準備
マフラーに顔をうずめるようにして歩く。今年は冬らしい冬がこないと油断していたら、突然ぐっと冷えこみ始めた。冷気が出ているのではないかというくらい、手足が尋常じゃなく冷たい。たまにタイツを履いていない、ミニスカートやショートパンツの若い女の子とすれ違うと、寒さがつよまった気がして、つい鼻をすすってしまう。数年前まで自分も同じような服装をしていたはずなのだが、もう真似できない。だいたいミニスカートやショートパンツも、そろそろ年齢的に怪しい。引越しを機に、持っている服を見なおす時期なのかもしれなかった。
とはいえ、服の選択肢は多いほうがたのしいし、自分から狭めてファッションが窮屈になるのもいやだ。悩みどころである。
「鷹村さん」
ぽん、と背中をたたかれ、振り返ると同僚の千葉がいた。飛紗が会社を出たときには会議で席にいなかったのだが、終わったらしい。
「出たばっかりって聞いて。一緒に帰ってもええ?」
千葉とは、途中の駅まで同じである。同じく同僚で同期の尾野とともに飲みに行って以来、タイミングが合えばたまに一緒に帰っている。今日は特に寄り道したいところもないので、頷き並んで歩く。
三〇を超えている(超えているのか、三〇ぴったりなのかは知らないが)千葉だが、ミニスカートもショートパンツも履いている。そして飛紗が見るかぎり似合っている。結局PTOさえ守れていれば、なんでもいいのかもしれない。自分がブランドの広告塔になると思うと、そこが難しいのだが。
「どこもかしこもイルミネーションやねえ」
千葉が周りを眺めながら言う。街中の木々は装飾できらきらと光っていて、眩しい。
「クリスマス、彼氏とどっか行くん? 今年は土日やから、どこも混むやんなあ」
「クリスマス」
言われて、間抜けに反復してしまう。服の売れ時だとイベントを意識しておきながら、いま気づいたような心地だ。
実のところ、付き合いだしてから迎える初めてのクリスマスだ。しかし思い返してみれば、去年のクリスマスイブも瀬戸と一緒だった。いつもは偶然出会えば食事に行くという流れだったのが、あのときだけは予定がないなら空けておいてと言われ、初めて待ち合わせをして食べに行った。デートなどという色気のあるものではなく、食べに行ったのは餃子で、しかしこれが衝撃を受けるおいしさだった。いま思い出してもよだれが出るが、予約しようと思えば常に半年以上先になる人気店なので、気軽に行けるところではないのが残念だ。
あれ。もしかして、普通はプレゼントとかするのだろうか。
今さら思い至り、内心頭を抱える。何も考えていなかった。そもそも、何がよろこんでもらえるのかわからない。瀬戸のことだから、絶対に何か考えてくれているだろうに、自分はこれでよいのか。
唸り始めた飛紗に、千葉が顔を覗いてくる。
「もしかして、まだ悩んどるん? プレゼント」
え、ああ、うん。そう。曖昧な返事をして、改札をくぐり抜ける。悩んでいるどころか、いま気づいたくらいなのだが、さすがに口には出せない。
「男の人ってなによろこぶか難しいやんね。尾野くんなんかは、ネクタイピンとか、ちょっと高めの傘とか、服を助けるアイテムがすきそうやってわかりやすいけど」
「確かに。でもこだわり多そうで彼女は大変かも」
笑いながら、頭を回転させる。ネクタイピンはめったに使われないだろうし、傘は反応が鈍い気がする。何せ運がよいひとなので、そもそも雨に当たることがほとんどないのだ。偶然だろうとは思うけれど。
食べ物は手っ取り早いが、できれば手元に残るものがいい。瀬戸の身近にあるものといえば本だ。ブックカバーがいちばんに浮かんだが、読むのがはやいのでつける間がほとんどない。しおりも然り。というか、途中だろうと内容が気になった箇所だろうと、ページ数くらいなら記憶してしまうので、使ったことがないと言っていた。どんな脳みそをしているのか、「家から近かった」という理由でT大学に行った人間は違う。正直妬ましい。
「千葉さんはこれまで、なにあげたりした?」
「あたしかあ。なんやったかなあ。使ったお金んことは忘れてまうからなあ」
電車がゆっくりとホームに入ってきて、やがて停まる。終点なので乗っている客全員が一度ぞろぞろと出てきて、乗る側が競うように入っていく。飛紗と千葉も列に続いて電車に乗りこみ、なんとか着席した。
長めの茶髪を緩めに巻いて快活に笑う千葉は、もてそうではある。結婚に興味がなく、「いまは恋愛が煩わしくなった」と恋人はいないようだが、つくろうと思えばすぐにできるのではないか。恋愛経験に乏しい飛紗は、そんなことを考えてしまう。今日のピアスは犬とレコード再生機がそれぞれ片耳ずつについていて、かわいい。レコード会社のロゴのピアスだ。
「最近はデートも割勘とか普通の感覚みたいやけど、あたしは正直、絶対男に出してほしいんよね。お金を出したくないんやなくて、それくらいの甲斐性は持っててほしいって意味で。やからその分、プレゼントとかはがんばるねんけど、結局中身より、その前と後のほうが重要で、何をあげたか? はあとからついてくるもんなんかも」
なるほど、と納得する。瀬戸はいつも飛紗にお金どころか財布すら鞄から出す間もなく会計を済ませてしまうことが多く、基本的に飛紗には出費をさせない。それは付き合う前からで、回数を重ねれば重ねるほど申し訳なく思っていたものだが、そういう考え方もあるのか。
しかし付き合うと同時に婚約をしたので、イベントごと、たとえば誕生日とかバレンタインを経ずに現在に至っている分、プレゼントらしいプレゼントはあげていないのと同じく、もらったこともないかもしれない。婚約指輪はもらったが、同列にするのは何か違う気がする。
そこまで考えて、はたと気づく。
(わたしもしかして、瀬戸の誕生日、知らん……?)
さっ、と血の気が引く。自分にも引く。なんてぼんやりしていたのか。なんて間抜けなのか。いや正しくは、八月であることは知っている。弟と同じ。だから知らぬ間に過ぎ去っているということはない。とはいえそれ以上、つまり日にちを知らない。
晟一か学に聞けばよいのではないか。一瞬前が開けた気がしたが、婚約までしていて恋人の誕生日を知らないとはあまりにもひどい。それをまさか相手の父親に聞くわけにはいくまい。
「なん? そんなにプレゼント気がかりなん?」
一人でぐるぐるしている飛紗に気づいて、千葉が心配そうに言う。ごまかし方がわからず、うん、と頷いた。これはこれで嘘ではない。
電車内がぎゅうぎゅうとして混んできた。ベッドタウンに向かう路線なので、朝ほどではないにせよ夜も満員電車であることが多い。
「最悪、えっちな下着かミニスカサンタの恰好でもしたらええん違う?」
「他人事だと思って」
ばれた? とのほほんと笑われる。仲良くなる前は気づかなかったが、千葉はあけすけなところがあって、たまにびっくりするようなことを平然と言う。いや、確かに、よろこんではくれるだろうけれど。
「まあ、ほんまに困ったら自分のすきなもんあげるとか。一緒に買いに行ってもええわけやし」
最後にそんなアドバイスをもらって、千葉とは乗換駅で別れた。
帰っても部屋にはまだ電気がついていなかった。最近瀬戸は飛紗よりも遅い。卒業論文の提出期限が迫っているせいで、今日がその提出日のはずだ。飛紗には詳しいことはわからないが、専任講師といってもやはり関係するらしい。提出形式から守らない学生が多いと近ごろめずらしく溜息をついていた。
だから最近は、飛紗が夕飯当番だ。それに伴い、翌日の朝食当番は瀬戸になる。飛紗のほうはもう落ち着いてきたのでぜんぜんかまわないのだが、同じようなメニューをつくっても許される朝食と異なり、夕食はあれこれと考えなければならないのが大変だ。瀬戸が気負わなくていいというので難しいものはつくっていないのだが、それでもなんとか冷蔵庫のものをきれいに使いきろうと四苦八苦する。
今日は挽肉を買ってきたので、麻婆茄子をつくる。餃子のことを考えていたら中華の気分になった。秋は過ぎたが、まだ茄子はおいしい。先日贅沢をして黄身の醤油漬けをつくったので、余った白身をつかってスープをつくればちょうどよいだろう。ねぎもある。
米を炊いて、風呂に入り、洗濯物をたたむ。洗濯物は本来瀬戸の役割だが、持ちつ持たれつだ。自分の下着を瀬戸がたたんでいるのは最初なんとなく恥ずかしさと、「瀬戸に女性下着をたたんでほしくない」というよくわからない葛藤があったが、いまではすっかり慣れた。反対に瀬戸の下着をたたむのは、はなから何の抵抗もない。父や弟の下着をたたんだり見たりしてきたからだろうか。
九時を過ぎても帰ってこなかったら先に食べる、という約定を提案したのは飛紗だが、なんとなく今日は待ってみる。昨日も卒業論文の提出締切前日とあって瀬戸の帰りは非常に遅く、一緒に食べられなかった。
月曜日夜十時、飛紗が物心ついたころからやっているテレビ番組が始まった。観ていると、高級な食材を贅沢に使ってつくられている料理にお腹がすいてきた。数年前までは料理はそっちのけ、ゲストとのしゃべりばかり注目して笑っていたものだが、最近では調理過程や調理器具も気になる。黄身の醤油漬けはこの番組に感化されてつくったのだ。今日も登場している。
番組内では二つのチームに分かれていて、そろそろどちらがよりおいしかったかゲストが判定、というところでかしゃん、と金属の落ちる音がした。一人でいるときは鍵をかけろと口うるさく言われているので、この約一ヶ月、まじめに守っている。
立ちあがり玄関に向かうと、やはり聞き間違いではなかったらしくドアが開いた。瀬戸が顔を出して、飛紗を認めるとただいま、と言った。今日もトレンチコートが恰好よい。基本的には飛紗が先に出るので、コート姿の瀬戸を見られるのはこの時間だけだ。
「おかえり」
「また廊下のドア開けてましたね?」
風が通って寒くなるので閉めろと言われているのだが、閉めてしまうと鍵の音が聞こえない。ベッドの毛布にくるまり、暖はきちんととっているので許されたい。暖房はつけていないので電気代の無駄遣いもしていない。
立ったまま靴紐をほどく瀬戸の頬に、ぴたりと手を当てる。
「ひゃっこい」
「飛紗ちゃんも充分冷たいから。冷え性ってどうにかならないんですかね」
脱ぎ捨てられた靴を飛紗が揃えた。瀬戸は何度言っても放り投げるような脱ぎ方をする。外ではきちんと両足揃えるのだが、自宅では面倒なのか。前に飛紗が放っておいたらいつの間にか揃えられていたので、帰ってすぐはきちんとする気にならないだけかもしれない。
「食べてない」
ラップをかけてテーブルに置かれている夕飯を目にして、瀬戸が言った。
「うん。一緒に食べようと思って」
瀬戸は一度鞄をテーブルに置こうとしたあと、何か考えるようにして普段の定位置に持っていった。最近やっと、飛紗が何度も言い含めるのでこちらは守ってくれるようになった。コートは脱いだところを受け取り、ハンガーにかけてやる。
「お腹すいたでしょう。ごめん」
「九時までにって約束やったのに、勝手に待ってたんわたしやから」
いつも通り話してくれているが、やはりどこか疲れている。学生の論文を見つつ、自分の研究を進め、業務は年末進行。疲労が溜まって当たり前だ。
「でもお腹はすいたから、はよお風呂入ってきて。一緒に食べよ」
「飛紗ちゃんも冷えたなら一緒に入ります?」
軽口にかっと顔を赤くすると、瀬戸はからからと笑って洗面所に消えていった。基本的には一人暮らし用とあって風呂は狭いので、この家で二人一緒に入ったことはない。
ふと、運転免許証には誕生日が書いてあるのではないか、と思いついた。車を運転するところは見たことがないが、瀬戸なら免許証か、あるいはパスポートくらい持っているだろう。というか運転免許は持っていてほしい。
ただ、どこにあるか見当がつかないため、部屋や鞄を漁ることになる。それはどうなのかと断念して、炊飯器の保温を切った。瀬戸があがってきたときのために麻婆茄子を電子レンジに入れて、スープを温める。
八月とわかっているのだから、とりあえずは目先のクリスマスプレゼントが先決だ。世の恋人たちはいつ相手の誕生日を把握するのだろう。友人たちの誕生日はいつ把握しただろう。ここ数年でできた友人というと同僚の尾野や千葉だが、二人の誕生日も知らない。
テレビでは、黄身の醤油漬けではなく、同じく番組内でおなじみになっている液体窒素のスイーツが決め手となって、判定が出ていた。どちらのチームのも食べてみたい。結果が見られたので一旦電源を切り、夕飯の準備に戻る。このあとのコントや音楽も気になるが、実家では録って残してくれているはずだ。
「お待たせ」
髪を拭きながら瀬戸が出てくる。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、一本飲み干してしまう。彼は飲み物といえば水で、お茶もコーヒーも紅茶も、飛紗が買ったものしか置いていない。
「卒論、全部出揃ったん?」
「出揃ったというか、出させたというか。学生も一分でも遅れたら容赦なく落とされることを知っていますからね」
他の先生もそうなのかもしれないが、瀬戸は特にその点厳しそうだ。飛紗は記憶が遠くなってきた学生時代の瀬戸の授業を思い出す。しゃべれば追い出され、寝れば追い出され、出席はとらない代わりに出席していないと絶対にわからないような試験問題。あのとき結局何人が単位をとれたのか聞いたことはない。教えてもくれないだろうけれど、あまり聞きたくない。
「あの、眞一?」
「ん?」
いただきます、とお互い両手を合わせたあと、飛紗が麻婆茄子を見つめながら呼びかける。箸を持ったまま動かそうとしない飛紗を見て、瀬戸が顔を上げた。
「クリスマスやねんけど」
「今週末ですね」
この物言いは、何か用意している。
すぐに気づいて、飛紗は一度口を閉じる。意外そうでもなく、どうするかと聞いてくるでもなく、こうしましょうと提案されるでもなく。おそらく何か準備はしているものの、飛紗の反応を見て言い出すかどうか決めようとしている。たとえばどこかに予約をしていたとして、飛紗が仕事などでだめになるとキャンセルすることになる。キャンセルしたことを知ると、飛紗は申し訳なく感じる。だからまだ何も言わない。そういう流れを一瞬にして判断するのは、瀬戸の十八番だ。
「あの、休み、やんな?」
「うん」
「わたしも休みやねん。クリスマスは相手がいる奴は自社ブランドの一張羅着て明るい顔で外出歩け、それが最高の宣伝やっていう方針で、まさか自分がその対象になるとは思ってなかったっていうか、まあそもそも土日やからはなから休みやねんけど」
「うん」
なんでもないようにスープを飲みながら、瀬戸が相槌を打つ。飛紗も同じようにスープを一口飲んで、茄子を掴んだ。掴んだだけで口には持っていかない。
「あの、なんかちょっと露出高い、えっちな下着とか着たら、よろこぶ?」
ごふっ。
およそまともな咀嚼とは思えない変な音が聞こえてきて、飛紗は顔を上げる。反対に、俯くようにして顔を覆った瀬戸が、咽喉を鳴らした。よほど予想外だったと見えて、場違いながら瀬戸を動揺させたことに感動する。一本とったり。内容はともかく。
「いや、まあ、よろこぶ……まあ、はあ」
そのまま頬杖をついて、瀬戸は箸を置いた。
「どうでもいい?」
「どうでもよくはないけど」
一口水を飲んでいるのを見て、掴んだ茄子をやっと口に入れる。味見はしたので問題ないはずだが、よくわからなかった。
「じゃ、これまでの恋人でそういうんがあった。そんであんまりいい思い出じゃない」
「邪推しすぎ」
水を一口飲んで、瀬戸が小さく嘆息した。
深夜番組でお笑い芸人が一般女性の部屋を漁り、コスプレ衣装や女性の飛紗でも驚くような下着を持っていたりするのをよく見るが、あれは一握りの人たちなのだろうか。普通がわからない、と思ったが、他の女性がどうするかなんてそれなりに経験があっても普通はわかるものではないか。「普通」とは何だ。
「なんでそんなこと思ったんですか?」
「え? えーと、クリスマスプレゼント、考えとらんくて……」
声が徐々に小さくなる。よく考えれば、「プレゼントはわたし」をしようとしていたことになるのか。おこがましい。瀬戸はそう思わないにしても。
「最悪、そういうんでもええん違うって同僚に言われて、もうよくわからんくなったから聞いたほうがはやいかなって思って」
「はあ。でもそれって服を脱いだら実は、にしないとあまり意味ないんじゃないの?」
「え? あ、そうか」
落ちついたのか、瀬戸は頬杖をやめて再び箸を持つ。沈黙が下りた。お互いの咀嚼音だけが響いて気まずい。
はしたないと呆れただろうか。靴だの爪だの服だのを細かく褒めてくれる瀬戸だが、下着については言及されたことがない。いやまあ、毎日洗ってたたんでもらっているので今さらではあるのだが。
「少なくとも飛紗ちゃんは」
また瀬戸が箸を置いたので顔を上げると、今度は完食していた。
「それで私がよろこぶと思ったわけですね」
片目を細めるようにしてにやりとされて、墓穴を掘ったことにやっと気づく。よろこぶというか、飛紗自身やりそうにないと思うことなので、ただ褒めてもらいたかっただけかもしれない。そうだとしたらなおさら恥ずかしい。
残り少ない夕飯を咀嚼しながら飛紗が答えずにいると、瀬戸は口元に手を当てて小さくあくびをした。連日朝早く夜遅いので疲れているのだろう。
「まあでも別にいつもかわいいの着けてるじゃないですか。高そうな」
「うん、高い。女の下着は高いんよね……」
母親の新年は必ず新しい下着を着けるべしという教えを律儀に何年も守っているが、年末にはけっこうな出費だ。その点男性はいいなと、父の下着を買う母を見ながら毎年思っていた。サイズが小さめなのでセールがあるだけましか。いや、一度くらい割引対象外のサイズを体験してみたかった。
「どちらにせよ無理するほどのイベントじゃないですよ。ただのお祭りなんだから」
そういうものか。でも飛紗は何かしたいと思ったのだ。気づくのが遅すぎたにせよ、瀬戸に何かをあげたいし、何かをしたい。イベントにかこつければ自分を鼓舞することもできる。結婚式が現実になってきて、今回はあまりお金がかけられないとしても。
夕飯の最後の一口を食べきって、飛紗も箸を置く。毎回同じ思考回路で自分がいやになるが、瀬戸は何度恋人とのクリスマスを経験したのだろう。飛紗はこれが初めてだ。来年にはもう「恋人」ではない。だから最後でもある。
「でも、土曜日の夜は外に食べに行きましょう。クリスマスイブですからね」
ね、とやさしく微笑まれて、頷く。頭をなでられ、瀬戸は飛紗の分と合わせて皿を台所に持っていった。皿洗いはご飯をつくってもらったほうがするルールだ。ねむそうに目をこすっている。
椅子から立ち上がり、皿を洗い始めた瀬戸の後ろから抱きつく。
「餃子?」
「さすがに今年は、もう少し色気のあるところに行きます」
淀みなく瀬戸が答えた。ちゃんと去年のことを憶えてくれている。うれしくなって、たのしみ、と言えば、そうですね、と頷かれた。クリスマスイブの土曜日まで、あと四日だ。
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