第38話 嵐の前

(一)

「いってきます!」

各手に桶を下げて、外に向かって元気よく走り出す仙を見て、門弟のひとり夏目修吾が不思議そうに言った。

「水汲みが、そがん楽しかっでしょうか?」

「さあな。」

煙管を口から離して、輪っかの煙を吐きながら長恵は楽しそうだった。

たいした天分だ。さすがは冷酷苛烈な熊の子か。

正直舌を巻かざるを得ない。人を躊躇なく殺せるというところも含めてである。

特に天狗太夫に対する攻撃は、死体を調べて分かったことだが、仙との体格差ではこれしかないという方法で倒している。

全体重をかけて、心臓を一突きにしただけでなく、足場の悪いところへおびき寄せ、崖からの落下を利用して分厚い胸を貫いている。

命がけでやった?いや、おそらくは自分が助かるという計算の上で…

そう考えると、さしもの長恵も背筋が凍りつくような思いだ。

たった十二歳の女子なのだぞ…。


「おばちゃん!これくらいでいい?」

仙がわらびやぜんまいを両手いっぱいに抱えて聞いた。

「ああ助かるよ。ごめんね、自分も水汲みがあるのに…。」

仙は満面の笑みで言った。

「いいって、これくらい大したことないよ!」

八重は竹かごに山菜を入れながら言った。

「なにかお礼しなくっちゃいけないね。あたしに出来ることはしれているけど…、何が欲しい?」

「お礼なんかいいよ。」

「それじゃあ、あたしの気が済まないよ。何でも言ってごらん。」

言われた仙はもじもじし「やっぱりいいや!」と言った。

「なにさ、何でもいいから言って。」

「それじゃあ…。」

真っ赤になって下を向いたまま仙は言った。

「…おっ母って呼んでいいかい?」

「!」

八重は雷に打たれたような顔をしている。

「やっぱいいや!迷惑だよね。忘れて…!」

八重は、走り去ろうとする仙の手をひっぱり抱きしめた。

「いいよ、おっ母って呼んでごらん!」

「いいや、やっぱり照れくさいよ!」

八重は両手で仙の顔を、自分の顔の前に引き寄せて言った。

「お願いだから言っとくれ。」

瞳がゆらゆらとうごめいた。仙は目を離さないでぽつりと口にした。

「…おっかあ…。」

八重はぐっと胸元に仙の頭を引き寄せた。

「もっと、もっと言っておくれ!」

「おっかあ、…おっかあ!」

「ああ、せん。せんよ!」

初夏の風がごっと吹き抜け、抱き合う二人の黒髪を揺らした。


(二)

「姫様が、姫様がお戻りになられました!」

「なんとな!今、なんと申した!」

玉鶴の柳眉が逆立った。

走り込んできた侍女は、平伏していた頭を床に擦りつけるようにして言った。

「法姫様、阿蘇からお戻りになられました!」

ぱきっ

手にした扇子をへし折って、わなわな震えながら玉鶴は言った。

「法姫が阿蘇から帰ったじゃと…。」

「母上…?」

隣に座っていた徳姫が怖いものを見たように怯えた。

ざっ

玉鶴は裾を引いて立ち上がり、侍女の上をまたぐように廊下へ出た。

振り返ると、廊下の奥からしずしずと何事も無かったような顔をした法姫が歩いて来る。

気のせいか、いつもより堂々と見えた。

玉鶴はあえて法姫を無視し、後ろをついて来るお福を怒鳴りつけた。

「お福!これは一体いかなる仕儀か!」

お福は弾けるように廊下に平伏した。

すっ

法姫は、お福を庇うように前へ出て頭を下げる。

「母上、今帰りました…。」

今までとったことのない挑むようなその態度は、玉鶴を一瞬ひるませた。

「おう、息災で何よりじゃ。いや、前より逞しうなられたか…。」

「いろいろ…ありましたゆえ。」

にこりとした微笑みが意味ありげだ。

「おことは何が言いたいのじゃ!」

いらいらしたように言う玉鶴に、笑みを崩さず法姫は近づいていく。

「なんじゃ、一体どうしようと?」

思わず後ずさる玉鶴に、法姫はぽつりと言った。

「おどきください。」

「?」

「そこをおどきください母上。これから父上に旅の報告に参ります。」

「たっ、旅の報告じゃと!」

「ええ、…お福行きますよ!」

お福は慌てて立ち上がり、玉鶴に一礼すると後ろ姿の法姫を追った。

ぎりぎり

しずしずと廊下を進む背中を見詰める玉鶴の唇から血が流れた。

「母上…。」

心配そうに見つめる徳姫を顧みず、歯を食いしばりながら玉鶴は呟いていた。

「おのれ、…おのれ、おのれ、おのれっ!もう娘でも母でもないぞ!おぼえて…憶えているが良い!!」


(三)

 街道を取り囲む奇妙な山々というか丘というか、高さ十間から二十間ほどの無数岩の突起が大野川に沿って並んでいる。見たことのない異様な光景だ。

「何度来てん、こん竹田ん景色は、これぞまさに奇岩ちゅうもんたい。」

 宗運は感心しきり、弥七郎も目を見張った。

「ここい、こう伏兵ば配置すれば、攻め寄せた異国ん兵は気づきもできんじゃろ。奇門遁甲、八陣疎陣、戦術的にこの上ない場所ばい。まさに、角隈石宗ん秘蔵っ子・豊後の大鹿・志賀親次にうってつけん領国たい。」

 ほめちぎる宗運に、弥七郎は複雑な顔をしている。持ち前の負けん気と、親次への嫉妬や、元服を認められない自分へのいら立ちなど様々な思いが交錯した。

 街道を進む二人の目に馬に跨った人物がゆっくりと近づいてきた。

六尺を超える身の丈に、色白で目元涼しく、すっきりと鼻筋の通った整った顔。穏やかな笑みを湛えたその姿はいかにも貴人というに相応しい。

「おお親次!出迎えせんでん、城で待っとけば良かったとばい。」

「いやいや、兄弟子・宗運殿がわざわざ来られたのに出向かえぬわけにはまいりません。」

 大人びたものいいである。

しかもそよ風でも吹き抜けたようにさわやか、嫌みが無い。

でも、でもわしは何か好かぬ!

 複雑な思いが顔に出ている弥七郎にも、細かいことは気にならないらしい親次は、「やあ。」とばかりに親しげな微笑みを向けた。

 じゃから

 そういうところだ。気に食わんのは…。

そう思っているところへ、土煙を蹴立てて一頭の騎馬が迫って来た。

「おう、入道じゃなかばいね。いやいや、もはや還俗したとやったか。」

「宗運もおったか!ちょうど良かった。」

白髪を乱した朽綱鑑康が馬を降りながら言った。

「どうかされましたか?」

 緊急な様子にも、のんびりした口調で信次が問う。

「筑前が一大事じゃ!道雪と話す前に、お主と協議したいと思うて来た。」


(四)

「大友宗麟悪行十カ条か。書かれてあることが本当だけに始末に負えんな。」

 立花城の広間で、胡坐をかいている道雪が書状をポンと投げ出した。

「つらつらと、微に入り細に入り悪逆たる事実が並べられております。けだし名文と言っても良いかと。」

 拾って読んだ由布惟信が、わざとらしく感心して言う。

「皮肉を申すな。筑前にとっては一大事じゃ。しかし、秋月種実め。大友が落ち目になった途端に、熊めと組んで筑前を乱しにきおった。やはり油断ならぬ奴。」

 小野鎮幸が口惜しそうに言った。

「父や兄の恨みを忘れてはおらぬということでござろう。」

 城戸知正が書状をきれいに畳んで懐に入れながら言った。

 二十年ほど前のこと、種実の父・文種と兄・晴種は大友家との秋月城籠城戦の末自害して果てている。落ち伸びた種実は毛利家を頼り、大友対毛利での筑前の混乱に乗じて秋月城を取り戻した。毛利家が引くと大友家に降伏し、その臣下となっていたはずだが、大友家が衰退するや今度は龍造寺家と組んだらしい。

「原田氏や宗像氏ともがっちり組んでいる様子、三家併せて五千を超える兵が敵となっただけでも一大事でござるに、この書状が出回って、いったいどれほどの国人が公然と叛旗を翻すか。筑後に引き続いて筑前、いったい大友本家はこの事態をどう考えておるのでござるか?」

 鎮幸の問いに、黙って座っていた高橋紹運が重い口を開いた。

「今まで通りじゃ。あくまで筑前のことは筑前で解決せよ。それが鉄則じゃと、田原紹忍殿からの書状にあった。」

「そんな悠長なことを言っておると、筑後に続いて筑前も失いまするぞ!」

「鎮幸、まあそういきり立つな。あのしわい臆病者がどう言うか、十分わかっていたことではないか…。」

 惟信がなだめ、鎮幸は黙りこんだ。

「しかし困った。どうするかの…。」

 道雪が目を閉じた。

「国人まわりを続けて、信頼回復に努めるほか無いかと…。」

 紹運はそう言ったが、彼自身もその方法が効果が薄いことはわかっていた。しかし、他に手段はあるのか?


「父上!いま帰りました!」

 勢いよく障子が開いて誾千代が飛び込んできたが、場の空気に気づき、とりあえずその場に座って紹運に挨拶をした。

「お誾よ、阿蘇から帰ったばかりで済まんが、いまは大事な会議中じゃ。」

「父上に聞きたいことがあるのです。」

「後にせよ。」

 珍しく誾千代がうなだれた感じで部屋を出た。気になった城戸知正は、腰を浮かし後を追いかけたが、会議の重要性を思って再び座りなおした。


(五)

「戻ったか。」

山菜駕籠を下げ、鼻歌交じりに帰宅した八重を茶店の主人が待ち受けていた。

「また、あの娘か?」

八重は黙って駕籠を下ろし、炊事の方へ行こうとした。

「お前の娘は、10年も前に死んだのだぞ。同じ名だと言っても、せんが生き返って来たわけではないのだ。」

「放っておいておくれよ!そんなことはわかってるよ。」

悲鳴のような八重の叫びに男は黙った。

「娘じゃないんだ。わかってるよ、でもね、一緒に居ればいるほどあの娘がせんの生まれ変わりに思えてくるんだよ。あの娘の死んだおっ母ね、あたしにそっくりなんだってさ。やっぱりこれは神様の引き合わせだよ。」

遠い目をする八重に、男は諭すように言った。

「今は我ら一族にとって大事なときなんだぞ。わかっておるのか?」

八重はうるさいというように片手を振って、再び炊事に向かおうとした。

「お頭が、井尻神力坊様がおこしだ。」

その言葉に八重はびくんとした。

「みな、奥の間に集まっておる。一緒に来い。」


奥の間には二十名ほどの男たちがひしめいていた。

恰好は虚無僧や修験者、百姓や猟師など様々、一番奥にこちらをむいてでんと座っている山伏の恰好をした中年の男が八重と一緒に入って来た男を見て言った。

「烏よ、これでみな揃ったな。」

「へい。」

「よし、これから主命にもとづく会合を行う。狢、ここに例の物を…。」

むじなと呼ばれた小太りの男が懐から書状を取りだした。

「これは相良義陽から、赤池長任ら支城の城主たちに当てた書状だ。この文月二十日に木上で大規模な鷹狩を行うから参加せよとの内容になっておる。」

男たちは表情一つ変えない。

「戦が近いとみて、士気を高める目的であろうが、我らにとっては千載一遇の機会。」

男たちは一斉に頷く。

「我ら山くぐり衆は、忍びとして長く島津本家に仕えていたものを、貴久公が忍びを使うのを嫌われ、先代から働きが全く出来ず。やむをえず猟師や百姓となる一族も多く出たほどじゃったが、このたび伊集院忠棟様のお声掛けにより、その配下として働かせていただいておる。そればかりでなく、働きいかんによっては島津本家に再びご推挙のよし。我らの悲願はこれにかかっておる。」

ごくり 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

「忠棟様の命じゃ。霧島神宮の神々もご覧あれ!鷹狩りに乗じて見事、御敵相良義陽の首を上げ、我ら一族の宿願を果たそうではないか!」

男どもは平伏し、八重もならった。だがその顔は複雑な表情を浮かべていた。




















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