第90話 銀杏の危機

(一)

 夜半、星野吉実が千人で籠る筑後白石城を望む合原の地に、肥前、肥後、筑後から龍造寺方の兵が続々と参集していた。隆信は合原中央に設営した本陣で苦虫をかみつぶしたような顔をしている。


星野を正直舐めすぎたか。


 白石城は意外と堅固、立て篭もる星野勢の士気も高く、昼間にひと呑みにしてくれんと行った三人の息子たちが率いる龍造寺本軍一万での強襲は散々な結果に終わった。


「四天王を連れてくるべきでしたかいな…。」


 木下昌直の、いつもの上方言葉でのぼやきも今日は一層癇に障る。

その間も肥前、筑後、肥後の国人たちによって、兵糧攻めのための白石城の包囲網が着々と築かれつつある。


 ほやけど…こいじゃ勝てへんで。


 昌直は内心舌打した。

 自分自身、最近慢心気味なのか。星野は力攻めでいけると踏んで兵糧攻めに必要な手配はしていない。星野が治める八女は山間部だが土地が肥え、おそらく兵糧米の備蓄もたっぷりあるはず。落とすのに最低でも一月、最悪なら三月はかかるだろう。それなのに、こちらの兵糧はと言えば自軍の分ですら十日ほど。国人から配給要請があれば三日ともつまい。


 こうなりゃ、こけおどしや。


 水も漏らさぬ包囲に、星野が震えあがり降伏してくるのを狙うしかないが…。山城である白石城を囲むには、まだまだ兵が足りない。


「星野の人質は殺したか…。」


 隆信が宙を見つめながら言った。

「へい。こうなることを予想しとったんか縁の無い娘を養女にして出しとったようで…吉実にすれば痛くもかゆくもないようでんな。」

 昌直をちらっと見て隆信は親指の爪を血がにじむほど噛んだ。


「国人どもはまだ揃わんのか!」


 昌直は肩をすくめながら答えた。

「あらかた揃いましたで…ただ…。」

「ただ何じゃ。」

「三千の兵役を申しつけた肥後の赤星がまだのようでんな。」


ちっ!


隆信が舌打した。

「隈部親永を呼べ!」

昌直はその剣幕に弾かれたように陣幕の外へ出た。


(二)

「急げ!夜が明ける前になんとしても白石に着くのじゃ!」


筑後への街道を駆けにかける赤星勢二千の先頭で統家が叫んだ。

動員命令を受けた残りの千名は寺本主税が必死に集めている。

集まり次第、筑後に急行する手筈だ。


とにかく自分だけでも何とか刻限に間に合わねば…


にこりと微笑む愛娘

自身の無さそうに笑う嫡男の顔


新六郎、銀杏 


不吉な思いを振り払うように顔を振ると、統家は北に向かって馬に鞭を入れた。


「そがんとばさんでん…夜明けまでにや十分間に合うばい。」

後ろから馬を寄せてくる者がいる。

「しかし、叔父上…。」

統家の叔父にあたる江崎美濃守が、百戦錬磨の将らしく無数の古傷のある顔をにっと崩した。

「気持ちはわかるばってん…あんまい急がすっと兵たちが参って脱落者が出る。十分間に合う…急がんでよかぞ。」

うなづいた統家だったが、今日に限ってどうしても不安が消えなかった。


「なんやて…本心からは従っとらんちゅうんかいな!」

昌直が大仰に驚いて見せた。

「ははっ…。仕方なく、一時的に…統家がそう言うのを自分も聞いたことがあります。」

親永が隆信の顔をちらちら窺いながら言う。

「一時的にやて!そらほんまかいな…。ほんまやったら龍造寺も舐められたもんやで!」

親永はしたり顔で昌直を見た。

「本当です。それが証拠に大友方の甲斐宗運と親しく接し、協闘までしております。最近は島津とも接近しておるともっぱらの噂で…。」

「なんやて!島津と…そら大事ちゃ!」

閉じられていた隆信の眼がかっと開いた。


「赤星の人質を殺せ!…いや、この陣屋まで連れてこい!」


平伏した親永

下を向いた顔は、にんまりと微笑んでいた。


「二人ともだっか?」

「…二人ともだ!」


昌直は赤星の人質・新六郎と銀杏を連れに、急ぎ水之江へと向かった。


(三)

なぜだろう…今日は眠れない。

銀杏は人質の姫たちと枕を並べて寝ている部屋の障子を音も無く開けた。


いま何刻だろう…。


少し肌寒い。

微かにりんりんと秋の虫の声がする。

中空には白い三日月がかかっている。


「どうかしたのですか?」


庭から声がかかった。

一瞬びくりとした銀杏だったが、声の主を見て安心した。


「小鶴様こそ…何をしていらっしゃるのですか?」


小鶴もなぜか眠れず…控えの間から庭へ歩き出たのだった。


「少しお話しましょうか。」


銀杏は誘われるまま庭に下りた。

城を散策しながら話をする。


「今は男の子ばかりだけど…私にも娘がいたのです。」


流行り病で亡くなった娘

生きていれば銀杏と同じくらいだと言う。


「とっても元気な娘でね…そうまるであなたみたいに。」


話しながら小鶴は自分で納得していた。

そうか…私はそれでこの娘に格別の思いを持っていたのか。


「私の母は優しいだけで…とても小鶴様のように強い人ではありません。」

「私は強くなんかありませんよ。」

「えっ!だって…薙刀も弓も。」

「強さとはそういうものではありません。銀杏の母上のように人にやさしく出来るのが本当の強さですよ。」

そんなものかな…

誾千代や小鶴の強さはわかりやすい

強さ…強さって

銀杏は首をかしげた。

それに思わず小鶴が微笑んだとき

「ここにおったぞ!」

突然声がした。

「何者です!」

銀杏を背中にかばって身構える小鶴

わらわらと平服の侍たちが取り囲む。

「お前たちは…木下昌直配下の上方者ですね!」

侍の一人がずいと歩を進めて言った。

「隆信公の御指図でござる。その娘を渡されよ。」

小鶴の顔色が変わった。

「殿の…?であれば命令状があろう。見せよ!」

侍は困った顔をした。

「そんなものはござらん。戦場での火急の命なれば…。」

「書状なくば殿の命か確かめようがない!私は人質を預かる役目として、確かめられぬ以上は渡せぬ。」

誰かが構うものか。ひっ捕えよと言った。

その声を聞いて、小鶴はにやりと笑った。

「よかろう…百武賢兼の妻、この小鶴が相手になってやる。かかってまいれ!」

さっと小束を抜き構える。

侍たちも刀に手をかけた。

殺気がむっと充満する。


「何しとんねん!やめや!」


こんこんという杖、あわせて足を引きづる音がせかせか近づいてきた。

「小鶴殿、わてが来たんや。こいでも信用ならんか。」

昌直の言葉にも小鶴は表情を変えない。

「むろん…。芳しからぬ噂の絶えぬ新参の軍師殿が言われたとて!」

「そうか…覚悟はできとんのやな。」

ぞわりと空気が動いた。

昌直が仕込に手をかけた。


やらぬ。この命に代えてもこの娘は守って見せる。


小鶴の決意は母のそれだった。

月を反射して、仕込から氷のような輝きがもれる。

小鶴は銀杏を背中にかばいながらじりじり下がる。

緊張が最高に高まったとき

すっ

銀杏が背中からするりと前に出た。


「何をしているのです!」


小鶴に振り返ると銀杏は微笑んだ。


「大丈夫!赤星の娘として、私は隆信公のもとへ参ります。」


(四)

三日月城の誾千代は眠れぬ夜を過ごしていた。


どうしたのだろう

気がたかぶって眠れぬ。


何やら胸騒ぎがするが、それが何なのかわからない。

空を見た。

藍色の空に白い三日月が静かに佇む。


「!」


中空に黒い点のようなもの

どんどん大きくなる。

何かこちらへ向かって来る。

かすかに躍動する四肢が見え

次第に大きくなった。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!


まさに宙を飛んでやってきた黒馬が城中、誾千代の前に降り立った。

何か言いたげな顔で誾千代の顔をじっと見る。


「乗れ…そう言うのか?」


黒馬はそうだと言わんばかりに深紅の尻尾をぶらぶらと振った。

誾千代は一度部屋に戻り、衣服を整え雷斬りの太刀をつかむと

すっと黒馬に跨った。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!


黒馬は一声いななくと南西の方角へ飛び立った。

















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