調和
ひたすらあれこれとお薦めされるのかと思っていたが、さすがに店員はブランドに恥じない接客を叩きこまれていると見えて、最初に目的を聞いてきて定番を教えてくれた以外は、基本的には何も聞いていませんよという風に立っていた。これ、というものを決めずに来た身としてはありがたい。話しかけるばかりが親切ではないなあとしみじみする。客のそういう心情を見極める目を持っている店員は、やはり自社ブランドでも成績がよい。話しかけてほっとしてもらったり、反対にほとんど話しかけず、その日は何も買われずとも今度また来ようと思わせるのが大切なのだ。
などと、悩むあまり考えが仕事に移ってしまった。目の前にずらりと並んだ指輪に圧倒されている。わかっていたこととはいえ、金額にも目がくらむ。ブランド代、技術代、素材代とものによっては宝石代、そしてサービス代。合わせるとこれだけかかるのだろうと納得はできるけれど、それはそれとして単価に慄く。これから何十年とつけることを思えば安いのだろうか。
しかし、きれいだ。きらきらと輝くプラチナや金や銀は飛紗にとって自分とは違う世界の御伽噺に近いが、眺めている分にはたのしい。百貨店の一角なので前を通りすぎたことは何度かあるが、こうしてまじまじと見つめる機会はこれまでなかった。
「気になるものはありましたか?」
隣に立っている瀬戸に話しかけられて、はっとする。眺めるために来たのではない。結婚指輪を選びに来たのだ。
「前にもらったんは金やったから、やっぱりプラチナかなあ。あと宝石はいらんかな」
「プラチナはお手入れも簡単ですから、お薦めですよ。宝石がついていないタイプですと、ここらへんが人気です」
黙っていた店員がにっこりとケースのなかを示した。シンプルなデザインが多くて、正直なところどれがよいのかはよくわからない。唸っていると、つけてみますか? と言われ、断る前に瀬戸が頼んでしまった。
婚約指輪と同じブランドの指輪でも、つけ心地が微妙に違う。試着とはいえなんとなく照れくさい。
「眞一は何か気になるやつある?」
「気になるというか、普段使いするならシンプルなほうがよいとは思いますけど。飛紗ちゃんも服に合わせるの大変でしょう」
その「シンプル」のなかから選ぶのが難しい。指輪どころか時計、マフラー、手袋まで苦手にしている瀬戸がなるべく負担にならないものにしたいが、瀬戸の本音は指輪をつける時点でどれでも一緒、だろう。
「プラチナも似合いますね」
するりと指をなでられて、反射的に睨みつける。すぐそういうことをする。慣れているのか、店員がまた存在を消すようにしたのが居た堪れない。反応すればするだけおもしろがられるだけだとわかってはいるのだけれど。
ふと目線を落とすと、一つのデザインが飛びこんできた。長く見つめたつもりはないのに、店員が目ざとく気づいて「こちらもすてきですよ」と交換してくれる。先ほどの指輪よりもぴたりと指に馴染んで、心地がよい。
細身だが段がついていて、中心が高い。おそらく隙間なくダイヤモンドを敷き詰めることを想定してつくられているのだろうけれど、なくてもプラチナが充分輝いていた。値段も目が飛び出るほどではないし、むしろ考えていたより安い。
(眞一がこんなブランド店に連れてくるから……)
ただ、信頼と歴史のあるしっかりしたブランドで然るべき買い物をしたほうが、最終的に気持ちに充足感を得られたり安い買い物に思えたりするものだということも知っている。指輪なら特に、アフターケアが充実しているほうが安心だ。
門外漢の飛紗から見れば似たように見えるデザインにも、それぞれ誇りとこだわりがあるのだろう。もちろん職人のこだわりなど買う側には関係ないが、その誇りとこだわりが客を招くものだ。
「眞一もつけさせてもらったら? 苦手なひとほど、そのほうがええん違う」
半分ほど仕事に脳みそが浸かっている状態で提案すると、瀬戸は存外そうですねとあっさり頷いた。てっきり固辞するものだと思っていた。
瀬戸がつけると、同じデザインの指輪であるのに細く見える。手が大きいからだろうか。
「どう?」
「思っていたより違和はないです。自分でも意外ですが」
左手を握ったり開いたりしながら、不思議そうに首を傾げている。飛紗が感じた「ぴたり」を、瀬戸を感じているのかもしれない。そう思うとなんだかうれしくなって、頬が緩んだのが自分でわかった。
「これがいい」
「安めですけど、いいんですか?」
「うん。金額やないし」
高いものより、指に馴染んだこの指輪がよい。そもそも安めといっても、普段の買い物に比べたら桁が違うから、これくらいが身の丈に合っている気がする。今回はぼんやりしていたら支払いをしてしまいそうな瀬戸に先手を打って折半にすると決めているので、気持ちが楽だ。形式だけはお互いに贈りあう。
「何かメッセージを刻印されますか? 購入後三ヶ月間は品質証明書を提示していただければ無料でさせていただきますので、後日でも大丈夫ですよ」
日付やイニシャルを入れる場合が多いですねと言われて、考える。婚約指輪はブランド名が入っていただけでメッセージなどはなかったが、そういうことができるのか。そういえば父母の指輪にはまさに日付とイニシャルが彫られていた気がする。
「あ、お互いで考えておくんはどう? イニシャルと字体だけはおそろいで」
「いいですよ」
納品までは約三週間らしい。指のサイズを改めて測ってもらったり、手入れの仕方など細かい説明を聞きながら、合間合間に他の購入者の話を聞く。刻印だけ同じものにして、デザインはまったく異なるものを選ぶ人も増えているだとか、女性が指輪が外れないふりをして男性に買わせたりするだとか。そんなおねだりの仕方は飛紗には到底できそうになかったので、素直に感心する。
支払いの段階になって、二人してクレジットカードを取り出す。
「お支払い方法はいかがいたしますか?」
「一括で」
「分割で」
てっきり言葉がかぶると思っていたので、えっ、と瀬戸に顔を向ける。瀬戸のほうはなんとなく予想していたようで平然としていた。こういうところだ。瀬戸のこういうところ。うまく形容できない感情にもどかしくなる。
「お客様、お支払いは何回にされますか?」
「あ、三回で」
自分の業務を滞らせず、客の邪魔もしない。すっと会話に入ってくる接客術に舌を巻く。なかなか真似できる芸当ではなかった。相手の間やリズムを読み取る必要があり、店舗の子たちに教えるのは難しい。
「式のお金も前払いなんやで? 引越しと敷金礼金が待っとるで?」
「大丈夫です。一気に払ってすっきりしておかないと、どことなく落ち着かなくて」
言いながら、瀬戸はサインをする。意外なような、瀬戸らしいような。飛紗もサインをして、店員に渡す。あとは三週間後、控えを持って受け取りに来るだけだ。その前に刻印の依頼をしなければ。何にするか、また帰ってじっくり考えることにする。
お互い働いているので、自分のお金は自分で管理している。貯金額は知らない。特に知りたいとは思っていないが、瀬戸のたまの豪快さには驚く。どちらかというと飛紗が慎重なタイプだからだろう。お金を分けていなければ、双方がいらいらする原因になったかもしれないな、と思う。結局結婚後は共通の口座をつくってお金を入れることにしたので、残りはそれぞれの自由だ。
「そういうところが晟一さん似なんかな」
「ええ? 初めて言われた」
店員に深々と頭を下げられて、店をあとにする。今日はこのまま地下で土産でも買って帰る予定だ。
「指輪、たのしみやなあ。メッセージどうしようかな」
そうですね、と相槌を打つ瀬戸は、すでに決めているような様子だった。何も言われずとも読み取れることが増えて、つい表情を崩してしまう。翻弄されてばかりだったころの自分に、あせらずとも大丈夫だと伝えてあげたい。一度気づけば瀬戸は案外わかりやすいし、案外かわいい。調子に乗るとすぐ倍返しにされてしまうけれど。
「ほんまにつけてくれるん? 無理せんでもええで?」
口にこそしなかったが、つけてほしいと態度に出たのは自覚している。エスカレータに縦に並びながら顔を覗きこむように言うと、大丈夫です、と返された。
「つけてみてどうしても無理なら外しますよ。さっきの感じでは問題なさそうです。うまく言えませんけど、ぴたりとした感覚があったので」
その言葉に、前にいる瀬戸を追いかけるようにしてエスカレータを飛び降り、左手を握る。反動で二人の体が揺れたが、おかしそうに笑うだけで瀬戸は何も言わなかった。突然甘えるように体をくっつけてきた飛紗に応えるように、手に力がこめられる。
こういうところ。瀬戸のこういうところだ。
いまは何もつけられていないこの指に、自分と揃いのアクセサリーをつけてもらえる、というだけで、心が躍って仕方がなかった。
「浮足立ってしまいますね、どうも」
目的なくゆっくり足を進めながら、瀬戸が首をかいた。それも一緒だ。今日はお揃いが多くてうれしい。
「それで今日静かなん?」
「うん」
脇に広がっている菓子店が、いまはなかなか頭に入ってこない。どちらからともなく一息入れることにした。抹茶が売られていたので小さいサイズを二つ買い、簡易のスペースに腰かける。右へ左へ、人が通りすぎていく。皆あまり急いでいるようには見えなかった。急ごうにも人が多くて速く歩けないだけなのかもしれないが、どこか余裕があるように感じる。
肩がつきそうでつかない距離を保ちながら、瀬戸と二人、何も言わずにじっと前を見ていた。目の前の人の流れに入ることはたやすいとわかっていながら、なんだか間にガラスでもあるような気がして、こんなに明るいのに水族館みたいだと思い、水族館にしてはうるさすぎるかと考えを改めた。
「眞一って」
目線をそのままに、呟くように言う。
「海か空かって言ったら、海やんな」
名字も瀬戸だし。
それ以上の理由を聞かれたらうまくは説明できないので、飛紗は口を閉じる。ふと思っただけで深い意味はないのだ。
「飛紗ちゃんは、海か空かって言ったら空ですね」
名前が飛紗だから?
瞬き三つとともに顔を向けると、瀬戸はまっすぐ見つめたままだった。飛紗の視線に気づいて首を回し、瞬き一つで困ったように笑う。おそらく深い意味はないのだろう。
人目を気にせず大きく伸びをする。力を抜いた瞬間に思わずはあ、と息が漏れて、緊張していたのだなあと自覚した。
「うーん、家ならもたれかかるんやけどなあ」
抹茶の入った容器を両手で掴む。飲みきったつもりでいて、いつも一口分残しているのはなぜなのか。ぐいと今度こそ飲みきる。
「疲れが溜まってるんですよ。たのしくても疲れは溜まりますから」
「よし、ケーキ買って帰ろ。贅沢な休日にしよう、眞一」
飛紗が勢いよく立ちあがると、瀬戸も残った抹茶を傾け、容器をごみ箱に入れた。再び手をつないで、物色しに行く。家への土産はラスクでよいだろう。大学四年間、東京に住んでいたときはこちらに売っているにも関わらず買って帰っていたが、最近ご無沙汰だ。甘いものが苦手な弟も、ラスクなら食べられる。
「お店の人、なんかプロって感じやったなあ。仕事がんばろうって思ったわ」
「そのためにも今日はきちんと休まないといけませんね」
どこかふわふわしていた気持ちが現実世界に戻ってきて、うんと頷く。瀬戸も同じらしく、だんだんといつもの調子が戻ってきていた。
高い買い物をした非日常に少しばかり振り回されてしまったが、昨日までと今日からが線引きされるわけではない。結婚式には何か思うのだろうか。それとも引越しの際だろうか。婚姻届を出すときだろうか。初めての感覚に戸惑っているのだと結論づけて、つながっている手に指を絡めた。大丈夫。隣にいるのは瀬戸だ。
「……あ」
「ん?」
思わず漏れた小さな声を、当然のように雑音のなかから拾いあげられる。
「刻印してもらう言葉、決めた」
瀬戸は笑って、
「実は私も、もう決めているんです」
と言った。言葉は幾千とあるのに、なぜだか同じだと確信を持ってしまって、破顔する。答え合わせがたのしみだ。
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