第五話

 情報収集を済ませた3人は、執務室から出て、セレナ達のいる彼女用の居間へと向かう。


 エレアノールもアメリアも、洗い替えを持ち出す余裕が無く、それぞれ、『公国』教会の『聖女』用修道服と、『公国』軍制式の作業服姿だった。

 ちなみに、長身のアメリアは女性用ではサイズが無かったため、仕方なく男性用を着ている。


 執務室と居間の中間地点付近に差し掛かったところで、


「あれからお身体の具合はいかがですか。マドック中尉」


 2人の前を歩くレオンが足を止め、アメリアの方を見てそう訊く。


「はい。おかげさまでそれ程問題はありません」

「嘘おっしゃい。歩くのがやっとでしょうに」


 疲れを感じさせない、いつも通りの引き締まった表情で返したアメリアだったが、横にいるエレアノールは彼女をジトッとした目で見上げてそう指摘する。


「そんな事はありませんエレアノール様。顔色もこの通り悪くはないはずです」

「私、あなたはそこまで肌の色が濃くない、と思っていたのだけれど?」

「気のせいで――」

「アメリアさん。私、うそつきは大嫌いですわよ」

「……申し訳ありません」


 なんとかはぐらかそうとしたが、エレアノールの険しい表情と言葉に、アメリアは素直に嘘を認めた。


 エレアノールは朝一番から、アメリアが顔色をファンデーションで隠しているのには気がついていた。


「大体に、こんな小手先だけで隠そうったって無駄ですわよ。私達、一体どれだけ一緒にいると思っているんですの?」


 廊下の壁側で、メイドに持ってきてもらったスツールに座るアメリアは、エレアノールにファンデーションを落とされながら、クドクドと説教されていた。


「全くもう。私の事を大切に思っているのは分かりますけれど、そんな事をしていたらいつか死にますわよあなた」


 しかし、そんなエレアノールの心配そうに眉尻を下げる表情には、アメリアへの深い愛があふれ出んばかりだった。


「私といたしましては、あなたをおまもり出来るのならば、それは本望なのですが」

「アーメーリーアーさーんー?」

「痛いですエレアノール様……」


 化粧落としを染みこませたガーゼで、反論したアメリアは顔をグリグリこすられた。


 その光景を少し離れた所の柱に寄りかかり、目を細めて眺めるレオンは、


 セレナもよく、こんな感じにやってくれてたっけ……。


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた実妹と、エレアノールとを重ね合わせていた。




『兄様! ちゃんとご飯を食べて下さいっ』


 『大連合』北西方面軍時代、あてがわれた兵舎の自室で、戦術書を読みあさっていた所に、セレナがノックもせずに突入してきた。


『あ、ああ。もうそんな時間――って、セレナが持って来なくても良いんだよ』


 レオンは慌てて椅子から立ち上がり、彼女が持ってきた、お手製のサンドイッチの皿と、湯気の立つコーヒーカップを乗せたトレーを受け取り、デスクの上に置いた。


 セレナの背後には、彼女の世話係のシスターと、正式に副官となったばかりのレイラがいて、2人は無事に届けられた事に胸をなで下ろしていた。


『だって兄様、こうでもしないと召し上がって下さらないでしょう?』

『いや、そんな事はないよ』

『放っておいたら一食だけしか食べなかった、って私聞いたのですけれど』

『……それは』

『嘘をくのはいけないと思います。兄様』

『ごめん……。と、ともかく、わざわざありがとう。でも、この部屋埃ほこりっぽいし、早く出た方がいいんじゃないかな?』


 じとーっ、と見られて罪悪感に耐えきれず謝ったレオンは、気管支が弱いセレナの気を遣って部屋から出そうとする。


『では、早く召し上がって下さい。兄様が完食されるのを見届けたら帰ります』


 ちゃんと食べるから、と言っても、少しせきが出始めても、頑として動こうとしないので、レオンはできるだけ早くハムレタス、卵、ツナのサンドイッチを完食した。


『これでいいかい?』

『はい。兄様、お味はいかがでした?』

『ああ。美味しかったよ』

『それは良かったです』


 兄に褒められて、ニコニコと上機嫌のセレナは、満足そうに小さく笑って部屋から出ていった。




「もしもし? 立ったまま寝てますのー?」


 アメリアの化粧落としと休憩が終わり、出発しましょう、と声をかけたが反応しなかったので、エレアノールは怪訝けげんそうにレオンへ再度呼びかけた。


「――あっ、これは失礼」


 やっと反応したレオンは、自身の胸に手を当てて彼女にびた後、再び歩き出した。

 ちなみにエレアノールの傍らのアメリアは、相変わらず顔色が優れていない。


「考え事されていましたの?」

「いえ。ただ少し、妹の事を思い出していまして……」

「ああ、例の」

「はい」

「となると、随分と仲の良いご兄妹きようだいでしたのね」

「まあ両親を失ってから、長らくお互いしか頼れる相手がいなかったもので、ね」


 レオンは表情こそ笑みが見せるが、彼の瞳の奥は、底知れない寂しさをたたえていた。


「ああ。気にされないで下さい。それが戦争、というものですから」


 さっぱりとした言い方とは裏腹に、その言葉はかなりの重さを持っていた。


「――だから、あなたはまもるために戦うんですのね」

「ええ。こんな思い、僕だけで十分ですから」


 ロザリオの入った軍服の胸ポケットに、レオンは握るように触れて、強い寂寥せきりょう感とより強い責任感を感じる笑みでそう言った。


「随分と、いろいろなものを背負い込んだ生き方ですわね」

「そういう定めなのでしょう」

「あなたに惚れた人は苦労しますわね。間違いなく」


 明らかに特定のレイラを指している、イタズラっぽいエレアノールの言葉に、レオンは困ったように笑っていると、


「あっ、いたー。えれあのーるおねえさまー」


 進む先にある廊下の角から、マリーが顔をひょっこりとのぞかせた。


 彼女はいつも通りのレオンではなく、エレアノールめがけて真っぐ走ってきた。


「きて」

「ちょっ!?」


 マリーは彼女の服の袖をつかんで、とにかくぐいぐい引っ張っていこうとする。


「なんなんですの!?」

「きて」


 アメリアは力尽くで引っぺがすわけにも行かないので、困惑する主人が転ばない様に手を伸ばす用意しかできない。


「マリー。何の用か言わないと分らないよ」

「それもそうだな。すまない」

「ひゃあ!?」


 突然手を放されたエレアノールは、踏ん張っていた反動でひっくり返りかけたが、アメリアに支えられて事なきを得た。


「こうじょさまがないて、へやからでてこなくなった」

「ああ、知らせをもう聞いたんですのね……」

「たぶん」


 自分から説明しようと思っていたエレアノールは、沈痛の面持ちで顔を伏せ、首から提げたロザリオを握った。

 その傍らで、アメリアは下唇を噛みながら、主人の次の動きを待つ。


「……行きますわよ、アメリアさん」

「はっ」


 間もなく、顔を上げて前を真っ直ぐ見据えたエレアノールは、アメリアを従えて、ブリュンヒルトのいるゲストルームへと歩き出した。


「僕達は、いない方が良いかな?」

「ええ」


 マリーの頭を撫でるレオンが、エレアノールの長い銀髪が揺れる背中へ訊ねると、彼女はピタリと止まってそう答えると、再び歩き始めた。


 2人の姿が角を曲がって見えなくなってから、


「これからどうするつもりだ?」


 レオンに抱っこを求めながら、マリーは彼の目を真っ直ぐ見上げつつそう問う。


 一つ深呼吸をしたレオンは、口角を少し上げて、全く迷わずにその問いへと答える。


「もちろん、ブリュンヒルト殿下でんかがこれ以上悲しまないよう護るだけさ。『英雄』らしく、ね」

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