、操作方法を黙ってた聞いていた研磨作業を、これまたまるで親の仇かのように延々と行う杏樹を見て、司は今日何度目かの溜息をつきたくなった。
(ああ、ダメだダメだ。さっきこれ以上溜息はつかないって決めたばかりじゃないか)
杏樹の隣りで商品の加工をしながら、司は自分に喝を入れる。
幸いにも話しかけるネタは出来ている。
皮肉にも杏樹の黙々とした仕事ぶりが生み出したネタだ。
「あー、杏樹さんってすごいねー。あんなに溜まっていた傷あり商品がこんなに減っちゃった」
司が多少大袈裟気味に驚いてみせる。
研磨を始める前には山ほどあった未研磨商品が、今はもう半分ほどに減っていた。
「……………………」
「それに研磨している間にパッケージを拭いてくれたから、とても助かっちゃったよ」
ディスクに傷がついているような商品は得てしてパッケージも汚れていることが多い。だから研磨機にディスクをかけている間、パッケージを掃除するのが理想だ。
とは言え司はそこまで教えていなかった。今日のところは研磨機の使い方さえ覚えてくれたらいいと思っていたからだ。
「……………………」
「あと研磨する商品の順序も、もしかして考えていたりするのかな?」
慣れないうちは何も考えず、ただ積み上げられている順番に商品を研磨するものである。売り場になさそうなもの、人気があるものなど、商品価値に応じて研磨の順番を決めるのはある程度仕事に慣れてからが常で、もちろんこれも司は教えていなかった。
「……………………」
「研磨機の使い方もばっちりだし、初日にして杏樹さんはもう研磨マスターだね」
すごいなー、ボクは覚えるのに結構時間がかかったんだけどなー、と司が褒め称えるとかすかだが杏樹に反応があった。
なんだか身体を震わせている。
もしかしたら褒められてくすぐったく感じているのかもしれない。
だったらもっと褒めてみようと、ようやく反応が見えたことに司は気を良くして
「これから研磨は杏樹さんにしてもらおうかなぁー」
「ふざけんな、ですよーっ!」
研磨作業担当に任命しようとしたら、突然怒りの形相で睨みつけられ怒鳴られた。
「え?」
「研磨なんて研磨剤やらなんやらで汚れちゃうし、商品は汚いしで最悪なのですよっ! なんでそんなのを杏樹に押し付けるんですっ!? あなた、最低なのですー!」
「ええっ!? でも、誰かがやらなきゃいけない仕事だし、杏樹さん、ボクが詳しく教えなくても研磨作業のコツが分かってるみたいだったから」
「それは学園でお姉さまから教えてもらってたからですよーっ!」
「……ああ、そういうこと」
かつて美織は小中高一貫のお嬢様学校に通っていた。
中学卒業と同時に親を騙して『ぱらいそ』店長に就任し、お嬢様学校を辞めたが、それまで校内でも今の『ぱらいそ』のようなゲーム購買部なるものを作って活動していた。
どうやら杏樹もそこの部員で、研磨作業もその時既に教わっていたらしい。
「それにあなたの仕事は杏樹の男性恐怖症を克服させることじゃないんですかー? こんなのずっとやってても、とても克服出来るなんて思えないのですよー」
「うっ、それは……」
痛いところを突かれた。
司としてはじっくり少しずつ馴れていってもらうつもりだったが、杏樹本人は意外とやる気満々だったらしい。
「あの、それじゃあ男のお客さんがやってきた時にレジでもやってみる?」
「死んでもヤなのですよー」
……どないせいっちゅーねん。
司は思わず頭を抱え、杏樹はどんなに可愛いふりをしていても中身は男な司なんて見たくないとばかりに視線を移した。
その視線の先には、丁度葵が買い取りに持ってこられた商品をレジにてバーコードを読み込み、「んー、これは……?」とひとしきり悩んだ後、ポチりと値段決定ボタンを押したところだった。
「あ、それはっ!?」
と、突然杏樹が未だ頭を抱えている司を無視して、レジにいる葵に近付く。
「ん? あれ、何か用?」
「ちょっとそれを見せて欲しいのです!」
言われて葵は先ほどバーコードを読み込んだばかりの商品を手渡す。
「ほわっ、ほわわわわっ!! こ、これは幻のっ!」
商品を受け取った杏樹はすかさずパッケージの表面を確認するやいなや驚きの声をあげた。
その声に我に戻った司も、葵たちのもとに歩み寄る。
「えっ!? それってもしかして『インターゲート』のパパサンバージョン!?」
そして杏樹が驚きのあまり恭しく頭上に掲げた商品を見て驚くのだった。
「そうなのですっ! スタッフが洒落で千本に一本だけ作ったジャケット違いの『インターゲート』なのですよっ!」
「そうそう、千本に一本だけ、ジャケットのヒロインの鞄にパパのマスコットが描き込まれているんですよねー」
「確率千分の一の英語『パーツ・パー・サウザンド』、略して『パパサン』にあわせてお父さんキャラを描いているのも洒落てて面白いのですよー」
「これ、ボク初めて見ました! 噂には聞いていたけど」
「杏樹もなのです! 夢猫(ドリームキャットという、セーカー最後のハードの略称)のソフトですから、そんなに数も出てないはずですしねー」
興奮したふたりが「このお宝の買取価格は一体いかほど?」と、葵が打ち込んだ値段を確認する。
ディスプレイには10円とあった。
「「絶対ちがーう!」」
驚きの買取価格に司と杏樹がハモった。
「このお宝が十円のわけないのですよー」
「葵さん、これ、ちゃんと確認しました?」
司に言われて葵が「いや、確かにバーコードを読み込んだら、ふたつの候補が出てきたんだけどさー」と、もう一度商品のバーコードを通す。
本来ならバーコードを読み込めば、その商品の名前と買取値段がモニターに出る。
が、まれにこの商品のようにバーコードは同じだけど、実は異なる複数の商品が存在する場合もある。
有名なところではゲームではないものの、某有名男性アイドルグループのDVDは初回限定版と通常版が同じバーコードだったりしてとても紛らわしい。なんとかしてほしい。
ま、それはともかく。
こういったイレギュラーの場合、『ぱらいそ』では考えられるパターンが出てくる。今回だと普通のジャケットの『インターゲート』と、レアジャケットの『インターゲート』だ。それぞれにカーソルを合わせれば、その違いが記された補足も読むことが出来る。
ただ、その補足が予め知識を持っていないと意味不明なこともあるのだ。
事実、『インターゲート』の補足欄にはそれぞれ「パパアリ」「パパナシ」とだけ書かれてあり、何も知らない葵が「なんじゃこりゃ?」と思うのも仕方のないことだろう。
「そうなんだよ。だから買取五千円と十円だったら、間違えた時のリスクを考えると十円を選ぶのが無難じゃんか」
あたしは間違ってないとばかりに葵がふんぞり返る。
「いや、でもそこはひと言、ボクに相談してくれたら」
「だってつかさちゃん、傍から見ててなんかいっぱいいっぱいだったしさー」
声をかけにくかったと続けられると、思い当たる節がありすぎて司も言葉を失った。
「……すみませんです、ちょっといいですか?」
そんなふたりのやり取りを見ていた杏樹が、不思議そうな顔をして問いかける。
「どうしてお姉さまや久乃姉さまに相談されなかったのですー?」
そう、何も司じゃなくても、美織や久乃に聞けばよかったのではないかと思ったのだ。
「え? いや、だって」
だけど葵はこの質問に、とてもシンプルな答えを返す。
「この店で一番ゲームに詳しいの、つかさちゃんだから」
「えええええ? この人がですかー!?」
もっともその答えは杏樹を驚かせるのに十分だった。
司が「ぱらいそ」で一番のゲーム通……。
その情報に杏樹は信じられないとばかりに司を見つめると、しかしすぐに視線を葵に戻して質問攻めにした。
「でもでも、美織お姉さまもゲームに詳しいのですよー?」
「確かに美織ちゃんもつかさちゃん同様詳しいけどさー、基本的に誰かとゲームをやっていることが多いから相談するタイミングが難しいんだよねぇ」
下手に声をかけてゲームを中断させると怒るし、と葵。
「だったら久乃姉さまが……」
「久乃さんはこういうレアゲーは弱いよ? 仕入れをしているから、新作の市場価値とかは詳しいけど」
あと、久乃はああ見えてとんでもないポカもする。
先日もお客さんから「『スマプラX』(アクション対戦ゲーム『スマッシュプラネットX』の略)ありますか?」と訊かれて「え? 『スパルダンX』?」と往年のレトロゲーと勘違いした時は、そのやりとりの裏で葵と司は笑いを堪えるのに必死だった。
「それにつかさちゃん、重度のゲームマニアだしねー。だからそんな格好までして『ぱらいそ』でバイトしてるんだよ、この人」
葵の言葉に再び杏樹は司をまじまじと見る。
ずっと女性だと思っていただけに、正体を明かされた時はすごくショックだった。
ショックが収まると次に怒りがこみあげて来た。
男ってだけでも気持ち悪いのに女装をしているなんてキモいにもほどがある。それにそこまでして『ぱらいそ』で働くのは、きっと何か邪(よこしま)な思惑があるに違いない。お姉さまたちはコイツに騙されているんだっ!
そう思いこんで杏樹は司を敵視していた。
が、もしかしたら間違っていたのは杏樹のほうかもしれないと今、考えが揺らいでいる。
確かめる方法はただひとつ。
「第一問!」
いきなり杏樹が声をあげた。
「えっ? 一体何を……?」
突然のことに戸惑う司に、杏樹は「いいから今からいくつか質問を出すから答えるのです」と押し切って
「バーコードの番号が1234567890のゲームソフトはなんでしょう?」
ゲームのマニアック問題を出し始めた。
「えーと、確かゲーミックキューブで出てる『ルパソ三世 海に眠る秘宝』だよね? なんでもバーコードを適当に貼り付けただけのパッケージ見本を、間違って市販版用に刷っちゃったのが原因だって聞いたけど」
「第二問。プレイパークポータブル(通称PPP)で発売された『私のお姉さまがこんなに可愛くて困っちゃうポータブルが売れすぎて続編が出てますます困っちゃう』にあったとんでもないバグとは?」
「ディスク二枚組なんだけど、一枚目に二枚目の内容を、二枚目に一枚目の内容をそれぞれ入れ間違えたこと。有名な話だよね」
「第三問。ゴウテンドーDOSソフト『ドラゴボール 武道列伝』、並びにゴウテンドー3DOSソフト『エビルハザード マーソヤナー』に共通する、ある困った仕様とは?」
「どちらも初期化できない。ホント、アレ、困るよね」
杏樹の出す問題に、スラスラと答えを出していく司。
ちなみに傍で聞いている葵には一問として分からない。
くそー、「某萌え麻雀漫画の作者がかつてキャラデザを勤めたエロゲは?」とか「『星姫』『運命』などのキャラクターデザインを務めた絵師が以前勤めていたゲームメーカーは?」とかなら分かるのになぁ。
「第四問。のちに直木賞を受賞した作家がシナリオを書いたゲームは?」
「『イフ』シリーズの二作目『イフ・ザ・ロスト・ワン』。正直、あのシナリオはどうかと思ったけどねー」
「第五問。漫画『マタギ~闇に降り立った猟師~』のプレイパーク2ソフトに同封されていたアンケート葉書を送ると抽選で色々なプレゼントが貰えますが一等の景品は?」
「空薬莢。伝説の猟師・マタギが使ったっていう設定なんだよね」
「ですが、では三等の商品は?」
「マタギの墓石って設定の御影石」
ちなみにこれってどういう意味かと言うとと司が説明しようとするのを、杏樹が手で制した。説明されなくても知ってるし、それに正真正銘のJKである自分や、中身は男だけれども女のこの格好をしている司が盛り上がる話題としては正直どうかと思ったからだ。
「ぐぬぬ。結構やるですねー」
「えへへ、そうかな?」
まだまだこれぐらい余裕だよと言わんばかりの態度に、杏樹はカチンと来た。
「あのー、すみませーん」
そこへお客様から声をかけられた。
男性の客だ。
途端に杏樹が、今度はコチンと固まる。
「あ、はい、なんでしょうか?」
代わりに司が対応。葵も慌てて、本来の買取査定した商品のレジ打ち込み作業に戻った(まだやってなかったんかい!)。
「えーと、プレパー4(本体・プレイパーク4の略称。現行機)が欲しいんですけど、新品ってありませんか?」
「すみません。ちょっと新品は今切らしちゃってまして。でも中古ですが状態のいい商品がいくつかありますよ?」
司は品切れを詫びると、代わりに中古商品の状態をご覧にいれましょうかとカウンターを出て行く。
ぱらいそでは中古本体は箱から出してショーケースに展示しているので状態などを確認しやすくはなっているが、決してお安くはない買い物だけに手にとってしっかり確認したいというお客様は少なくない。
そういう気持ちを察して店員自ら「手にとってご確認ください」とショーケースを開けるのは、中古本体の商談を纏めるのに重要なアクションである。
おかげで今回も中古本体が一台無事に売れていった。
無愛想な杏樹の分をカバーすべく「ありがとーございましたー」と司と葵が元気よく挨拶して、お客様をお見送りする。
「最近、プレパー4よく売れるねぇ」
「これから大作が目白押しですからね」
「へぇ、そうなんだ」とゲームショップで働くにも関わらずその手の情報に疎い葵に、司はこれから発売が予定されている大作の名前を挙げていく。
「うっ、それは確かに欲しいかも。どうしよう、あたしも今のうちに買っておこうかなぁ」
頭の中で所持金と、これから買う予定のものを比べて計算し始める葵。
「プレパー4を買うのなら、もうちょっと待ったほうがいいのですよー」
そんな葵に杏樹が待ったをかけた。
「多分、近々値下げか新型が投入されるはずなのです」
「えっ!? そんな情報、ボク、知らないんだけど……」
しれっと言い切る杏樹に、司が面食らったような声をあげる。
その反応に杏樹も一瞬意外そうな表情を浮かべた。
が、すぐに嗜虐的な笑みを浮かべ、「なんだぁ、そんなことも知らないんですかぁー」と偉そうに説明をし始めた。
さて、ここでひとつ断りを入れておくが、ゲームショップといえど前もってメーカーから値下げや新型投入を知らされることはない。
むしろ「今日はよく本体の買取があるなぁ」と不思議に思ってネットを調べてみたら本体値下げの情報がででーんと出ていて、慌てて買い取り価格を下げていたらメーカーから今頃になってその旨のファックスが届いたりすることもままある。
よく「ショップは事前に知っていたくせに!」と値下げ直前に買っちゃった人が文句を言うこともあるが、本当に知らない。文句ならメーカーに言ってほしい。
ただ、そうは言っても値下げや新型投入の兆候はあったりする。
「メーカーからの出荷がしばらく止まっているのですよー」
そう、値下げなどの大きな変更がある場合、メーカーはその製品の出荷をしばし止めることがあるのだ(必ずしもそうとは限らないが)。
出荷がないから売り切れてもメーカーから新品を補充できない。じきに二次問屋の在庫もなくなり、店頭から新品が消えていく。となると当然、問屋や仕入れ担当者の間で「そろそろ値下げがあるんじゃないか」と憶測が流れるわけだ。
でも憶測は所詮憶測。確証はない。事実、出荷が止まっていたのは単にメーカーが調整しているだけだったり、工場の問題だったりすることもままある。
だから仕入れ担当の久乃はこれを知りつつ、敢えてスタッフのみんなには伝えていなかった。
あくまで噂として認識し、お客様にもそう伝えられるスタッフばかりならば問題ないが、中にはこれをあたかも真実のように捉え、あろうことかお客差にもそう言ってしまうようなタイプもいるのだ。
「これは絶対値下げか新型投入があるに違いないのです!」
そう、杏樹みたいに。
司は多分大丈夫だが、葵はきっとダメだろう。
美織に至ってはあたかも自分が値下げを決めたとばかりに断言しそうである。
まったくもって久乃の判断は正しいと言えよう。
「へぇ。そうなんだ、知らなかった……でも、なんで杏樹さんはそんなことを知ってるの?」
「だって杏樹、お姉さまたちが卒業されてから学園で仕入れもやってましたからねー」
もともと杏樹は美織たちがお嬢様学校に在学中から、ゲーム購買部にて久乃の仕入れの手伝いもしていた。だから、美織が中学卒業とともに学園を去り、久乃も後をついていってから、仕入れを杏樹が一手に引き受けることになったのだ。
その中で手に入れた経験、知識はもちろん司にはない。
これは大きなアドバンテージ!
杏樹は自分が圧倒的有利になったのを確信し、さらに畳み掛けた。
「仕入れをやると、色々とメーカーへの見方も変わって面白いのですよー。例えばとあるメーカーがやったキャンペーンですが、実はその裏にはこんなことがあったのですー」
杏樹が「この話はヤバいので、こっそり話すですよ」と司と葵を手招きして呼び寄せ、お客さんたちに聞こえないよう小さな声で話す。
「ええっ!? あのキャンペーンって裏ではそんなことになってたんですか!?」
「そんなの結局お店が損するだけじゃん! ずるい!」
「ここは他にもアレの代わりにこんなのを送ってきたり、やりたい放題なのですよー」
次々と杏樹から明かされる業界裏話に、司たちはずるいずるいと連呼する。
ホント、おおっぴろげに話せないのが悔やまれる。
「うわー、なんだかなー、あたし、そのメーカーって結構好きだったのに、なんだか嫌いになっちゃったかも」
「ボクもです。これならまだあちらのメーカーの方が」
「ちっちっち、甘いのですよー。あっちのメーカーはメーカーで、またいやらしいことをやってくるのですー」
さらに杏樹の暴露話が続く。キミたち、仕事しろ。
「……ってことでまだまだこういった表に出てこない話がいっぱいあるのですよー」
およそ十分ばかりだろうか。運よくお客さんがカウンターに来ないのをいいことに暴露しまくった杏樹は、そう言って話を締めくくった。
「はぁ~。世知辛い。世知辛いよぅ」
葵が辛いなぁと頭を抱える。
「なんだか街のゲーム屋さんが次々と閉店する理由のひとつを見たような気がしますね」
司も悲しそうに呟いた。
「まぁ、この手の話は昔からあるですし、閉店するのは単純に昔ほど儲けられなくなったからでしょうけどねー」
そんなふたりに対して、杏樹はそれでもお姉さまはこのお店を続けていくつもりですし、私も全力で応援するのですと胸を張る。
「そうですね。挫けず頑張りましょう」
杏樹の意思表明に励まされたような気がして、司は思わず笑顔が零れた。
その笑顔は杏樹もドキっとするほど可愛くて、つい見とれそうになり慌てて首を振る。
外見は恐ろしいほどに女の子だけど、中身は紛うことなき男の子なのだ。騙されてはいけない。
でも。
「ふ、ふーん……あなた、致命的な欠点がありますけど、なかなか見所がありますですねー」
少しぐらいは認めてやってもいいかも。
ゲームの知識はたいしたものだったし。
美織の力になりたいという杏樹の言葉にもすぐさま同意した。
どうやら美織やほかの女の子目当てではなく、本当に馬鹿がつくほどのゲーム好きで、昔ながらの街のゲームショップが大好きだから、女の子の格好までして働いているみたいだ。
男の子っていう最悪サイテーな存在ではあるものの、その中にあって杏樹にとってはかなりマシな人間ではないかと思う。
「そ、そうかな?」
「けど、やっぱりあなたをお姉さまと慕うわけにはいかないのですよ」
嬉しそうに微笑む司に、杏樹はぴしゃりと言い放つ。
「えっと、別にお姉さまじゃなくても……」
「ダメなのですっ。杏樹の教育係は、杏樹自身がお姉さまと慕えるような人じゃないと務まらないのですよっ!」
司が杏樹にとって望ましい人柄であったから、今でこそこうして面と向かって話すことに抵抗はなくなった。が、そうは言っても所詮男の子。どうしても生理的に受け付けないところはある。
男性恐怖症を克服させるために司を教育係に据える意図は杏樹にも分かるが、でも上手くいくとは到底思えなかった。
何故なら杏樹は生粋のお嬢様。そしてお嬢様とは、基本的にワガママなのだ。
そんな杏樹の教育係を務められる者は、彼女が心から認められる者。つまりはお姉さまと慕えるほどの人物でなくてはならないのだが……。
男である司ではどう逆立ちしても、お姉さまにはなれない。
「あなたには悪いとは思うですけど、やっぱり杏樹の教育係は美織お姉さま以外考えら」
「あ、ひとついいかな?」
杏樹の言葉を葵が突然遮った。
「なんですかー、いま、ちょうど結論を出すところだったのですよ?」
「いや、その、ふと思ったんだけどさー。つかさちゃん、さっきの杏樹ちゃんの話を聞いてどう思った?」
「え?」
流れを完全にぶつ切る葵の質問の意図が分からず、司はただ不思議そうな表情を浮かべることしかできない。
「ほら、ゲームに詳しいつかさちゃんでも知らない話をしてくれたじゃない。面白くなかった?」
「えーと、そりゃあ面白かったです、けど」
だからそれがどうしたというのだろう?
「だよねー。で、それってつまり杏樹ちゃんがあたしたちの知らないことをいっぱい知ってるからでしょ? だったら」
葵がふたりの間に入り、杏樹の右肩、司の左肩にそれぞれ手を置く。
「つかさちゃんが杏樹ちゃんのお姉さまじゃなくて、杏樹ちゃんがつかさちゃんのお姉さまって方がしっくりくるんじゃない?」
「「はぁ?」」
葵のとんでもない提案に、司と杏樹の声がハモった。
「いや、ちょっと、葵さん。さすがにそれはおかしいですよ。だって、ボク、杏樹さんより年上だし」
「でもゲームショップ店員という経験から言ったら、杏樹ちゃんの方が上っぽいよ?」
それにさ、と葵は驚きの声をあげた後は絶句するばかりの杏樹に視線を移す。
「つかさお姉さまから指示を受けるのはイヤかもしれないけれど、可愛い妹分のつかさちゃんからのお願いならそんなに嫌悪感はないんじゃない?」
「妹……この人が杏樹の妹……」
言われて杏樹は葵を挟んで向こう側の司をじっと見つめる。
「え? ちょっと杏樹さん? まさか葵さんの言うことを真に受けたんじゃ……」
杏樹に見つめられて不安に引き攣る司の表情。
それがまた杏樹の嗜虐心を擽った。
「……いいかもしれないですー」
「えええええっ!?」
「本当はあなたの言う事を聞くなんてイヤのイヤイヤですが、カワイイ妹のお願いとならばお姉さまとして聞かざるをえません」
「だよねぇ。じゃあ、そういうことで」
「えっ、いや、ちょっと待」
「つかさ、あなたはこれから杏樹の妹なのです。今後は私のことを杏樹お姉さまと慕い、杏樹の妹に相応しい振る舞いをするのですよー」
「え? いや、その……ええええええええええ?」
杏樹が「じゃあつかさ、早速このお店のほかの仕事も教えるのです」と司の袖を引っ張った。
「じゃあそういうことで。頑張ってね、つかさちゃん」と葵が背中をぽんと押した。
「……どうしてこうなってしまったんだろう?」
司がぽつりと呟く。
かくして司は『ぱらいそ』二年目の春、何故か妹キャラになったのだった。
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