第5話
星系としてのイルドの第八惑星は、木星型ガス惑星の数倍の巨体―――いわゆるガスジャイアントである。その周囲にはいくつかの衛星が存在するが、それ以上に特徴的なのは環だった。
無数の氷で構成されたそれはおよそ六千キロの幅を持って第八惑星を取り巻いている。母星より受ける紫外線によって遊離した酸素からなる大気を持つが、呼吸に足りる密度ではなかった。
資源採掘等は第六惑星や第三惑星の方が採算が良いため行われてはいないが、この星の周囲は常ににぎわっている。
手近なレジャースポットとしてもそうだし、レース船の"慣らし"運転にも用いられるからだった。
慣性系同調航法の感覚を口で説明するのは難しい。
物質は連続的に存在しているのではない。極微の時間、間隔を空けてとびとびに消滅し、出現することを繰り返している。この消滅した物質が次に出現する地点は本来(量子ゆらぎが許す誤差の範囲で)同一だが、それをすり替えるのが慣性系同調航法だった。
その移動に伴い体感する違和感の出所は諸説があった。物理法則が勘違いするほどそっくりな別の地点へ出現するというのになぜ、生命体の鈍感な神経系が影響を受けるのだろうか、と。
「毛をむしり取られた二点間が嫌がらせしてる、って昔戦友が言ってたな」
「毛ですか」
「"俺は前の地点とは違うぞ!"って叫んでるわけだな」
テトは出現地点の座標をチェック。
同時に航行情報を発振する。これは周辺の船へ自ら名乗ることを意味していた。
チェックを一通り終えた芋は、微笑んだ。
「中々賑わってるようだ」
「はい。調整中のチームもいますし、観光目的の船も」
「ま、こちとら完熟訓練中だ。諸先輩方にはお手柔らかに願いたいねえ」
手順通りの確認を素早く終わらせると、テトは船を、眼下の第八惑星へと向けた。
その知らせをサメ人間が聞いたのは、『鋼鉄のあぎと』号が第八惑星への降下ルートを算定している最中だった。
「親分。近傍空間に中型艦出現。無慣性状態より復帰した模様。大気圏突入コースです」
「慣らし航行か?所属は?」
「ちょいお待ちを。―――船名、『黄金の薔薇』号。……黄金の薔薇!?」
「ツキグマの船じゃねーか。噂のニュービーか。
あいつの娘も懲りねえなあ。親父と同じところに行きてえようだ」
「ちょ、親分、ここじゃマズイですって、人目が多すぎます」
「ふん、挨拶してくるだけだ。おい、奴の横に着けて降下するぞ。お手並み拝見と行こうじゃねえか」
「へい、親分」
サメのような笑いを浮かべ、船長は突入コースを指示した。
航宙艦の大気圏突入は難しいが熟成した技術である。事前に適切なルートを定めさえすれば、機械は自動で、安全な降下を行う。
艦尾を進行方向に向けた白銀の船―――『黄金の薔薇』号は、順調と言える航行を続けていた。
「昔は、この瞬間が一番怖かった」
「そうなんですか?」
「ああ。ガスジャイアントに降りるときは無防備だからな。ここを狙われて死んだ戦友が沢山いたよ」
ベ=アの問に答えるテトの声は緊張していた。だが硬すぎるということはない。どこか、安心感をもたらす張り詰め方。
彼は突入前、レーダーが効かなくなる直前、もう一度周囲をチェックし。
―――流星が、落ちて来た。
即座に自動手順を一部解除。防御磁場を戦闘出力。レーザー・ディフレクター起動。
「お嬢さん、しっかりつかまってろ!」
「え?ええ!?」
物質透過は使用不能のサイン。荷電粒子が多い。大気中で物質透過が使えないという事は、無慣性状態に移行できないことを意味する。船体は既に第八惑星の大気圏へと突入しつつあった。
そこまで確認したテトは、緊急時以外原則的に使用されないスティックを掴み、力いっぱいに倒した。同時にペダルを踏み込み、逆噴射。
直後。
まるでナイフのように鋭利な船が、正面からすれ違った。
赤い口。ギザギザの歯。全てを睨み殺せそうな目。それらが描かれた船体は、グレー。
全長360mの高速艦。
一瞬の間にそれらすべてを見て取ったテトは、遅れてくる衝撃波に全神経をとがらせた。
凄まじい奔流が210mの巨船をもみくちゃにする。―――グレーの船が、防御磁場を帆のように使ってかき乱したプラズマの暴風だった。
船体を安定させつつ敵影―――敵?戦争は終わったんだぞ―――を探したテトは、既に相手が大気圏外へと上昇。そのまま惑星の影へと消えていくのを目にした。
全てが過ぎ去った後。
「……う。テトさん、一体何が」
「手荒い歓迎を受けた」
手早く船体状況をチェック。被害は軽微。自己修復で収まる範囲内だ。
次いで、外部からのデータアクセスを確認。―――予想通り、非正規な手段で送り込まれたファイルがあった。
即座にストレージから隔離。廃棄しようとして、ファイル名を見たテトは眉をひそめた。
『よい航海を』
すれ違いざま、レーザー通信でメッセージを送り込んできた相手の人間性を想像しつつ、芋は削除ボタンを押した。
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