ドラゴンと、パン屋のチビ助
笛吹ヒサコ
第1話 小さな町の小さなパン屋
小さな王国の外れに、小さな町がありました。
この町はとても平和な町です。あまりにも平和すぎて、どこどこの夫婦が喧嘩するだけで、この町ではちょっとした事件になってしまうほどなのです。
そんな町のかたすみに、小さなパン屋がありました。
働き者の夫婦が作るパンは、町ではとても人気です。中でも、ジャムをたっぷり包んだジャムパンは、幸せな気持ちになるくらい美味しいのです。
パン屋の夫婦には、12歳の息子がいました。アルフレッドという立派な名前がありましたが、この町で誰もその名前で呼んだりしないのです。
春も終わりに近づいた、あたたかい午後のことです。
学校から帰ってきた息子が1人で、パン屋の店番をしていました。
「あらあら、今日も店番かい?」
お向かいの仕立屋の奥さんが、やって来ました。ちょっと小太りだけど、オシャレなおばさんです。
「うん。そうだよ」
カウンターの向こうから立ち上がって、笑顔でパン屋の息子は答えました。
「がんばるわねぇ。おちびさん」
仕立屋の奥さんは感心して、言いました。おちびさん、とよんだのは決してバカにしているわけではないのです。
おちびさん、チビ、チビ助、小さいの……、この町では、パン屋の息子をみんな親しみをこめてそう呼ぶのです。そう、彼はこの町の同じ年の子どもたちの中でも、一番小さいのです。ずっと、一番小さくて、10歳位の子どもたちにまぎれこんでしまうくらいです。
今だって、カウンターの向こうで、木箱の上に立って店番をしているくらいなのです。
「今日も、ジャムパン3つですか?」
「まぁ、ちゃんと覚えていてくれたの?」
チビ助(私たちも、親しみをこめてそう呼ぶことにしましょう)は、愛想よく、もちろんとうなずきました。
「いつも来てくれる、大事なお客さんだもん」
そう言いながら、ちび助はジャムパンを袋につめていきます。
「そういえば、おちびさんは聞いたかしら? ドラゴンの噂」
おしゃべり好きな仕立屋の奥さんは、少し困った顔で言いました。
「知らないよ。ドラゴンって王国のあちこちで悪い事している、あのドラゴン?」
「そう、そのドラゴンのこと」
この小さな王国には、ずっと昔から悪いドラゴンが1匹いたのです。
悪いドラゴンは山や谷に住みついては、近くを通る人々から金銀財宝や食べ物を奪ってしまうそうなのです。
「ドラゴンがどうしたの?」
仕立屋の奥さんはチビ助に顔を近づけて、深刻そうな顔でこう言いました。
「そのドラゴンが、この町の近くの山にやってきたらしいのよ」
「えっ!」
チビ助はびっくりして木箱から落ちそうになりました。
「ほんと? ほんとにドラゴンがやってきたの?」
ちょっと興奮気味のチビ助を見て、思わず吹き出してしまいました。
「おちびさんたら、もぉ。噂よ。う、わ、さ。実はね……」
なんでも仕立屋の奥さんが言うには、お客さんのとなり町に住んでいるいとこが、この町に来る途中で見たそうなのです。見たこともないような黒い大きな影を、山の中で見たそうなのです。
話を聞きながらチビ助がだんだん不安そうな顔になってくると、仕立屋の奥さんは大丈夫だと言いました。
「こんな小さな町の近くに来たって、どうしようもないでしょ? だから、でまかせに決まっているわ。じゃあね、おちびさん。ジャムパンありがとう」
笑いながら仕立屋の奥さんは、ジャムパンの入った袋を持って出て行きました。どうやら、先ほどの深刻そうな顔はチビ助をびっくりさせるための、小芝居だったようです。
チビ助はドラゴンという単語がしばらく頭から離れませんでした。その日はそれからずっと店番をしながら、ドラゴンについてあれこれ考えていました。
数日後、ドラゴンの噂はどうやら本当のようだとわかりました。この町の近くの山で見かけた人がたくさんいたのです。
こうなってしまっては、町の人たちは町の外に出ようとしませんし、町の外の人たちだって、なかなかこの町にやって来ようとしなくなってしまいました。町長さんは王様になんとかしてもらおうと、手紙を出しましたが、返事はまだ来ません。町中が困ってしまいました。
チビ助がいるパン屋も、とても困ってました。
そんなある日の夜のことです。
いつものように、家族3人で夕食を食べていると、チビ助のお父さんが大きなため息をつきました。とても陽気な、ため息なんてめったにしない人です。チビ助はちょっと首をかしげました。
「お父さん、どうしたの?」
お父さんは息子に話していいものかそうか少しの間迷いましたが、正直に話すことに決めたようです。
「実はな、チビ。ドラゴンが近くの山にやってきて、いつも町の外から小麦粉を運んでくれる人が、町に来るのが嫌だって言い出してな」
「困るよ、お父さん。パンが作れなくなっちゃうじゃん」
そうなのです。小麦粉が無かったら、パンを作ることができません。パン屋にとっては一大事です。
「だけどね、チビ。ドラゴンのいる山の向こうから、小麦粉を運んでくれているのよ。誰だって、ドラゴンが怖いから無理もないわ」
お母さんはそう言いましたが、とても困ってました。
「じゃあ、僕が小麦粉を運んでくるよ」
「ありがとうな、チビ助」
チビ助の勇気ある言葉に、お父さんは笑ってくれました。
「でもな。お前は小さいから、重い小麦粉を運ばせるわけには行かないんだよ」
その通りなのです。チビ助の小さな体では、とてもとても大きくて重い小麦粉を運ぶなんて無理です。それにチビ助はまだ12歳です。そんな子どもに危険なことをさせることなどできないのです。なんとなくチビ助もそのことを理解したようですが、しょんぼりうつむいてしまいました。
「うん。わかったよ、父さん」
その日の夜、チビ助はなかなか眠れませんでした。ドラゴンのこと、お父さんの言ったことなどで頭がいっぱいだったのです。それでも、ウトウトと眠りにつく直前にあることを思いつきました。
翌日のことです。
まだ薄暗い夜明け前に、誰よりも早くチビ助は起きました。そしてしばらく台所で何やらごそごそと作業をすると、大きな包みを背負って、一枚のメモを残して夜明けとともに家を出て行きました。
”おとうさん、お母さんへ
日が沈む前には帰ります。心配しないでください。
アルフレッド”
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