第2条 甘く見るな、彼らは辛辣だ
入学式当日の出来事が、いまだに理解しきれてない。
もうあれから何日も経っているというのに。
第一、ああいうのを信じろっていう方が無理じゃないか?
ほら、今も耳元で何か聞こえてるしさ…オレ、こういうの本当苦手なんですけど。
「いつまで寝てんのや!今日の約束忘れとんのかいな」
どこかで聞いたことのある声。これが前世でとかだったらちょっとかっこいいのにと思う。うっすらと目を開けて、声の方を見てみると男の人が腕組みをして立っていた。
「あれ?どこかで見た顔…」
「まだ寝ぼけとんのか?ていうか、ウチの顔見忘れてんのか?」
ぼやけていた視界が徐々にクリアになる。ベッドの脇に立っていた人物は顔をずいっと寄せてきた。声をあげつつ、後ずさりをしてしまう。
「なななな!!なんで千波先輩がここにいるんですかっ!」
あわてて着替えた隣で、ルームメイトの五条が俺の脇をつつく。
「なぁ、あれって千波先輩だろ?お前知り合いなわけ?」
「え?あーそれは…まぁ、いろいろあってね…てか、なんでお前のほうこそ千波先輩のこと知ってるんだ?」
「そりゃ、この学校の有名人だろ?あの人」
そういった五条の返事に曖昧な言葉を返して、急いで服を着替えた。
入学式の時、新入生全員に渡されるという水鉄砲。それが何の不手際なのか、オレの手元には本物の銃が手渡されてしまったのだった。担任から教会の懺悔室に行くようにと言われ、行ってみたらそこにいたのは同じように本物の銃を持つ集団。彼らは自分たちのことを『裏生徒会』と言っていた。
「とりあえず、こちらから連絡を入れない限りお前は普通に学園生活を送ってろ」
「でもよ、コイツ…特異体質っぽいじゃねぇか、あまり連れ出さない方がいいんじゃないか?」
先輩たちが口々に言うオレの特異体質とは、悪魔に取りつかれやすいというものだ。そんな特異体質だということは、この学校に来なかったらわからなかったことだと思うし、知りたくはなかったというのが本音だ。
この『裏生徒会』と呼ばれる集団は学園内に出没する悪魔を退治しているらしいのだ。一応、選ばれているという話だけどオレがなんで本物の銃を手にしてしまったのかはいまだに不明らしい。
にわかに信じがたいんだけど、オレはそのあと何度もその悪魔達を目にしてきているので否定はできない。どうしてこの学園内に悪魔が出没するのかは、明らかになっていないみたいだった。
「こいつの体質なんて知ったこっちゃないだろ?なぁ、日向」
「え?あ、まぁ…オレもこんな体質だとは知りませんでしたし。これって治らないですよね?常盤先輩」
そう尋ねると、ふっと鼻で笑ってオレの肩を軽く叩いてその場を去っていってしまったのだった。
「まぁ、なるようになるんじゃね?気落ちしてると、また憑かれるぞ?」
「や、やめてくださいよ!下河原先輩!オレ、その手の類…本当苦手なんですから!!」
「これから、3年間がんばれよ。新人君w」
なぜ、オレの机の上に本物の銃がおかれていたのだろうか?オレじゃない方がよかったんじゃないか?と今でも思う。もしかしたら、名前が似ている人物がいてその人と間違っておかれた可能性だってあるわけだし…。今更、そんなことを考えたみたことろで、今の現状が変わるわけではないことはよくわかってる。
「それで、なんで千波先輩はここに?」
「日向、ウチとの約束忘れたとは言わせへんよ?」
「…約束?」
一生懸命、千波先輩との約束を思い出してみるけれど思い当たる節はない。
ていうか、そもそも約束なんてしてたっけ?首をかしげて、いろいろ考え込んでいるオレの横でため息をついた先輩が突然、腕をひっぱって部屋を出ようとした。
「え、あ、ちょっと!先輩、どこに行くんですか!」
「京都案内したるって言ったやないの、ほらさっさと行くぇ」
「でも、外出届出してないんですけど!!」
「それならさっき出しておいたよ?じゃぁ、五条くんやっけ?行ってきますわ」
無理やり引っ張られていくオレを少し不安そうな目で見ている五条がどんどん遠くなっていった。
「い、いってらっしゃい…」
「あの、先輩…?」
「ん?なんや、行きたいところでもあるんかいな?」
学園の外を出て、五条通を西へと向かって歩いていた。寮暮らしのため、滅多に外に出ることはないのでなんだか妙に不思議な気分になる。でも、久しぶりだからといって喜ぶほどでもない…なぜなら、
「いや、オレ…京都市内出身なんで、その…行きたいところとかって言われても困るってぇか…」
「そやったんか。それは知らへんかったわ。でも、息抜きは必要やろ?」
オレの肩を叩きながら、前へと進んでいってしまった。どうやらつれていきたいところは特にないみたいだ。もしかして、千波先輩なりに少し気を使ってくれているのだろうか?
しばらく歩いていると、前から歩いてきた人がオレたちの姿を見て突然立ち止まった。オレの知り合いっていうわけでもないし、もしかしてただ単に止まっているだけかも?ふと、隣にいた千波先輩に目をやると彼もまたその人物を見て目を丸くして立ち止まっていた。
「先輩?お知り合いですか?」
「いいや、知らん人や…ほら、さっさと行くで」
そのまま、立ち止まっている人物の横を通り過ぎようとしたら背後から呼び止められた。
「左京さん…左京さんですよね?私のこと覚えてますか?お父様のお店で働いている井波です」
お店?働いている?千波先輩の実家っていったい何をしているのだろう?
「先輩のお家って何のお店なんですか?」
小声で問いかけてみる。一瞬、戸惑った表情を見せたけれどため息をつきながらあきらめたようにして話し出した。
「ウチの家は、江戸時代から続いている京料理の老舗なんやよ?知らん?『千京』って店なんやけど」
その名前を聞いた瞬間、目がテンになってしまった。きっと京都市内に住んでいる人なら一度は聞いたことあるお店の名前だ。何百年と続いている老舗で、政治家や芸能人の御用達でも有名だ。その『千京』がまさか千波先輩の実家だったとは…世間は狭いなと思わず心の中で呟いてしまった。
「知らない方がおかしいですよ!!てか、本当ですか?」
「ははは!そないなことで嘘ついてなんの得があるん?ほんまよ、でも…」
言葉を言いかけたけれど、ふと視線を目の前にいる人物に向けて口を閉ざしてしまった。たしか井波って言ったっけ?歳は20代ぐらいで、ひょろっとしていて頼りなさそうな感じではあるタイプだなぁ…。
「左京さん、卒業したら戻ってこられるんですよね?」
「んー…井波はん、ワシの味覚のこと知っとるんやろ?だったら戻られへんことぐらいわかるやろ?」
味覚のことってなんだ?その言葉を耳にした井波さんは、バツが悪そうな顔をして視線を下げてしまった。どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったかのように、お互い沈黙を続けていた。
「悪いけど、今コイツと京都観光しちゅうところやねん。また、な」
あまり深いことには触れるなと言いたげな表情を向けて、オレの腕をひっぱって歩きだしてしまった。その場に立ち止まっている井波さんに軽く頭を下げて、その場を後にした。
「先輩、さっきのことなんですけど…」
道の両側には観光客らが店に群がっている。お土産を買うのに必死になっている修学旅行生も目につく。そんな喧噪とは違って、落ち着いた口調で先輩は言葉を発し始めた。
「味覚のことやな。ウチな、あんな老舗の店に生まれておきながら味オンチなんよ」
あまりにも唐突な答えに、開いた口が塞がらなかった。
「え…?たとえば、どういう風になんですか?」
「そやね…とりあえず甘いものが好きやから、全部甘くなってしまうんよ。塩より砂糖といった感じやな」
「それは結構重症ですね」
話を聞いていると、どうやら本当に先輩は味オンチみたいだった。実家の料理を食べてもおいしいと感じることはなくどうしても自分で味付けをすると甘くなってしまいとてもじゃないが他の人は食べられないものになるらしい。
帰り道に寄ったお店で買ったおまんじゅうを3箱買ったのにはさすがに驚いた。
お土産ですか?と尋ねたら、自分のおやつやと即答されてしまったのでちょっとへこんだ。3箱も食べるつもりなんだろうか?それも一人で。夕方、寮へと戻ると廊下で常盤先輩に会った。
「珍しい組み合わせだな」
「そうかぁ?そんなことはないと思うんやけど」
ふと、千波先輩が手にしている箱に目を向けてため息をついた常盤先輩を見て思わず笑ってしまった。
「おい、日向。何がおかしいんだ?」
「いや…その箱の中身が何か先輩はわかってるんだなぁ~って思いまして」
「まぁな。左京の味覚については有名だからな…学食のオバさんたちにも知れ渡ってるぐらいだからな」
それは…もしかして千波先輩の学食メニューだけ別にあったりするんじゃないだろうか?と疑ってしまいたくもなる。そのままオレはそこで先輩達と別れて、自分の部屋へと向かった。
「ただいま~」
「おぉ!おかえり、なんとか無事に帰ってこれたみたいだな」
ベッドに寝転がりながら、漫画を読んでいる五条がオレの方を見て話かけてきた。
「うん、まぁな…さすがに疲れたけどね」
「で、どこに行ってたんだ?」
「清水寺」
修学旅行生か!って思わずつっこんでしまいたくなるような場所のチョイスに笑いもおきなかった。それを聞いた五条は転げながら腹を抱えて笑っていた。どうやら彼のツボに入ったらしい。
「清水寺かよ!!男二人で?」
「悪いかよ…しかも寺には行ってないときた。下のお土産屋の通りをぶらぶらしてきただけだ」
その言葉はさらに五条のツボを刺激したらしく、涙を流しながら笑っていた。確かに、いったい何のために外出許可を取ってまで出かけてきたのかっていう話だ。
しかも、先輩はあまり会いたくない人に出くわしてしまうというオマケつき。
ふと時計を見ると、消灯時間まであまりないことに気づきあわてて、風呂へと行く準備をする。着替えと、お風呂セットを持ち部屋のノブに手をかけた瞬間になぜか扉があいた。
「お、タイミングバッチリ★池鶴日向君、お呼びだよ?」
目の前に立っていたのは、下河原先輩だった。
ものすごく笑顔なのがひっかかる。思わず扉を閉めたくなったが、そうはいかない。五条には先にお風呂に行くと言って、部屋を後にした。長い廊下を下河原先輩と並んで歩いていると、すれ違う生徒たちが頭を軽く下げていくのが気になった。
「先輩達って、どういう存在なんですか?」
「なんだその質問。そうだな、生徒会っぽいイメージじゃないかな?」
生徒会…。でも、それって別にちゃんとあるよな。確か会長はあのメンバーの誰でもないし、ほかの役職にもいなかったはず。
「俺たちが教会に集まって何かしているのは知られているけれど、何をしているのかはわかってないはずだ。だからある種学院の七不思議のひとつらしいぞ?」
「七不思議?そんなのあるんですか?」
「俺自身も七つあるのかよって思ってるけどな。ま、今度誰かに聞いてみろよ」
笑いながら、廊下を歩いていく下河原先輩の背中をあわてて追いかけた。
それにしても、この学院謎だらけじゃないか。寮内にある地下の部屋へと連れてこられて、扉を開けるといつものメンバーがすでに中で会議をしていた。
「遅いやないか、何しとったん?ん?風呂か?」
「いえ、まだ入ってません。風呂場に行こうと扉を開けたら下河原先輩に出くわしました」
「そりゃ災難やったね、ま、今回のお仕事はウチと日向の組み合わせで行くらしいから、よろしゅうな」
「え?オレ、大丈夫なんですか?」
前に、とりあえずと連れていかれた現場で悪魔に取りつかれて、九死に一生を得たオレ。その様子を見かねて、オレは現場には出ないということになっているのだが…どうやら今回はそう言ってられないらしい。
基本、この悪魔退治の現場には二人一組で行動するのが決まりらしく今回は他の場所にも何体かいるので一斉に退治するため、オレがしょうがなく派遣されることとなったらしい。
「一応、お前と左京の悪魔は一番おとなしそうなのを選んであるから大丈夫だろう」
そういいながら、一枚の写真をオレの前へと常盤先輩が差し出した。そこに写っていたのは、屋上のフェンスに腰かけている男の人だった。どうしても、この夜の校舎というのに慣れない。人なんているはずないのに、いそうに見えてしまうのが嫌だ。オレの前を歩いている左京先輩の足取りはどこか楽しそうにも思える。
ポケットから鍵を取り出して、屋上へとつながる扉の鍵穴へと差し込んで扉を開けた。外の風が校舎に入り込む。
「まだ風寒いなぁ~…っと相手さんはどこにいるんやろね?」
あたりを見渡し、写真の人物を探す。すると、その人物は自分から姿を現して声をかけてきたのだった。
「もしかして、僕を退治にしに来た方ですか?」
腰の低さに、思わず拍子抜けしてしまう。初めてあったあの悪魔とは全く違うイメージだ。
「そうや、アンタ…なんでここに来てしまったん?アチラの世界へと帰りたいのなら、さっさと送ってあげるよ?」
そういうと、彼は顔を下に向けて動かなくなってしまった。千波先輩が、静かにホルスターから銃を取り出した。千波先輩の拳銃はトーラス・レイジングブルと呼ばれる拳銃らしい。下を向いたまま動かない相手に向けて静かに銃口を向けた。いつでも発砲できるという構えだ。目の前にいる相手は、静かに顔をあげて小さな声でこう言った。
「未練はないんです…なので、早く送ってください」
そう言うと、一歩、また一歩と千波先輩の方へと近づいていった。そのあまりにも安らかな表情がオレにとっては怖かった。そんな先輩の後ろで動けずにいると、またしても頭の奥で声がした。
【君ノ体ハ、コチラノ世界デハ有名ダヨ?】
こちらの世界って…悪魔たちの世界でってことなのか?それよりも、この響く声の主はまさかと思うけれど目の前にいる人物なのか?
【本当ハヤリタイコトガアッタ…デモドウヤラ僕ニハ無理ミタイダ】
それがなんなのかは、知りたいようでどうでもいいって思ってしまう。今は、この頭痛をなんとかしたい。頭を抱え込んでいるオレに気づいたのか、先輩が悪魔に向けていた視線を外してオレへと向けた。
「おい、日向。大丈夫か?頭痛いんか?まさか、乗り移られてないよな?」
向けていた銃口を下げ、オレの傍へと寄った瞬間に悪魔は先輩の背後まで詰め寄っていた。
「しもうた…なんや、アンタさん何を企んでおるん?」
振り返ろうにも、振り返られない状況になってしまった先輩を見てあわてて手を伸ばした。
「先輩…オレ、大丈夫ですから…仕事…して、ください…」
「んなこと言ったって、そんな状態のオマエはんをほっとけるかいな!!」
「いや、その…だから、仕事していただいたほうが…なんていうか…この頭痛が…
収まる…ってぇか…早くして…ていうか…」
次第に強くなってくる痛みに、言葉を発するのもつらくなってきていた。耳鳴りもしてきて、立っていることもままならない。その場へとしゃがみこんでしまったオレの姿を見て、つらそうな表情をして舌打ちを一回した後に先輩は振り返って悪魔の眉間へと、銃口を突き付けた。
「己が運命、時に逆らうな、我にしたがえ」
そう言葉を言うと、引き金を引いた。その場には銃声だけが響いた。
それと同時に、またオレは気を失ってしまっていた。倒れる寸前に、頭の中に響いたのはその銃声と悪魔の声だった。
【君ハモット自分ヤ、周リノコトヲ知ルベキダ】
再び目を覚ました時は、自分の部屋だった。辺りを見回すと、寝息を立てて寝ている五条の姿があるだけだった。
「誰が運んだんだ?」
体を起こしてみると、手に何か握っていることに気づいた。
「なんだこれ」
どうやらそれは紙切れらしく、開いてみると何やら字が書いてあった。
相手は千波先輩だった。
「何だ?えーっと…『アンタを運んだのは下河原やから、後でお礼言っときいよ。それと、自分が危ないと思ったら躊躇せずに引き金を引かなあかんよ』だって?自分で引き金を引くの、結構きついんだけどな」
再び紙をたたみ、枕元へと置いた。体を横にして、天井を見ていたら再び瞼が重たくなっていくのを感じた。
最後にあの悪魔が言った言葉がまだ頭に残っている。
自分のことを…
そして、周りのことを知るべきだってどういうことなのだろう?
先輩達のこともあまり知らないけれど、それ以上になぜ悪魔が学園内に出没するのかすら知らない。足をつっこんでしまった以上、オレには知る義務がもしかしたらあるのかもしれない。
たとえ、その先に答えがないとしても…。
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