第一闘争~守るもの
第一話 君の名は
両陣営に矢の雨が降り注ぎ、悲鳴が戦場に重なり合って響く。
盾を天へ向けるも矢はそれを貫通し、また一人殺される。
降り止んだところで角笛が戦場に響き渡り、両陣営が突撃を開始した。
一方の陣営は紅の甲冑を身にまとい、揺らめく旗は赤地に象を示す。
対する陣営は黒の甲冑、そして黒地に青い星が描かれた旗を掲げていた。
この二つの陣営が衝突した時点から、勝敗は目に見えていた。
黒の勝ち。
紅の陣営が黒の陣営に跳ね返されているようにも見えた。
黒の兵たちが果敢に突き出した槍に紅の兵たちが怯え、
稀に黒の陣営の深くにまで斬り刻む紅の部隊はいたものの、味方の前線から離れた為に孤立し殲滅させられた。
紅の陣営は指揮および統率がなっていなく、兵士の個人としての力も未熟なものであった。
だがそんな中で、押される前線に張り付き、敵を討ち倒して行く紅の小隊があった。それはベテラン揃いの剣士小隊。
その隊長の名をヌイ・チェンマットと呼ぶ。
二十一の青年だが、常備兵としての兵役は四年を過ぎる。
そのため遠征による経験は、この陣営の中では最も積まれたものであった。
槍や剣による武術は新兵には負けない程度で、戦場の渡り方はこの陣営の誰よりも心得ている。
彼がまとめるこの部隊の人員も常備兵で、死者はまだ一人も出ていない。
だが一見調子が良さそうに見えるこの小隊も、誰もが憤りを宿した顔を見せている。
その理由は単純、我が軍が決定的に弱いからだ。
この陣営の兵のほとんどが徴兵、しかもろくな訓練もしていない。
おまけに指揮官はこれが初陣でも酷いと言われるほどの兵裁きだ。
こちらが数や士気で負けているのにも関わらず、正面から突撃せよという。
しかも敵は丘の上、地の利はあちらにある。
本当にこれで勝てるとでも思ったのだろうか。
だがそれは仕方ないのかもしれない。
我が王朝は何百年も平和状態が続き、隣国の勢力もあまり強いとは言えないため軍拡もしなかった。
結果、軍力は腐っていき、唐突に宣戦されるとこの様だ。
もちろん政府が焦って徴兵し、敵を迎撃しようとした。
だが敵の侵略軍に押し返され、領土の半分を占領されている。
紅の陣営から鳴り響く角笛が退却の合図を示す。
それと同時に敗走および追撃が始まった。
ヌイはその光景に悲壮な目線をよこした。
ここもまたこの軍の甘いところだ。
退却と敗走は同義ではないと。
「退くぞ!槍を構えて敵を近づけさせるな!」
そのヌイの号令と共に小隊は素早く、そして的確に後退を開始する。
槍による敵の追撃を相殺し、巧みに孤立しないよう敗走する味方に張り付いていた。
ヌイが戦場を抜け出す隙を伺っていると、不意に遠くから大地が揺れたような音がした。
巨人が大地を踏みつけたような不吉な音……
「チェンマット隊長、あれは……」
隊員の一人が不信な顔を見せながら、ヌイに聞いた。
その音が近づいてくるにつれ、ヌイの顔が青ざめていく。
──間違いない、あれは……
「各員散開せよ! デカいのが来るッ!」
ヌイの
敵の新兵がそこを狙って襲いかかってきたが、それ古参の敵兵らはとっくにどこかへ散っている。
そして小刻みに現れる地震が戦神の到来を示す。
その大気を震えさせる管楽器のような咆哮が前線を圧倒した。
ヌイは反射的に死体に潜り込み、息を潜める。
単横の隊列を組む戦象たちは敵も味方も関係なく踏み潰し、人の何倍もの速度で紅の陣営に斬り込む。
その巨躯に戦慄した者は容赦なく乗り手の槍に貫かれる。
戦象に槍で突いても、その獰猛な突撃は止まらない。
紅の陣営は崩壊した。ただ敗走、もしくは投降する兵のみだ。
ヌイは黙って、その
幸い、ヌイは踏まれていない。
戦象が踏み荒らした後の戦場は過疎であった。
ただ死体だけが積もっている。
紅の陣営はとっくに走り去り、黒の陣営は後退して再編成している。
ヌイは立ち上がり、辺りを見渡す。
そこにはヌイの小隊が見当たらなかった。
逃げ切ったのだろうか……
ヌイは黙って戦場の端を、ただ敵に見つからないよう祈りながら走った。
兵士とはこういうものだ。
腐った命令のもとで戦い、理不尽に死ぬ。
ヌイはそう割り切っていた。
──それにしても、まさかここに戦象を投入してくるとは……
ひたすらそのことについて考えていた。
この戦闘は防衛戦とはいえ小規模であるはずだ。
しかも防衛するのも小規模な街。
死力を尽くして奪い取る、もしくは守り抜く必要がないような街のはずだ。
──もしくは、ウグーの戦力が強過ぎるのか……?
だとしたらユッタヤーの敗北は確実だ。
さきの戦闘の紅の陣営がユッタヤー、黒の陣営がウグーと呼ばれる。
二つの王朝は東西に位置しており、昔からそう友好が良くない関係であった。
といっても、もともとウグーは弱小国のはずだった。
だが二十年前に新たな王が即位すると、ウグーの中で富国強兵の動きが活発になる。
そして、ユッタヤーに領土を拡張する野心の思想が広まっていた。
そのウグーを見くびっていたのがユッタヤーの敗因だ。
一方、とにかく一方行に走っていると村が見えた。火の手を上げている村が……
不吉な予感と共に、ヌイはその村に近づいた。
距離が迫るにつれて、村の中が人で混んでいるのが分かる。
さらに近くなると、黒の鎧を着けた兵らが村を襲っているのが分かった。
近づかない方が良いと理性が語りかけるも、ヌイは村の中に紛れ込む。
ヌイには打算があった。
ウグーの兵は油断しているであろう。
それに鎧といっても軽い胸当てほどしか着けていない。
煙に紛れて後ろから首を刺せば良い。
石垣の家を見つけると即座にそこに入り込む。
すると、そこには鍋の中にある料理を貪り食う一人のウグーの兵がいた。
ヌイはすぐさま息を殺す。
そいつはヌイに気づいていない。
素早くそいつの背後に忍び、腰の短剣を抜いた。
感づいたウグーの兵が振り返るか否や、ヌイはその首に短剣を刺しこんだ。
その衝撃にウグーの兵の動きが止まり、そして倒れた。
そいつが持っていた長剣と短剣を鞘ごと剥ぎ取り、自分の腰にかける。
ヌイにとって長剣は必要なものだった。
ヌイが辺りを見渡すと、さきのウグー兵が貪っていた鍋が目に止まる。
中には灰の悪臭に紛れ旨みのある香りを漂わせる粥があった。
なかなか美味しそうなものだが、さっきの兵の飛び血が混ざりこんでしまっている。
不意に扉の方から足音が聞こえた。
それを反射的に、ヌイが部屋の死角に身を隠す。
入ってきたのはウグーの兵だ。そして粥の香りに惹かれたのか、こちらへ歩み寄ってくる。
気配を察される前に、ヌイがウグー兵に襲いかかる。
短剣を首に刺し、その体を蹴り飛ばした。
その死体から一枚の紙切れが落ちる事に気がつく。
それを拾うと、このあたりの地図と、この村に丸が描かれていることを知る。
どうやら偶然通りかかったから襲った、とは違うようだ。
ヌイは窓から外を見やる。
そこには進められる略奪と、村人の逃走が見受けられた。
だが、一つ違和感を持つ箇所がある。
とある石垣の民家にウグーの兵たちが何人か集まり、その扉を叩いていたのだ。
扉が
特に何と言う理由は無い。
強いて言えば偽善めいた正義心ゆえだろう。
ヌイはそいつらの背後の忍び込んだ。
彼らをまとめて殺すだけの自信と、その計画が彼にはあった。
まず、向かいの石垣の家の中に隠れる。
そして、さっき剥ぎ取った短剣を、兵らが押し寄せる民家の横の壁に投げつけた。
石と鉄が甲高い音を鳴らし、押し寄せる兵全員の目を奪った。
四人。それが奴らの数だ。
そのうち二人がそこに警戒するように近づいた。
そこにヌイが民家から飛び出し、炎に紛れながら彼らの背後に忍ぶ。
一人が短剣を拾いにしゃがんだ時だ。
ヌイはまず長剣で立っている方の首を斬り、反対の手に持った短剣でしゃがんでいる方を刺した。
だが、それは首ではなく肩を貫いていた。
ヌイがそれに気がつくや否やその兵が悲鳴を上げた。
ヌイは焦ってその首を刺し直したが、背後から駆けつけてくる足音が聞こえた。
そして影で息を潜めながら、聞き耳を立てた。
向こう側でウグーの兵たちが何やら話しているのが聞こえる。
──こういう時は利き手だけでやった方がいいな……
そうヌイは後悔していた。
そして気配を気づかれないよう、壁の角から伺った。
この民家の側面には三人。
これ以上集まる様子はなさそうだ。
もう囮に使える短剣は無い。
そう考えながら辺りを見渡すと、民家の壁に沿って壺がいくつか置いてあったことに気がつく。
ヌイはその壺である作戦を閃かせた。
その壺を一つ、あえてウグー兵らが気づくように転がした。
そしてもう一つの壺を持って構える。
足音が近づいてくる。
音の間隔から察するに二人ほどだろう。
その時ヌイは勝ちを確信した。
ウグーの兵が現れた瞬間にその壺を投げつけた。
それは一人の頭に派手に衝突し、砕けた。
そいつが倒れるうちに、反射するようにもう一人が飛び出てきた。
そこを容赦なくヌイが長剣で首を斬り捨てる。
壺を受けて倒れた者を、長剣で
そのまま民家の裏から飛び出し、民家の横にいた兵が反応する前に薙ぎ払う。
兵の死体が倒れた音は炎が役く音に掻き消され、誰も気付いていない。
民家の側面から表を伺うと、そこには兵が一人だけがいた。
そして向こうを向いている。
好機と見たヌイが長剣を片手に襲いかかった。
その刹那、その兵が振り返り、剣を抜いた。
ヌイは内心で舌打ちする。
その首を狙って剣を突きだすが、その兵に剣で相殺された。
それにより甲高い金属音が響く。
──クソったれが……
ヌイはそう強く思っていた。
応援が来たらロクなことにならない。
剣を振るも、また相殺し、音が鳴る。
その音で、ヌイは明らかに怒りを顔に見せた。
左手を強く握り締め、敵の
その衝撃にその兵がよろめいた。
その隙を、剣で突く。
その時だった。突然民家の扉が開く。
中から二人の人影が出てくる。
炎の逆光でその姿がよく見えないが、一方が紅の鎧を着けていることが分かった。
味方だ。
「この村から脱出する!ついて来い!」
それは女性の声だった。力強そうな、そんな声。
二人はそう言うと村の外へ走り出す。ヌイもそれを追った。
◎
そして無事に村から離れることができた。
森の中で休憩し落ち着いたところで、ヌイは二人とも女性であるということを初めて知る。
一人は、農民のような服を着ているが、とにかく美しい十代の少女だった。
どこか高貴な印象さえも漂わせている。
正直ヌイは内心で心を弾ませていた。
もう一人は、紅の鎧を着た女性だった。
長身で、簡単に手だしできないような恐怖が感じとられる。
「殿下、お体は大丈夫ですか」
「ええ、ありがとうヴェーラ」
その言葉にヌイは驚いた。
このヴェーラと呼ばれた長身の女性が、この農民の少女を「殿下」と呼んでいる。
その真意を伺うべくヌイは恐る恐る聞いた。
「あなたのお名前は……」
その言葉に答えるように少女はゆっくりと立ち上がった。
その仕草から、威厳、高圧に近いものを感じた。
その少女はその鳥のさえずりのような声を、冷徹な響きを持たせて言い放った。
「ユッタヤーの姫、スリーヤ・アドミナータでございます」
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