第43話 四面楚歌

(一)

立花山城に急報がもたらされたのはその日の夕刻だった。

「なんと、一万七千もの大軍が、それも大友の主力が一瞬にして瓦壊とは!」

小野鎮幸の嘆きが大広間に響く。

「それで、わが軍はどうなった?」

由布惟信の問いに、物見は荒い息のまま答えた。

「志賀親度様は千ほどの兵に守られ曲淵城へ退却、これに吉岡鑑興様がやはり千ほどの兵で従っておられます。先鋒だった城主小田部道魁様の兵は二百ほどが城に戻った様子、大鶴鎮正様の鷲が岳城には、吉弘統運様、臼杵統景様併せて千五百ほどで退却せられた模様、大鶴様ご自身の兵は五十ほどしか城に入っておりません!」

 敗戦の場合、動員された百姓兵はよっぽどうまく統御しない限り逃げ出す。敗北の規模が大きくなればなるほど、逃げ出す兵は大きくなる。今回の花尾攻め敗戦自体、犠牲者は数十名に過ぎぬものの、総大将がいの一番に逃げだし、軍が成り立たぬ程の混乱の中、志賀、吉弘、吉岡、臼杵以外の豊後諸将は、指示が無いため、各々の居城に引き上げてしまったらしい。

「して、敵の様子は?」

城戸知正の問いに物見は応えていわく

「原田、麻生併せて三千は曲淵城へ向かい、杉、宗像らは二千の兵で鷲が岳城へ向かった模様、曲淵城には高橋鑑種ら豊前国人衆一万五千が合流する動き、併せて一万八千の包囲を受けるものと思われ、鷲が城には、近藤備中守、黒瀬玄蕃頭ら筑前国人衆が続々と参集しつつあり、敵の数は膨れ上がり一万とも二万とも知れませぬ!」

目を閉じ腕組みして黙って報告を聞いていた道雪が、今度は由布惟信に尋ねた。

「秋月勢の動きは?」

惟信は道雪に向き直って言った。

「山内主水ら筑前南部の国人が続々入城しておるようです。その数日に日に増え、いまや秋月勢を足して一万を超えるとか…。」

道雪は今度は知正に向かって問うた。

「肥前国境はどうじゃ…。」

知正の眉間のしわが深くなった。

「熊めの動きは見えませぬが…、どうやら、筑後の蒲池鎮漣六千、肥前の筑紫広門二千が岩屋城を目指して進軍しておるらしいです。」

小野鎮幸が天井を見上げてため息をひとつついた。

「かっての味方がことごとく…四面楚歌とは、まさにこのことですなぁ。」

そのとき、廊下を激しく走る音が近づいてきた。

「申し上げます!豊後からの急報でございます!」

伝令から恭しく捧げられた書状を、道雪は右手で受取り手を振ってぱっと開いた。

「何を言ってきましたか?」

そう言う惟信に道雪は書状を放った。

「これは…、紹忍らしい姑息さですな!何の解決にもならん!」

 書状は、追討軍に参加しなかったばかりでなく、宗像、杉の動きを志賀親度に告げなかったことは紹運、道雪の手落ちである。今回の敗戦の責任は二将にあると激しく非難したうえで、紹運、道雪が責任を持って事態を収めるようにとの命令書であった。事態が収まったのち厳しい仕置きをするとも書かれている。

「ふん…馬鹿馬鹿しい!いっそ我らも主家に背きますか!」

 追討軍を出す参陣せよとの報は、追討軍自身から、しかも筑前に入って出されたもので、城攻めのわずか一日前では、さしもの紹運、道雪でも兵を集めることはおろか、情報収集すらできない。大友家首脳の、敗戦に至るこの一連の仕置きこそ無茶苦茶というもので、道雪に言わせれば責任転嫁もはなはだしい。鎮幸の怒り、もっともであった。

「冗談はさておき、筑前全体での大掛かりな騒ぎ、国境も紹運ひとりで足るか否か?ともかく、熊の動きを見極めねば動きようが無い。とりあえず、わしの意向を取りまとめ、紹運に伝えねばならんが…、この非常のとき、誰に行ってもらうか…。」

 道雪の目に廊下の奥に座っている誾千代が映った。

「うむ!」

 ポンと手を打った道雪は誾千代を差し招いて言った。

「お誾よ…少しばかり父の使いをしてくれぬか…。」


(二)

えいえいおー えいえいおー

古処山城の天守から、城に入りきれないほどの軍勢の鬨を聞いている秋月種実は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

鎧を着た嫡男の種長が、どかどかという音を立てて天守に登って来た。その顔に満面の笑みを浮かべて、父に向かって言った。

「父上、はや大広間に諸将お揃いですぞ!口々に、この一万三千の兵を持って進軍するは立花山か、あるいは岩屋か?秋月殿のお下知を頂きたいと申しております。今まで大友の圧政下に置かれた恨み、筑前国衆は骨髄に達しており、復讐の機会や今ぞと皆みな盛り上がっております!」


 ぎり…


少しだけ食いしばられた歯の音に、この人の良い嫡男は気づいたがどうか。

「隆信殿から知らせは無いか?」

「は?肥前の…でございますか…?何もございませんが…。」


 熊め…我らを噛み合わせて、漁夫の利でも得ようという算段ではあるまいな?


 他国勢併せて二万程度の兵では、立花山にせよ岩屋にせよ力押しで落とそうと思えば、相当の犠牲を覚悟してかかる必要がある。多くの犠牲のもとに落としたのち、龍造寺軍が秋月以下筑前国人衆に襲いかかってきたらどうなる。呆気なく領国を失うことになるのは自明の理だ。熊ならやりうる、いや、あやつが考えていないはずが無い。

 かといって、安全な兵糧攻めではいつ落とせるかもわからず、龍造寺だけでなく、筑前を欲する北方の毛利、南方の島津がその情勢下でどう動くか未知数なので取りたくない手だ。

 えいえいおー

 下からはひっきりなしに鬨の声が聞こえてくる。


 愚か者どもめ、数にのぼせあがっておる場合ではないのだ。


「龍造寺家に使者を…、その返事を待って動く。諸将にもそう伝えよ。あとな…」

 一礼して階下へ向かおうとする嫡男を、種実は呼びとめた。

「筑後、肥前に物見を送れ…、密かに龍造寺の動静を探らせろ。」

 頷いて去ろうとする種長を種実はもう一度呼びとめた。

「物見の件…、下の諸将にも気取られるな…。」

 怪訝な顔をして去る嫡男を見送って、種実は表情を変えずに再び外を眺めた。


「隆信殿は、…お主の義父上はなぜ動かれぬ!」

岩屋城を目前にした行軍中、筑紫広門が蒲池鎮漣にくってかかった。

「わしにそう言われてもな…。何を考えておられるやら…。それより、秋月殿はいつ動かれる?」

「それは、わしにはわからんわ!」

 筑紫広門は少し後悔していた。

 筑前に領地を持てる。

あの策士の口車に乗ってしまったが、

腹の読めぬあの男を信用して出陣して良かったか?

「岩屋城は、これっぱかしの数では落ちぬのだぞ!」

「そんなことは、言われんでもわかっておる!」

さすがに険悪な空気を察して蒲池鎮久が止めに入った。


義父上、本当に何をお考えか?


鎮漣は、子供のころから、ただその強さに憧れていた隆信に対する意識が、己の立場が変化するに併せて変わってきているのを気づいていない。


(三)

しんしんと鳴く蝉たちの激しい声が、白い湯にわずかに波形を生じさせる。


蝉は地中より出でて羽化し、七日しか生きぬという、

…短い生の終わりを精一杯謳歌するか。

この蝉は大友か、それともわが龍造寺か。


ふとそんな考えにとらわれた隆信は、自分らしくもないと思って両手に湯を掬い、思いっきり顔をこすった。

ここは肥前の国嬉野の山中、隆信が戦終わりに使う隠し湯である。


「お館様、よろしいでっか?」

外から上方訛りが聞こえてきた。

「昌直か…、構わぬ。」

「秋月種実と蒲池鎮漣から書状が届いておりま。申し上げまひょか?」

「捨て置け、内容は読まずとも分かる。はやく出兵せよというのだろう。」

「ご明察!両者とも、いったい立花山か岩屋か、はよ城攻めせなと周囲にせっつかれておる様子、我が軍出兵の件、どないなされまっか?」

「今回は見送りじゃ…。」

「そないだっか…。そやけど、今回の負け戦で大友はかなり弱っとりますで、あの強い強い雷を叩く絶好の機会やおまへんのか?」

「大友家はすでに死に体じゃ、焦らんでもいずれ道雪とは決着をつける。」

「なにが気に入りまへんのや?」

「いまわしが筑前に出兵して、この龍造寺に何か得があるか?」

なるほど

昌直は膝を打った。

 大友家の大軍を筑前国人衆が打ち破った今、この戦は大友対筑前国人衆の図式である。ここに龍造寺が参戦しても、筑前衆の助っ人に過ぎず、勝ったとしても、立花山や岩屋など手に入れられるはずもなく、あくまで従の存在として、わずかばかりの恩賞にあずかるに過ぎぬ。

「あの食わせもん!わしとしましたことが、うっかりひっかかるところでしたわ。」

しずくが三滴ほど湯屋の天井から隆信の肩に降って来た。

「次の戦は龍造寺が筑前を攻めに行く。そのとき、秋月めらには存分に働いてもらわねばならん。そのため、今回全く兵を出さんわけにはいかん。」

「ほいで…蒲池でっか。お館様もお人が悪い。」

武勇一辺倒で欲深の鎮漣は利用しやすいということか。これからも、龍造寺方の部隊として存分に働いてもらわねば…。

「やけど、そいだけじゃ、あの知恵もんは納得しませんやろ…。なにかもっともらしい理由をつけんと…。」

隆信は傷が癒えたばかりの肩を触って言った。

「隆信、先の戦いでの矢傷が酷く、そのため出兵できぬと返せ。」

昌直はくすっと笑った。

矢傷やて…かすり傷やないかい…。

「矢傷と言えばお館様、えらい矢傷を負うたあの旗本…治ったそうでんな。満身に五十本以上の矢を受け、一時期は危ないと聞いておりましたのにけろっと治ったとか。いやいや、まったく…お館様に負けん化け物でんな…。」

昌直は言いきって言いすぎにすぐ気付き、話題を変えようとした。

「なんでも、御子息・円城寺信胤様を庇っての傷とか。えらい忠義者でんな!しかも、その信胤様が三日三晩、自ら寝ずの看病をなさったとか…。家臣思いここに極まれりちゅうやつで、この美談、家中に喧伝して士気をあげまひょか…?」

「かまわぬ!捨て置け…。」

不機嫌な感じの隆信の声が響いてきた。

何かまずいことを言ったか?

自問自答しながら木下昌直はその場を離れた。


(四)

 岩屋城は筑前四王寺山の中腹にある。

 本丸から三の丸まで、尾根にそって三つの天守を持つ城で、二の丸、三の丸は搦手門から本丸にいたる山道を挟んで建てられ、本丸は二の丸、三の丸より三段ほど高い岩盤の上に建てられている。

 岩屋城へ登る山道は南方に偏って三つあり、森を抜ける険しい道の先にある搦手門の前には、大堀切と呼ばれる大きな空堀と、手のくぼりと呼ばれる兵を伏せさすための無数の小さな空堀がある。大手門へは慈悲門寺へ登る広めの参道を更に奥へと進まねばならないが、それを進むには寺の下に建てられた二つの砦を攻略せねばならない。

 もしそこを攻略出来たとしても、寺上のくねくねした山道を登る際、更に上の椿ヶ峪砦や石橋上砦からの矢の雨に晒され、仮に切り抜け大手門が見えたとしても、本丸と二の丸三の丸の間にある竜神池の水門を開いての水攻めが待っている。もうひとつの椿ヶ峪砦に上る山道は、修験者でも避けるような狭く険しい道で、仮に登れたとしても、疲労困憊の状況で二つの砦を相手に戦わねばならない。

 筑前国境の防備のため、紹運は城ばかりでなく南方を走る筑肥街道の守りも重視した。城を無視して筑前へ乱入される暴挙をも防ぐためである。そのため、敵が押し寄せる前に街道を封鎖して、柵を廻らし兵を配置し、慈悲門寺下の二つの砦と連携して防御してきた。

 ただ、筑前国人のほとんどが敵に回った今回は、この街道封鎖は意味をなさない。それどころか街道封鎖すると、肥前側と筑前側とで敵に挟み撃ちされる危険があった。そのことは、高橋紹運の領地防衛という点でも大きな意味があった。より内側、太宰府の守りである紹運の城・宝満城は、筑前混乱以前は主に岩屋城の補給拠点として存在してきた。紹運は岩屋城の防備にのみ力を注げばよかったのである。しかし今の状況では、岩屋、宝満の二つに気を配らねばならず、防備の戦術もより難しいものを要求されることになった。宝満城は修験道の聖地であった宝満山の中腹に建てられた堅固な山城だが、そもそも場所的に岩屋城ほどの防備は備えず、今から改修するのは無理である。この城二つと三千の兵、現状のままで、肥前からの攻撃だけでなく、筑前じゅうの国人相手に、この二城を守備しなければならない。

 紹運は、重臣たちを岩屋城に糾合した。重臣は龍ガ城主・北原鎮久、岩屋城代・屋山種速、伊藤惣右衛門、福田民部少輔、村山志摩守、今村五郎兵衛の六名である。

「物見によると、蒲池・筑紫の二軍八千はこの岩屋まで二日の距離で足を止め、陣を敷いて動かずにおる。」

 紹運の報告に、家老の北原鎮久が応じた。

「あの熊めを待っているのでしょうな。」

 屋山種速が「然り。」と応じたが、軍監を務める福田民部が意見を述べた。

「肥前に放った諜者によると、龍造寺軍は全く動く気配なく、いや、一兵たりとも招集せずして隆信は温泉三昧らしく、熊が出張るなどとても考えられませぬ。」

 それには今村五郎兵衛が懸念を述べた。

「狡猾な熊のこと、我々をたばかろうと死んだふりをしているのでは?」

 伊藤惣右衛門が同調した。

「諜者が紛れ込んでおるのは分かっているはず、熊めは芝居くらい簡単にする油断できぬ相手と存ずる。」

 惣右衛門に村山志摩守が反対した。

「それにしても、蒲池、筑紫の両軍と歩調が合わなさすぎる。やはり熊めは出て来ぬと考えたがよかろう。殿、殿のお考えは?」

 紹運は目をひらき、口を開いた。

「わしも熊は来ぬとみる。ただ安心はできぬ。肥前に送る諜者の数を増やし、いつでも対処できるようにすべきじゃろう。いま一番の問題は、古処山の秋月はじめ国人ばらの動静と、蒲池、筑紫の両軍をどうするかじゃ。」

 大広間の障子がするすると開き、現れた使い番が一声放った。

「立花道雪様のお使い・誾千代様、大手門にてお待ちでござる!」














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