第84話 人質

(一)

「なんと…それはどういう!」

年明け早々、隈府城で赤星統家が気色ばんだ。

「ほやからな…大友方の甲斐宗運とえらい昵懇やないかい。隆信様はそんな赤星が信用ならんと仰ってまんのや。」

どかっと座りこんだ木下昌直は横柄な態度だ。

「島津に攻められているのですぞ!こういうとき大友も龍造寺も無い。共闘できるところとは…。」

「島津なんぞ今年中には片づけたるわい!」

昌直は統家の言葉を遮った。

「では私にどうせよと…。」

眉を下げる統家に顔を近づけて昌直はささやいた。

「なに…どこでもやってる。簡単なこっちゃ。人質を二人ばかり出してもらえれば…。」

「人質…。」

「そうや…誰でもええわけちゃうで…あんさんにとって大事な身内をな。」

昌直は二名の名を言った。

「新六郎はともかく…銀杏は数えで六つ、まだ幼うござる。御勘弁願えぬか!」

昌直の顔が意地悪げに歪んだ。

「勘弁ならんな…。」

ここまでされるいわれは無い。

だが、統家にはここまでされる理由が分かっていた。


隈部のやつだろう…


赤星家に関し、隈部親永が隆信に有ること無いこと吹きこんでいるらしいと噂は聞いている。かって隈府城を奪われたことを未だに恨んでいるのだろう。

武士であったら弓矢にものを言わせればいいのに…

因循姑息な隣人のことは、もっか統家の悩みの種だった。


話を聞いた妻の小侍従は泣いた。

十二歳の新六郎も暗い顔をした。

しかし、幼い銀杏は気丈だった。

「それが父上のおためでしたら…戦国の世に生きる姫として、銀杏は喜んで肥前に参ります。」

銀杏の脳裏には、いつでも毅然とした誾千代の姿がある。


一歩でもお誾様に近づかなくちゃ


幼い娘は健気な思いを秘めていた。


(二)

翌日、木下昌直に伴われた新六郎と銀杏は、陸路で肥前・水之江へと向かった。

幼い銀杏には陸路はつらい。

だが銀杏は泣きごと一つ言わず、五日歩きづめで水之江へと到着した。

水之江城では、有馬や筑紫など他家の人質と同じ部屋へと通された。

男女は別々、兄の新六郎とも引き離されたが銀杏は顔色一つ変えなかった。

誾千代ならこうするはず

その思いだけが今の銀杏を支えていた。

がらりと障子が空き

背の高いすらりとした小袖の女性が入ってきた。


美しい人…


ややつり上がった切れ長の目

高い鼻と白い肌

厳しげな薄い唇

誾千代とは違った、白百合のような清楚な美しさを感じる人だった。

人質の姫たちが平伏した。

「小鶴様、おはようございます。」

口ぐちに挨拶をする。

小鶴は挨拶を返すと銀杏の方を向いた。

「あなたが赤星の姫ですね。ここでは人質であることは置いて、龍造寺家の姫たちと同様に、姫としての教育をします。私が教育係の小鶴です。」

顔の印象とは別の優しい声だ。

銀杏は人質であることを一瞬忘れた。


その日から小鶴の教育が始まった。

小鶴は、四天王・百武賢兼の内儀で、女だてらに武芸に優れ、詩歌管弦に通じ家中で尊敬を集めているらしかった。

その教育は厳しくも楽しいもので、銀杏は人質であることを忘れ、いつしか優しい小鶴が大好きになっていった。

龍造寺家の家風であるらしいが、人質の男たちも同様に教育を受けているようだった。武芸は四天王の百武賢兼が、軍略や築城は同じく成松信勝が教えている。新六郎と会うことはできないが、庭先で見かけたその姿はどことなく楽しそうだった。


人は肥前の熊を鬼か蛇のように言うけれど…


見ると聞くでは大違いではないかと銀杏は感じた。


(三)

「なんちな!銀杏を人質に出したつな…。」

隈府城を訪れた甲斐宗運が口惜しさをにじませた。

「あげな幼子を…熊め、なんば考えよっとか。」

宗運は自分が足しげく通うことも影響したろうと考え、しばらく来ないようにしようと言った。

「いや、島津相手には甲斐家との共闘は必要です。気にしないでください。」

統家が力なく笑った。そして話題を変えた。

「島津といえば、ついに日向を完全に支配したようですな。三州統一、先祖代々の悲願をついに成し遂げましたか…。」

宗運は深刻な顔で頷いた。

「そいもこいも、あん又七郎家久ばい。いろいろ調べたばってん、ついにその正体は掴みきれんかった。どこまで計略ばしかけよっとか?単に運がよかとか?長倉は簡単な相手じゃなかったはずばってん、結局損害ば出さずに勝ちを収めおった。敵ん心ば操るち噂もある。時に電光石火、時に辛抱強く…油断ならん相手なんは間違いなか。もしかすいと日新公忠良が手放しでほめた孫、島津貴久の落とし子こそ、島津で最も警戒すべき相手かんしれんばい。」

統家は唾をごくんと呑み込んだ

「家久は日向…豊後に攻め上がることはあっても、この肥後には…。」

宗運は首を横に振った。

「いんや…もし竹田を攻略したら阿蘇は目の前。思いもせん豊後からん攻撃ん可能性はあっ!ばってん…こいは志賀親次に勝てたらん話。」

統家の顔がやや明るくなった。

「豊後の大鹿ですか…年若いが、知勇兼備の名将と聞き及びます。」

宗運はまた首を横に振る。

「そげなもんじゃなか…あるは戦術ん天才ばい。喩ゆれば、大陸の諸葛孔明、韓信、我が国では大楠公(楠木正成)ち言えるな。」

統家に、ふと興味が湧いた。

「老師と戦えばどちらが…。」

宗運はしばし考えて答えた。

「おるでん…敵わんかもしれんばい。特にあん…地形が特殊な竹田ん地ではな。」


(四)

「いやあああああっ!」

勢いよく打ちこまれた木刀を賢兼は強く打ち返した。

「つ!」

目の前に木刀の剣先が突きつけられる。

「参りました!」

新六郎は平伏したが賢兼は許さない。

「立たれよ…まだまだ!」

右手が引っ張られ無理やり起こされた。

やむをえず木刀を振りかぶって突進していく。


はぁはぁはぁはぁ


地面に仰向けに倒れた新六郎

汗だくで消え入りそうな息をしている。

「じ…自分が…情けないです。」

「どうしてじゃ?」

汗を拭きながら賢兼が聞いた。

「刀も弓も…私は武道が下手くそで…こんなものでは赤星家のお役に立てません。いっそ坊主にでもなったほうが…。」

「大将は自分を守る程度に剣を使えればいい。深刻に考えないことじゃ。」

新六郎に手拭を放りながら賢兼は笑った。


あはははははは!


分かりやすい嘲笑

思わず新六郎も身体を起こした。

木の上に身体の大きい少年が座ってこちらを見ている。

「二九市丸殿…その笑いは無礼であろう!」

同じ人質の少年だ。

確か…筑紫家からの…

少年は木から飛び降りた。

確かまだ十歳くらいのはずだが、身の丈はもはや六尺近い。

二九市丸は新六郎の横に落ちていた木刀を拾った。

片手でぶんと振ると風が唸った。

賢兼に向けて片手の木刀を構える。

「両手で構えなされ…危のうござるぞ!」

忠告を無視して突きかかる。

かっかっかっ

激しく木刀が打ちかわされた。


こ…これは…本当に十の子供なのか!


子供らしくない節くれだった腕が一閃した。

賢兼の木刀が真っ二つに折れる。


「ふん、虎よ…俺の勝ちだな!」


高笑いと共に少年は歩き去っていった。

その光景を繁みから声を殺して見ていた銀杏は思わず後ずさった。

どん…

何かにぶつかった。

柔らかい何かに

「あ…ごめんなさい!」

目だし頭巾を被った武士が立っている。

背は五尺五寸くらいか

男にしてはそう高いほうではない。

「これは…失礼いたしました!」

小鶴が駆け寄ってきた。

目だし頭巾の男は、会釈するでもなくいずこかへ去った。

「小鶴様、あれは…?」

小鶴はにっこり微笑んで言った。

「円城寺信胤様…御館様の落とし子で四天王のひとりよ。」

「そうですか…。」

銀杏は男が去った方をずっと見ていた。

「どうかした?」

銀杏は首をふるふる振った。


どうしてだろう…

あの人

おぎん様と同じ匂いがした。









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