第17話
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」
狭く劣悪な部屋だった。
重力なし。気密は高度。湿度は体感では高い。今のところ酸素に不足なし。高さは頭をぶつけるギリギリで、奥行きも2mほどしかない。壁は打ちっぱなしの樹脂建材。恐らく与圧区画にある倉庫なのだろう。気温が恐ろしく低いのは放射冷却のせい。条件からして宇宙施設、それも非居住用のものの作業用区画に設けられた一時滞在スペースか。
そこまで推察して、熊頭の少女―――ベ=アは壁にもたれかかった。それ以上できることが何もない。身に着けているのはワンピース。使えそうな装備も知識も経験も、彼女は持っていなかった。仕方があるまい。彼女はまだ子供―――ティーンエイジャーの学生だったから。
"黄金の薔薇"号の所有者ではあっても、整備員でもパイロットでもない彼女は、チーム関係者として用意されたホテルに泊まっていた。ツキグマがレースに出るときは、いつもそうだった。いつもと同じホテルに泊まった最初の晩、父がいた頃を思い出して少し泣いたほどである。万全な警備が施されたそこなら安全。そう思っていた。実際安全だっただろう。ホテルから出なければ。
出るつもりはなかった。実際出る羽目になったのはある問題が起きたからである。
ふとベ=アは顔を上げた。
外で、何やらがちゃがちゃと音がし、そして扉が開く。
そこから頭を出したのは―――
「出ろ」
告げたのは、蟻の頭を持ち、コートを纏った男。履いているのは無重力下用の粘性靴だろう。しっかりと両の足を床へとつけていた。睨みつけられても意に介さず、ベ=アへと手を伸ばしてくる。
「触らないで」
少女の腕を掴んだのは外骨格の手。頑丈なそれは鍛え上げられ、抵抗の仕様もないほど強靭だ。
「痛いっ!?」
手首を極めたのはさりげない逮捕術の技。ポリスに所属するものならば誰でも身に着けているものだ。
「まったく手間をとらせてくれる。余計なことに気を回さなければ、死なずに済んだというのに」
「余計な事!?この…卑怯者っ!」
「何とでも言うがいいさ。こんな小遣い稼ぎ誰でもやっているさ」
「あんたみたいなのがいるから!シンジケートや海賊ギルドがのさばるのよ!!
このニセ警官!!」
「ニセ警官は酷いな。これでも本物の刑事だよ。イルドポリス本署勤務さ」
そう。コートを纏った蟻頭の男。彼は、本物のバッジを持った刑事だった。それも、ベ=アと顔見知りの。
―――ツキグマの死を捜査していた刑事。
それが、彼だった。
父の死に関して親身になってくれたこの刑事が告げたのだ。
「レース関係者を誘拐する動きがある。身の安全のため、ポリスが確保した場所までついてきてほしい」と。
ベ=アがおかしいと気付いたのは軽宇宙機で連れていかれる最中。安全確保という割に、警官が彼一人なのを不思議に思ったことがきっかけだった。
「ポ=テトだったか。奴の元にはお前の身柄を預かったという旨の連絡が行っているはずだ。
お前が余計な事に気付かなければ、ポリスが安全を確保したのにも関わらず行違いで奴の元には通信が届かなかった。で済んでいたのだがな。
こうなってしまったら、死んでもらうしかない」
「……父さんもそうやって殺したの?」
「うん?
ああ。馬鹿な男だよ。シンジケートに逆らったんだからな。死んで当然だ」
「……っ!!」
自らを睨みつける少女の眼。それを冷酷に見下ろし、彼はベ=アの両腕を樹脂製の結束紐で縛った。次いで両足にも。
「手錠は備品なんでね。これで我慢しろ」
告げると、少女を担ぎ上げ、そして蟻頭の男は通路を歩き出した。
処刑台への道を。
「この……屑っ!!」
「何とでも言え。どうせもうすぐ何もしゃべれなくなる」
殺すにしても、証拠を残すわけにはいかなかった。今どきの掃除ロボットは優秀だが、それでも少女を武器で殺害しようものなら施設に消せない痕跡が残ってしまう。
それよりはもっと簡単な方法があった。
リサイクルシステム。物質を分子にまで分解して再構築するシステムが、この古いステーションには備わっていた。通常なら安全装置があり、生きた者を放り込んでも停止するが、ここのものは古くメンテナンスが不十分なために安全装置が働いていないのだ。人を処分するような状況では重宝していた。
男の脳裏をこの時駆け巡っていたのは、シンジケートから貰える報酬だった。金は多い方がいい。家のローン。息子の学費。どこかへ家族を連れてバカンスに行くのも素晴らしい。
彼の商売相手は悪魔だった。そして、人の心を売り渡した彼自身もまた。
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