ボクは黒ずくめの闇に呑まれる――2




 ――やにわ買いかぶられて、ボクはドギマギしてしまった。


 ボク、何かナミダ先生に認められるようなこと、したっけ?


 あ、ディアナ・コンプレックスだからかな? 貴重な心理サンプルと思われている?


 ボクはしどろもどろに髪を乱し、スカートのすそをもじもじといじっていると、ナミダ先生はボクの心を読み取ったのか一笑に付す。


「おおむねそんな感じだね、よくあるよくある」


「よ、よくあるってそんな……どうしてボクの思考が判るんだ、この人は……」


「全ての心は、普遍的無意識で繋がってるからね。感受性の強い人間ならば、他人の気持ちを共感し、同調し、以心伝心で思考が伝わるんだよ」


「そ、そんなテレパシーじゃあるまいし、荒唐無稽なこと――」


「あるのさ、あるある。普遍的無意識の概念は、心理学では常識だよ?」


「ええ~……」


「何にせよ、今日のことは忘れよう。僕も大袈裟に事を広めたくないから」


「警察に通報した方が良いですよ。こんなことが何回もあるなんて危険すぎます」


「あー、実はもう警察には相談してるんだ。極秘にね」


「へ?」


「警察に知り合いが居ると言っただろう? 水面下で根回しはしてるさ」


 浜里警部のことか。


 最低限の対策は練っているんだ。


 すぐに逮捕しないのは、尖兵を泳がせているからだろうか?


 連中は所詮、末端のチンピラだ。そいつらを露払いするよりは、大元であるボスキャラを突き止めた方がよっぽど利口だもんね。


「浜里警部によると……管轄や担当が違うから手こずってるそうだけど、少しずつ調査は進んでる。そして、僕自身に被害がない限り、警察も静観するよう念を押してる」


「どうしてですか! 明らかな傷害未遂事件なのに――」


「僕の出世にも響くから、黒幕の正体を暴くまでは騒げないのさ」


「気持ちは判りますけど……」


「どうも黒幕が、僕の大学に関係あるのは間違いないんだ。僕がこの若さで講師を経て、あまつさえ准教授にまで推薦されたのが気に食わないらしい」


 ああ、さんざん言われていたね。


 対立派閥がどうのこうのって。


 相談室の交換殺人も、それが犯人の動機だったっけ。


「大学は派閥争いや足の引っ張り合いがあるからなぁ、あるある。教授への道は狭き門だ……助手やポスドクから成り上がれず、人生を棒に振る博士の多さたるや、社会問題になってもおかしくないよ」


 ナミダ先生が、寂しそうに肩をそびやかした。


 ステッキを力なく路面に突いて、夜空を見上げる。


 派閥争いか……。


 今一つ判らないけど、おぼろげには想像が付く。


 自分の研究チームから教授や准教授が生まれれば、大学内で発言力も向上するし、待遇も予算も上がるし、学会で幅を利かせることも出来るだろう。


 同門内でも、自分を差し置いて他人が出世するのが許せず、嫉妬して、妨害を仕掛けて来る恐れだってある。醜い大人の世界だ。


「現在は、心理学部の汐田教授と、精神医学部の渦海うずみ教授による対立が激化してる」


「はい……世知辛いですね」


「でも、精神医学部といえば天下の『お医者様』だ。どこへ行っても引く手あまただろうから、いつまでも大学に残って派閥争いするとは思えないけどね……」


「交換殺人の清田きよだが妄執的だっただけで、実は渦海教授は無関係とか?」


「判らない。とにかく、君も気を付けて帰るんだよ。奴らの狙いは僕だけど」


「はい……先生もお気を付けて」


 ボクは考えあぐねつつ、ナミダ先生に手を振った。


 一人で帰宅するのは不安だったけど、姿が見えなくなるまでナミダ先生はボクに手を振り続けてくれた。


(ナミダ先生が准教授になったら、スクール・カウンセラーも辞めちゃうのか……)


 当たり前のことを、今さらのように思い知る。


 スクール・カウンセラーは非常勤だから、本業が忙しくなれば辞職するのは当然だ。


 ナミダ先生は大学講師だ。博士号も取得しているから、大学に残って教鞭を取るくらいしか進路がないんだろう。


(単なる講師や助教だと、あんまり待遇も良くないんだっけ)


 赤信号で立ち止まる間、スマホで手早く検索してみる。


 うん、やっぱりそうだ。


 大学に残った研究者や助手は、いわば定職でありながらフリーターに近いという微妙な待遇のようだ。もちろん学振などできちんと収入を確保する学者も居るけど、下手すると下っ端のまま生涯を終えるらしい。そりゃ他人の推薦に嫉妬するわけだよ。


(准教授の椅子をめぐって、ドロドロした怨念が渦巻いている……)


 かと言って、医学部のエリートがそんな抗争に加担するとも思えない。


 信号が青に変わったので、スマホをスカートのポケットに突っ込んで歩き出す。


 横断歩道を渡り終え、対岸の歩道に足を乗せようとしたとき――。



「居たぞ、あの女だ!」



 キキキキ――――。


 けたたましいブレーキ音と叫び声が、ボクの背後から迫って来た。


 何だ、と警戒して振り返ったときには、もう遅い。


 スカートのすそを翻したボクが見たのは、眼前に急停車するワゴン車だった。


(さっきの暴漢どもの車!)


 黒ずくめの覆面連中が、ぞろぞろと車から飛び出した。一瞬でボクを取り押さえ、抵抗する間もなく担ぎ上げて、ワゴンの中に収納する。


(連れ去られるっ……!)


 これって誘拐? 拉致監禁?


 まずいな、という認識だけがボクの脳裏で警鐘を鳴らした。


 けど、この数じゃどうしようもない。


 やっぱり人海戦術って有効なんだな……。


 ボクは男勝りなだけの、ただのか弱い女子高生だった。この人数差を覆せる戦力は何もない。だからこそ、こいつらはボクに矛先を変えたんだろう。


 ワゴン車が走り出す。どこへ向かっているのかは不明だ。


「こいつ、湯島涙と一緒に居た生徒だ。人質に使えるぞ」


 暴漢どもが口々に呟く。


「だが、ただの在校生だろう? 湯島に近しい人間じゃないと駄目じゃないか?」


「それはそうだが、例えば奴の妹もあの高校に勤めてるが、手を出しづらくてな。あの女も結構強そうだぞ。謎のオーラ出してるしな」


「あー。近寄りがたい雰囲気はあるよな、人を寄せ付けない魔性っつーか」


 ……何の話をしているんだ、こいつらは。


 ともかく、ボクがナミダ先生のダシとして誘拐されたのは間違いない。


 くそっ。あの人はボクのことを気に入っていた。ボクを人質にするのは有効なんだ。


 足手まといには、なりたくないな……。


 なんてことを考える間も、ボクは暴漢どもに手足を縄で縛られ、口に猿ぐつわを結ばれて、夜の闇へと消えて行った。




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