第11話
宇宙レースはいくつかの手順を踏んだ上で、速度を競い合う。
それは、スタート地点から飛び出した艦が、宇宙空間を通常航行と慣性系同調航法で渡り、途中いくつかのチェックポイントを通過した上で戻ってくる、というものだ。
それは時に恒星系すらも超えて何十光年もの旅路を往き、そして惑星上での危険な飛行も要求される過酷なものとなる。
故に、レースに参加する船舶は、軍の払い下げや、あるいは戦時量産された高速輸送船など強靭なものが多い。武装が入念に取り払われていることをのぞけば軍艦そのものの能力を持つそれらのレース船は雑多な出自を持ち、場合によっては普段輸送船として就航しているものすらある。
優勝候補の一人―――ハヤアシ操る"魚泥棒"号も、そんな船の一つだった。
「いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃゃっほぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ヘリウムと水素で構成された大気を切り裂くのは、暗灰色の貨物船。周囲は嵐。記録されている限り何百年と収まったことがない巨大台風の中を突っ切り、420mの船はまるで、魚のような巨体を滑らせる。
対気速度はマッハ5を超え、視界は最悪。レーダーも乱反射で役に立たず、頼りになるのはレーザーセンサーが捉える大気分子の流れだけだ。
素晴らしい。
ハヤアシは心底そう思う。
重スーツに身を包み、狭苦しいコックピットでキーボードを叩くその姿は一見窮屈にも見える。だが事実はそうではない。
彼は、解放されていたのだった。あらゆるしがらみから。
たった一人、この魚泥棒号を手足のように操っているときだけが、彼を孤独にしてくれる。
前回のレースの時は最悪だった。負傷で出場できず、ツキグマ―――かつて己を破った好敵手との再戦はならなかった。怪我を直して復帰してきてみれば、ライバルは死に、犯人は未だにのうのうと暮らしているときた。
復帰後初の出場となるこのレース。宇宙レースの第2予選では、前回欠場さえなければ本来、本戦まで戦う必要がない彼の意識に上りうる男はいない。ただの一人を除いて。
「いいぞ。ついてこい」
思わず口をついて出た言葉に、彼は微笑んだ。
宇宙レースで差が付きやすいのは、天体上である。刻々と変わる大気状況。過酷な自然。予想のつかないそれらに、いかにして対処するか。それこそがパイロットの役割だった。
モニターに警告表示。
魚型―――流体内部での機動に特化した巨船を捻り、"その時"を待ち構える。
それは、乱流の中で浮遊する巨大なポールであった。
一体、どれほどの大きさがあるというのか。数キロのそれは、まるで柱。無数に乱立するそれを、規定の方法で潜り抜けていくことがこのチェックポイントで要求される事柄だった。
縦横。斜めのものもある。ゆったりと動くそれらをジグザグに、しかし最短距離で躱しながら、"魚泥棒"号は行く。
再度警告表示。今度は後方より。
ハヤアシの後ろについていた船。それが、ポールへの激突を回避しようとして、更に後続の船と接触。コントロールを失い落下していったのだった。
レースで怖いのはこれだ。
機械制御で行われる航行では、差はどうしても小さなものとなる。故に、船が密集するこのようなチェックポイントが一番恐ろしい。この危険を潜り抜けるために必要なのは、勇気だった。
危険を回避するため、時にライバルへと道を譲る勇気。
"魚泥棒"号の後方、4番目についていた船が2位へと躍り出る。白銀の巨体。剣のような流麗な船体は、ハヤアシの良く知るもの。
腕自慢は幾らでもいる。だが、船が遭遇し得る危険を知り尽くし、最適な判断を下せる真の強者はめったにいるものではなかった。
ハヤアシの知る、真の男たちのリスト。そこに、新たな名が加わった。
"魚泥棒"を操る男は表情を引き締めると、残りの行程に集中した。
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