第39話 また、…歩き出す。

(一)

「どがんした?暗か顔ばして…。」

佐伯の城下町を歩く弥七郎は、明らかに落ち込んで歩いていた。

いや、竹田以来ずっとだ。

こんなにも違うのか…

改めて志賀親次との差を見せつけられたのだった。同い歳としては無理からぬ。

宗運、鑑康、親次が顔を突き合わせて、筑前の対策を話し合う中、一番歳若のこの男は大胆な提案をした。

筑前放棄である。

高橋紹運、立花道雪ら大友家の武将を豊前に転封し、大友家はしばらく豊前豊後の守りに専念する。では、筑前はすんなり龍造寺隆信の手に落ちるのか?親次はそう簡単ではないと言った。まず、博多を手に入れ、関門海峡の支配権を貫徹したい毛利が黙っていない。筑前は必ず龍造寺と毛利の争いの場になる。仮に隆信が筑前全てを手中にした場合、肥前、筑前、筑後で単純計算では五万~八万の兵が動員でき毛利と十分対抗できるはずだが、そうはいかないとも言った。原因は筑後の蒲池鎮漣である。隆信の女婿である鎮漣は、今のところは大人しく龍造寺に従っているように見えるが、その性質は虎狼のそれであり、隆信の隙を見て必ず叛旗を翻すはずだと親次は言った。

「龍造寺と蒲池は近々必ず争う。大友はそのときまで力をためて、漁夫の利を狙えば良いのです。」

豊前豊後併せて、本来は最大兵力約五万であるが、度重なる戦乱に疲弊し、現在は三万強の兵力しかない。しかも要の臼杵鎮続がいなくなった後、有力な武将が不在で十分に統治出来ているとは言い難い。大友家の双璧たる二武将は、守りの面でも兵力回復の面でも十分にその力を発揮してくれるはずだ。

正式な初陣前の弥七郎が考えても、大胆だが優れた戦略だった。朽綱鑑康はさっそく府内に具申に行った。あの田原紹忍が受け入れるかは怪しいものだが…。

「なんな?親次のこつば考えよっとな?」

「いえ…。」

「気にしちゃいかんとばい。親次は親次、弥七郎は弥七郎ばってん。」

「しかし、こうも出来が違うと…。」

「おない歳じゃち、関係なかったい。大器晩成ちう言葉ばしっちょんな?」

「はあ…、ですがあれは出来ん者への慰めというか…。」

「馬鹿言うちゃいかんばい。よかな、大器晩成ん意味つは、大きい器を作るにや当然時間がかかっちゅうこつば言うとたい。人に喩ゆっとな…。」

「はあ。」

「親次は天才ばい。あの年でなんでん分かっ。一を聞いて十を知るつはあんこつよ。ただしな、一を聞けばもう二から先は知らんでよか、学ばん、体験せんというこつは後々、二から先を体験した人間とは大きな差になるつばい。」

「どういうことでしょうか?」

「よう考えてみ、体験からしか得られんこつはある。失敗から学ぶこつは大きか、ばってん、天才は失敗せん。先がよう見ゆっけんね。失敗の損失を考えて、失敗を上手に避けち生きる。陽をたっぷり浴びて、すらりと真っ直ぐ伸びた大木んごつある。」

「…。」

「天才じゃなかもんは努力をするしかなか、どげん努力してん賢さが足らんので失敗するこつもあっじゃろ。ばってん、そん失敗に負けんで努力するしか無か。天才から言わしたら無駄な時間ちなっじゃろう。」

「…。」

「そん積み上げた失敗、積み上げた努力から得られたもんは、ときとして知恵を跳び越ゆっとばい。努力に勝る天才なしち言うじゃろうが!特にな、弥七郎、おまんのごたる不器用もんは、人の二倍三倍努力せないかんとばい。」

「はあ…。」不器用と言われた弥七郎は複雑な顔をした。

「おっ、話しおったらもう日向に入ったばい。門川はすぐじゃ、暗か顔はやめんな…。」


(二)

 その朝、仙は長恵から呼ばれた。秘伝の奥義を教えるという。

「つまりな、もう教えることが無くなった。免許皆伝ってことさね。」

 えつ!こんなに早く…まだ半年ではないか…。

 そう思う仙の気持ちを察してか長恵は言葉をつづけた。

「そもそもタイ捨流に型はねえ。免許を与えるかどうかは、わしが直に見て決めとる。十年たってもだめなもんはだめだし、一月でもいいもんはいい。だいたいお前は半年で仕上げろと言われていたしな。まさか本当に半年で出来るようになるちあ思ってなかったがよ。」

 言いながら長恵は木刀を投げてよこした。

「打ち込んできてみろ。」

 木刀を拾い、鋭い出足で打ち込む。長恵は躱さずに打ち返した。

かっ、かっ

二撃、三撃、狙いを変えて次々と打ち込む攻撃を打ち返していく。

…かっ、かっ、かつ、かっ

出足を変えて打ちかかっても、長恵は変化に対応して撃ち返す。

かかつ、かつかっかつ

肩で息を始めた仙に長恵はこう言った。

「気づかんのか?」

かっ、かっ、かっ、かっ

何が?

かっ、かっ、かっ、かっ

分からない。頭がぼうっとしてきた。

かっ、かっ、かつ

どこかで聞いたような音

かつ、かつ、かつ

頭の音でぴーひゃらと笛の音が響く。

そうか

かっ、かっ、かっ、かっ

…祭囃子だ。

「わかったかよ…。」

長恵がにやりと笑った。

「人って言うのは不思議なもんでな。戦いで打ち合っていても、まるで敵と気脈を通じたかのように拍子を合わせちまう。祭囃子のようにな。そいで打ち合う敵は技量が互角に近く、それに勝つ技こそが奥義さ。剣の奥義たあご大層だが言葉で説明すれば簡単よ。出来あがった拍子を外せばいいんだ。」

「…」

「だがよ、言葉で言うのは簡単だが、敵と自分で出来上がった拍子を外すのは容易じゃねえ。拍子を外してみろ。」

切り替えて、今度は長恵が攻撃してきた。

かっ、かっ、かっ、かつ

四方八方から繰り出される攻撃を、避けるのが精一杯だ。

かっ、かっ、かっ

後ろに壁を感じ、回り込もうとしてつんのめった。態勢を立て直そうと思わず木刀を振った。

だん

木刀は偶然長恵の出足を捉え、脛を強かに打った。

「それだ!」

長恵がニッと笑った。

「相手の意表を突く。ずるかろうがなんだって構わねえ。どんだけ恰好悪かろうが生きていた方が勝ちだからよ。」

そして、今から女のお前が男に勝つ究極の技を教えると言った。

「女の身体は、残念ながら男と比べて戦いにはむかねえ。どんだけ鍛えても、体力、筋力ともに同じくらい鍛えた男には敵わねえ。そんな体力差のある男と戦うにゃあ、できるだけ打ち合わないこった。そのための技は突きだな。」

突きも受けられる避けられる。そうすると拍子が生まれる。拍子を外す攻撃も出来るが、打ち合うわけではない突きに関する拍子の外し方は独特だ。

「こっから先は秘中の秘、秘奥義だ。それも邪剣の部類だな。憶える気はあるかい?」

仙はこくりと頷いた。


「一度しかやらんぞ。これが秘奥義「無拍子」だ。」

走りながら頭の中で映像を反芻する。

なぜ、今日という日に奥義を教えてくれるのか?

「実はな。今日迎えが来るって連絡が来たのよ。」

ええっ、急だと思った。岡本善右衛門あたりが来るのだろうが…

…おっ母にお別れを言わなくっちゃ。

明日はだめだよ。商売の書き入れで忙しいんだ。

昨日、八重は言っていたがお別れだ。

「ちょっとならいいだろう…。」

茶店に向けて走りながら思った。

まてよ、何もさよならせずとも、八重は天涯孤独の身だと言った。

自分は城主になるのだから、そこで働かないかと誘えばいいや。

おっ母も肥前に来てもらおう!

茶店に向け、足は自然と早くなった。


(三)

 その日、柳川城では、恒例の曲水の宴が、都より従三位権中納言・西園寺実益を迎えて行われていた。山里廓に三間ほどの高さの月山を作らせ、一尺ほどの幅の小川が上から流れるようにして、上流からいくつか桟敷を置き、盃が流れてくる間に詩歌を詠む。古式ゆかしい風流な遊びだが、質素倹約を旨とした鑑盛が生きていたころは考えられなかった。玉鶴の方がしつこくねだって、鎮漣が根負けし実現したのである。

 最上流の桟敷には実益が、その下には伯父の田尻鑑種、家老である兄の鎮久、貴族ばりに十二単衣を着こんだ玉鶴の方と徳姫、最後に鎮漣が座った。

「法姫はどうしたのだ?」

 玉鶴の目くばせにより、侍女がすぐ「ご不興を訴えられ…。」と申し述べた。

「具合が悪いのか…。詩歌は上手じゃのに…、ならばしかたない。はじめるとしよう。」

 長烏帽子を被り、緋色に金糸で刺繍のある束帯を着た貴族風の出で立ちの鎮漣が上流の実益に向け一礼した。

「ならば麿から参ろう。」

 薄笑いを含んだ甲高い声

 でっぷりと太った身体を紫の束帯に包んだ貴人は、烏帽子から流れる汗を拭いもせずに詠んだ。


 草枕 むすぶ仮寝の宵宵も 宿こそかはれ 月はかはらず


 歌は普遍的、ありふれたものだ。大名の饗応を主な収入源としている没落貴族ならでは、どこの家中でも同じような歌を詠んでいるに違いなかった。

実益は貴人らしく流れてくる盃を優雅に掬い、濁酒をくっと飲み干す。

お付きの侍女が古式にのっとりさっと盃を受け取り、酒を注いで流す。

「次は伯父上じゃな。」


 今の世の 人の心やしらねども 雨風騒ぐ 浮雲の空


 油断ならぬ戦乱の巷を詠んだものだ。

 これも使いまわしだが、

 田尻家は旧家であり、武人である隆種も詩歌のたしなみがある。

 それは妾腹ではあるものの、旧家蒲池家の鎮久も同じだった。

 やはり戦乱の世のはかなさを詠む。


 とにかくに 限りある身を厭わじな おろかなるにも よらぬ浮き世は


「おお兄上、なかなか趣のある唄じゃ!」

 鎮久は頭を下げたが、酒に酔う鎮漣のはしゃぎっぷりに、隆種は眉をひそめ、実益は聞こえぬように舌打ちした。


「姫様、姫様!」

お福が飛び込んできた。

「どうしたのです。ばたばたと…。」

法姫は経を書く筆を置いた。目は見えずとも、祖父鑑盛が手を取って教えてくれたものだ。

「や、や、山里廓で、き、き、曲水の宴が…。」

ぜえぜえ言いながら、かろうじて言葉になった。

貴人が来ているのは聞いていたが、そういった宴があるのは聞いていない。

母か…。

法姫はすくっと立った。

「福、着替えを。」

「どうなさるのです?」

「わたしも…参加します。」


鎮久が盃を流そうとしたとき、実益に向かって玉鶴が言った。

「こたびは、私に代わって娘徳姫が和歌を詠みたいそうにございます。」

実益は驚いた。

「なんと、その幼さで…大丈夫かの?」

「あい、この徳姫、幼きながらなかなかに利発、どうか詩歌の出来も見て上げてくだされ。さあ徳姫…。」

 着なれぬ十二単に息苦しそうな徳姫は、少しおどおどしながら立ち上がり、おずおずと歌を吟じだした。


 夏の日を よそにみ山の唐衣 たもと涼しき 滝の音かな


「おお、なんと大人びた…。見事じゃ!」

実益が手を打って喜び、鎮漣も隆種も何度もうなずき満足そうだ。

なんとも姑息なまねをするものかな。

どこかで聞いたような歌

鎮久は、あれは玉鶴が知恵をつけたのだろうと感じた。

そもそも鎮久は、赤星家からきた先妻を追い出して、しれっと後添いに収まっているこの勝気な義妹が気に食わない。

今日とて、赤に金糸銀糸を使った刺繍のある派手な単衣も下卑た感じがして気に入らなかった。

そんな義兄の思いを知ってか知らずか

玉鶴の方は満足げに盃に酒を満たし流そうとした。そのとき


「父上、遅うなりました。」

いつの間にやら、爽やかな緑地の唐衣装装束に身を包んだ法姫が後ろに立っていて、玉鶴はうっかり盃を落としそうになった。

「宴の途中で…無礼であろう!」

玉鶴の叱責に動じるそぶりも見せず、法姫は実益に向けて平伏して言った。

「蒲池家の一の姫・法にございます。遅れて失礼いたしました。わたくしも一歌献じたく存じまするが、お許しいただけますでしょうか?」

突然現れた法姫の美しさにほうと見とれていた実益は、扇子を振りながら許す、許すと繰り返した。

法姫はすっと立ち、月山の方に向かって一気に詠んだ。


朝霧に なびく梢の緑にや しばし忘るる 花の面影


万座は静まり返った。しばらくの沈黙の後 口火を切ったのは実益だった。

「見事、まことに見事、古の歌人もかくやという出来じゃ。これは亡くなられたそなたの祖父や叔父への思いも入っているのであろう。そこも含めてなんという趣、麿は感動したぞ!」

人を感動させるに足る気持ちの入った歌だった。それと同時に、徳姫(実は玉鶴)の歌の軽さ、空々しさが目立ってしまった。

鎮漣は涙まで流して感動している。

法姫は実益に向かって再び平伏した。あくまで優雅さを崩さずに

ばきっ

法姫の耳に音が響いた。

幼い妹が怯えているのを感じた。

母が震えながら折った扇子を握りしめているのが分かった。

それでも平然と法姫はそこを動かなかった。

堂々と…

そうでしょう兄様


(四)

誾千代は、もやもやしたまま田植えで忙しい隠し谷を訪れていた。

田植えの列から、手足が泥に汚れたお竹が走ってきた。

「これは姫様!」

誾千代はあたりを見回して言った。

「金牛は?」

「へっ、お頭ですか?あいにくと今、お出かけで…。」

「どこへ?」

「へへ、おらには全然、あっ北斗さま…!」

銀色に染めた髪を鉢金でまとめ、甲冑を着こんだ大女が通りがかった。

身の丈は金牛には劣るが、五尺五寸の長身であり、金牛ほど筋骨隆々とはしていないが、しなやかで力強い筋肉質である。

誾千代をじろりと見ると

「ふん!」

鼻を鳴らして行ってしまった。

「すまないねえ、あんな態度でさ。」

呆気にとられる誾千代の肩をポンと叩くものがいた。

「あっ、美馬。」

振り返ると、村人と一緒に田植えをしていたらしく、手足を泥に汚した美馬と幼い妹の三途がにこにこ笑って立っていた。

「五福星の中でも、あいつは副首領格なんだが、どうも侍が嫌いらしくって。金牛があんたとつるんでいるのも苦々しく思っているらしいんだよ。」

百名を超える盗賊団「風盗賊」の組織は、それぞれ二十人からなる五つの小隊に分けられ、五福星と呼ばれる小隊長が率いていた。その五人とは、北斗を筆頭に紅猿、飛天、蝙蝠、美馬である。

「なぜ侍が…?」

「詳しいことはあたしもわからない。あいつは石見の出なんだが、なんかね、親が戦に巻き込まれて死んだらしい。」

「そうか…。」

誾千代は遠くを見るような眼をした。何か深く考えているようでもある。耳川の合戦を経て、一番変わったのはこういうところじゃないかと美馬は思った。大人になったということなのかねえ。

「金牛に会いに来たんだろう?」

誾千代はあっという顔をした。

「あいつなら筑後に行ってるよ。最近また肥前・肥後・筑前・筑後で幼い子供や若い女の拐しが増えたってんで調べに行っている。」

何か嫌な予感がした。


(五)

 街道の茶店には、猪や熊の毛皮を纏い、弓を背負った猟師の恰好をした男たちが集まっていた。車座の中央に居る男が周囲を見回して言う。

「よいか、本日が鷹狩りの日。決行の日じゃ。我ら勢子として鷹狩りに加わり機会を窺う。狩りの最中、馬に乗った相良義陽が一人になるときは必ず来る。狙うはその一瞬のみじゃ!」

 おお

 男たちが叫んだ。

 一斉に立ち上がり出ていこうとするのを中央の男が制した。

「まて!」

 口に指をあて、そうっと障子に近寄り、一気に開け放った。

「娘、今の話、聞いたな!」

 廊下に青い顔をした仙がいた。

「かわいそうだが生かしてはおけん。それ!」

茶店の主人が懐に右手を入れながらすすっと前に出た。

意表を突かれた仙は廊下から転げ落ちる。

男はうつ伏せになって前へすざろうとする仙に、懐から匕首を出し跳びかかった。

ぎゃっ

背中で声がした。柔らかい身体がしなだれかかってきた。

「八重、お前ぇ!」

声で振り向くと、胸に匕首を突き立てられた八重だった。

「おっ母!」

「お逃げ…、はやく…はやくお逃げ!」

仙を押しやると、八重は気力を振り絞って立ち上がり、両手を広げて男たちの前に立ち塞がった。

「八重!」

「裏切るのか!」

「おっ母!」

「いいから、…早くお逃げってば!」

様々な声が交錯し、一斉に抜かれた刃物が光を乱舞させる。

新緑を照らす陽光のもと、飛び散った血が真っ赤に地面を染めていく。

「おっ母ー!」

背中で愛しい声を聞いて、八重は微笑みながら前に崩れた。

「愚か者めが!やはり女子は女子、それ以上にはなれぬということか…。」

井尻神力坊は地面に横たわった八重に片手で合掌すると、その前に座り込む仙を指して言った。

「次はあの娘だ!」

その声に咄嗟に反応したのは仙の方だった。八重の胸に刺さった匕首を引き抜くと、炎のような目で神力坊たちを睨みつける。

「よくも、よくもおっ母を!」


ごっ…

つむじ風が吹く度、次々に忍びたちが倒れていく。

相手は街道わきの森を巧みに利用して隠れ、手裏剣すら避ける。

山くぐり衆の手錬たちが追いつけない速さ

こいつは何だ?女子の姿はしているが化け物か?

井尻神力坊は舌を捲いた。

これ以上、被害が広がらぬためにはわし自らしとめにかからねばなるまい。


しゅっ

無数に放たれた手裏剣を藪に転がり込みながら必死にかわす。

藪の中には匕首を手にした神力坊が待ち構えており、刃を咄嗟にかわし慌てて飛び出した。

だめだ。相手の方がずっと速い。強い。

再び襲い来る手裏剣を転がりながらかわす。

ここで死ぬのか。

そうなら、せめておっ母の仇と刺し違えたい。

仙は覚悟を決めた。

相手を誘うように街道の真ん中に身を晒す。

ここで死ぬ。

それでいい。


なんだ?

何を考えている?

神力坊は仙の意図をはかった。

そうか

相討ち狙いか。

幼いわりによく覚悟した。

天空を見上げた。

そろそろ鷹狩りが始まる。

急いでかたをつけねば…。

懐には煙玉が数発ある。

ここで一発使っても、暗殺に影響は無いはず

煙で目をくらまして確実に殺す。

「誰か来やす!」

配下の一人が警告を発した。

人吉側から街道を何者かが歩いて来る。

大きな男だ。

いや、大きすぎる。


「何をやっておるのだ?」

背中から割れ鐘のように辺りに響く声

獅子の咆哮の如く、低く太く、周囲をただただ畏怖さす響き

だが、今の仙にとっては涙が出るくらい懐かしい。

その巨躯の主は、折り重なる辺りの死骸を見回して言った。

「ほう…、これは全てお前がやったのか。」

仙は振り返らずこくりと頷いた。

「なるほど、文にはあったが、お前もこの肥前の熊の子だったということだ。」


熊、肥前の熊じゃと

神力坊は我が耳を疑った。

肥前の龍造寺隆信が、供も連れず、丸腰でこんなところに現れるのか?

そう言えば、隆信の子が丸目長恵のところで修行しているという情報があったな。

それに、七尺を軽く超えるこんな巨漢はこの世にそう多くはいまい。


巨大すぎる隆信は、潰れるので戦場でも馬に乗っていない。


これは霧島神宮の神々が、我らに与えた千載一遇の機会だ。

もはや鷹狩りは始まっている時刻、今から紛れ込むのは難しい。

龍造寺隆信は、いずれ島津家の前に立ちふさがる強敵になると忠棟が言っていた。

そして、相良義陽の首と隆信の首の価値は比べ物にならない。

隆信を殺せという天啓じゃ。


神力坊はさっと左手を上げた。周囲の森に殺気が満ちる。

肥前の熊は、読んで字のごとく、人間離れした強さだそうじゃが、我ら一斉にかかれば…。

左手がさっと降ろされた。繁みや枝の上から、忍びたちが一斉に一点目がけて襲いかかっていく。

べしっ

びこっ

聞いたことの無い嫌な音がした。

隆信は平然と立ち、その周囲に、頭がつぶされた忍びたちの死体が転がる。

素手で、それも右手一本を何気なく振ったようにしか見えなんだが…!

目前の熊がニヤリと笑った。

神力坊は一瞬で恐怖に支配された。

しかし、首領たる身で逃げ出すわけにはいかない。

最速で迫れば必ず刃は届く。

左半身で右手の匕首を後ろに引き、右ひざを曲げた前傾姿勢で構える。

今までこの技でしとめられなかった敵はいない。

とっ

一瞬、神力坊の姿が消えた。

いや、全速前進しながら右に左に高速で動き、まるで数十人に分裂したかのように見える。

「ほう…。」

隆信が感心したかのように一つ息を吐いた。

「これが我が奥義分け身の術じゃ!龍造寺隆信、この井尻神力坊がその命もろうた!」

「ふん。」

隆信はつまらない音でも聞いたように顔をしかめた。

そして面倒くさそうに、左手を上から下にぶんと叩きつけるように振った。

べこつ

「が…っ!!」

神力坊の頭は、まるで豆腐を押しつぶすように潰れた。頭の残骸を乗せた身体は、しばらく何が起きたか分からぬようにうろうろ動き回ったが、どんと突っ伏すとぴくりと一回震えて動かなくなった。

「座興にもならんな。つまらん。」

隆信は踵を返し、すたすたと歩き出した。十歩ほど歩いて振り返り仙に声をかけた。

「どうした、ついて来んのか?」

「はっ、はい!」

仙は後ろを振り返り、心の中で呟いた。

さよなら、おっ母

そして前を向いて隆信のあとを追った。


熊の子

お前もこの肥前の熊の子


大きな背中に向かって初めて呟く。

ち…父上。

そしてすうっと息を吸って再び心の中で呟いた。

さよなら、仙






























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