ボクは暴漢どもに監禁される――2




 老獪そうな男性の声だ。


 案の定、明かりに照らされたその顔は、しわの寄った初老で、毛髪もいぶし銀のロマンスグレーを放っている。


 骨と皮だけの痩せ細った体格だけど、その割には足取りも強く、健康そうだ。


 値の張るスーツなのか、埃っぽい廃墟を煙たがり、しきりにゴミを払い落としている。


(こいつが、渦海うずみ教授って奴か……?)


 ボクは床の上から、じろりと見上げた。


 教授もボクを睥睨へいげいしたものの、大して関心なさそうに目をそらしてしまった。


 それもそうか……こいつはボクを、ナミダ先生との交渉の道具としか認識していない。


 さらうのはボクじゃなくても良かっただろう。要はナミダ先生をおびき出して、脅迫できれば満足なんだ。


「本当にこんな小娘……娘か? ごときが人質として成立するのか?」


 教授が手下に尋ねている。


 小娘で悪かったな。


 というか今「娘か?」って疑問符を差し挟んだだろ。悪かったな、男っぽくて。化粧っ気も洒落っ気も全然ないからね。スカートは穿いているけど。


「この女は、湯島が目をかけてる生徒ですよ。親しげに話してましたから!」


 暴漢が取り繕っている。


 ふぅん。他人の目には、ボクとナミダ先生はそう映るのか。


 目をかけて……いるのかな?


 一応、心の傷を癒されたり、友達の悩みも聞いてもらっていたけど――。


「それに湯島は、なぜか警察沙汰にしませんからね! いや、裏では警察の知り合いと連絡を取ってるっぽいですが、表に出すのを避けてます。おかげで、こっちも誘拐や闇討ちが出来るわけで――」


「ふん。まるで直接は争わず、遠回しに論文で中傷合戦を行なったフロイトとユングのようだな。ユングは『リビドーの変容と象徴』という論文でフロイトの思想とは異なる無意識の概念を発表し、それを受けてフロイトも『モーゼと一神教』で真っ向からユングを全否定してのけた……以後、この二人が会うことはなくなった」


 教授はこれ見よがしに鼻を鳴らした。


 有名なフロイトとユングの確執ってやつか。


「かつての盟友が道をたがえる……フロイトとユングは、さしずめ精神医学部と心理学部だな。そこに籍を置くワタシもまた、この対立から逃れられない。歴史は繰り返す……奇妙な偶然の一致ではないか。ユングは『精神病は診察だけでなく心の物語が重要だ』と悟って独自の分析心理を開眼したが、我々の因縁も病的な物語性を内包していると言える」


 な、何か語り始めたぞ……そう言えば交換殺人のときも、心理学部と精神医学部は『フロイトとユングばりにたもとを分かちました』って話していたっけ。


「個人としてもユングと同じ誕生日であり、ユングのように年の離れた妻と結婚し、放蕩もしたのだから筋金入りではないか。特別視してしまうのもさもありなん」


 だから何だって言うんだよ。


 あんまり夢見がちな面相で語らないで欲しいな、気持ち悪いから。


 第一、それっぽっちの類似点でユングとカブってるとか、傲慢じゃないかな? 箇条書きのマジックと同じで、たまたま似通っている部分を書き連ねただけで全てが酷似しているような錯覚に囚われるんだよ。


 仮に、ユングそっくりだとしても、犯罪をやらかして良い道理なんてない。


 馬鹿馬鹿しい。


 ボクは延々と考える。この教授がどれほどナミダ先生を嫌っているのかは不明だけど、こんな奴に先生が負けるとは思えないし、思いたくもない。


 でも……勝つとしたら、どうやって?


 ナミダ先生がボクを救出する見込みは、あるのかな?


 この期に及んでも警察抜きで交渉するつもりだとしたら……?


(帰りが遅くなったら、ボクの親が通報しそうだなぁ)


 娘の帰りが遅くなれば当然、両親は心配する。


 どっちも共働きで帰りも遅いから、ボクの不在に気付くのは深夜を過ぎてからになるだろうけど――。


 それまでにボクが解放されれば良いな……無理かな?


 ああ、もう、どうしてこうなった。


 ボクを巻き込んだ『教授』とやらが、本当に腹立つ。


「それで、湯島は?」


 教授が問うと、暴漢の一人が声を荒げる。


「湯島には連絡しました! 人質を返して欲しければ、一人で旧校舎へ来いとね!」


「ふむ。そうか。さて、本当に単身で殴り込んで来るかどうか――」



「来ました!」



「――むっ?」


 別の暴漢が遠くで叫んだ。


 廃屋の入口に近い方角だ。見張りを立てていたようだ。


 たちまち一派に緊張が走る。


 教授も部屋の外へ踵を返して「早いな」なんてひとりごちている。


 ナミダ先生、迅速だな……というか、来てくれたんだね。ボクなんかのために。


 いや、出世の進退がかかっているから、そっちの交渉が主目的だろうけどさ……。


「寂れた廃墟だなぁ、あるある!」


 建物に呼びかけるナミダ先生の大音声が、染み入るように反響した。


 あの人、こんな声も出せるのか。


 隅々までよく通る、明朗な声量だ。


「腐った連中には、腐った根城がお似合いだね! いい加減、僕も辟易したよ。無関係の未成年を誘拐するなんて、そこまで見境がないとは思わなかった」


「ふん。ぬかせ――」


「君たちの悪行はもう見飽きた。滅びた建物にふさわしく、悪もまた滅びるがいい。正義は必ず勝つものだからね……よくある台詞だろう? あるある」




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