Packet 16.Nice talking to you.
中央・商業区の更に外郭に広がる居住区の一角。竹垣で囲われた瓦屋根の屋敷は、以前は旧商業区として賑わい、今は一人の男が所有している。
「何人や?」
広い敷地の狭い池庭。三方を高い垣根で覆われたそこは、来客を歓迎するには狭すぎて、男の部屋からしか覗けぬ造りは景観としても意味を成さない。
雨多き蒸し暑さとは無縁に思える明け方に、男は池の鯉に餌をやりながら縁側で伏する冬治へ訪ねた。
「八名です叔父貴。蛍を除く男衆全員が仏さんであがりました」
「ほうか。客人は?」
「御客人・依頼品共に無事です。賊は掃除部屋にて昨夜のうちに……」
報告を終えた冬治はゆっくりと頭を上げて主の姿を仰ぎ見る。普段と変わらぬ朝の光景・主の表情。手下が何人死のうともこの男は顔色一つ変えはしないし、同様に部下たちもそれを望んでなどいない。
「僭越ながら今回の一件、些か戯れが過ぎたのでは? たかが子供相手に過ぎると若い衆が不信に思います」
「すまんすまん。若いもんが絡むとついな」
腹心の苦言に軽快な声で笑い返すと、餌やりを終えた男は部屋に戻り、冬治に着替えの準備を始めさせる。武器や道具としては不自由せずとも、失った腕は日常動作には適さない。
脱いだ寝間着を渡し冬治に着付けをさせていると、男はふと何かを思い出したのか顔の皺を増やして笑う。
「そういえばお前さんらがガキの頃もあんなんやったのお。まぁあん時の蛍はびーびー泣いとるだけやったが、お前は目でわしを殺しにきとったな」
「よしてください昔の話は。今は育てて貰って感謝していますよっと」
気恥ずかしさを隠す様に帯を締める冬治の腕に力が入る。おどけた二人のやり取りは、組の者が見れば驚きの表情を隠せないだろう。冬治も蛍同様に男とは近しい仲なのだから、けしておかしな光景ではないのだが、彼にとってはこれが精一杯の親子のやり取りだった。
「今日は大した予定も無かったな。報告会だけ済ませたら蛍の見舞いにいったらええ。わしも夕暮れまでには顔を出す」
「蛍もきっと喜びます」
「晩はちょっと酌に付き合え。毎晩肴が鯉だけなんもあれやからな」
「魚だけに、ですか?」
くだらない冗談でお茶を濁すが、本意は別にある事を冬治はしっている。荒事の後には必ずくるこの誘いは、池の鯉に手出しが出来る息子だからこそ。男の庭で誰が生を全うし誰が新たに歩むのか、それを知る者はこの広い屋敷の中でも数少ない。
お転婆に育った妹には酌だけでなくそんな親の意も酌んで欲しいと常々溜まる気苦労は、直接本人へぶつけてやろうと、冬治は朝の仕事を早々に終わらせ病院へと車を走らせた。
病院の自動ドアを抜け慣れた動きで受付へ向かう。対応にあたったのは何時もと違う新人の看護婦で、初々しい所作を披露して飽きはしなかったが、熟年の看護婦が彼の姿を捉えると瞬く間に彼女の初仕事は奪われた。
先導されるままに病室の扉が開かれると、姦しさここにありけりといった様子で室外へ笑い声が吹き抜ける。男子禁制の封を破り室内の様子を窺うと、麗しの三姉妹が三者三様に日常を謳歌していた。
「全くお前は、大和撫子には縁遠いな」
「怪我人になんてこと言いやがりますかねこの兄は! サナトリウムの美少女も裸足で逃げ出すおしとやかさでしょうに」
「ならこのチキンサンドはいらないな」
「あっあっそれだけは、それだけは御免勘弁お慈悲をマイブラザー。病院食だけじゃ血が足らんとです~。肉・肉・肉! ミートをくだせぇお代官様ぁ」
袋ごと喰らわんが如しの勢いで手料理を奪い取る蛍に呆れ、冬治は先客である二人組へと視線を向ける。
先程までの華やかさは何処へやら、金糸の君は大和撫子よろしく、口を噤んでそっと此方へ頭を垂れては慎ましやかに礼を述べ。銀糸の君は新しい玩具に興味津々といった様子で、備え付けのテレビを弄っては変わりゆく映像に釘付けになっている。移り変わる画面の中には、当然昨夜のホテル爆発事故がニュースの一面を飾っていた。
「仔細無いかい二人とも」
「はい。寝床だけじゃなくて家具まで用意して頂いて、本当に何とお礼を言えば良いか」
「なに、元々曰くつきになって住み手が付かない物件でね。それに私は紹介したまで、礼なら御客人に言うと良い」
蛍と一緒に病院へ運び込まれたカルエだったが、到着時には症状も治まり知らせを受けた踏御たちと合流を果たした。
見るや否や踏御を庇った威勢は何処へやら、アイラは見ため相応の幼さでカルエに抱き着き泣きじゃくり。三度目となった少年との顔合わせは少年の取引から始まって、阿蓮 冬治は個人として知りえる情報を提供した。
しかし結果として彼が身を切る必要は無くなったのだから、彼女たちが勝ち得た勝利に礼を言う相手などいないのでは無いかと冬治は思う。
「それより、あんな紙切れを鵜呑みにして良かったのかい? 仮にもあの傭兵達の雇い主だろう?」
当初カルエは傭兵たちの行く末を知ると、真っ先にこの街を出ようと提案していた。次の追手が来る前に、怯える夜よりあての無い放浪を――悲観に向かう彼女の手は、諦めない姉の手に強く強く握られる。
アイラの奪われた荷物に眠っていた小さな紙切れに一枚のカード。それにはゲームの勝者となった彼女達に区間限定の自由を保障する文言と、賞金を引き落とす為の暗証番号が綴られていた。
「この子、嘘や裏のある相手にはとても敏感なんです。だからこの子が大丈夫だと決めたなら、私は自分の姉を信じます」
「君達の事だ、君達が悔いの無いようやるといい。私も個人として聞ける範囲であれば何時でも相談に乗ろう」
「私も私も! 色恋・青春・エロスッ! デートのいろはから勝負下着まで、何かあったら何時でも喫茶『龍神』へ。でもでも、おねしょの治し方は自分で調べてね♪」
「ちょっと姐さん!」
「姐さんじゃなくてほ・た・る・さ・ん! もっかいゆるゆるおまた失禁させてノーパンデイリークエスト常設させますよ」
脱線を始めたガールズトークについて行けず、冬治は踵を返して次の見舞いへと足を運ぶ。背後からはもう一度感謝の言葉が投げ掛けられたが、もういらぬといった感じで片手を振って払い返した。
道中。突然馴染みない者が見舞いに行くのも不躾だと何度か思いとどまったが、礼を言われるのではなく礼を言う側なのだと、冬治は自分を叱咤し歩みを進める。目的の病棟が近付くと職員たちの慌ただしさを肌で感じ、病院の中でさえ静寂とは無縁だと思い知る。
「おや? 誰かと思えば龍神とこの神主ではないか」
「あぁ、天戸様ですね。昨日は無理を通して頂いて有り難う御座いました」
長身の女性姿に慣れていない冬治は詰まりそうになる言葉を何とか紡いで感謝を伝える。ラフな格好で病院内を歩く姿は、到底病気や怪我とは無縁の姿だろう。売店で購入したと思わしき白い下げ袋は、場所が場所なら集会明けの族長かヤンママの日常風景と相違ない。
「様は付けんでよいよ。助けたのもおぬしらじゃろう? うちは道案内をしたまでよ」
「これは何とも、手厳しい」
伝えたい礼を返されるというのは成程こういう気持ちかと、先のやり取りを反省する。居た堪れなさと廊下での会話は失礼かと、冬治は入るべき病室へと手をかけるが、伸ばした手は寸でのところで天戸の声が止めてしまう。
彼女は場所を変えるならばと近くの休憩場へと案内して、ようやく腰を落ち着けたところで袋の中身を品定めした。
「申し訳ない。あの子はまだお休みでしたか?」
「いや、ちょいと今は別の面会が来ておってな。ようやっと前を向いた若い者同士の会話に水を差すわけにもいくまい」
合点のいった冬治は飲み物を勧めようと財布を開くが、袋の中に携帯飲料が見えたのか、自分の分だけ機械に硬貨を落とし入れると場繋ぎの缶コーヒーへと口を運んぶ。
「生ける者は皆、劣っているからこそ群れの中で生きて行ける。助け助けられ、補いあってこそ高みに昇れる。それに最後まで気付けぬ者は何とも哀れなものだのお」
「人は不完全だからこそ種として完成している――という事ですか? 完全な個を求める者は排除されるべきだと?」
「人だけではないのだよ万物の子よ。みんなみんな、揃ってそれに気付かねばならん。良くも悪くも上や下からしか見れぬようになってしまう事は、とてもとても悲しく寂しいこのなんじゃよ」
衰えたとは聞いていても、曲がりなりにも神の座に居る者の真意をくみ取る事は今の冬治には叶わず。ただただ説法をうける僧の気持ちで静かに聞き入ることしか出来ない。
ただ語る天戸の顔からは彼女が哀愁を漂わせている事は見て取れたが、それを人基準で捉えてよいものなのかどうか勘繰る彼の中では答えを出せず、ただ流し込まれる液体と同じく時間だけが吸われて行く。
「つまらん話に付き合わせてしまったの。年だけ重ねると感慨深くなっていかん」
「此方こそ聞くだけになって申し訳ない」
食べ終えた袋を纏めてゴミ箱へと捨て入れて、二人は同時に席を立つ。新鮮な空気を吸って伸びをする彼女は、そのままの勢いで改めて客人を病室へと招こうとするが、度重なる来客は気を遣うだろうと日を改める事に挨拶へ向かう事にした。
「折角なので今日の見舞い品だけ渡しておきます。皆さんで召し上がって下さい」
「りんごにメロンにバナナ、これはこれは大層なものを頂いて悪いの。こっちの小さい袋はなんじゃ?」
「そちらは天戸さん宛ての品です。お好きかと思いまして」
「うっ!」
袋の中には稲荷寿司のセットが一つ。正しくきつねいろ一色の中身に、思わず口がへの字に曲がる。
「お稲荷様だからと思って用意したのですが――もしやお嫌いでしたか?」
「い、いや、嫌いではないぞ? 折角の施し物だ、嫌いなはずがなかろう! うむ大丈夫。好物じゃとも――食える、食えるぞ」
言い聞かせる様に必死に何かと葛藤を繰り広げる天戸の姿に、それは正しく人と同じ反応なのだと確信した冬治は彼女の姿に笑いを堪え、次からは違うものを用意しようと心に誓った。
某国某所にて――
時刻は昼時だというのにそこは暗く淀んでいる。屋内だからだという事もあるのだろうが窓の類は一切無く、部屋を照らす明かりは作業場付近の一点だけ。排気口はあれど人の動きが少ない為か、部屋の異臭が消え去る事は無い。
そんな部屋の作業場にて、ライトに照らされる男がただ一人。鼻歌まじりに機材を握る。本来ならば精密な動きで神経を研ぎ澄ませ、すり減る精神と共に汗を流す作業の筈が、男は鼻歌に合わせる様にリズムを刻んで作業工程を進めていく。
それだけ聞けば男が類い稀なるセンスと技術の持ち主なのだと誰もが舌を巻くのだろうが、それを可能にしているのは彼の行為が生かす為のものでは無いからなのだろう。
「ドクター、報告です」
珍しい来客も意に介せず、男は作業を続ける。報告に来た白衣の男もそれがいつも通りだと言う様に、黙々と事実を上司へ提出する。
「――以上です。やはり検体を連れ出すのは良くなかったのでは? 特にあの二人は素体として安定も――」
「ゲームには負けてしまいましたか」
「は? ゲーム、ですか?」
「いえいえ此方の話です。それで、あの二人の損失ですか……安定していた分、研究も進んでいましたし、今更そう痛手にはならないでしょう」
然程困った様子もなく、いつも通りの口調で淡々と部下へ応対し、その手は休まる事はない。
切って刺して接続して、一連の動作の果てに反応を見ては薬品を加え細胞を加え遺物を加え、縫合してまた開く。素体を替えては繰り返し。
「で、ですが実践サンプルはどうされるのですか? あれほど安定して出せる代物は他には――」
「その辺りはまぁ、私が何とかしておきましょう。君は気にせず研究の続きに戻りなさい」
「――回収班への指示はどうされますか?」
「引き上げさせなさい。今後あの二人に対する処置は私の指示があるまで保留とします」
「それでは――ッ!」
異を唱えようと口が開いてまた閉じる。どれだけ自分が功を急いでも、これ以上は意味の無い事だと男は知っていた。口ごたえは許さないタイプだからではない、むしろ彼は穏健で部下からの評判も悪くはない。
ただ一点。彼が決定を下した事項にはどれだけ反論を並べようとも覆る事がないのをここの職員たちはよく理解していた。
それでも男が激昂しそうになったのは、今回の件が異例であり雑な対応だったから。数少ない研究成果にまるで逃げてくれと言わんばかりの今回の計画に、果ては追跡不要の決定を下されては、古株である男も苦言を呈さざるを得なかった。
「ドクター、先程全滅かと思われた部隊の一員を回収したと報告がありました」
新たに報告にやって来た部下の話を聞いて、ようやくドクターと呼ばれた男の手が止まる。振り向いた男の顔は優し気な紳士を思い描かせたが、手には大量の血液が付着した手袋から赤い涙を零し続けている。
「容体は?」
「重傷ではありますが、船内での治療によりなんとか一命はとりとめています」
「ではすぐに向かいましょう。生きているのなら確り成果を報告して頂かないと」
「成果――ですか?」
ドクターは汚れた手術着を脱ぎ捨てて、部下へ医療機器の準備に走らせる。外出の準備を始めて部屋の片づけをあらかた終わらせると、最後に鮮度の落ちる実験素材に廃棄の張り紙をして無影灯の灯りを落とした。
「本当に、もう一度話せるようで嬉しい限りですよ。沢山話し合いましょう――医療中も、休養中も、あなたが望むのなら改造中も――彼らの話を沢山沢山聞かせて下さい」
灯りの消えた部屋の中で佇むのは、淡い光を放つ大きな大きなガラスの容器。
液体に漂う巨大な脳は大型の機械と数多の神経線で接続されて、多くの情報を吐き出している。
人の脳を移植するのではなく機械の為に生み出された脳細胞は、今も狭いケースの中で、人の夢を見続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます