怠惰な死体・1
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2014年という年は様々な意味で一事件記者にしか過ぎない私にとって衝撃的な一年だった。
その年は屠蘇の酔いも未だ冷めやらぬ年度当初から恐るべき事件と鮮烈的な出会いに同時に出くわした私自身の奇妙な現実体験もさることながら、今まで恐怖小説や推理小説の中でしか出会ったことがないような様々な怪事件や怪しげな出来事や猟奇的な噂が幾層にもなって重なりあい、縺れ、絡まりあい、複雑怪奇を窮めたような陰惨にして筆舌に尽くしがたい事件の数々が起こった年でもある。
この平和な日本の大都会東京にあって犯罪事件の記者などという殺伐とした仕事をしてはいるものの、さした禍福もなく32年という人生を過ごし、平々凡々と緩やかな流れのままに生きてきた私が、まさか運命という名の巨大な奔流に流され、溺れてしまいそうな濁流に巻き込まれてしまうなど、その時は露ほども知りようがなかったものである。
無論、運命などと軽々しく大袈裟に口にしてよいものでもないが、現実の悪夢となれば話は別だろう。それはまさしく運命的な悪夢との邂逅だった。
それは荒らぶる狂雷と風雨にも似て傘もなき現実にひたすらに降り注ぎ、脆弱な私の精神を完膚なきまでに揺さぶっては叩き伏せ、総身と頭の震えを止まらなくさせた。学生時代に好んで読んでいたH.Pラブクラフトの恐怖小説の表現を借りるなら、正に名状し難い悪夢のような一年であったのだ。
何を馬鹿な大袈裟なと読者諸氏には嘲笑されそうだが、事実2013年からその年は近年の犯罪事情にはめずらしいくらいの犯罪事件の当たり年で、世間の方でもやや異常な興奮と狂騒をもって歓迎されていた事件も多かったことは賢明なる読者諸氏なら覚えておいでのことだろう。
今やインターネットが生活の一部となってスマホやガラケーという言葉で区別し、“スマホ歩き”に“ながら食べ”などマナーを嗜められるほど日常茶飯事に使われるようになってくると、過去の犯罪事件や出来事など、即座にアーカイブとして処理されデータ化していくだけにすら思えてくるものである。
殊に犯罪事件の記者などをしていると呆れるほど様々な事件を取材するものだ。中には不景気な世相を反映したような貧窮きわまっての事件もあれば、政治的な思想や民族的背景に端を発する事件も、身の毛もよだつような凶悪な犯罪事件も昨今とみに急増している外国人による犯罪事件もある。
事件記者としての私の経験からいえば、昨年などは誠に不謹慎な表現ではあるが大豊作の年であったのだ。
事件記者としての本分で前年2013年の主な犯罪事件を時系列に並べ、列記していくと、けっしてこの国が平和などではないことがわかる。
読者諸氏にとっては現代の闇を照らすというには、あまりに生々しく痛々しい傷を抉るような最近の記憶を掘り起こすもので誠に恐縮ではあるのだが、私はこれらを記憶の墓場に眠らせてしまうようなことはできない質だ。これは人としての性分である。
2月には吉祥寺女性強殺事件が発生したし、その翌月の3月には江田島市のカキ養殖加工会社で中国人の技能実習生により、同工場の日本人経営者を含めた社員8人が殺傷された事件も起こっている。
6月には千葉県習志野市の遊歩道脇で凶悪な殺人事件も起こった。千葉県警による正式な呼称は千葉県習志野市茜浜一丁目における女性殺人事件だが、この事件は警察庁捜査特別報奨金(公的懸賞金)対象事件に指定されるとまで聞く。
7月には山口県の周南市金峰(旧鹿野町)で発生した、近隣に住む高齢者5人が殺害された連続殺人・放火事件が起こっている。
8月には電子掲示板の有料サービスの利用会員の個人情報がネットワーク上に大量に流出した情報漏洩事件も起こっている。
同月の8月25日には三重県で中3女子死亡事件が起きている。これは私も取材に現地へと赴いた。三重県警による正式な呼称は三重郡朝日町地内における女子中学生強盗殺人・死体遺棄事件で当初は強盗殺人事件として扱われたが、後に強制わいせつ致死罪・窃盗罪での立件となった。実に酷い事件であったと記憶している。
10月8日の東京都三鷹市で発生した殺人事件も記憶に新しい。21歳の男が元交際相手の18歳女子高生にストーカー行為を繰り返したのち刺殺した事件で本事件が誘引となり、リベンジポルノの関連法案が成立したとも聞く。加害者の身柄はいずれ東京地裁に移され、判決が下されることになるのであろう。
12月19日には大手フードサービスの社長射殺事件も起こっている。当時の社長が路上で射殺された事件は衝撃的で、凶器が消音機付きにカスタマイズされた拳銃での殺害であろうということもあり暴力団絡みのプロフェッショナルの犯行ではないか、朝鮮半島や中国大陸経由の殺し屋の仕業ではないかとも噂され、ずいぶんと物議を醸した。
そして迎えたのが、2014年である。私が事件記者としてこの年をテーマにしてこの小説を書き下ろそうと決意したのは、ひとえに都会で夥しいほどに生まれては人の記憶に消えていく事件の数々は今や多様化し過ぎており、最前も記したように人間を置き去りにしている感覚すら覚えたからというその一言に尽きるのである。
事件は人が作り上げ、人によって語られ、人によって記され、来し方から行く末まであらゆる形で残され、記憶と記録に刻まれていくものであろう。そこに人間性を置き去りにしておくことは出来ない。
追々記していくことになるが、私が出会った奇怪な事件の数々もいずれは過去となり、そして未来へと紡いでいかれる宿命にある。
今やTwitterやFacebook、LINEにSkype、YouTubeにUstreamといった動画サイトやSNSも含めて現代に住む人々の高度な情報社会に裏打ちされたアプリケーションやコミュニケーションツールの数々とその操り方は実にバラエティーに富み、情報の革新を経て双方向社会の過渡期に至ったと感じるところである。
検索情報サイトの利便性は元より情報を引き出すことも、個人での情報掲示板の利用も個人で情報の配信をも可能となった世界であっても細部に至るまで事件のディテールを事細かく一人称で記したものはそうそうあるまい。
今や外国人をも巻き込んで多様化する現代日本の犯罪や事件というものに対して私自身が警鐘を鳴らしたいということもあるが、それらはあくまで本書にとっては副次的な要素に過ぎない。誠に不遜ながら、これから私が書き記す事件の数々は読者諸氏にとっては遥かに読物としての色彩が強いと感じるはずであるし、極力そうしたスタンスで書いてもいる。
前置きが長くなったが、読者諸氏にとって本書は物語という形で進展していくことになる。それこそ推理小説や怪奇小説、事件によってはホラー色の強い恐怖小説を読む感覚となろう。親愛なる読者諸氏の捉え方はどうあれ、本書に出てくる事件は正に怪奇と幻想に彩られた謎の数々である。存分にその謎と悪夢のもたらす幻想に酔いしれ、驚嘆してほしいし、作者としては世間を騒がせた複雑怪奇な事件の謎の様相に挑戦して戴きたいという腹積もりなのである。些か不謹慎ではあるが、それこそ事件を風化させ、記憶の墓場に無為に消えては忘れられていく犯罪事件に対する私なりの明確なレジスタントであると信じるからである。
無論のこと本書を記すにあたってはプライバシーの保護には最新の注意を払ったし、一時の話題性を狙っての一過性のものでもない。私はあくまで事件の傍観者や記録係としての立場は貫きつつも、作中では登場人物の一人にしか過ぎず、一切の支障を来さない読物となっているはずである。
本書に記された事件は既に終わった事件であり、事件の裏側の話も混じることになろう。読者諸氏にとって某かの手慰みになればと書き起こした本書だが、往年の先達の作品群のように読者諸氏を怪奇と悪夢と幻想と冒険の旅に深く誘うものであることを願いつつ綴っていくことにしよう。
また、本書を書き下ろすにあたっては敬愛する友人達と信頼と実績あるS社の協力なくしては生まれえなかったことに深く感謝し、多大な恩義を賜ったことを重ねてこの場を借りて明記しておこう。
まずは2014年の初冬に起こった、一都三県を跨いで起こり、A新聞に『怠惰な死体』とも報道された、あの忌まわしくも奇怪で恐ろしい猟奇殺人事件の始まりから記していこう。
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