タラの目

ヒロユキ

タラの目

部屋の奥に入った。


キッチンとリビングが一体化している構造だ。日差しは夕方の光を受け入れている。

昨日の魚料理のにおいがまだ残っている。生臭いにおいが部屋中にたちこめている。


キッチンにはまだ、洗っていない皿や鍋が水に浸かっている。



今日は、まだひとりだ。住人は僕と、彼女のふたり。2人暮らし。



鋭いナイフのようにな視線を感じた。ふと後ろを振り返る。誰もいない。


キッチンの方へ向かう。破片が見つかる。魚の原型はないが、忘れられない。

昨日の夜に調理した、はずの、魚の目が。




『だから、言ったのよ。切り身を買えばよかったって』


『アラの方が安いし、身の量も多いんだ。それに、調理は僕がやるから』


『生臭いのよ。気持ち悪いわ』


僕の背中から彼女の野次が入る。確かににおいは強烈だ。お買得のパックには

たら、と表示されている。


ぶつ切りの魚から骨を抜く。ふと、かしらが顔を出した。黒い目がゆがんでいる。

タラの目だ。一瞬手がとまった。



我にかえり、両手でつかんでゴミ袋にいれた。




昨日のゴミ袋はまだある。異臭を防ぐために二重のビニール袋でしばった。

すこし顔をよせてみる。異臭はここからだと思ったからだ。


においはしなかった。むしろ、なにもにおいがしない。生臭くもない。


・・・おかしい。


キッチンの水場を端から鼻を鳴らしてみる。


・・・どこだ?

『ピンポーン』


彼女がかえってきたのか?それとも郵便か配達か。


『お荷物のお届け物です』


『サインでいですか?』


『では、ここにお願いします』


荷物は両手で何とか抱えられる大きさだ。


サインをして、ドアを閉める。




差出人の名前を確認したら、『タラ』と表記してある。


背筋が凍る。昨日のタラが思い浮かぶ。荷物を開ける手が止まった。




リビングの机に置いて、もう一度キッチンにもどる。


さっきのたらの頭が入ったビニール袋を確認するためだ。


息が荒くなる。手元が震えだした。はさみでビニール袋の持ち手を切る。



タラの頭ははいっていた。しかし、生臭くない。一日ゴミ箱の中に置いてるのに。

タラの目はちゃんとついる。僕は妙な安堵を感じながらタラの頭を取り出した。


そっと口を近づけ、キスを。


僕はタラにキスをした。


『なんで、そんなに死んでもやさしいんだ?』

 (生臭い、死臭を放っていいんだよ?)


『なあ、お前くやしかったんだろ?だから、荷物なんか送って』

 (箱の中にはお前の仲間がいるんだろ?)

 (お前のかたきを討とうと潜んでいるんだろ?)


目頭が熱くなって涙がこぼれだした。僕は変だ。これは、人間的に変だ。


荷物をさっきのはさみで開けてみる。中にはタラがたくさんはいっていた。切り身のタラが

 何枚も。何枚も。



『昨日の、魚を調理する目。気持ち悪かったんだもん。』


彼女がいつの間にか立っていた。送り主は彼女だったのか。


『これからは切り身にしましょう。あなたを殺戮さんにしたくないの』


『こいつは死んでも、頭だけになっても死臭がしないだろ?

                 最後のやさしさを僕は無駄にしたくない』


『きもちわるい。魚に同情するなんて。変よ。それにキッチンから生臭いにおいするわ』


『こいつの頭からじゃない。ウンと、野菜?昨日使った白菜とみず菜?あと豆腐?

昨日の料理は全部食べただろ。ほら、洗ってない皿からだよ』


『ねえ?なんで頭は臭わないでお皿だけ臭うの?』


『ほら、食べ残しが、すこし。スープと豆腐とタラの骨だ。』



『はやく洗ってよ。気持ち悪い。』

彼女は洗剤をとって手早くキッチンの皿にかける。たくさん。たくさん、かけ続ける。


ねえ、洗い流してよ。私、気持ち悪いから。死臭なんて言葉使わなくていいんじゃない?

大げさなんじゃない?そんなに気を遣わなくていいんじゃない?バカなんじゃない?



彼女はそういいながら、泣き崩れた。


なんでだろう。妙な日だ。




夕方の光がひどくやさしく包む。泣いている彼女の後姿に黒い影がのっぺりと広がっていた。


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