第68話 雷神の婿
(一)
阿蘇白水で修行する誾千代のもとに、城戸知正がやってきたのは、天正九年の秋の終わりごろだった。
「困ったことになりました。」
事の始まりは、豊後の大友本家からの呼び出しだった。大友本家としては、筑前への影響を失った責任を高橋紹運に負わせ、守護代の資格を取り上げる手はずだった。そうすると次の守護代が問題になるが、高橋家の他の大友方は立花家と大鶴家しかなく、家格から言って立花家に戻さざるを得ないという結論に至った。そこで道雪を呼べと言う話になったが、現状ではとても行かせるわけにはいかない。やむなく大友本家に病状を話したところ、後継ぎを立てるということになった。
「後継ぎは誾千代様、五年も前にそう決まっております。」
薦野増時がそう反論したが、田原紹忍はじめとする大友家加判衆は「女子が城主となるなど、古今に例が無い。」と言って聞く耳を持たない。
それだけではなく、勝手に立花家後継の話を進め出した。宗麟の次子・親家を道雪の養子、つまり誾千代の婿にすべく画策したのだ。大友親家は武勇に優れた武将で一時田原親家と名乗り加判衆となって、筑前豊前を中心に対毛利戦などで活躍した。その一方、粗暴で傲慢なため家中で嫌われ、加えて兄義統と仲が悪く、そのためか耳川の戦いで島津に内通した疑いをかけられ失脚し臼杵城の宗麟預かりとなっていた男だ。
大友本家にしてみれば、威信が失墜した筑前において、実績ある大友家の男子がその武勇を存分に発揮することに期待するところ大であるし、義統にしてみれば豊後からの厄介払いにもなる。
「親家様が後継ぎなどとんでもない!」
一方で、これが立花家中の一致した意見だ。親家の大友家をかさにきた傍若無人さは、その武勇以上に有名だった。立花家の中に入れば、家中を掻きまわし、ただでさえ苦労している筑前の情勢がますます悪化しかねない。それに武勇武勇と言うが、親家の筑前豊前での勝利は、吉弘鎮信、斎藤鎮実など武将たちの功に負うところが大きく、だいぶ割り引いて考える必要があった。ただ、道雪がこんな状態のときに、主家・大友家からの圧力も凄まじい。
「とにかく、一刻も早く筑前へお戻りくだされ。」
火巫女もここまで出来れば問題ないと言ったので、誾千代は知正と共に筑前へ急ぐことにした。
(二)
そのころ、肥後に進出した島津軍とじわじわと手を伸ばしだした龍造寺軍が初めて対峙する事態が起きた。場所は肥後合志村、阿蘇と隈府の中間、赤星家と隈部家、阿蘇家がしのぎを削るこの地で初対戦は実現した。
島津勢は総大将を義弘、軍師として歳久、他に島津義虎、同忠長、新納忠元親子、川上忠智とその子である三兄弟、鎌田政年ら八千。南肥後先方衆として犬童頼安、赤池長任率いる相良勢五千、名和顕孝二千。併せて総軍勢一万五千である。
龍造寺軍は隆信を総大将、木下昌直を軍師として、鍋島直茂、龍造寺政家、同長信、後藤家信、江上家種、有馬晴信ら二万五千の肥前、筑後勢と、隈部親永二千、赤星統家三千の北肥後勢五千を含む総勢三万である。この対陣に先がけ、龍造寺軍は島津に降伏した菊池一族の城親賢を攻め死に至らしめている。
初対戦の両軍は、橋を落とし菊池川を挟んで睨み合いを続けている。北肥後勢を外した軍議においての木下昌直の発言が龍造寺軍の姿勢を表したものと言えよう。
「今回の出兵は、肥後に出ばってきよる目障りな島津の実力を試すためや。」
大友家がそうであったように、龍造寺家にとっても島津家は南の蛮族という程度の認識だった。実際に目にしてみても、鎌倉以来であろう時代遅れの甲冑をつけた将兵が多く、それも着古してぼろぼろ、あちこちに繕いの跡があるものだ。
「まるで乞食の兵やな…みな、笑え笑え!」
龍造寺軍はどっとはやし立てた。島津を怒らせようと挑発してみたのだが、対岸の丸に十字の旗はひそとして動かない。
「うむ…強いなこの軍。ここにいてもびんびん伝わってくる。」
百武賢兼が対岸を見ながらそう言った。
成松信勝は黙って頷く。
「大友に勝ったは、まぐれではないということか…。」
「兄者!対岸かぁえらい侮りん声が聞こえてきもんど…。おいたちを舐めくさっせぇ、今に目にもん見せてやっど!」
川岸に立って、川上忠兄が口惜しそうに言った。
「よかが…今んうち、熊どん(たち)にないでん言わせちょけ!」
忠賢は興味なさそうに返した。龍造寺軍に興味が無いわけではない。むしろ逆で、隆信の強さを噂で聞き戦いたくてうずうずしているのだ。
さて、実力を測りに来たのは龍造寺だけではない。島津もそうであった。
「歳久、いけん思うか?」
義弘の問いに、歳久は顎に手を置き考え考え返した。
「そげんごわすな…、兵装はよう整備されちょつ、兵の動きも悪くはなか。なかなか強か軍じゃち思いましたどん…。」
「なんか気になっとか?」
「やっぱい、大友家と比ぶっと、将が見劣ぃすっごたあ気がしもす。率いる軍を見れば明らかごわんどん。隆信ん本隊はそれなりごわすが、嫡男・政家ん隊は話にならず、武勇に優れたち噂ん後藤家信、江上家種ん軍も大したこつは無か。弟ん長信は少しはまし、ただ、甥ん鍋島直茂は大したものごわすがな。」
「こいは辛口じゃな…。」
「兄上はいけん…?」
「同じじゃ。」
「なるほど…考えようによっては、今んうちに叩いてんよかごつ思いますが…。」
「義久兄が様子見じゃと仰せられた。」
「そいじゃ仕方ございもはんな…。」
龍造寺と島津は十日間対峙したが、少々の小競り合いはあっても本格戦闘にはいたらなかった。この戦闘は秋月種実が仲裁に入り、秋のうちには戦が終了して両軍は引き上げている。
(三)
筑前に帰った誾千代は、その足で薦野増時に同行し豊後府内城へ向かった。
奥の間へ通された誾千代たちを待っていたのは、御館・大友義統と後見・田原紹忍である。まず口を開いたのは田原紹忍で、筑前守護代を立花家に戻したいこと、しかし当主立花道雪が人事不肖に陥っており、後継をきちんと行わねば守護代が空席となってしまう不都合を縷々述べた。
「前も御説明いたしましたが後継は誾千代様。いやすでに五年前に家督相続済ませておりまする。」
「わしは認めておらぬ!」
増時の抗弁を義統が即座に否定した。
「これはしたり…、後継はあくまで家それぞれのこと。たとえ主家であろうと口を出すのは許されませぬ。」
「黙らっしゃい!」
紹忍がぴしゃりと言った。
「後継は家それぞれと言っても大友家中のことじゃ。家中のしきたりには従ってもらわねばならぬ!そして、他家はさておき、大友家中では女性への後継など認めてはおらぬ。」
「しかし…道雪様の御子は誾千代様ただお一人!」
「だからじゃ…だから大友家から婿養子をと言っておる。蒲池のごとき他家から迎えるより、大友本家から迎えた方が立花家にとっても誉れであろうが。」
増時はぐっと詰まった。
「わしは…。」
そのとき、黙って聞いていた誾千代が口を開いた。
「わしは縁談なぞご免こうむる!」
それを聞いて紹忍は呆れ顔をした。
「いやはや…まだまだ子供よの。立花の家はどうするのだ。このままでは家が絶えるぞ!父母、先祖にこれほどの不孝はあるまい。」
義統が追い打ちのように言う。
「増時…我が弟・親家では、いや大友家からの養子が不服かっ!」
「いえ…決してそのような!」
紹忍がさらに追い詰める。
「だったら断るいわれはあるまい。他に婿の口があるわけではなかろう。婿になる予定の蒲池三郎は死んでしまったのじゃからな。」
「………。」
そのとき、使い番が障子の向こうから声をかけた。
「失礼申します!高橋紹運様、ご嫡子統虎様、殿に目通りを願い出ておられます。」
紹忍が応えた。
「今は忙しいと伝えよ!」
「そう申しましたが…、立花家の婿取りに関係あることで火急の用とのことで…。」
「なんじゃと!」
(四)
大広間に平伏する高橋紹運と統虎
大友義統は書状を広げわなわなと震えていた。
誾千代と増時には、そこに何が書かれているか知る由もない。
義統は紹忍にぽいっと書状を投げた。
「間違いないか?」
「確かに…確かに道雪の手によるものに見えまする。しかし…。」
「おわかりいただいたか…。」
紹運がにじり寄って紹忍から書状を取り上げ懐に収めた。
「これは先頃の龍造寺筑前侵攻の前、筑前騒動の後にわしと道雪様で交わしたもの。立花家と高橋家の縁を結ぶため、嫡男統虎を立花家の婿に…。」
「!」
「!」
「!!」
誾千代と増時ばかりではない。
内容を知らなかったらしい統虎も驚いた。
「じゃがの紹運…統虎は嫡男であろう。それも知勇に才を発揮しておると聞く。そんな子を他家に養子に出すと言うのか?」
義統が信じられないと言った口調で言う。
「道雪様のもと…、誾千代殿のもとへなら喜んで…。」
「お主…いずれ立花家の領土も我がものにしようと?」
紹忍が紹運を怒らせるようなことを言った。
「そんな下種な考えは露ほども無い!」
だいいち、今の筑前でそんな悠長なことが言えるかと増時も思った。
「とにかく…養子後継は家同士の問題。ひととおり説明は致した…。これ以上の詮索は御無用に願いたい!」
立ち上がろうとする紹運たちを義統が待てと留めた。増時と誾千代に問う。
「お主らも知らなんだようだが、それで良いのか?」
増時は道雪様がお決めになったこと、嫌も応もございませんと言った。
「誾千代はどうか?」
このじゃじゃ馬、先ほどは婿取り自体ご免だと言ったのだ。この話をひっくり返す可能性がある。
「ふむ…弥七郎か。」
誾千代は統虎の顔をじっと見た。しばらく考えて一言…
「弥七郎ならば…まあ良いか。」
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