第89話 姦計

(一)

「親泰様、親泰様、殿から出陣の命でござりますぞ!」

一法師が廊下をどかどかとやってきた。

「親父が…。」

書状をむしり取るように広げた隈部親泰は、一瞥するや部屋の奥に向かって投げつけた。

「なんばなさっとですか!」

「熊、熊、熊、愛しい法姫ん仇…あの熊んために出陣したるごた無か!」

「お気持ちはわかりますばってん…。今や殿・親永様は肥後きっての龍造寺派。隆信公のお憶えも目出度く、そんご嫡男が兵を出すとを嫌がっちゃおれんでしょうが!」

「ふん!小賢しか親父らしかばい。犬んごつ尻尾ば振って、熊ん顔ば舐めくるくらいにご機嫌ば取りよっとだろう。」

「ご自身の親ばそがん言うもんじゃ無かですばい。こるは隈部家の当主ん命令、はよ陣ぶればせんですか!」

「しゃーしか(うるさい)奴…あーもう、わかったばい!」


今回の出兵先は筑後の星野家である。

復讐に燃える蒲池鎮漣によって城を失い直系は根絶やしにされたが、蒲池家滅亡直後に傍系が結束して城を取り戻し家を再興した。蒲池領を我がものとした龍造寺家との関係が問題だったが、現当主・吉実は隆信に臣従し家を守った。その星野が島津の調略に転んだらしい。白石城に五百の兵で籠る星野勢に対し、隆信は肥前、筑後、肥後の国人衆四万を招集せんと欲した。

そのうち、肥後国人衆の招集は隈部親永に委ねられた。

近侍の樺島九助が言った。

「赤星にまだ招集命令を渡しておりませぬが…。」

親永は右手の親指でこりこりと顎を掻きながら言った。

「赤星…親家か。まぁ待たんな、おるに考えがあっばい。」


(二)

 千の新納勢を五百の兵の奇襲で撃退した甲斐宗運は、疲労の目立つ兵たちを引き連れ粛々と御船城へ引き揚げてきた。

「こっで何回目の戦いじゃろか。敗れてん敗れてんまた攻めち来る。新納忠元…あるもなかなかしつこか男ばいね…。」

 嫡子の親英がため息交じりに言った。

「勝ったは良かですばってん…。こうひっきりなしでは兵どもが疲れてしまいよります。少しは休ませんと…。」

 宗運は息子をきっと睨みつけた。

「言うてん…相手のあっ話ばってん。そがんわけにはいかんど。敵が攻めちくんなら防がんとな。」

 新納勢は忠元、忠尭の親子が、千づつの兵を率い代わる代わる間断なく攻めてくる。それも適当に戦ったらさっと退く。こちらの疲労を誘う気なのは分かっていたが、無視することも出来なかった。この機に敵将を討ち取ろうとしたが、音に聞こえた忠元だけでなく、息子の忠尭もなかなかの良将で、巧みに戦って付け入るすきを与えない。

「阿蘇本家の援軍も期待でけん状況で…いつまでこがん抵抗を続けらるるおつもりですか。」

「しれたこつ…勝つまでばい。」

「勝ちゆっとでしょうか!島津ん総兵は五万ち聞いちょいますばって。こっちゃあかき集めてん二千に届くかどうか…。」

「勝つっど!島津ん敵は阿蘇家ばかりじゃなかばい。龍造寺もおっ、大友もおっ。熊なんぞとはそんうち大戦になっばい。そがんなれば双方無傷じゃあ済まん…そこが付け目じゃ。」

「そいまで…おるたちが持てばでしょう!」

息子の強めの言に、宗運は珍しく詰まった。

「父上は意地になっとらるるだけじゃ…。友であった相良義陽殿を失うて、そん仇ば討とうてそるばかりを思うて!戦って死んでいく兵たちんこつも少しは思うてくだされ。」

図星な面もあった。

「どがんせいち言うとか?」

親英は苦しそうに、だがきっぱりと言った。

「助けにも来てくれん主家は…もはや主とは言えんのでは。」

宗運のこめかみに青筋が立った。

「なんちか!言うにことかいて大恩ある阿蘇家を裏切れちか!」

父の忠義一途はわかる。弟たちはその忠義によって殺された。

だが、阿蘇家が何をしてくれたと親英は思う。

もはや甲斐家が無ければ成り立たぬほど落ちぶれているではないか。

そんな家を主家としているから、島津と龍造寺に両面から攻められるのだ。

いくら父が機略縦横と言っても、人である以上限界があろう。

口には出さないが家臣のほとんどがそう思っていた。

親英にはその見えない後押しがあり、本来は意気地のない男に覚悟を示させていた。

「もう一辺言うちみ!」

宗運の右手が刀に伸びた。

殺される…。

汗が額からすうっと流れた。

「申し上げます!」

使い番が走り込んで来た時、親英は助かったと思った。

「なんばい!」

「はは…、一大事にございます。隈部勢二千が大津から阿蘇に向かって進撃しております!」

「なんち!」

宗運はこれも珍しく驚愕の表情を見せた。


(三)

「もう一度申せ。」

隈部親永からの伝令は再び平伏して言った。

「甲斐宗運と阿蘇家の兵併せて三千が、我が方・龍造寺の大津城を攻めんと出陣しております。すぐご出陣あれ!」

赤星統家は怪訝な顔をした。

「宗運殿が…にわかには信じられぬ。」

「我が主人の言が信じられぬと!」

「そうではない…そうではないが。」

出陣命令ならなぜ書状で無く口頭なのだ…

「それは、火急のことゆえ…。」

そもそも、いくら山中の阿蘇家が長年にわたって山麓の大津を欲しているとはいえ、対島津でいっぱいいっぱいの宗運が、龍造寺に攻めかかり、やみくもに戦線を拡大する愚に出るとは考えられない。

「殿…こう言っておっても仕方ありませぬ。」

家老の寺本主税が言った。

「そうじゃな。」

慎重な統家は念のため御船城の様子を探らせた。

そうすると、間違いなく宗運は大津に向けて出陣したことが分かった。

事実ならば仕方無い。

赤星勢二千は大津に向けて隈府城を出発した。


「そうか…阿蘇の地で。」

水之江城郊外の丘

円城寺信胤と銀杏は草原に隣り合って腰かけ話をしている。

「お誾の友なら隠すことも無かろう。」

右手で頭巾を外した。

艶のある黒髪が風になびく。


なんて美しい


銀杏は見とれた。

誾千代と種類の違う綺麗さ

例えれば誾千代は、燃え盛る炎や白神の木立のような自然・野生の美しさだが

信胤の美しさは、研ぎ澄まされた刃や精緻な建物のような計算されつくした美

共通しているのは、どこか悲しい

そんな感じがすることだった。

「どうかしたか?」

信胤が黒目がちな瞳で覗きこんだ。

「いいえ…誾千代様となにか似ていらっしゃると思って。」

信胤は微笑んだ。

「ほう…どこが似ている?」

「…そうですね。」

銀杏は意を決したように言った。

「どこか…こう…さびしげで。」

「さびしい?私がか?それにお誾も。」

信胤は首を捻った。

その姿がいかにも滑稽で銀杏は吹き出した。

「何かおかしいか?」

笑いを抑えながら銀杏は「いえ。」と言った。

「信胤様は良いお人なのですね。」

信胤は微笑みを返すとこう言った。

「お誾の友なら私を信胤と呼ぶな。私は…。」

昔を懐かしむような遠い目をする。

「仙だ。」

銀杏はきらきらした目で、いつか誾千代みたいになりたいと言った。

「なれるさ…。」

突如うつむいた銀杏はぽつりと

「でも人質の身…いつどうなるかわかりません。」

肩が震えた。正直怖い。

その肩にそっと温かい手が置かれた。

「大丈夫…赤星殿は律儀なお方と聞いている。人質を出しながら裏切るようなまねはなされまいぞ。」


(四)

赤星軍が大津に到着したのは夕闇が迫るころだった。

付近を捜索すると甲斐軍五百を発見した。

立野から御船へ向けて行軍しているらしい。

とても大津城など攻めそうな様子ではない。

「はて面妖な?」

赤星統家は困惑した。

誤報か…それにしても?

宗運に向けて使いを出した。

しばらくして単騎、宗運自身がやってきた。

「こら親永に謀られたごたる。そうすっと…狙いはおるよりお主じゃろう。あ奴はどがん手段ば使うてん隈府城を取り戻したがっておるけん。とにかく、はよ帰らんな。」

嫌な予感が走った。

軍を急かして隈府へ急いだ。

それでも着いたのは深夜だった。

篝火が焚かれるなか

待ち受け顔の主税がいた。

「殿、お待ち申しておりました!龍造寺隆信公より親書が届いております!」

青ざめた。

「いつ来た?」

「夕刻近くでございます。」

ひったくるように書状を開いた。

目の前が真っ暗になる。

「どうなさいました?」

唇を血が出るほどにかみしめた。

「出陣じゃ!急げ!」

「帰城されたばかりで、またどちらへ?」

「筑後じゃ!今日中に着かねばえらいことになる。」


父上…

ちちうえ!


ぐらりと身体が揺れた。

「殿!」

主税がよろけた統家を支えた。

その手を払いのけた。


「急げ!」


新六郎…銀杏…

父が今行くぞ。


赤星統家は、うわごとのように繰り返した。













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