第49話 決 着《けっちゃく》
イラが見上げた場所にあったのは自らが決着をつけるべく追っていた一ノ瀬タクト本人の顔であった。イラは自分がお姫様抱っこされていることにハッとして身を強張らせた。たとえ今の見た目が真っ赤なバッタの化け物であるとしても、中身は18歳の女の子であるのだ。
タクトはスッとかがむと、そっとイラを下におろして一瞬だけ彼女に向かって視線を移し、小さな声で呟いた。
「お前は仲間を殺した敵だ。俺はお前を許さない。だが、仲間を助けてくれたのはこれで二度目だ。その事には素直に感謝する。……ありがとう。」
タクトは立ち上がり今日子さんを救出している小森に思念通信を送る。彼女は
『小森係長、副所長と菱木さんをお願いいたします。俺はこの化け物を何とかします。』
『……分かった。ここは任せる。頼んだぞ、一ノ瀬!』
『タクト君、気を付けて。』
『了解!!』
元々戦闘用装備が少なく、237号との戦闘で疲労した
地下ゲートから脱出し、地上で合流した小森係長は当初この現場に遭遇し、イラを囮にして脱出する事を提案した。こちらは怪我人を 抱えている上に満身創痍だ。それが当然の策だろう。
だが、イラの危機に際し、僕は助けに入ってしまった。理由はどうあれ、以前犀川と僕を助け、今また今日子さんを庇って戦っている様にも見えたからだ。敵に対して容赦のない態度を取る反面、彼女自身に何らかの
小森係長的には得策ではないという思いもあったのだろう。一瞬迷った上で僕に任せるとの言葉が出たのは、現状それが最善手であるとの僕の判断を信じてくれたからに違いない。
僕はその判断に応えなければならないのだ。
巨大な影が森の中でヌルリと蠢くと、黄色く光る目が獲物を捕らえ、その凶悪な
数メートルの距離を一瞬にして埋めるその敏捷さでタクトの間合いに踏み込み自慢の牙を突き立てる。激しく噛み合う上顎と下顎。だが、そこに予定していた獲物の感触はない。勢いそのままに建物の壁に激突し、壁を大きく破損させる。
「イラ! まだ動けないなら下がってろ!」
「ちぃ! 私に命令するな!!」
タクトの腕を振り払うと軽くジャンプしてクロコとの距離を取る。タクトの言葉と行動に
先ほどに比べれば身体は動ける程度まで回復している。【E】ほどではないが戦闘中でもある程度までの回復をする事が出来るのだ。だが、イラの混乱した心が動きに精彩を欠く結果となっていた。
この程度の敵に苦戦を強いられ、あまつさえ敵である【E】に二度も窮地を救われるなど、屈辱と自らの非力さにいろいろな感情が綯い交ぜになっていく。
『感謝する、ありがとう。』だと……ふざけるな、私は敵だぞ。何なのだこの男は!
表面上の気持ちとは裏腹に、何とも表現しづらい感情にイラの心は支配されていた。
建物の壁を破壊しながら身を翻したクロコはまだ動きが鈍いイラへと攻撃の標的を変更すると、凄まじい突進力で彼女へと迫る!
左手を失った事でスピードこそ落ちたものの、その巨体を生かした体当たりはまともに食らえばただではすまない。激突のダメージだけでなく、強靭な外部皮膚装甲でアドプテイションセンターの外壁の様にズタズタに引き裂かれるだろう。
クロコの猛烈な突進をジャンプし、身体をひねってギリギリでかわすと、その回転力を生かした回し蹴りを鰐男の胴体に叩き込む!
『ちぃ! やはり、内側からの攻撃しかまともにダメージを与えられないか!』
完全に回復した訳ではないイラの攻撃では外部皮膚装甲に守られたクロコにはダメージが通らない。
着地のスキを突くように尻尾による攻撃がイラの左腕を掠める。掠めただけであるのに骨がビリビリと痺れるような感覚さえ感じた。
獲物を捕らえる事なく、大地に叩き付けられた尻尾で巻き上がった砂ぼこりに、数秒視界が奪われた。
砂ぼこりを引き裂いて迫るクロコの巨大な右腕はイラの顔面を捕らえており、回避不能。イラをしてそう思われたクロコの攻撃は吐息が届くほどの距離で弾かれ跳ね上げられた。
イラの眼前に現れた魔方陣によって。
「
タクトの展開した魔方陣によって跳ね上げられたクロコの右腕は弱点である柔らかい内側を晒していた。
イラは右腕から伸ばした超振動ブレイドをクロコの二の腕に押し当てると、自身の体重を乗せた回転を加えた!
「ねじり斬るっ!!」
「ぐわっっぶ、ぐぎゃあぁぁぁぁぁあっ!」
クロコの胃の下を捻り切るような叫びと共に左腕が大量の血液を撒き散らしながら、ドサリと地に落ちる。
両手を失って仰け反るクロコのがら空きになった懐に飛び込んだタクトは両手を腹の部分に当ててこう叫んだ!
「超振動波っ!!」
クロコの身体の前後に幾重にも重なった斥力魔方陣が時間差で展開された。クロコの身体の内部に起こった高周波振動が内臓や筋肉をズタズタに破壊していく。棒立ちとなった鰐男は支える筋肉を失って緩んだ腹の皮がたわんで崩れ落ち始めた。
タクトが後方へ飛んで距離を取ると、入れ替わるように全身を炎で染め上げたイラが仰向けに倒れていくクロコの腹に拳を叩き込む。
「我が身、我が拳の炎で燃え尽きろ、そして消え去れっ、
全身に燃え盛る炎の嵐を拳へと集中させると、その燃え盛る拳を体内にめり込ませ、内部で爆炎を撒き散らした!
体内の水分を高温の熱で焼き尽くされ体内で水蒸気爆発を起こした鰐男は、悲鳴を上げる事も出来ずに爆散し跡形も無く燃え尽きた。
「いつかは私も地獄行き、先に向こうで待っていろ。」
燃えカスとなったクロコにイラは吐き捨てると【E】を探して辺りを見渡す。
先程までの死闘が嘘のように、辺りを静かに闇が包んでいる。【E】は姿どころか気配すらも感じる事が出来ないほど完璧に姿をくらませていた。
「くそっ、逃げられた。」
イラは回収班に連絡を取り、合流場所を指定して電話を切ると大きくため息をついた。その拍子に思い出したのは【E】の顔……抱き抱えられて見上げたあの時の顔だ。自分の顔が少し上気した気がして大きく頭を振ってそれを否定する。次の瞬間、腕を取って抱き寄せられた映像が昆虫の複眼の様に大量に埋め尽くされた。
「わっ、わぁー、消えろ、消えろ、燃え散れ!! はぁ、はぁ、はぁ、………。」
何なんだ私は、どうなってしまったんだ? あれは敵だ、倒すべき敵だ。敵だ、敵だ、敵だ! 戦闘員【E】……いいや、一ノ瀬タクト、次は必ず、必ずきっと……。
この日イラを回収した救援部隊のメンバーは全員、この日の事を何を聞かれても何も答えなかったと記録に残っている。ただ、一言だけ『死にたくない。』と洩らしたらしい。
そして当の本人はぶつぶつと何かを呪文の様に唱え続け、一晩中眠れなかったという。
ーつづくー
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