第12話
イルドでおこなわれている宇宙レースの起源は、今から150年以上前にさかのぼる。
金属生命体と銀河諸種族連合との戦争がますます激化していく中、戦況のひっ迫で乏しくなった娯楽を補うべく行われた賭けが元となったと言われている。
それは、輸送艦だったり貨客船だったり。船の到着時刻を当てる、というささやかなものだった。慣性系同調航法は性質上、航行にどれくらいの時間がかかるかはまちまちだ。跳躍のたびにその準備時間と出現地点が異なるからであり、現在でも慣性系同調通信は、酷い時には数十分から数時間の時差が出る。故に、船舶の航行スケジュールは余裕をもって組まれるのが通例だった。
ある時、イルドの近傍まで戦線が迫り、この地に銀河諸種族連合軍が集結した。一大軍事拠点となったイルドに集まったのは軍勢だけではない。軍の補給物資を取り扱う商人。軍人相手の飲食店。セクサロイドの卸売りで財を築いた男の記録まである。
辺境の開拓惑星に過ぎなかったイルドに、富が集積した瞬間だった。そうなれば、娯楽としての賭けも発達する。組織化され、それを専門に取り扱う集団も出て来た。イルドの裏の顔を支配するシンジケートも、それら賭博集団を祖にもつ。
決戦の前。軍が行った大規模演習も、賭けの対象になった。
その最中。余興の一環として行われた通信艦同士のレースは熱狂を呼び、それはのちのイルドの命運を位置づけるものとなる。
すなわち、宇宙レース。
前線が遠のき、集結していた物資と人とカネ。これらが去って行っても、イルドには整備されたインフラが残った。もはや、イルドは辺境の開拓惑星に逆戻りすることはなく、最前線までの重要な補給路であり、生産拠点の一つでもあるという地位を確固たるものとしていた。歓楽惑星イルドの誕生。そしてもう一つ。宇宙レースもまた、イルドに残った。
いつしか伝統行事として行われるようになったこれは、銀河諸種族連合の中でも歴史ある、権威あるレースとして扱われるようになった。
故に、宇宙レースの優勝者に与えられる名誉は大きく、そしてレースの背後で動く金額は天文学的なものである。
人の倫理観をたやすく曇らせるほどに。
「―――で?"お客様"は?」
「この娘です」
問われた男―――ネーク=スが取り出したのは一葉の写真。
そこに写っているのは、笑顔が可愛らしい熊頭の少女だった。
ネーク=スの眼前で、蟻頭を持ち、コートを纏った男が写真をじっと見つめている。彼は黒豆茶を口に含むとやや考え込み。
「ふむ。
"処理"してしまって構わんのだな?」
「ええ。ただ、安否が判明するような状態にしてもらっては困ります」
「分かっている。
日時は?」
「本戦の前日。もし中止する場合は連絡を入れます」
「承知した。じゃ、俺はこれで」
「よろしくお願いします」
蟻頭の男は残りの茶を飲み干すと立ち上がり、写真をポケットに収めてから出口へ。
それを見送り、ネーク=スはその爬虫類顔を窓の外へと向けた。
明るい陽射し。道行く人々は笑顔に満ちており、街路樹に飾られた清潔な街並み。イルドの表通りに面した喫茶室からの眺めが、そこにあった。
そう。
イルドポリス本署。その1階に設けられた喫茶室からの。
しばし外の景色を楽しむと、ネーク=スもまた立ち上がった。
仕事はまだまだたくさんあるのだから。
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