第41話 雷斬りの太刀

(一)

「またか…。」

水俣城主・犬童頼安はいぶかしげな顔をした。

「出水の…島津義虎か?」

「はっ!」

「今度は何人だ?」

「五百ほどが湯堂峠の関所を突破して袋峠の関所へ向かっております。」

出水・水俣の国境を貫く薩摩街道に沿って、水俣側には四つの関所が設けてある。

関所は神川、湯堂、袋、八ノ窪の四つの峠の頂点に建てられ、各所常時二十名ほどが詰め、戦時には簡易な山城となる造りである。

山城といっても、完全に敵を食い止めるものではない。水俣城に湯児、湯鶴、朴河内の各支城から兵を集める時間を稼ぐためのものである。かって、幾たびか島津軍の侵攻を受けたが、敵が四つの峠と関所に難渋している間に防備を整え、支城含めて千ほどの兵で、万を超える敵を幾度となく撃退してきた。つまり、水俣を攻めるには一万ほどでは足りない。それを島津も重々承知しているはずだ。

最近の島津軍の動きはおかしい。

今年に入って、田植えが終わった七月初めから国境を侵すようになったが、最初は百名ほどで神川の関のみを、次は三百名ほどで湯堂の関まで、こんどは五百で袋を狙うか。いったい何を考えて?

相良攻めの総大将には島津歳久がなったらしい。戦ったことはないが、相当の知謀の持ち主と聞く。無意味な動きのようでも必ず意味があるはずだ。敵の動きから慎重に意図を読み解かねば…。

犬童頼安は、相手の動きから何を考えているか見極め対処するのが得意で、防御戦をやらせたら相良家中一と言って良い。

「各支城に伝令せよ。狼煙が上がったら、いつでも参集出来るようにしておけとな。」


「おお、義虎め真面目に進軍しちょるしちょる。国兼よ、もうちょっと陸に近付けんか?」

甲板で遠眼鏡を覗き込みながら言う歳久に、梅北国兼はため息と共に首を横に振った。

「こい以上陸に近付けば、商船といえさすがに怪しまれもんど。長島や獅子島などから天草水軍がわんさと出てきもす。」

相良氏の所領である長島は、天草国人・天草尚種の弟天草尚久が治め、長島列島に居る計百艘の天草水軍はその傘下である。

「何(ない)を言うか。こん船ならば百や二百ん水軍ごとき物ん数ではなかろうが…。」

歳久が乗っているのは大黒屋所有の巨大な安宅船である。元々は大陸との交易用の船で、この船で外洋に逃げられたら、天草水軍とはいえついてこれないだろうと思われた。

「そいどん、袋湾ちゃ良く言うたもんで、こん湾は長島海峡と天草海峡に挟まれたまさに袋ん中ごわすで、そこを塞がるるとさしもん大船も危のうございもんで。」

遠眼鏡から目を離して、歳久がわざとらしく不満げな顔を浮かべた。

「そげん不満げな顔をされても、よれんもんはよれんので。」

二人は一瞬睨み合い、どちらからともなく弾けるように大笑いした。

「そいなぁ仕方んなか。佐敷ん方へいってみっか…。」

歳久の指示を受けた国兼は勢子に合図した。

安宅船は白く大黒天が描かれた黒い帆を広げると、一路北へ向かった。


(二)

 南肥前の雄・有馬氏を再び屈服させた隆信は、北肥前の最強勢力・筑紫氏の勝尾城を、肥前・筑前・筑後の二万の兵で囲んだ。筑紫家当主の広門は、まだ二十三歳の男盛りであり、勝尾七万石の領主で、二千五百の兵を有し、悪源太の異名を持つ勇猛な将である。足利将軍家の流れである筑紫家は誇り高く、家中に成りあがりもの龍造寺何するものぞとの空気が根強かった。また、安良川と四阿屋川に挟まれた山に建つ勝尾城は守り堅く、旧家筑紫家は忠義篤き戦上手の将と精鋭の兵を抱え、まさに北肥前最強の名に恥じぬ国人だった。城を囲んで十日あまり、一向に落ちる気配の無い城と、戦意の衰えぬ敵に、本陣の隆信はいらつきを隠せなかった。

「昌直!あと何日兵糧攻めすれば敵は降伏するのだ。お前はここは兵糧攻めだ。五日も囲めば音を上げるはずだと言っておったではないか!」

「すんまへん!とんだ目算違いですわ。兵糧が尽きる気配がありませんで。どうやら敵さん、交通の要衝たるこの地で大分貯め込んでおったようですわ。」

「えーい、もうよい!こうなれば力押しじゃ。全軍に総攻めの準備をせよと伝えよ。三日のうちに落とせと!」

「それも…、この堅固さでは犠牲が大きすぎまっせ!筑前攻めの前に、できるだけ兵を損じぬ戦いをすべきでっせ。」

「ではどうせよというのか!」

「……。」


「失礼致す…。」

陣幕を開けて入ってくるものがいる。

「秋月殿やないですか…、何用でこれへ?」

秋月種実は隆信に一礼した。

「兵糧攻めも、はや十日を過ぎ申したが、筑紫勢は小揺るぎもせぬ様子。このままでは味方の疲弊に加え、隆信さまの威信にも傷がつきましょう。」

「何か策があるのか?」

種実は、再び恭しく一礼した。

「筑紫広門とは旧知の間柄、お任せ下されば、本日中には筑紫勢をお味方に加えて見せましょう。」

隆信の目がぎらりと光った。

「もし失敗した折は?」

種実は静かに応えた。

「そのときは秋月家の領地、ご存分になさるがよい。」

そこまで聞いて、隆信はよかろうと許した。

種実が出ていくと、隆信は吐き捨てるように言った。

「いけすかぬ男だ。」

昌直も続いた。

「油断もなりませんで!あやつ、旗色が悪うなったら、すぐ裏切りますやろ。」


「城門に秋月種実が来ておると?」

筑紫広門は城門を開けるよう命じ、広間ではなく書院に種実を通すよう命じた。

「人払いじゃ。誰も入ってはならん。」

種実と二人になった広門はこう切り出した。

「遅かったではないか。」

種実は一礼した。

「すまぬ。熊めが意外と我慢強うてな…。」

「ここまで粘れば、筑紫も高う売れるか…。」

「秋月の値も、おかげで大分上がった。」

ふふふ

種実と広門は密かに笑いあった。

その日のうちに筑紫家は、領地安堵の条件で勝尾城を開城し龍造寺家へ降った。

これで龍造寺家の肥前統一は成ったのである。


(三)

「ああ…、仙はいったいどこにいってしまったのかしら。」

いつもの大欅の下で、法姫が南の方を向いて心配そうに言う。

仙が姿を消してから半年以上経過した。

「仙は肥後に行くといっていたのよね?」

「うん…。」

誾千代は頷いた。実は法姫には全てを伝えたわけではない。

もう会えぬということも

仙という人間はどこにもいなくなるという謎の言葉も

法姫が心配するに決まっているからだ。

誾千代と法姫は友

誾千代と仙も友

では、法姫と仙は?

誾千代は、友という以外に不思議な縁があるのではないかと感じていた。

明らかに誾千代とは違うつながりが

「お誾…。」

法姫が調子を変えて言った。

「そう言えば、よく訪ねてくる弥七郎様も、最近見ないわね。」

弥七郎こそ肥後に行きっぱなしである。甲斐宗運のもと、兵法を修めるべく頑張っているらしい。

「みんな離れていくのね。これが大人になるってことかしら…。」

法姫の背中はどこか寂しそうだった。

「ああ、何か足りないと思ったら、金牛たちもいないじゃない!」

金牛たちは、拐しの捜査で忙しい。誾千代ですら数カ月会っていないのだ。

こちらは、やっと犯人の尻尾を掴みかけているという話だ。

「よいしょっと…。」

法姫が誾千代の隣に腰かけ、その頭を肩にもたれさせた。

「お誾…。」

「なんじゃ?」

「二人っきりね…。」

肩越しにそう言われてどぎまぎした。

お福が遠くから「おらもいますだ!」と叫んでいる。

「静かね…。」

法姫はその声が聞こえないように言った。

「お誾、あのね。」

「なんじゃ?」

「私は心配なの。」

「何が?」

「今が…、そのうち何か悪いことが起きる。予感のようなものがあるの。」

阿蘇の神降ろしの結果は、どんな過酷な運命が待っていようと自分らしく堂々と人生を行けというものだった。

「わかっている。恐れたりはしないわ。ただ心配なの。自分のことじゃなく、周りがね…。」

「お父上は戦か?」

「うん…。肥前で隆信のおじい様と一緒にね。」

隆信のおじい様

龍造寺隆信は不倶戴天の敵で、そのうち筑前になだれ込んでくるといった噂が絶えない。それでも…、法姫にとっては血を分けたお祖父様だものな。

遠くから馬のいななきが聞こえてきた。

こちらへ向けて疾走してくる騎馬がいる。

「誾千代様!」

知正の爺だ。

「お父上様がお呼びでございます!」

「父上が!」

父が呼ぶとは珍しい。いずれにせよ急用に違いなかった。

誾千代は法姫に別れを告げ、筑前へと馬を駆った。


(四)

 肥後から帰還した仙(今は円城寺信胤)は、水之江の近郊・与賀城の城主となった。そればかりでなく、他の城主がそうであるように水之江の町中に広大な屋敷を与えられた。信胤は、与賀の城を家老の岡本善右衛門に任せ、もっぱら水之江の屋敷にいた。そうでないと、再三の隆信の呼び出しに対応できないからである。

 女子であることを隠せと隆信に命じられた信胤は、戦の時は面頬をつけ顔を隠し、平時は目だけが出た頭巾をすっぽり被っている。屋敷には小者五人女中四人が雇われているが、口さが無い水之江の民人同様に信胤のことを詮索した。

「お病気らしい。そのため真っ赤な痣があるって…」

「いや、大きな刀傷があるって話だ。」

「私はやけどって聞いたよ…。」

 こそこそ話し合われる様子を信胤は見て見ぬ振りをした。それでも、抱える秘密は外でも内でも気が抜けないもの。いっときも気が許せない状況が、信胤の心を次第にとげとげしたものにしていった。些細なことで叱責されるため、仕える小者、女中ですら、用のある時以外は遠巻きにする。

 そうした環境に居る信胤は孤独だった。

 法姫や誾千代に会いたい。

 そう思う日々が続いた。

 遠乗りに行き、柳川を眺めたことは幾度もある。

 ある日、信胤は自分をつけまわす影の存在に気付いた。外出時はおろか屋敷でも城でもその存在を感じるときがある。

 いったい何者

 いったいいつから

 確かめたことはあったが、影はようようその姿を現さなかった。

 水之江の町に出た時、いつものように影の気配を感じた。ようし今日こそは…

信胤は急に駆けだした。影が慌てて追いかけてくるのが分かる。

 ざっ

 武家屋敷群のところで急に角を曲がった。

 !

 信胤の姿が忽然と消え、慌てた影は道に飛び出してしまった。

 きょろきょろあたりを見回しながら壁の間の行き止まりまで行く。

 ばっ

 突然、武家屋敷内の松の木から怪鳥のように降り立つた信胤は

 影の背中に匕首を突きつけた。

「お前、何者だ…。」

 影は大きな男だった。背だけなら父より大きい。七尺五寸はあるのではないか。

「お前、見たことあるぞ…。たしか父の旗本の…。」

「え、え、江里口…と、藤七…。」

 大男は震えながら名乗った。

「父の旗本がなぜ私の後を付け回す!父の命か…!」

「ち、ち、ち、ちがう…。」

「ではなぜだ…!」

 背中に付きつける刃がさらに強く当たった。大男は震えながら大汗を流している。

「お、お、おらは、おらは…。」

「お前、百姓の出か…?」

「ち、ち、ち、…れっきとした…。」

 どもりながらの説明を聞くと、江里口村という山奥の足軽の息子らしい。百姓ではないが、平素の暮らしは百姓より貧しいらしい。

 素性を聞いて信胤は親しみを持った。聞けば自分と似た育ちだったからだ。しかし、あることが閃き、突きつける力は更に強くなった。

「お前の顔、そういえば何度か見たことがある。言え!どこまで知って、何のために…!」

 水之江につれてこられたばかりの頃、人さらいに襲われた夜、柳川で法姫らと会っているとき、父と出歩いているとき、よく思い出すと、この馬のような間延びした顔は、女の恰好をしているときに、何度も見た顔だ。もしあのときの仙と、この信胤が同一人物と知っているなら生かしてはおけぬ。

「お、お、おらはただ…。」

「ただ何だ!」

「こ、こ、こ、…こんただ綺麗な方は…見たことがない…ので!」

 大男の顔がぱっと赤らんだ。

「戯れを申すな!」

 かっとした信胤は、大男の肩を掴んで振り向かせ胸を刺し貫こうとした。

大男は力を抜きされるがままになっている。

「なぜよけぬ。なぜ逃げぬ。…命は惜しうないのか?」

 本当に初めてだった。こんな男は

「お、お、お、おらにも…わかんね…。」

 信胤は男の目をじっと見た。山奥の川のように澄んだ光がそこにあった。

 うおーーーーーーーーーーーーーーーーっ

 なぜかはわからなかった。口が自然と叫んでいた。

 信胤は大男を置き去りに、叫びながら町外れの方へと走り去った。


(五)

道雪は立花山城の書院で待っていた。

「来たか…。」

誾千代が入っていくと、いつになく硬い表情で一言そう言った。

「聞いたそうじゃな…。母のこと…、そして、姉のこと。」

誾千代が頷くのを見て、道雪は目を閉じ天を仰いだ。

「…十一歳になったか。」

はい、と誾千代は短く言った。

「ならば教えよう。我が家にかけられた呪いのこと…。」

目を閉じたまま道雪は語りだした。


 わしがまだ十八のころじゃ。

 その頃のわしは、大友庶流・戸次家の嫡男(鑑連)として、戸次家二千の軍を率いて豊前を巡っての大友、大内の争いに出陣し、戦ばかりの日々を送っておった。

 ある日、戸次領である藤北の地において、ひとりで見回り中、にわか雨に会うたわしは楡の大木のたもとで雨宿りをしておった。しばらくして、むくむくと黒雲が湧きあがり、青い稲光と共に、聞いたことが無いような轟音が響いた。雷なぞは何度も経験しておったが、初めて感じる荒々しさ。稲妻は目の前の叢に何度も落ちた。面妖なと思い黒雲を見つめると、中にゆっくりとうごめく姿を見つけたのじゃ。しっかり見つめ直すと、二つの角、裂けた口、大きな牙、3本指に鉤爪、まさに絵で見た雷神そのものの姿じゃった。

 木の下でじっと見つめておると、奴はわしが見ているのに気づいた。そして、どうするかと思う間もなく、恐ろしげな喚き声を上げて、猛獣のように襲いかかって来たのじゃ。わしは思わず腰にさした伝家の宝刀・千鳥を抜いて襲い来る黒影を真一文字に斬り裂いた。その瞬間、恐ろしい叫び声が辺りにこだまし、焼け焦げた匂いがばっと鼻をつき、わし自身、身体が引き裂かれるような激痛と痺れが襲ってきた。さしものわしも、激痛で気を失い倒れた。

 気がついたとき、天は嘘のように晴れ渡っておった。しかし、周囲は大火の後のように焼け焦げ、わしは身体がしびれて起き上がれなかった。家の者が探しに来て、薬師を呼んで大騒ぎになったが、わしの足は二度と動くことは無かった。これでは武将として役に立たんと出家したものの、大内家との戦いが激しくなる中、指揮だけでも必要じゃと言われ、戦場から離れるわけにはいかんかった。

 父・親家はわしの足をなんとか治そうと、お前も行った阿蘇神社の火巫女のもとへ連れて言った。そこで下った神託は「雷神の呪いじゃ。」というものじゃった。お前は雷神を滅したため呪われた。その呪いで、二度と立てず。妻も子も持てず。たとえ持ったとしても、妻は早死にし、子は成人を待たずして死ぬじゃろうと。何とかしてくれと父は必死に頼んだ。

「神の呪いは強大じゃ、阿蘇の神々とてなんともできぬ。ただ、お前は神を斬ったことで、強力な魔除けも得ておる。」

 道雪は床の間の太刀を手にし、その鞘をすっと抜いた。その瞬間、青白い光がまるで雷光のように辺りに乱舞した。

「この宝刀・千鳥こそ、神を斬って得た強大な魔除けじゃとな。こうも言った。名は体を表すもの、今後はその刀を雷斬りの太刀と呼ぶが良いと。」

 道雪は雷斬りを鞘に納めると、右手でさしだし、誾千代に取るようにうながした。

「女子の成人は十二歳と言われておる。お前の姉も十二歳で死んだ。それだけでなく、いままで娶った妻たちも、生まれた子たちも全て早死にした。これを呪いというか、宿命と言うかは知らず。ただ父として、お前には健やかで長生きしてほしいと切に願う。」

 誾千代は促されるまま雷斬りを手にした。思いのほか軽い、そして、鞘を通じて痛いような痺れが伝わってくる。

「火巫女はこうも言った。雷神を倒したのはお主の宿命、呪いを受けるもお主の宿命。人は皆、それぞれ宿命を背負っており、それと戦うて生きていくのじゃと。」

 誾千代は雷斬りの太刀を抜いた。道雪のときより青白い光は力強く部屋中を包んでいく。それと同時に、悲鳴を上げたいほどの激痛が全身を襲う。

「おお、雷斬りもお主を認め、喜んでおるわ…。お前の十二歳を前にして、筑前の戦が、わしに死を決意させるのも宿命じゃ。お誾よ、この雷斬りの太刀、この立花道雪にかけられた雷神の呪いと共に受け継いでくれ。過酷で非情な願いであることは重々承知だが、これも親の宿業と思うて勘忍してはくれぬか。」

 誾千代は雷斬りを抜いたまま頷いた。その決意に呼応するように、青白い光はどんどん強くなっていった。





















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