Packet 15-2.Do you want to see that festival?
荒い呼吸を整える暇なく震える足で山を下る。彩鮮やかな赤い靴は、いまや長靴となって腿を濡らす。気休めに巻き付けられた腰の布切れは、着衣の体を保っていた方が意味を成していた。
蛍の口からは得意の皮肉一つ出てこない。ひたすらに息を吸って吐いて前に進む。助け出す対象の身じろぎが今の彼女にとっての悲鳴で、ようやく合流地点に到着したのは土気色になってからだった。
「蛍さんその血、一体どうしたんですか⁉」
踏御の声を皮切りに彼女の体は森に沈む。投げ出されたカルエはひと際大きく体を弾いて、続く拷問の凄惨さを怯えるアイラに伝えていた。
「罠はちゃあんと準備、出来ましたか?」
「え、えぇ。準備してもらったのを仕掛けるだけでしたから」
「足の方は、もう平気っすか?」
彼女は足の調子を確認すると、倒れた体を擦りながら木の幹へと身を預ける。蛍たちが一芝居うつよりも先に、踏御たちは彼女が用意した罠の設置を任されていた。
客人であり戦力外な二人を置いて行くのは当然ではあるのだが、アイラは相手への牽制として。そして踏御は先の折檻で肝心の足がやられているという理由で誤魔化されていた。
「知り合いの猟師から借りたものっすから、足止めにしかなりゃしないですが、街に着けばこっちのもんです。さっさとその子連れて逃げるっすよ」
「で、でも蛍さんのその怪我……すぐに病院に行かないと」
「こっちの心配なんてしてる暇ねぇですよ。お姫様が捕まっちゃっても、いいんすか?」
「で、でも――」
「さっさと行け、クソガキ」
銃口の先に映るは殺意。なんの利益も出ないのならば、相手の総取りになるのならば、引き金を引いて御破算にしてしまおうという決意。
吹けば倒れそうな有り様で、その瞳は未だ死なず。彼が過ごす日常では見る事も稀な得難い気迫に二言三言。言葉を交わして逃げ出した。
「まったく。近頃のがきんちょは軟弱過ぎますよ」
死屍累々の狩場を後に、三人は息を乱さず山を下る。劣悪な環境など彼らにとっては日常であるが故に、ただ平凡な山は公園の砂場と変わりない。
障害を全て取り除き手負いの獅子を追い詰める様は、悪役というよりおとぎ話で狼を狩る猟師のそれだ。
「厄介なことになりましたね」
「なに、武器が手に入っただけ上々だ。あいつ等の話を信じるならガキ共の能力は知らんはずだからな。変態野郎の下で経験豊富にはなったところで、俺達には何の問題も無い」
彼らにとって面倒なのは、二人の能力を利用される・実験される・流布される。警護対象が五体満足で返ってこない事や、こちらの情報を掴まれる事であってそれ以外の配慮は無い。彼女達自身がクライアントの機密情報なのだ。知らぬ賊に交渉を迫られたところで、相手の構成員を根絶する必要はない。
三人は直線に続く血痕を頼りに下っていたが、唐突にその導が直角に曲がる。酷く広がった血だまりと森を抜けぬその跡は、何かしら状況が変化したことを告げていた。
「俺は女を追う。お前らはそのまま残りを探せ」
「オーケーボス。まぁそのまま担ごうと仲間に託そうと、身軽な俺達が先に――」
軽口でよそ見をしていた男の左足に軽い衝撃と金属音が鳴り響く。咄嗟の出来事で体は反射的に足を跳び引かせようと反射するが、縛られた足は片足となった細身の体を容易に崩し、血だまりに体を打ち付けてしまう。
突然の仲間の反応に驚いたのも束の間。女は男の足から伸びるワイヤーと、草場で隠れた鋸歯の無い罠を見つけて呆れてしまう。
「あぁくそっ、足をやられた!」
「あら、こんな所にも大きな小鹿ちゃんが居たみたいね」
「いてぇちくしょう!」
「牙の無いただの狩猟罠よ。何時まで子供みたいに泣いてるの?」
「違う、こりゃ対人だ! あいつら下らない真似しやがって、絶対許さねぇ」
男の悪態と共に吐き捨てる様に足に刺さった矢を投げ捨てる。真新しい血の付いた矢が血の池に献血を済ませると、男は縛られた足の先に手を掻き入れて木の根元を露にした。
そこにはワイヤーの先が木に繋がれているのともう一つ。罠に掛かった相手を見据える武器の矛先が男の足に向けられていた。
狩猟罠と連動して切っ先を飛ばしたその武器は、彼から見ればあざ笑っていたのだろう。普段は気性の荒くない彼が、怒りをあらわにして女の手当を受けていた。
目下の相手に出し抜かれたのが余程堪えたのか、もしこの場に捨て置いた彼女のボウガンがあったなら、間違いなく無残なガラクタへと蹴り壊されていただろう。
「そろそろ切り替えろ、平和ボケしてたのは俺らも同じだったらしい。お前は俺のサポートに回れ、麓への追跡はお前に任せる」
しゃがれた声の指示によって怪我人は首領の傍らに立ち上がり。女は心機一転、麓へと直進を開始した。
警戒の糸を張った彼ら相手ではチープな足止めの効力は薄く。移動速度が僅かに遅くなったところで、血の足りぬ怪我人や積み荷を抱える相手では距離を詰めるのにそう時間はかからない。水の流れる音が視覚となって表れて男二人が川べりに到着した頃には、赤い糸は川向うへと途切れていた。
「どうします? あの様子じゃとっくに死んでると思いますけど」
「女の方はどうでもいいが、万が一娘が此方なら渡るしかあるまい」
熊が居た。大人二人分ほどの大きさで酷く気が立っている。母熊なのだろう、隣には小さな子熊が真似る様に男たちを威嚇している。まるで此方側は自分たちの縄張りなのだと、渡れば生かしては返さぬと――真っ赤に染まった赤い口で警告している。
だが彼らは臆することなく銃を構える。大型動物相手には心許無いサイズの武器を構えてゆっくりと、外す事のないよう母熊の眉間めがけて引き金に指をかける。
指先に力がこもり、内部のバネがチキチキと音をたて始めたその瞬間。男の腰元から通話を告げる電子音が鳴り響いた。
『こちらシッタースリー。ベビーの痕跡を見つけたわ。それに、王子様は私達の可愛い可愛いお姫様みたいよ。オーバー』
「こちらキャリッジ、了解した。すぐにそちらと合流する。アウト」
狩りそびれ、はずれを引いた事に舌打って愚痴る男。そんな部下を窘めて二人は警戒したまま来た道を後退する。水流が木々に隠れ獣の声が川のせせらぎで聞こえなくなったのを確認すると、ようやく二人は構えを解いて走り出した。
敵の姿が見えなくなり獣も脅威が去ったのを感じ取ったのか、猛る体を鎮めゆっくりと森の奥へと消えてい行く。彼女ら親子の縄張りであるその一帯には、彼女の家族と客人以外立ち入る事は許されない。
「いやぁ~本当、感謝の言葉もないっすよ。あ、お母さまとしては食べ物の方が良い感じですかね?」
だからこそ彼女らを出迎えるのは何時も腹を空かせた三匹の子熊か、客人の証を持つ者だけ。久しく現れなかった客人に留守番をしていた二匹の子熊は、興味津々といった様子で蛍の看病を続けていた。
傷口から滴る血を舐めとって蛍を気遣う母熊に、力の入らない腕を何とか動かして、彼女の頭を撫で返した。
「とはいえこのままだと、絶賛私ピンチなのは変わりない訳で。あの子にはさっさと目を覚まし――たところであの調子じゃ使い物にならねぇですよねぇ」
蛍の傍らには絞め落とされた少女が一人。意識は失っているものの体への負荷は未だ大きいのか、まな板の上の鯉が如く小刻みに跳ねていた。
川向う。それも水音でかき消されているとはいえ、万に一つ・億に一つ彼らが川を渡って来ていたのなら、二人に逃げる術など到底残ってはいなかった。
止血の延命期限もそろそろ近く、蛍はやむなしといった様子でポケットから携帯を取り出す。自分の居場所ならば三人組の誰かが知っているという確信があった。
ただ惜しむらくは助けに来るであろう人物が兄であるという事。酷く叱られる事は想像に容易く、彼女の口からは乾いた笑いが零れ落ちた。
「しかしまぁ、信心――神様にも駄々はこねてみるもんですねぇ」
空いた手に握られた出会いの形。その時の彼女は目に見える初めての経験に納まりつかず、童心赴くままに縁の形を求めてしまった。
呆れた神様がくれたものは己が毛で編んだ小さなお守り。加護なぞ無いと聞かされていても肌身離さず持っていたそれは、彼らにとっての証であり、この場所への通行手形でもあった。
日の当たらぬ森の住処には、お日様の匂いが絶え間なく溢れている。役目を終えた勇者の仲間は、縁を大事に握りったまま眠り姫へと姿を変えた。
もとは四人。今は三人の傭兵たちが潜んでいた森は都市からそう遠くない未開の地。のみならず都市を囲む山林の多くは人の環境としては荒らされていない。そうした土地、そうした寒村の地主たちと交渉の末に出来た街で、それは彼らとしてもうってつけの環境だった。
仮に森を抜け先に麓へ出たとしても、人通りの多い都心部までの道のりは遠く。日が傾き始めた郊外では、外を出歩く人すら稀だ。いくら罠で足止めを受けたとはいえ、歩けない少女一人を担いだ相手が此方より先に人混みへ入る事は不可能だと分かりきっていた。
「どういう訳だこれは」
整備されていない街のすそ。田舎風景が続く茜色には仮設された屋台骨に神輿が並び、少年団のバカ騒ぎを背景に大人達が企画書を持って論議を交わしていた。
昨日まで祭りのまの字も無かった街が、山から下りただけの何もない場所で祭りの準備を始めている。雑なドッキリでも仕掛けられているのではと思える光景に男は頭を抱えたくなったが、目を伏せるより先に混雑の中から少年が三人の前へ飛び出してきた。
「もしかして観光に来られた方ですか? 騒がしくってすみません。今年の夏はちょっと大きな祭りを予定してまして、まだ企画の段階ですが良かったら思い出作りに参加されませんか?」
人懐っこそうな笑顔で誘う少年に壮年の男は観光客としてどう返すべきかあぐねいていると、細身の男が声を上げる。声の視線を辿っていくと、少年団の更に奥。市内へ続くあぜ道に停められた一台のワンボックスへ消える銀の毛先が煌いていた。
即座に動こうとする三人に食い下がる様に進路を塞ぐ陽気な少年。宗教の勧誘と大差ない行為が腹立たしかったのか、空気も読まず笑みを崩さないその態度が癪に障ったのか、傷の痛みも相まって細身の男は少年の胸ぐらを掴んでは田んぼの中へ投げ飛ばした。
「おやこれは酷い。どうかされましたか?」
「なんだおっさん。こっちは急いでるんだ引っ込んでろ!」
沸点が下がり続ける男は大人の輪から抜け出た男にも喰ってかかろうとするが、仲間にすぐさま腕を引かれる。気を遣った行動にも苛立ちを隠せぬ男だったが、改めて眼前の男性を睨め付けると自身の愚行を理解したのか、頭を冷やす様に目を背けた。
「いやぁ済みません。こいつ今荒れてまして」
「荒れてるからといって子供にあたるのは感心できませんな――おや? その足の傷」
「あぁ! ちょっと山でやっちゃいましてね。酷く痛むもんだから、病院へ急いでたんですが……」
「それはいけない。お話は後にしてまずは病院へお送りしましょう。さぁあちらの車へ」
制服姿の男性が指差す先には特徴的な白黒色の乗用車。頭に赤いランプを載せた車は法の番犬である証。男性の声に集まる部下たちに連れられて、男たちは囚人の様に静かに車で走り出した。
男性は軽くパトカーを見送った後、泥に嘆く少年をあぜ道へと引き戻す。
「まったく、君もああいう無茶は関心しないな」
「すみません。初の大舞台なもんで少しでも成功させようとつい」
「何でもかんでもついでは許されないよ。たとえ市長の息子さんでもね」
「肝に銘じます。でもまさかこんな行事に津賀さんみたいな刑事が来るとは思いもよりませんでしたよ。しかも制服で」
「服装の指示をしたのはそちらだろう?」
似合っているかとでも言いそうなポーズをとる津賀に、我妻はつい泥の付いた手で笑った口を覆ってしまい咽てしまう。その拍子に揺さぶられた寝不足の脳は平衡感覚を失って、再びあぜ道をはずれそうになる体を津賀が慌てて引き止めた。
「さあ用も済んだろう。君も一度病院か自室で休んだ方が良い、酷い顔をしているぞ?」
元々は人通りを増やすだけの策だったのだが、街の操作などの大事を昨日の今日で出来るはずもなく。奔走の最中に届いた一度目の電話は、効果的な人の動員を可能にした。
「でも本当に助かりました。やっぱり大人の助けがあると心強いです」
「なに、私も君と居ると色々有益だよ――普段着ない制服にも袖を通せたからね」
互いが互いを称え合うように彼らの会話は幕を閉じる。しかし幕内の中で彼らが演劇を終えたのは、妹を探しに来た兄が到着してからだった。
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