第85話 悪源太の血脈

(一)

 筑紫家は足利直冬の末裔である。直冬は尊氏の落とし子であったが認知されず、叔父である直義の養子となった人物で、武門の棟凌・源氏の正統である足利氏の血を引いて武勇抜群の武将だった。その一方で凄まじい恨みから、実父である尊氏と徹底的に対立し、その戦闘能力で室町幕府の存続を危うくさせたほどだった。筑紫家はその血を色濃く受け継ぎ、歴代の当主はいずれも戦上手で知られ、また、激しい気性も脈々と受け継がれ周囲の国人から恐れられていた。

 なかでも現当主・広門は武勇抜群で始祖・直冬の再来と呼ばれる人物、幼いころから悪源太の諱を付けられ九州各地で暴れ回り、二万石程度だった父祖代々の領土を一代で二十万石を超えるまでに拡大した。広門は政治や外交にも長けているが、その手法はいかにも彼らしいやり方だった。筑前侵攻により龍造寺が疲弊した隙をついて肥前北部、筑後北部、筑前南部の諸城をあっという間に攻略し、龍造寺が回復するまで十分に領土を拡大するも、龍造寺の勢いが戻ると嫡子二九市丸を人質に出してさっと龍造寺に臣下の礼をとった。武勇一点張りで無くなんともしたたか、その均衡こそが悪源太広門の真骨頂であった。そのことは、あの秋月種実が最も警戒したのが、龍造寺隆信でも無く高橋紹運でも立花道雪でも無く、同盟を組むこの筑紫広門であるというところからも窺い知れよう。


 さて天正十一年二月、広門は重臣たちを本城・勝尾城に招集した。重臣は弟の晴門、内政担当の岩橋陸奥守、二本松城代・佐潟安広、軍師格・荒木兵庫介、侍大将・帆足弾正の五名である。

「さて今年の我が家の戦略じゃが…。」

 大広間に腰を下ろすなり、若き当主、才気煥発な広門は性急にまくしたてた。

「筑前を更に切り取る!北へ北へと攻め上がり…最終的には博多支配を目指す。」

「待て兄者!」

 弟の晴門は兄と異なり沈着冷静で、戦闘能力の高い兄を持つどこの弟もそうなるのか、その戦ぶりは堅実そのものである。

「我らは龍造寺の臣下に降ったばかりじゃ…。形ばかりとはいえ、筑前の大半は龍造寺に属す。熊めを怒らせば、五千の我らが十倍の五万と敵対することになる。それに人質とした二九市(後の春門)の命が危なかろう。」

 広門はふんと鼻を鳴らした。

「そこは大丈夫じゃ。大友方の高橋や立花の城を攻めるのであればな。」

 軍師格・荒木兵庫が異を唱えた。

「龍造寺隆信が欲しがっておる博多を盗ってしまえば、そうも参りますまい。」

 岩橋も同調する。

「我らの兵力は高橋・立花両軍とほぼ同等…攻城はもちろん、野戦においても勝ちを収めるのは難しいかと。」

「もちろん、我ら単独では攻めぬ…。援兵は要請してある。」

 弾正が深いため息をついた。

「はてさて…秋月も宗像も、先年立花・高橋と和議を結んだと聞いております。原田は応じるでござろうが、十分な援兵が期待できるか否か。情勢次第ということでござろうか…。」

 若き猛将・広門は決意を示すようにすくっと立った。

「とにかく…我が家に他の選択肢は無い。このまま手を拱いておれば、筑前は早暁熊の手に落ちる。そうなってからでは遅い…我が家は、あの残忍で狷介な熊の一家臣としてしか生きるしかなくなる。今しかない…のるかそるか、乾坤一擲の大勝負じゃ!」


(二)

 えい やあ

気合いと共にぶんという風を切る音

水之江城中では、龍造寺家の子女に加え人質の姫たちも

小鶴の指導のもとで薙刀の稽古をしていた。

紫の小袖に袴の裾をしぼり、白い鉢巻と襷をかけた小鶴は、

美々しき男子と見まがうばかりの凛々しさ

子供用の薙刀を振りながら、銀杏はその姿に見惚れた。

「そこまで!」

凛とした響き

女たちはうっとりとした様子で薙刀を下ろした。

「熱心ね…。」

汗を拭う銀杏のもとに小鶴が寄って来た。

銀杏は背筋を伸ばしながら言った。

「はい!あたしは立花誾千代様みたいな、強くて美しい女子になりたいです!」

周囲がざわついた。

そうか…誾千代様はここでは敵だっけ

小鶴が微笑んだ。

「誾千代様…話には聞いているわ。勇敢で強い…確かあなたとそう変わらない歳に、この水之江に潜入して御館様に小束を投げつけたのよ。」

「へぇー。」

あっしまった。

周囲の視線を感じて銀杏は顔を引き締めた。

その様子を見て小鶴は笑いだす。

「銀杏…あなた本当に面白い子ね。」

そのとき、遠くに目だし頭巾を見つけて銀杏は走り出した。

「あっ!待ちなさい!」

人質がそんな自由に

そう思った小鶴だったが、もはや追いつけないと知り肩をすくめて微笑んだ。


確かこの辺りに…

銀杏は目だし頭巾を見失った。

きょろきょろしていると

「おい、お前…何を探してるんだ!」

後ろから大声がかかった。

聞いたことのある声

声の主は松の木の上にいた。

ばっと飛び下りてくる。

確か…この間の

「お前が探しているのは…さっき通った頭巾だろう。」

「あなたに関係ないじゃない!」

「やめとけ、やめとけ、あんな女みたいなひょろひょろ!」

「そんなんじゃない!」

どこか魅かれてはいる。

でもそれは恋じゃない。

恋したことのないあたしでもわかる。

確か二九市丸といったか

大きな若者は不躾な感じでじろじろと銀杏を見回して言った。

「お前…よく見れば可愛いな!」

「よく見ればって…何さ!」

「…怒るなよ。褒めておるのだ!」

銀杏は怒った。やがてどきどきした。なぜか…

「決めた!」

「なに?突然…」

「お前、俺の嫁にしてやる!」

「えっ!」

顔が真っ赤になった。

何よ突然…こんな野蛮そうな男

そう思いながら胸の鼓動は止まらなかった。

手を引っ張られ抱きすくめられた。

「離しなさい!離せ!こらっ…。」

「気が強いところも…好みじゃ。」

顎に手がかかる。

くぃっと持ち上げられて唇を吸われた。

「うっ!」

ぱしっ!!

頬を思いっきりひっぱたいた。

呆然とする二九市丸を置いて

銀杏はそのまま走り去った。


(三)

夕暮れ、古処山城の書院

秋月種実は読み終えた書状を灯したばかりの燭台にかざした。

一瞬吹き上がった炎が辺りを照らす。

「殿…。」

家臣の杉連緒が炎の様子を見て駆け付けた。

種実はふっと一息で吹き消すと「大事ない。」と言った。

「広門様からの書状でござるか?」

種実はこくりと頷き、舌打を一回した。

「この種実に筑前攻略の手伝いをせよとは…。全くいけしゃあしゃあしい…。あの男、武勇ばかりではなさそうじゃな。」

「お手伝いなさるので…?」

「ふん…。」

種実は鼻を鳴らして立ちあがった。

「敵に回してもやっかいじゃ…。お前が適当なことを書いて返事しておけ。」

「ははっ!」

平伏する連緒に種実が尋ねた。

「種長はどこか?」

「…いえ、それがしは存じたてまつらず。」

種実はやれやれという顔をした。

「変な女子にひっかかったようじゃの…最近、良い噂は聞かぬ。やはり後妻を早く持たすべきか…。」


「若殿様…。」

古処山城の厩屋

人目を忍んでやってきた種長に若い娘が抱きついてきた。

「ああ五鈴…愛しい人よ。」

種長はぐっと抱き寄せ五鈴の唇を吸った。

「ああ…。」

五鈴は身もだえながら種長の舌を自が舌でからめとった。

ぬめぬめぬめぬめ

小袖をはだけながら、夢中で舌を絡み合わせる。

ぽろんと出た白くて丸い乳房に種長がむしゃぶりつく。

「ああ…。」

五鈴が仰け反った。


「若様…。」

「なんじゃ?」

藁の上で裸で抱き合う種長に、甘いと息を吐きながら五鈴が言った。

「あたし…ややが…。」

種長の動きが止まる。

「なに…今なんと!」

「ややが出来たようです。あたしと若様の。」

「本当か!それは目出たい!そうか…お前のことも考えてやらねばならんの。わしの種を宿した女が、いつまでもはした女というわけにはいかぬ。さっそく父上に言うて屋敷内にそなたの部屋を設けようぞ。」


やった!見てみやがれ…。


五鈴は死んだ四亀や魔弓を見返した気分だった。


お前らは所詮、ただのくのいちで終わったのさ。

あたしは違う。

天性の美貌を武器に

野良犬のような育ちのあたしが

ただの甲賀の抜け忍が

お方様と呼ばれて見せるよ。

ははっ…

草葉の陰から口惜しがって見ているがいい!


がらっ


厩屋の戸がいきなり開いた。

「ち…父上!」

種長も五鈴も脱いだ着物で肌を隠した。

「何をやっておるのだ?」

氷のような表情の種実は息子でも見たことが無い。

「父上…聞いてください。子が私の子ができたのです。」

うれしそうに言う人の良い息子

その態度に舌打ちしながら、種実はくりくりした丸い目で見つめる可愛らしい娘を見つめた。

「相手はその女子か?」

「はい父上…。五鈴、挨拶を…。」

五鈴が三つ指ついて前にいざり出た。

その瞬間…、種実は白刃を抜き放ち、有無も言わさず斬り下げた。

ずばっ!

肩口から血が噴き出す。

「父上っ!何をなさいます!」

悲鳴を上げる息子に、種実は刀で指し示した。

「よく見よ!お前が子を産ませようとした女子を。」

傷口が生き物のようにうねうねと塞がっていく。

吹き出す血はあっという間に止まった。

「化け物め!ようもこの秋月の家に入りこもうとしたの!」

「ちがう!あたいは化物なんかじゃ…。」

「傷がすぐ治る人間など居るものか!種長わかったか!」

五鈴はすがるような眼で種長を見た。

種長は目を覆いながらちじこまって震えている。

「若様…。」

すりよる五鈴

「うわぁあああああ!」

種長は両手をぶんぶんふった。

「寄るな!化け物め…よるなぁ!」

五鈴の目から一筋の涙が流れる。

ぶんっ!

後ろから太刀は振り下ろされた。

血を噴き出しながら美しい首が中空に舞った。

地面に転がった首はもう動くことは無かった。

だが、その眼からはとめどなく涙があふれていた。


(四)

手習いの教室に杖をついた侍がやってきた。

侍は小鶴に何やら耳打ちし、その顔色を変えた。

侍に何やら抗弁していた小鶴は、やがて肩を落とし

席の真ん中で筆を握ったままの姫に声をかけた。

今年十三歳になる大川家の娘、八十姫だ。

気位が高く、銀杏のことを田舎者と馬鹿にしたので

正直、好きにはなれない姫だった。

耳打ちされた姫の顔色が真っ白になった。

力なくよろよろと立ち上がり、杖をついた侍にひっぱられるように部屋を出ていく。

見送る小鶴が下唇をかみしめていた。

教室がざわざわした。

裏切り

島津に

斬首…

いろいろな声が聞こえてきた。


どういうこと?


「静かになさい!静かに!」

小鶴が教室中を手を叩きながら歩き回っている。

隙を見てそっと抜け出した。


何があるの?

気になる。


背をかがめて庭を走りながら銀杏は杖をついた武士が向かった方へ

ざわざわと声が聞こえる。

人だかりが出来ている。

その背から覗きこもうとした時

「!」

ぐっと後ろから口を手でふさがれた。

「しっ!黙っておれ!」

聞き覚えのある声

あの最低男だ。

じたばたする銀杏をしっかりと押さえている。

「こっちに来い!」

手を引っ張って床下に潜り込まされた。

ぱしっ!

また頬をはたいた。

「乱暴じゃな。」

「どっちが!」

「…しっ!熊が来たぞ!」

廊下をのしのしと巨体が歩いてきた。

後ろには例の目だし頭巾がつき従っている。


「始めよ!」

熊の横の侍(長信)が叫んだ。

杖の侍がうやうやしく頭を下げる。

「この姫の親…大川隆家は龍造寺隆信公にさんざん世話になっておきながら裏切りよりました!南の蛮族島津に通じよったのですわ!よってご定法に従い、人質は斬首…こういうことになりま!」

庭に座らされている姫がびくんと震えた。

床几に座った隆信が頷く。

長信が隆信にむかって一礼し、昌直に合図した。

昌直は震える姫に向かって言った。

「極楽に行けるよう…手を合わせ、十分経でも唱えるこっちゃな。」

姫は震える手を合わす。

「恨むなら、裏切った父上を恨みや!」

しゅっ!

目にもとまらぬ一閃

二九市丸が銀杏の目を手でふさぐ。

勢いよく吹き出す赤い血が地面をぬらす。

白い手を合わせたまま、首の無い胴体がどっと転がった。


これが現実

これが人質


銀杏はあらためて忘れていた恐怖を思い出した。

















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