第15話
「おっ、……とと」
「もう、ぼっちゃま。飲み過ぎですとあれほど言いましたのに」
迎えの車に乗り込んだ小男は、ハヤアシ。彼を支えるのは"桜花"である。
ふたりが乗り込み、後部の扉が閉められたハイヤーは発進。
夜の街の風景が、高速で流れ去っていく。
しばしその光景を楽しんだ後、ハヤアシが口を開いた。
「……いやぁ。しかし楽しみだね。ありゃ」
「ぼっちゃま。お願いしたいことがあります」
「うん?なんだばあや。また結婚しろとかいうのだったらお断りだぞ?」
「いいえ、違います」
居住まいを正した桜花に、ハヤアシもやや表情を改める。
「ばあやの望みはひとつでございます。どうか、どうか危険な事だけはなさらぬよう……」
「なんだい、俺の腕が信用できないかい?」
「いえ。
ですが、今日私を連れてこられたのは、他人を危険にさらさぬためでございましょう?」
「……」
「私はどのような危険な場に連れていかれようとかまわぬのです。持てる全知と全能を持ってぼっちゃまをお守りするだけですから。
ですが、私の手が届かぬところで、ぼっちゃまの身になにかあればと心配で心配で……」
「分かった。参った。降参だ。
ばあやには敵わないな」
「そりゃあもう、ぼっちゃまがまだおしめをしていた頃からお世話させていただいておりますから」
小首を傾げる桜花に、ハヤアシも苦笑。
ややあって、ハイヤーが減速。停車する。
外は工事現場。建設途中の高層ビルといった風情だろうか。
「選手の宿舎と違うんじゃないかね?運転手さん」
問われた運転手は無言である。
代わりに、窓を叩く音がした。そちらを見ると、黒服の男が外へ出るようジェスチャー。
「おやおや。あんた俺のファンかい?俺はサインはお断りしてるんだがな」
ハヤアシの軽口に憤ったか。
黒服は、懐から拳銃を取り出すと窓越しに突きつけ―――引き金を引く。
衝撃が迸った。
「……?」
なんともない。
いや。
振り返ったハヤアシの眼前では、力なく項垂れている"桜花"の姿が。
「―――アンチジェネレータガンか。また珍しいもんを」
量率転換機関―――すなわち質量や化学エネルギーを動力に変換する機器に対して収束したボース粒子を叩きつけ、"立ち消え"させる道具だった。早い話がエンジンを強制停止させる武器である。
ポリスかそれに近い政府機関でもなければまず入手は難しい装置のはずなのだが。かくいうハヤアシ自身も、間近で見るのは幼年学校の社会科見学以来である。
「出ろ」
黒服の言葉。
今度は大人しく従ったハヤアシは、車外に出た途端にぞろぞろと現れた、ガラの悪い男たちに包囲された。だが、その口は屈服する様子がない。
「やれやれ、人気者すぎるのも考え物だな」
「黙れ」
殴打された。
もちろん、黒服によって、である。
一撃をもらった下腹部を抑えながら、それでもハヤアシは顔を向ける。殴った黒服へと。
「おいおい、荒事は苦手なんだよ」
「黙れと言った」
二発目。
さすがのハヤアシも、これ以上は軽口が出てこない。
「……」
「助けは来ないぞ。ここに到着する前から通信はジャミングされている。そこのデク人形も、十数分前からスタンドアローンで稼働していたはずだ。本体の知性機械がどこに設置されているかは知らんが、電波状態が悪いなとでも思っているだろう。
さて。自分の立場は分かったか?」
ハヤアシは無言。
三発目が、彼の腹部へ叩き込まれた。
「要求はひとつ。宇宙レースを負けると約束しろ。そうするだけでお前は解放される」
「……」
「逆らえば死ぬ。我々はいつでもお前を殺すことができる」
「ツキグマを殺ったみたいに、か?」
「ほう、わかっているじゃないか。ならばどう答えるのが賢明か、分かると思うがね」
「そうさね。
俺も馬鹿じゃないから、お前さんたちにどう返事すりゃいいかは分かる」
ハヤアシは、苦痛にうめきながらも、不敵な笑みを浮かべた。
「絶対に嫌だ」
「そうか。ならば死ね」
黒服が先ほどとは逆の手で取り出したのは―――ハンドブラスター。すなわち携行用レーザー火器である。
その照準は、ぴったりとハヤアシの額に向けられていた。
「最後に聞かせろ。俺以外も、脅して回ってるのか?」
「当然だろう?他の優勝候補もお前と同じような目に既に遭っているか、これから遭うか、だ」
「最低だな」
引き金が引かれた。
―――その、瞬間。
レーザーが、空中で静止した。いや、射線上に割り込んできた存在に命中。それによって、持てるエネルギーの全てが乱反射されたのである。
出現したのは銀の鏡。イオン膜で構成されたそれは、一種の対光学防御兵装―――すなわちレーザー・ディフレクターの作用であった。
「お前らは勘違いしてる。今日連れて来たのは、本体だよ」
絶叫が響き渡った。
突如として地中より盛り上がった五本の刃。柱のように太いそれが、男たちを次々に貫いたからである。
「あ……ああっ……あああああああああああっ!?」
黒服は見た。
車を透過し、地中より盛り上がってくる巨影を。
街の灯を遮り、自分たちを睥睨するそいつの頭部を。
「しかし派手だねえ、ばあや。普通に車から出てくりゃいいのに」
「何事も演出というのは大事でございますよ、ぼっちゃま」
腹部をさすりながらも不敵な笑みを浮かべるハヤアシに答えたのは、鋭利な刃物を思わせる人型。その甲殻は、白地を桜の花びらが彩っていた。
高層建築の骨組みを、まるで幽霊であるかのようにすり抜ける上半身は、それだけでちょっとしたビルほどもある。
だが、それが幽霊などではなく物理的に実在するものだということを、黒服は知っていた。
「……馬鹿な、なんで機械生命体がこんなところに!?」
「普通に軌道エレベータから降りて来たよ。セキュリティチェックちゃんと受けてな」
ありえない。
機械生命体も連合市民であるから、合法的に地表へ降りることはできる。だが、それならば把握されていたはずだった。今のところイルド地表にいる機械生命体はすべて確認済みなのに。なのにこいつは!
「おっと、殺すなよばあや。こいつらには法廷で喋ってもらわないとな」
「ええ。ではとりあえず、彫像にでもなっていただきましょう」
巨体に遍在する量子機械が転移。刃―――桜花の指に貫かれた男たちの全身に行き渡り、速やかにその構成素粒子を組み替える。
完全に制御された核融合。余剰エネルギーすら集められて原子に変換され、そしてたちまちのうちに男たちは、苦悶の表情を浮かべた金属像と化していた。
残ったのは黒服だけ。
「ひぃ……ひぃっ!?」
「殺しゃあしねえよ。
ああ、それともう一つ教えてやろう。ばあやは機械生命体じゃあない。いやまあ似たようなもんではあるけどな」
いやいやと泣き笑いの表情で後ずさる黒服。その体が急に浮き上がる。桜花の掌によってすくい上げられたのだ。
目が合った。
ダイヤモンド型のフェイスカバー。その奥に隠された双眸を、男は確かに目にした。
―――何が起きているのか理解する暇すらなく、黒服の男は彫像と化す。
一瞬で全滅した男たちから目を離すと、ハヤアシは桜花へ労いの言葉をかけた。
「ごくろうさん」
「いえいえ。しかし、窮屈でございました。ようやく体を伸ばせてほっとしております」
「違いない」
苦笑し、ハヤアシは夜空を見上げた。
ポリスすら信用できない状況。自分の身は守れたが、ライバルたちの安否は祈るしかない。
「無事でいてくれよ……」
呟きは、星空に吸い込まれた。
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