GhostNumbers 南の海の愚連隊

@matunomorisubaru

第1話 南の海の愚連隊

 『辞令・カイル・ハートレイ少尉』

 『貴官に沿岸防衛隊・南ロンダム管区オリオン基地勤務を命ずる。聖暦1995年7月1日・レフェリア王国軍統帥府』


 クラス担任であり学年主任を務めるクリス教官は辞令を握ったまま、神妙な顔つきで俺の顔を覗き込む。


「ハートレイ君、本当に良いの?今ならまだ事務手続き上のミスって事で差し戻す事もできるのよ?」


来年には定年を迎えるという彼女の長い軍務生活でも初めてであろう出来事に、さすがのベテラン教官も戸惑いを隠せないらしい。


「……私はこれまで君たち卒業生の進路希望を最大限尊重してきたつもり。だけどこれはあまりにも……、あなたは我が士官学校の首席卒業生なの。このままでは学校だけでなく君のお爺様やお父様の名まで穢すことになるわ。私の言っている意味が解らない君じゃないでしょ……」


教官は困惑気味にため息をつく。

おそらくこの事は彼女の一番の悩みの種であり職員会議の一番の議題なんだろう。

 俺だって彼女を困らせたくはないが、その『お爺様の名』のせいで俺がどんな苦労と苦悩を重ねてきたかは理解してはもらえまい。

特にその名声を最大限利用し、祖父を神として崇拝すらしていそうな親父にはな……。


俺の祖父は約五十年前の第二次大陸間戦争では艦隊を率いて幾度もの海戦を勝利に導き、後に救国の英雄とまで謳われた人だった。

戦後、海軍総司令官や国家評議員のポストまで用意されたらしいが頑なに断り続け、現場指揮官として国に尽くした生粋の海の男としてレフェリア国民ならばハートレイ提督の名を知らない者はいないだろう。


祖父は俺がまだ小さい頃に亡くなったけど、その頃はそんな大層な人とは知らず、よく髭を引っ張って困らせてた事をここに全国民に謝罪したいと思う。

 もちろん祖父を尊敬しているし、今も海軍中枢で出世街道爆進中の親父を全く尊敬してない訳ではない。

『名誉ある家名を背負い、その名に恥じぬよう生きる事がハートレイ家に生まれた者の義務だ』という親父の教えを盲目的に信じていた頃も確かにあった。


 だからその教えを実直に守り、成績は常にトップをキープ、中学卒業後は当然のように俺は海軍士官学校に進んだ。

カエルの子がカエルに成長する事に疑問を抱く事が無いのと同じだ。

 しかし、祖父は海軍の英雄で、おまけに親父はエリート海軍少将という肩書きは人間関係構築には時に足枷となる。

 すでに小、中学校でも無かった訳ではないが、 士官学校に入ると教官達は親父の影響力を恐れて俺に遠慮するし、同期生からも距離を置かれ、遠くから妬みと好奇の目で見られる。誰もが俺の機嫌を損ねまいと当たり障りなくお客様扱いってのはある意味『優しい無視』だ。

 親父はそれを利用出来る意志の強さがあったのだろうが俺には耐えられなかった。

 思えば、昔からどこに行っても『英雄の孫』でしかなく、 誰も俺自身を見てなかった。親父ですら俺に求めていたのは『ハートレイを名乗るにふさわしい人間』かどうかだったのかもしれない。

 常に孤独を感じ、ある日中身が誰かと入れ替わっても誰もそれに気付かないかもしれない。

そう考えた時、自分という存在の希薄さが恐ろしくなった。だから俺は存在価値が消えてしまわぬように周囲が期待する『英雄の孫』を必死で演じ続けた。

 しかしどれだけ演じても不安が消える事はなく、逆に周囲の期待に応えれば応える程、嫉妬心を煽り、不毛な競争に引きずり込まれ、更に孤独になっていった。


軍人は士官学校卒業時の成績がその後の出世を大きく左右する。上を目指している連中は利害関係のみの派閥を作り、笑顔の裏で相手の腹を探り、プライドと出世欲丸出しで潰しあう。


ある時、この先もそんな出世争いの世界に身を置くのかと思うと何もかも馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 しかしここで全てを投げ出し、同期生達の笑いの種になってやるのもなんだか悔しいという一心で、俺は士官学校を首席で卒業した。

 これで海軍のトップである海軍総司令官への道が半分約束されたようなもんだが、呆気ない程に何の感慨も沸かなかった。

 うわべの賛辞を述べつつも、悔しそうに俺を睨みつけている連中を見るのは痛快だったが、その時どこからかこんな囁きを耳する。


『あいつ、どうせ親の七光りで出世コースかよ。ホントやってられないぜ』


よくある負け惜しみの陰口に過ぎなかったのだろうが、俺にとってその言葉は天使の囁きに思えた。

つまり祖父や親父の影響がなく、出世争いのない場所なら、ありのままで自由に、心穏やかに生きられるって事だ。

そして俺は出世コースの入口である、卒業後の海軍総司令部配属を辞退、『最終処分場』『掃き溜め部隊』と揶揄される沿岸防衛隊の辞令を受けるに至った訳だ。


 「ハートレイ君、これを受けるということは一生を棒に振る事になるのよ?お父様とお話されてるの?」


疲労の色さえ浮ぶクリス教官が俺に再び念押ししてくる。

入学時から世話になっている教官にこれ程の気苦労をかけている事には少々胸が痛くもあるが、ここで引き下がる訳にもいかない。


「はい、父も平時における沿岸防衛任務の特殊性、重要性をよく認識し、海賊、密輸犯罪対策といった新たな脅威に対応するための海軍部隊と沿岸防衛隊との協力体制の構築、それに伴う法改正や組織改編を含む抜本的な対策が急務であるとの見解を得ております!」


「そう……、少将は国の未来を見ておられるのね……。家名に甘んじる事なく国に尽くすその姿、まさに救国の英雄の血統だわ……」


教官は遠い目をしてしきりに感激していたが、前に親父が海賊被害やギャング組織の密輸に関する新聞記事を読んでぼやいていた事だから、嘘は言ってない。

そもそも、エリート意識モリモリの親父にこんな事がバレたら俺の意志など無視し、自分の権限をフルに使って学校に圧力を掛けるだろう。しかし今は演習艦隊を指揮して訓練航海に出ているから、まず半年は戻って来ないはずだ。

七月一日に辞令が発令されされてしまえば、いくら親父でもおいそれと取り消しは出来ないだろう。


 聖暦1995年7月1日――


俺はネイビーブルーの新しい制服に身を包み、地中海と大西洋を隔てる海の要衝でありヨーロッパの海の大動脈となっているロンダム海峡南岸の町、スエーニョの小さな駅に降り立った。

王都から遠く離れた辺境だけあって、4時間も列車に揺られたお尻が痛い。


この街は新任少尉として勤務先となる沿岸防衛隊オリオン基地のお膝元でもあり、これから基地の独身寮での暮らしが始まる。趣味のゲーム機やパソコン、ソフトの類いの生活必需品はすでに配送済み。

俺はお気に入りのマンガやゲーム雑誌、家には置いておけない危険なお宝本が入った重いボストンバッグを抱えると、朝の海風の中、眼下に広がる海を目指して歩きだした。


この小さな港町はエフェリア王国の最南端のロンダム海峡に面してるだけあり、じりじりと肌を焼く南地中海の陽光は確かな夏の訪れを告げている。

 海に向かう斜面に建ち並ぶ家々はこの地方独特の白い壁と橙色の屋根瓦で統一され、駅から港までの目抜き通りに軒を連ねる商店街では朝市が開かれているらしく、多くの買い物客で賑わっていた。

 その喧騒とは対照的に、坂の下の港には一仕事終えた数隻の漁船がのんびりと波に身を任せ思い思いに揺れている。

 鮮やかな群青色の水平線の彼方にはロンダム海峡の対岸、隣国エル・アラム連邦の陸地が確認できる。


 国際的にも重要なロンダム海峡を領海とする我がレフェリア王国は海軍の他に、航路や沿岸部の警備、海賊・密輸出入対策、海難救助などの専門部隊として沿岸防衛隊を組織して各地に基地を置いている。

幅60キロ程のロンダム海峡は古来より地中海から大西洋に出る唯一海路として多くの勢力が覇権を争い、歴史の教科書に載る程の大きな戦いを繰り広げてきた場所でもあった。


そんな血生臭い歴史的背景からか、この地方の船乗りの間には「ストレイツ・ゴースト(海峡の幽霊)」などという怪異譚がまことしやかに語り継がれているそうだ。

 この海峡には霧を纏った幽霊船が彷徨い、悪しき魂を喰らう……とかなんとか。

 そういう話の類いは未解明の自然現象や時化とか、要するに海への畏怖からくる作り話と相場が決まっている。


 重い荷物と強い日差しに汗を滲ませ、荷物の配送料をケチった自分を怨みつつ、二十分も坂を下ってようやく港に出る。上から見下ろすと近そうに見えるが意外と距離があった。こんな事なら駅前でタクシーに乗るべきだった。

魚の臭いが鼻につく港では漁から戻った漁船が荷降ろししている最中らしい。活気に溢れる港を抜けると、ようやく目的地の沿岸防衛隊オリオン基地正門に辿り着いた。


チェスのポーンみたいな形の古めかしい門衛所の奥には、良く言えばレトロで味があるかもしれない事務棟や冷戦時の歴史的遺構と思えば貴重な気がしないでもない錆の浮いた蒲鉾形の倉庫群など、もはやモノクロの戦争映画でしかお目にかかれない建物が並んでいる。


国防の中枢として潤沢に予算が割り当てられている王立海軍の基地とは雲泥の差。王国軍編成表の端の端に書かれている場末の組織だけの事はある。


建前上は『国民生活を脅かす海洋犯罪防衛の要』として設立されたが、その実状は正規部隊が嫌がる仕事や海軍内で持て余した人間を処理する『掃き溜め部隊』『最終処分場』だった。 任務の性質上、出世に必要な利権や人脈獲得に結び付かないというのが原因だろう。

事実、隊員のほとんどは士官学校の落第者や海軍内で行き場の無い問題児ばかりという、出世には縁の無い連中ばかりらしい。


だからこそ誰に期待されるでもなく、これからは出世争いのない穏やかで平和な生活が待っているはずだ。

その時まではそう信じていた。その時まではな。


 門衛の兵士に案内され、事務室で着任手続きを済ませると他の新任隊員と共に古びた屋内訓練場で行われる着任式に出席した。

 そこで立ったまま約三十分、俺達新任隊員は白髪交じりの口髭をたくわえたじいさんの思い出話を延々と聞かされるはめになるとは。


 「……思い起こせば、確か、三十年以上も前になるか。ワシがこの防衛隊に入ったのも皆と同じ位の歳で、最初の任務は……、忘れてしまったが……」


 どうやらまだまだ話足りないらしいこのじいさんはロジャー・グラント少将。

昼下がりの公園で鳩を数えていそうな風体だけど、これでもオリオン基地の基地司令を務めている。

 一般的に沿岸防衛隊基地司令のポストは出世争いに敗れた海軍将官の左遷先と相場が決まっていたが、グラント少将は沿岸防衛隊出身の生粋の叩き上げで基地司令まで上り詰めた程のやり手らしい。


 それから更に三十分後、ようやく基地司令の長い身の上話が終了すると、慌てて戻ってきた進行役の士官が次の予定を告げて閉式を宣言する。どうやら司令の長話に付き合いきれずに、タバコを吸いに行ってたようだ。これも『掃き溜め』ならではの沿岸防衛隊独特の自由な風潮なのか……。


 着任式を終えると新任隊員達は配属の辞令が交付される作戦会議室に連れて行かれた。

作戦会議室はバロック様式を取り入れたレトロなデザインの司令本部棟にある。

貧素な基地の建物の中でも比較的オシャレに見える建物と言える。

 司令本部棟の中に入ると、古い建物独特の埃と乾いた木の臭いが鼻をつく。作戦会議室の中は意外と広く、作りは古い大学の講義室と同じ、教壇を中心に半円形に座席が配置されたアリーナ型になっていた。

 正面の黒板には大きく『隊員番号の席に座ること』と走り書きされている。

 俺は着任式で配付された身分証替わりの隊員手帳を開くと、名前の下に書かれた数字を確認する。


 『カイル・ハートレイ 少尉 第427号』


 427番。この番号は支給された拳銃や手錠、制服は元より宿舎で使う毛布にまで付され、退官するその日まで付き合う事になる数字だ。戦死した時の死体バッグにまで印される、という事実はあまり考えたくないが……。


 とにかく今は座りたい一心で自分の番号が付された席を探すと、座席に崩れ落ちる。一時間も立ちっぱなしで足が怠い。

 着任式といっても任官の宣誓と手帳の配付、あとは基地司令のワンマントークショー。『形だけやりましたよ』という感じで、適当というか呑気というか、伝統と格式、規律が重んじられる海軍とはえらい違いだ。

 自分から望んで末端部署に来たからには好待遇など期待してない。むしろ気が楽だ。


 こんな場所に居るのを親父が見たら大激怒だろうが、考えてみればこれは初めての親父への反抗だった。格好よく言えば、家名という鎖に抗い、自分らしく人生を歩む為の闘争なんだよ。


 その後、かれこれ15分近く経つが辞令を配るはずの担当官は一向に現れない。これが正規軍であれば一分たりとも遅刻は許されないはずだ。

 それ以上に、初対面の者ばかりが放置された時の、ビミョーな沈黙というか空気感は何とも居心地が悪い。

やがてしばらくすると耐えかねた勇気ある者達が隣の人と遠慮がちに話し始め、あちこちで自己紹介なんかが始まった。

初めて話したヤツってのは意外と長い付き合いになったりするんだよな。つまりこの放置時間は新人隊員間のコミュニケーションを促す為に仕組まれたものだ、と肯定的に理解しておいて、俺も隣の席のヤツに話しかけてみる。


 さて俺の隣の席にはどんなヤツが……。


と、さりげなく隣を伺うと、褐色掛かった肌にポニーテールに結った綺麗な赤毛の髪に猫を思わせる強気そうな黒い瞳のなかなか可愛い女の子。

しかし俺の視線に気付いたらしい女の子は眉間に皺を寄せると、仏張面で頬杖をつき『話しかけるな』オーラをギンギンに放ち始めた。


こんな相手に何て声掛ければいいんだよ?


考えてみれば俺って必要な時以外、同年代に自分から話しかけた事ってないかもしれない。俺と話すときはみんな敬語だし、妙に距離を置かれてたからな。


 それにこの子、褐色の肌に黒い瞳の特長はおそらくベルク人だろう。

 ベルク人はその容姿から悪魔の子と忌み嫌われ、この国では差別的な扱いを受けてきた民族だった。前大戦後のレフェリア王妃による平等宣言で差別を受ける事は少なくなったが、人の心は簡単に変えられるものではない。

 人を警戒し、他人を寄せ付けないような態度にも合点がいく。


 俺の幼なじみのベルク人の女の子も同じだった。

 その子との出会いは小学生の頃。俺より一つ年下で気が強く生意気だったせいもあり、いつもいじめられていた。大人達はその子がベルク人だから見て見ぬふりをしていた。

 上級生から蹴り倒され、地べたに這いつくばったまま泣き腫らした瞳で気丈にも相手を睨みつける事しか出来ない姿に見ていられず、俺がいじめっ子から庇ってやってからというもの、その子は妙に俺になついてきた。

中学を卒業すると、そいつも俺と同じ士官学校を受験したが身長基準をクリアできずに不合格になったらしい。

士官学校の寮に入ってからは会ってはいないが、最後に見たのは、諦めきれずに悔しそうに泣いていた姿だった。

チビで痩せてて、子供ぽい容姿や仕草は贔屓目に見てもせいぜい小学生としか思えないから仕方ない。


あれから4年、あいつも19歳か。ふふっ、ロリっぽい女の子も嫌いじゃないけど、少しは女らしい部分も成長してればいいけどな……。


 「アンタ、こっち見ながらなにニヤついてるのよっ!ロリとか成長とか言って、キモいんだけど!」


 突然の叫びが室内の緩んだ空気を切り裂き、静まりかえる。まるで電車の中での「この人痴漢です!」の空気だ。

その声は俺の隣からで、声の主である隣の女の子が射貫くような視線で俺を睨みつけていた。遅れて、室内の視線が俺に注がれる。

 そこでようやく、その言葉は自分に向けて発せられた事に気がついた。


 「えっ!俺なの?」


何とも間抜けな問いかけに、その子は変質者を見るような視線を向けている。どうやら懐かしく郷愁に浸っているうちに回想が表情や声に出ていたらしい。

特に最期の『ロリっぽい女の子も嫌いじゃないけど、少しは女らしい部分も成長してればいいけどな』のところとかが。


「あの、誤解しないでくれ!決して君を見て言った訳じゃなくて……君に似た妹……みたいな女の子の事を想像してただけで!」


 いや、待て俺!これじゃあまるでこの子をイメージした妄想上の妹にニヤついてたみたいじゃないか!

 焦って言葉を重ねるにつれて彼女の表情はみるみる険しさを増してゆく。

ああ、何を言ってもダメだ。痴漢の冤罪ってこういう感じなんだろうな。

それから必死に弁解すること数分。


「なるほどね。さっきのは幼なじみを想う慈愛に満ちた笑みだった訳ね。でもあの表情はマジでキモかったけどっ!あははっ!」


 ベルク人の幼なじみの話をすると、ようやく誤解が解けて、彼女がからからと楽しそうに笑う。

 大きな瞳に八重歯が覗く彼女の笑顔はとてもキュートで、不機嫌な時とはまるで別人みたいだ。

『いつもそうやって笑っていれば可愛いのに』と思っても俺には言う度量はないが。


 「だけどあなたってさ、変わり者だよね……」


 「えっ、どうしてっ?」


 「だって……私はベルク人だよ。自分から関わろうとする人なんて居ないわ。庇ってあげた女の子だって、ベルク人だったんでしょ?私たちに関わっても良いことないもの」


彼女はそう言って寂しそうに目を伏せる。


 「俺はそんな事を気にしたことないよ。中身を知りもしないで人種や出生だけで態度や扱いを変えるなんて、悲しいよ……」


 それはきっと俺自身が無意識に子供の頃から感じていた事でもある。

 海洋国家であるこの国ではどんな場所でも海軍軍人の発言力は大きく、憧れと共にその影響力は畏怖の対象でもあった。

子供の頃から近所の大人達だけでなくその子供達でさえも俺の顔色を伺い、どこか距離を置いていた。

それはいつも心のどこかにすきま風が吹くみたいな感じだった。

 ただ一つ良かった事といえば、虐められていた女の子を助けてあげられた事ぐらいだろう。

 たぶん子供心にも、自分とどこか似ている気がしたんだろう。虐みと畏怖の違いこそあれ、周囲から距離を置かれている事に。


「……でもそんなふうに考えても、行動できる人って滅多に居ないものよ。人間って人の間でしか生きられない。人はみんな自分の心を押し殺して自分を護るしかないから、仕方ないのよ……」


 こんな冷めた考えに至った彼女の境遇を思うと、何と言えば良いか分からず重苦しい沈黙が流れる。


「あっ!ごめんね!なんか暗くなっちゃってさ!とにかく、あなたはかなりの変わり者だって事よ。……あの、それでさ、一応確認なんだけど……。これからも私、あんたに話しかけても、いいのかな……」


 「えっ?」


 「いやほらっ、よくあるじゃん!最初は友達居ないし隣の席だったから仕方なく話してるけど、新しい友達出来たら人前で私に話かけられると迷惑かなって……」


 そう言って申し訳なさそうにはにかみながらも不安そうに上目遣いに俺を見上げる。ただ話しかける事すらお願いしなければならなかった彼女の生い立ちを思うとまたも胸が痛んだ。


「当たり前だろ。これからは同じ基地の仲間なんだからさ。俺はカイル」


 「あ、ありがとうっ!私はリーリィ。あんたさえ良ければ、その、リリィって呼んでくれてもいいけどさ……」


 「それじゃあ、リリィ。これからもよろしくな!」


 努めて明るく返す俺の言葉に、リリィはホッとしたように微笑んでくれた。 


それからしばらくリリィと他愛ない話をしていると、会議室中に響く能天気な大声と共にスマートな男性士官が入って来た。


 「いやぁ~~悪い悪い!待たせたね!」


 言葉とは裏腹に、全く悪びれた様子もない。


 「俺はルース・ホークウッド少佐だ。このオリオン基地の第2海上警備隊の隊長を務めてる。時間が押してるから余計な挨拶は省くぞ!まず、この基地の配備部隊や設備を理解してもらうために資料を配る!右端に座ってる奴、取りに来い!一枚取ったら隣に渡せ~!」


 ルース少佐は遅れたくせに自分のペースでどんどん進めて行く。あの髪型は寝癖だろうし、ネクタイは緩んだまま。遅れた原因は確実に寝坊だろう。

 ルースでなくルーズ少佐ってあだ名付けてやろうか。

階級は少佐という事だが見た感じ歳は三十代半ばだろうし、将校というより近所の陽気なあんちゃんという風体だ。

 俺は回ってきた資料の束から自分のを取ると隣のリリィに手渡す。渡す時に少し触れたリリィの細い指に妙に意識してしまった。

 思春期の中学生か、俺は!

 やがて資料が全員の手に渡ると、ルース少佐の説明が始まった。


「では資料の基地見取り図を開け。基地施設は過ごしているうちに自然と覚えるだろうが、面倒なのは滅多に会わねえ基地幹部の顔と名前だ。この顔写真を見て覚えとけ~。基地司令はさっき完璧に覚えたと思うがな!では次に、お待ちかねの部隊配属の辞令を交付する!呼ばれたら取りに来てくれ!アリア・ベレッタ……アンディ・ブルーム……」


 アルファベット順に次々と名前が読み上げられ、やがて俺の名前が呼ばれて教壇に向かう。

するとルース少佐がじっと俺の顔を眺めて固まった。


「おおおっ!噂で聞いて信じられなかったが、救国の英雄の孫が本当にここに来るなんてな!それに君の父上にも海軍時代には世話になったよ~!ははははっ!」


 そんなルース少佐の無神経な大声に部屋中の視線が再び俺に集中する。


 (あいつあのハートレイ提督の孫だってよ!そんなサラブレッドがなんでこんな所に?)


 (きっと相当出来が悪いんだよ!英雄の七光りでも沿岸防衛隊に来るなんてな……)


 部屋中から注がれる好奇の視線とささやき声を背中にひしひし

と感じ、原因となったルース少佐を睨んでやる。


 「少佐、お言葉ですが、ここは海軍ではなくて沿岸防衛隊なんですから祖父や父の事は関係ないでしょう」


 「あははっ、そうだね!……だが覚えておいた方がいいよ。ここには望まずに海軍から飛ばされた将官や士官が多くいる。君の父上との出世争いに敗れた者だっているだろう。そんな連中にとって関係無いでは済まされない事もあるんだ。この辞令もその類いだろうな。ともかく俺はこれからの君の頑張りに期待してるよ!」


 俺の視線に臆する事なく笑うルース少佐の意味ありげな言葉に、手渡された辞令を見ると、


 『カイル・ハートレイ少尉 貴官に警備部第2海上警備隊200号艇 副長を命ずる』


 第2海上警備隊って事はルース少佐の部下という事になる。基地要員ではなく警備艇での海上勤務らしいが、少佐の口ぶりがどうも気にかかる。だがそれよりも俺の出生が知れ渡ったのはマズイ。

 周囲の視線から逃げるように席に戻ると今度はリリィの名前が呼ばれ、躊躇いがちに立ち上がったリリィにもまた別の意味の視線が集中する。


 (おい、今度はあの女、ベルクだぞ。クソ!あんな連中がなんで俺達と同じ給料なんだよ!)


 (……仕方ないだろ、ここは『掃き溜め』なんだぞ。エリート意識の強い海軍じゃあ使えねえからここに配属されたんだよ)


 舌打ちにため息、あからさまに睨む者、隣の人と眉をひそめて囁き合う奴まで居る。これが今も続く一般的なベルク人に対する扱いなのだ。

 リリィは辞令を受け取ると視線を避けるように自分の席に戻り、そのまま悔しそうに下唇を噛んで俯く。


 「……あんな連中、気にすんなよ……」


「気にすんなってなによ!あんたにはどうせ私達の気持ちなんて一生分からないでしょ。あんた、英雄様の孫なんだってね!どうしていつも……誰にも期待してないけど、それでも嬉しかったのに……」


 抑えていた物があふれ出す様にリリィの瞳には微かに涙の粒が光る。


 「俺はただ君と話したかったから話しかけたんだ。それにリリィの気持ち、分からない訳じゃないよ……。俺だって……どこに行っても注目され、英雄だった祖父と比べられ、噂される。だけど利用しようとするヤツ以外、誰も近寄っては来ない。そんなしがらみから逃げたくてここに来たのに……」


 俺も昔の事を思い出して、リリィと二人して暗くなる。


 「だけどね、出会った人を最初から決めつけて、失望して、自分から距離を取る事ってさ、そういう連中と同じゃないのかって思うんだ。俺はいつでも、出会う人みんなに期待してる。そのおかげでリリィとこうして話して、友達になれたんだ。全ての人間が同じじゃないよ」


 俯いたまま黙って聞いていたリリィが涙を拭いながらゆっくりと顔を上げる。


 「……やっぱりあんたは変わり者だよ、カイル……。みんなにあんな酷いこと言われてたのに。それにキモいって言った私を友達だなんてさ」


 「ああ、変わり者なのは自分でも理解してるさ。『首席卒業で沿岸防衛隊任官など学校の恥だ、ハートレイ家の人間で無ければ卒業名簿から君の存在を消している』、なんて学長から説教をされたぐらいね」


 「ええっ!カイルって首席卒業生?それでここを希望したのっ!それって変人通り越してド変態だよ!」


 少しわざとらしい俺の軽口に、ぎこちないながらもようやくリリィは笑顔を見せてくれた。


 「リリィは笑顔が可愛いんだからいつも笑顔でいればきっと友達だってできるよ。こういう場所には他にも変わり者がいるだろうしさ」


 素直にそう感じて言った俺の言葉に、リリィは顔を真っ赤にすると、


 「ちょっと、か、可愛いって……、変態にそんな事言われても気持ち悪いだけなんですけど……」


 オタオタと本気で照れるリリィの様子に、なんだか言ったこっちが恥ずかしくなってきた。


「あ~あ、なんか私だけ深刻に落ち込んでたのがバカみたいじゃないっ!」


 押し黙った俺を見て、リリィは吹っ切るかのように屈託のない笑顔で笑った。


 やがて全員に辞令が手渡され、新任隊員達はそれぞれの配属先に向かう。


 「まず部隊長に挨拶しておけよ!各隊の所在は配った資料に書いておいてやったぞ~。ではっ!皆の活躍を期待する!」


 出て行く隊員達に投げかけられるルース少佐の声を聞きながら、基地構内の見取り図と各部隊の編成表を広げると、配られた資料には多くの細かな手書きの書き込みがあった。

 ちゃらんぽらんな感じだが、どうやらルース少佐は部下思いの面倒見のいい上官のようだ。

 この基地の部隊編成表では第1と第2の二つの海上警備隊があり、全部で十九隻の小型警備艇が配備されていた。

 しかし不思議な事にカイルの配属先である200号の船籍番号だけは印刷されておらず、ルース少佐が201号の上に手書きで書き足してあった。

 違和感に首を傾げながらも俺はリリィと連れだって司令本部棟を出る。


 「私の配属先は海上犯罪対策課だけど、カイルはどこなの?」


 「第2海上警備隊だよ。隊は違うけど同じ警備部だな」


 海上警備隊は警備艇での海上巡視や臨検、海賊の検挙を行う実働部隊だが、海上犯罪対策課は海賊や密輸業者の情報収集と、島嶼地域や陸上での海賊行為や犯罪組織の内偵を行う捜査機関だ。

 海上警備隊と海上犯罪対策課は同じ警備部に所属してるため、本部は基地の端っこ、警備艇埠頭沿いに建つ5階建ての警備部棟にある。

リリィと古びた岸壁に沿って少し歩くと、サビの浮いた鉄骨の梁が目立つ、トーチカのようなコンクリート造りの警備部棟に着いた。

本部の建物の割に周囲は閑散としていて、昔は立派だったであろう錆に埋もれ読めなくなった案内板が哀愁を誘う。

 ここには他にも通信室、警備艇の装備管理や整備を行う装備課などの事務室が入っているらしい。

 開け放たれた玄関に入ると『新任隊員は待機室に集合←』と書かれた立て札が立っている。

 短い廊下の奥にある隊員待機室に入ると、第2海上警備隊長であるルース少佐に数人の士官が待っていた。

 警備部に配属された十数名の新任隊員と共に整列するとルース少佐が口を開いた。


 「今日からお前達の上官となる警備部の幹部を紹介する。こちらは装備課長のヤンデル少佐、海上犯罪対策課長リンクス少佐だ。そして隣の堅物が、俺の相棒のローディだ!」


 相変わらず一方的に捲し立てながらルース少佐は無遠慮に隣に立っている無表情な眼鏡の士官の肩をバシバシ叩く。

 ローディと呼ばれたその士官は、一切の乱れもなく制服を着こなし、落ち着いて知的な雰囲気は粗野なルース少佐と正反対のエリート士官といった印象だ。

 ぞんざいな扱いに名前まで呼び捨てにしているが、ルース少佐より上の階級である中佐の階級章を付けている事に、見ているこっちが気が気でない。

 だがローディ中佐は怒るでもなく、眼鏡を直しながら呆れたようなため息をつくと、


 「全く貴様は……毎年紹介もまともにできんのか……お前達、ルース少佐の事は忘れてくれていい。私は警備部長代理、並びに第1海上警備隊長を任されているローデリック・イーグル中佐だ!」


 「ローディ!俺の事を忘れろなんてあんまりだな!おい!」


 ルース少佐の抗議を無視すると、ローディ中佐が説明を続ける。


 「いいか!最も大切なのは規律だ。コイツみたいにそれを乱す行為は許るさん。では我がオリオン基地の部隊編成と任務を説明する。現在の基地主要戦力は小型高速警備艇で編成された海上警備隊だ。各隊にはスワンS型警備艇、司令船としてWR級警備船が配備されている。我々警備部の任務は防衛隊執務規範、海上防衛法を根拠とした……」


 どんどん話を進めていくローディ中佐を横目に見ながら、ルース少佐が頭をボリボリと掻きながら小声でぼやく。


 「……ったく、自分だけ良い格好しようとしてよ~。俺達は『ロンダムの鷹と鷲』と言われた仲じゃねえかっ!」


 どうやら二人は仲が悪い訳ではなく、きっとこれがいつものコミュニケーションなんだろう。

 やがてローディ中佐の授業のような挨拶が終わると、待ちかねたように再びルース少佐が大声を張りあげる。


 「やっとローディ先生のありがたい講義が終わったようなので、今からルース先生のホームルームの時間だっ!これからお前達は同じ釜の飯を食う仲間だ。お互い自己紹介でもしてもらおう。……名前と配属先、あとは趣味でも何でもいいから何か一言!そっちの端からだ!」


 ルース少佐に指された右端の隊員からぎこちない自己紹介が始まり、すぐに俺の番が来る。


 「カイル・ハートレイです。第2海上警備隊200号艇副長を命ぜられました。趣味は……ゲームとマンガ、映画鑑賞ですっ!よろしくお願いします!」


 趣味の所はだいぶ控えめに言っておいた。

実はマンガ好きからアニメやゲームにハマり、今や十八禁のエロゲームも守備範囲だったりする。だがそれは誰にも言えない秘密だ。

 英雄の孫はエロゲーに夢中!なんて世間に知れたらさすがに祖父に悪い気がする。

 と、ふと気がつくとローディ中佐が目を細めて俺をじっと注目している。この人、そっち系なのかと思ったがBLネタじゃあるまいし。


 「ふむ、君がカイル・ハートレイ君か……ハートレイ少将のご子息が沿岸防衛隊に来るというからまさかとは思ったが。君は自らここを希望して来たらしいが、その君が200号艇か。なるほど、皮肉な巡り合わせだな……」


 またかよ。自己紹介する度にこれじゃあ身が持たないな。

 やがて全員の自己紹介と連絡事項の伝達が終わると解散となり、各自の配属部隊に向かうことになる。


 俺は玄関口でリリィと別れると、自分の配属先である200号艇を目指して警備艇桟橋へ向かった。

 桟橋は基地の中央に位置し、何隻ものくすんだ白い警備艇が係留されている。さらに少し先には同様の桟橋があるが、そっちは第1海上警備隊専用らしい。


 資料を開いて海上警備隊に配備された「スワンS型」の性能を確認しておく。

主武装は12、7mm機関銃1門、全長20m、全幅8m、広域無線を装備し、最高速度は31ノット。 一昔前の海賊と言えば小銃とサーベルというイメージだったが、近頃の海賊は武装も強化され、これでは少し貧弱な気がするが、海軍のお下がりの老齢艦だから仕方ないだろう。

 スピードも遅く、とても白鳥とはいえない重鈍な見た目から、正式名称のスワンではなく「アヒル」というあだ名で呼ばれているらしい。第2海上警備隊にはこの警備艇が10隻配備され、毎日二交代制で昼夜海峡の警備活動を担っているとある。


 ルース少佐からは200号艇は桟橋に居ると聞いて来たが、警備艇はどれも見た目が同じなので船首の船籍番号を確認して探すしかない。

 並んだ警備艇の甲板では乗組員達が掃除をしたり舷側から釣り糸を垂らしたりと思い思いに過ごしていたのだが、そんな隊員達がやけに俺を注目している。

 新入隊員がそれ程珍しい訳でも無いだろうし、この反応はちょっと大袈裟すぎる。

 またハートレイ一族の線だろうか?

 そんな事を考えているうちにいつの間にか桟橋の突端に辿り着く。

という事は桟橋には200号は居なかった訳だ。

 周囲を見回してみてもには他に警備艇らしい船は見あたらない。

 誰かに聞くにしても、物珍しそうに俺を眺めていた先輩隊員達は目が合いそうになると、なぜか一様に目を反らす始末。再び基地構内の見取り図を広げた時、すぐ側の警備艇から粗暴な怒鳴り声が聞こえてきた。


 「おめ~ら!くっちゃべってねぇで、さっさと掃除を済ませろぃ!」


 俺をチラ見しながら話し込んでいた隊員達を、艇長らしい中尉が怒鳴りつける。浅黒く日焼けし、鍛えられたその体はまさに海の男といった感じの中年の中尉が俺に声を掛けてくれた。


 「ん?お前さん、新人さんかい?迷ったのか?」


 「はい、自分は本日付けで200号艇に配属されたカイル・ハートレイです。実は肝心の配属先が見つからなくて……」


 それを聞いた中尉は驚いた様に目を見張り、大声を張り上げる。いちいち豪快な人らしい。


 「200号にまた補充員が来るってのは聞いてたが、お前さんかいっ!なんでもお前さん、英雄の息子なんだろ?よりによって200号に配属とはな……。お偉いさん達もえげつない事するねえ……、海軍への当て付けみたいなもんだよ、まったくよぉ!」


 息子じゃなくて孫なんですが……。

と、俺が口を挟む間もなくまくし立てて一人で完結すると、腕を組んで憎々しげにため息をつく。

 威勢の良さといい、喋り好きな所といい、海の男と言うより魚屋の親父だ。


 「あの、よりによって200号ってのはどういう事です?周りの様子も何だかおかしいですし。200号って何か問題があるんですか?」


 俺の問いに魚屋の中尉は言い難そうに頭をボリボリと掻く。


 「う~ん、まあどうせすぐに解る事だしな。お前さん、部隊編成表をよく見てみな。下二桁が0の船籍番号の船は他に無いだろ。普通は01から付けるもんだ」


 そう言われ改めて編成表を見ると、確かに200号は手書きの書き込みだったし、第一警備隊は101号からしかない。


 「0号ってのはな、公式には存在してない部隊なんだ。いわゆる、ゴーストナンバーってやつさ!」


 中尉が言うにはこの200号、通称ゴーストナンバーは防衛隊にとって好ましくない、問題のある者を集めた部隊らしい。沿岸防衛隊自体が海軍の厄介者集団なのに、更にその中の問題児とは、まさに濃密厳選抽出だ。

 扱いが臨時編成なので公式な部隊表や記録にも載らない、いろんな意味で存在が認められない部隊らしい。裏を返せば何をさせても、何があっても切り捨てられる部隊だともいえる。


 「公にできない存在だからこの桟橋にゃあ居ないよ。ほれ、その倉庫の向こうにでっかい船が見えるだろう?あそこにつけてるはずだ」


 中尉が指した倉庫の屋根の上には防衛隊の所属艦艇で最大のWR級警備船のマストと船橋の一部が覗いている。


 「では行ってみます。いろいろとありがとうございました!」


 そう言って立ち去ろうとする俺を中尉が呼び止める。


 「……まぁ、アイツらは部隊の性格上、他の隊とはあまり関わりたがらねえ。だから名前すらろくに知られてねから、周りからはゴーストナンバーって呼ばれてるんだ。少々癖のある連中だが、根は良い奴等なんだ。おめえの出来る限りでいいからよ、仲良くしてやってくれねえか……」


 「まだ会ってないので何とも言えませんが……。出来る限り頑張ります!」


 俺は努めて明るく返すと、教わった場所に向かう。

 魚屋の中尉にはああ言ってみたものの、どうやらとんでもない部隊に回されたらしい。

 ローディ中佐の言葉や船員達の様子にもようやく合点がいった。

 だけどここで精一杯頑張るしかない。今までのように敷かれたレールではなく、初めて自分で選択した道なのだから。

 と、改めて気合いを入れ直すと、来た道を引き返し、教えられた通り警備部棟の裏手にある大型船埠頭に向かう。

埠頭に係留されているこの二隻の警備船は第1、第2海上警備隊の指令船となっていて、船尾にはそれぞれ「フレイ」「フレイヤ」という船名が書かれている。

 しかし岸壁を見渡しても200号らしき警備艇は影も形も見当たらない。

 人の姿も無く、静まりかえった広い埠頭には打ち寄せる波と、警備船の船体にぶら下げられた緩衝材が擦れる音がやけに大きく響いている。

 遠い汽笛の音に海の方を振り返ると、2隻の警備艇が白波を蹴立てて沖へ出て行くのが見えた。

まるで自分だけが日常のサイクルから取り残されているような心細さが込み上げてくる。遅刻してたどり着いた授業中の小学校の廊下……、まさにそんな物悲しさだ。


事務室に行ってもう一度聞いてこよう、と振り返った俺の目の前に浅黒い壁が立ち塞がっていた。

 それは身長2mを優に越える坊主頭の日焼けしたヒゲのマッチョ親父で、無表情に俺を見下ろしている。

 タンクトップの上からでも分かるヒゲマッチョの隆々とした筋肉に、軽々と木箱を担いだ太い腕。そして意外と優しそうなつぶらな瞳には、呆然と立ち尽くす俺の姿が映っていた。

 彼は機関員らしく、作業ズボンは機械油にまみれていたが、抱えている木箱には工具では無く山盛りの野菜や肉、果物と大量のラム酒の瓶が詰め込まれている。

 まさに未知との遭遇だが、このままでは埒が開かない。俺は無言でじっと見つめ続けるヒゲマッチョに恐る恐る声を掛けてみることにした。


 「あ、あのなにか俺に用……」


 「……もしかして補充員か……?」


 ぼそりと太く静かな声でヒゲマッチョが問いかけてきた。


 「あ、はい!もしかして200号の方でしょうか?船の場所がわから……」


 「……付いて来な……」


 ヒゲマッチョは一方的それだけ言うと、振り返る事なく警備船のタラップを登って行く。

 あれだけの野菜や果物、大量のラム酒の瓶が詰まった木箱は相当重いはずだが、彼は軽々と肩に乗せ、急なタラップでも足取りは軽い。

 ヒゲマッチョは甲板に上がるとそのまま真っ直ぐ甲板を横切り、反対側の舷側に姿を消した。

慌てて後を追うと、大きな警備船の影に隠れるように一隻の警備艇が係留されている。

 その警備艇に装備された浮き輪には「CDO200」と記されている。コーストディフェンス・オリオン基地所属・200号艇、ようやく見つけた。

 船のマストには水色の地に、クロスした骨と錨の上に可愛くデフォルメされたゴーストがデザインされた旗が翻っている。

 大袈裟なあだ名や周囲の評判とは対照的に、見た目には何の変哲もないごく普通の警備艇だった。

 タラップを渡り200号の甲板に降り立ち、もの珍しそうに見回している俺に向かってヒゲマッチョがハッチから顔を出して手招きする。

 誘われるままに船内に入ると、彼は黙ったまま今度は通路の一番奥を指さした。

 『艇長室はあそこだから、行け』という事だろう。 

 ヒゲマッチョも慣れれば黙ってても意志疎通が可能な生き物らしい。

 指示されたドアには「船長室」と書かれたくすんだ金属プレートがはまっているが、「船」の部分はガムテープの上に手書きで書かれている。

 元は「艇長室」だったのだろうが、艇長は妙なこだわりのある人らしい。

 しかし部屋の中からは物音ひとつ聞えず、不安になってうしろを振り返ると、ヒゲマッチョが黙ったままこっちをじっと凝視していた。

 『いいから入れ』ということらしい。


 「本日付けで副長を命ぜられたカイル・ハートレイです。入りますっ!」


 ヒゲマッチョの威圧に急かされるようにドアの前で申告して部屋に入ると、充満していた猛烈な酒の臭いが鼻を襲う。

 室内にはあちこちに書類や本が無造作に積み上げられ、 部屋の真ん中にはラム酒の瓶が並べられた古い執務机が置かれている。その執務机の上にはブーツを履いた二本の脚が乗っていた。

恐る恐る執務机に近づくと、制服姿の黒髪の女の子が両足を机の上に投げだし、椅子に沈み込むようにして眠っている。

 かなり酒臭ところを見ると、酔い潰れて寝てるらしい。

 胸にラム酒の瓶を大事そうに抱えて眠る女の子の束ねられたロングストレートの黒髪は濡れた黒猫の毛並みの様に艶やかな光沢を放ち、シャープな顎のラインとモデルのように整った目鼻立ちからしてかなりの美少女だろう。だが少し吊り上がった形の良い眉が気の強さを主張している。

美人で気が強い女ってのが、俺が最も苦手とするタイプだ。

 着ている服は女性士官の制服だが、アクセントである胸元のリボンはなく大きく開かれ、ラム酒の瓶に圧迫された二つ張りのある膨らみが魅惑的な谷間を形成していた。

 細くくびれた腰には女の子には不釣り合いなごつい革製のガンベルト、短く斬られた制服のズボンからは、健康的に日焼けした太ももから引き締まった足首への流麗なラインが惜しげもなく晒されている。


 予想外の光景に麻痺しかけた頭を働かせ、俺はようやく状況分析を開始する。

 一体この子は誰なんだ?制服姿って事は隊員なんだろうけど、艇長室に居るって事はまさかこの船の艇長か?

 乗り出すようにして肩章を見ると、くすんだ金色の二本線。つまりこの子の階級は中尉。かなり破天荒な格好だが、この船の艇長で間違いないらしい。

 艇長が朝から酔っ払って寝てるって、どんな船だよ。


 「う~ん……」


 女の子が鼻にかかった可愛い声と共に寝返りをうち、さらにラム酒の瓶をむぎゅぅっと胸に抱え込むと、酒瓶が魅惑の谷間に更に埋もれていく。

 あの酒瓶になりたいと思うのは男の性だろ?

健康な男の子である俺の視線は自然と吸い付けられてしまう。


 ガチャン!!


 と、突然の大きな金属音に心臓が縮みあがった。

 寝返りでその子のガンベルトから拳銃が床に落ちた音だったが、その拳銃は棍棒みたいにでかいM1911ガバメント。

一発で熊も殺せると言われる大型の軍用拳銃だぜ?

 それに任務中以外は武器庫に保管する規則となっているはずだが、勤務中に酔っぱらって寝てる時点で規則もクソもないか。

 半ば呆れながらそんな事を考えていると、今の音でその子がお目覚めになったらしい。


 「ふぁぁぁぁぁぁぁぁ~~!」


 呑気に両手を広げて大あくびをする姿は、まさに昼寝から目覚めた黒猫だった。

 短い制服の間からは可愛いヘソがちらりと覗く。

あら、可愛いおへそちゃん、こんにちは!

 などと考えている間に、涙で潤んだ切れ長の瞳が俺の姿を捕らえる。


 「ん?……なんだお前は?」


 と、怪訝な表情で問いかけながらも、いつの間にか拾ったガバメントの銃口がしっかり俺に向けられていた。


 「あっ、あの俺は!本日付けで配属となりましたカイル・ハー

トレイ少尉であります!」


 大砲みたいな銃をぶっ放されないうちに俺は慌てて申告する。


 「そんな事よりお前、いつから居たんだ?寝てるのを良いことに、いろいろと私の身体を観察してたってわけか?ああ?」


 「い、いえっ!起こそうと思ったのですが、あまりに気持ち良さそうだったのでつい……」


 図星を突かれてなにも言えず、慌てふためく俺の様子に、ふっとその子の表情が男を誘う妖艶な微笑に変わる。


 「ふふっ、そうだ……。私の身体はとっても気持ち良いぞ……どうだぁ?味見してみないかぁ?」


 すっと目を細め、俺に見せ付けるようにブーツを履いた脚を組み替える。

 スラリと引き締まった肢体に見事な脚線美を描く生脚、そして形の良い胸の膨らみに否応なく俺の視線が釘付けになる。


 「あっ、いや、そういう性的な意味じゃなくて……そのっ……」


 突然のピンクな状況に気圧されて頭が火照り、俺は否定の言葉を発するのがやっとだ。美人の色気、恐るべし!


 「ふっ……あははははははっ!」


 すると突然、女の子はこらえきれなくなったように無邪気に笑い出す。

 まるで魅惑的な大人の女が悪戯好きな無邪気な子供に入れ替わったみたいだ。

怖え、女って怖えっ!


 「あははっ!お前、可愛いなあ!顔真っ赤にしちゃってよぉ!私はこの200号の船長、レイラ・ドゥ・ベリーだ!気軽に船長と呼んでくれ!」


 そういえば部屋のドアもわざわざ「船長室」に変えてあった。


 「あの、船長……?ですか?」


 警備艇だから艇長が正式な肩書きのはずだ。

 その自信満々の勢いに押され、控えめに尋ねる俺に向かって彼女は腰に両手をあてて堂々と宣言する。


 「そうだっ!私はこの船の船長なのだっ!」


 船長なんて海賊でもあるまいし。って、海賊といえばこの子の名字、どこかで聞いた気がする。


 「あの、ベリーってもしかして有名な海賊の……」


 「その通り!私の先祖はあの伝説の女海賊、シャーロット・ドゥ・ベリーなのだよ!」


 待ってましたと言わんばかりに得意げに腕を組むレイラ。

 意思の強そうな二つの瞳がさらに爛々と輝き始める。


 シャーロット・ドゥ・ベリーとは絵本にも語られる義賊として有名な中世大航海時代の女海賊だった。

それとシャーロットの子孫とされるローズ・ベリーという海賊も十数年前まで活動していたと聞く。ローズもまた王室や財閥、先の大戦中には敵軍の輸送船を襲っていた名高い海賊の一人で、奪った金で貧しい島の村々に病院や配給所、学校を建て、戦争にあえぐ民衆からは絶大な人気を集めていた義賊だったらしい。だが突然表舞台から姿を消して以降、一切の記録がなく、暗殺説や失踪説などのミステリアスな関心を引き、彼女もまた映画にまでなった有名な女海賊でもある。


 「ああ、それは私の母様だっ!凄いだろ!?」


 そう言ってレイラは更に得意げにふんぞり返る。まさに鼻息が聞こえんばかりだ。

 へえ、そうなんだぁ。すげえな……

 って感心してる場合じゃない!あの大海賊の娘が沿岸防衛隊、つまり海賊を取り締まる側に居るって大問題じゃないか?


 「あ、あの……それってみんな知ってるんですか?」


 「この事を知ってるのは基地司令とほんの一部の人間だけだ。だ・か・ら!私達はゴーストナンバーなんだよ☆」


 レイラがてへぺろと可愛くキメる。


 「それにドリスも元海賊だ!私の母様の副官だったんだよ」


 どうやらここにはまだ元海賊がいるらしい。ドリスという美しい響きからすると「落ち着いた大人の美しい女性」に違いない。


 「良かったなドリー、こいつが来たから、今日から書類書きをしなくていいぞっ!」


 俺の背後に向かってレイラが声を掛けるが、 部屋には他に誰も居ないはず。


 「ああ……それは助かる……」


 誰も居ないはずの背後から響く低い声に驚いて振り返ると、そこには再び浅黒い壁があった。

 ドリスってヒゲマッチョの事かよ!

確かに『落ち着いた大人』までは合ってたけど。


 「あ、それとなドリー、今回はまだこいつに手を出すなよ。なんだか面白いし、見所がありそうだ!もう少し様子を見てみる」


 「わかった……船長の獲物なら手は出さねえさ……要らなくなったら言ってくれ……」


 「ああ、そん時は好きにしろっ!」


 ドリーはそれを聞くと、大きな体を屈めるようにして狭い扉から出て行った。


 「あの船長、今の会話はどういう……?」


 俺は本能的に得体の知れない危険を感じ、恐る恐るレイラに問いかける。


 「ああ、ドリーはああ見えてショタコンのハードゲイでな。若くて可愛い男の子が大好物なんだ。お前なんかストライクど真ん中なんじゃねえかな?今はおあずけさせておいたけどな!」


 つまりレイラに『こいつは要らない』って思われたらドリーのおあずけが解除され、そして俺はこのヒゲマッチョの慰み物に。


 「船長、参考までに聞きますが、前の副長ってなぜ居なくなったんですか……」


 聞きたくはない、聞きたくないが、俺はそれを確かめずにはいられなかった。


 「前のは堅物のつまんないヤツだったな。翌日の朝には髪の毛まで真っ白になって除隊していったよ!これまで副長は五人来たけど、長く持って一週間だったかな。あははははっっ!」


一晩で髪の毛が真っ白になるって、何があったんだ!

レイラに捨てられないよう、くれぐれも気をつけよう。


 「あ、紹介する奴はもう一人居るんだがな……。あいつはどうせ武器庫だろう。銃をいじりだすと人が変わるからなあ。まあ、夕食の時にでも会えるだろうさ!」


 どうやらもう一人の隊員は熱中すると周りが見えなくなる人らしいが、俺と同じく銃が好きなら話が合いそうだ。

 こんな非常識な二人の相手は、とても俺一人では勤まりそうにないしな。

するとおもむろに机から長い脚を降ろしてレイラが立ち上がる。


「では早速だが、これより副長業務についてもらう!」


 今までの砕けた表情が一変し、レイラの真剣な声色で室内の空気が引き締まる。

 この人もなんだかんだいっても隊を率いる指揮官なんだな。

 と、ほんの少しだけ見直しつつ、俺はピシッと姿勢を正す。


 「ハッ!カイル・ハートレイ、これより副長として着任いたします!」


 「ではこれが……、君の最初の仕事だっ!」


 床に置いてあった電話帳みたいに分厚い書類の束を俺に恭しく手渡す。


 「いやぁ……文章能力の乏しいドリーではなかなか進まないんだよ~これが!」


 書類の束をパラパラとめくると……、

、海上警備日誌に勤務報告書、無線交信記録簿、無線傍受報告、備品申請書、装備点検簿、他にも書きかけの始末書や出頭命令書まである。

 その中には酒屋の特売セールのチラシなんかも混じっていたが。


 「これって全部船長が書くべき書類じゃないですか!毎日書くはずの海上警備日誌や無線交信記録、勤務報告書も先週から真っ白って!これ、どうするつもりなんですか!」


 想定しえない現実に他人事ながら焦ってしまう。夏休みが残り一日で宿題していないどころの騒ぎじゃない。

 それに滅多にお目にかかれない始末書や出頭命令書もこんなに。始末書を集めてんのか!

 焦る俺をよそに、レイラは脇の木箱から取り出した新しいラム酒の栓の包装を八重歯で噛み切りながら、耳を疑う言葉をしれっと言い放った。


「は?どうするって……、それをどうにかするのが副長たるお前の仕事だろ?」


 もう他人事じゃないらしい。

レイラは栓の包装が上手く噛み切れないらしく、ガジガジしてる仕草が小動物ぽくて可愛く見えるから余計に腹が立つ。


 「よく考えてくださいよ!今日初めてここに来た俺が、どうやって十日も前の日誌や交信記録を書けって言うんですか?」


 「夏休みの絵日記だって最終日に書いたろ?同じ要領だよ!」


 レイラは事も無げに言いながら、やっと包装をはずしてコルクを抜いたばかりの瓶の口に鼻をつけ、ふにゃ~と幸せそうな表情を浮かべていた。

 ラム酒の栓を抜いたばかりの生まれたての芳しい香りから楽しむなんて、通ですね。

 って、違うだろっ!ああ、もう突っ込み疲れた。


 「つじつま合わせて書くっつっても俺は今日初めて現場に来たんですよ……。少しはこっちの身になって考えてくださいよぉ」


 途方に暮れる俺に向かって、レイラが子供口調でまたも意味不明な事を口走る。


 「ここがボクの配属先かぁ。上官はキュートでセクシーなレイラ船長!ボクはなんて幸せなんだろう!よしっ馬車馬の蹄鉄の如く、船長の為に頑張るぞ!」


 「なんすか、ソレ?」


 「何って、お前の気持ちになって考えてみたのさ!」


 「そういう意味じゃねえっ!しかも馬車馬の蹄鉄って磨り減って無くなるし……。他人の始末書まで書くなんて、こんなの俺の仕事じゃないですよ」


 「仕事じゃないだと……、ならば艦船職員服務規程・第三章の136条。言ってみろよ!」


 ラム酒をラッパ飲みしていたレイラは俺をひと睨みすると、いきなり真面目な質問をぶつけて来る。

 服務規程とは士官学校で最初に暗記させられる軍務規則の基本中の基本だ。

 この人の口からこんな言葉が出たことに驚きつつ、俺は頭の中で教本のページをめくる。136条っていうと副長業務の項だ。


 「ええと……第136条。副長は艦長の分身にして艦務全般の事に関し艦長を補佐し、常に艦長の意図希望を体認してこの達成に務め、艦長の旨を体して日課及び課業の施行を管掌し、日常に於ける艦内諸般の業務を処理すべし……」


 俺は唱えながら理解したよ。逃れる事はもう無理だという事を。


 「なっ!お前の仕事だったろっ?」


 「……はい」


 どうにもならない不条理な現実を突き付けられ、力なく頷くしか出来ない。納得できない気もするが、このもやもやとした気持ちを割り切る事が大人の階段を昇るって事なんだろう。


 「まあ、その代わり、なんとお前専用の執務室を用意してやったぞ!そこでじっくり書けっ!」


 レイラはウインクしながら明るく言うと、ラム酒を片手に俺の肩を力強く叩く。

 まあ、こんな小さな警備艇じゃ普通なら個室なんて無いだろうし、きっとレイラなりに気遣ってくれたのだろう。


 書類の束を抱えて船長室を出ると、通路の最奥に『副長執務室』と書かれたガムテープが張ってある扉があった。

 扉を開けると、薄暗い部屋の中央には大きな木箱に古いパイプ椅子。部屋中には肉や野菜が詰まった木箱が積まれている。

 どこが執務室だよ、食料庫じゃないか!

 丸い船窓から差し込む光の中で舞う無数の埃の粒がもの悲しく感じる。小さな窓を見上げる囚人のように丸い窓から見える青い空を見上げると、蒼く広い大空が手の届かない遙かなものに思えた。

 父さん、自分で道を決めるなんて、俺は甘かったのかもしれない。

 どこか遠い海原を航海しているであろう親父に向かって囁く。だが悔やんだ所で状況が好転する訳でもない。現実とはどこまでも無慈悲で、厳然とそこに存在し続けるものなのだ。


 書類仕事に取り掛かろうと、俺は木箱の上の大きな箱を持ち上げる。この木箱はさっきドリーが片手で抱えていた物だが、両手で落ちあげるのがやっとの重さだ。

 あの隆々としたゴツイ筋肉は伊達ではない。ドリーに掴まったら自分の力では逃げられない事を確信し、おあずけが解かれた後に待っている自分の運命を想像する。


 「まずはこの書類から、頑張ろう……」


 見えない何かに追い立てられるかの様に、俺は初めて見る書類に立ち向かった。


 無線交信記録簿や傍受無線報告は過去のページを参考にすればなんとかなるが、それにしても士官学校を出て最初の仕事が虚偽報告に文書偽造だとはな。

 綴りの書類を書き終えると、今度は小さくて可愛い丸文字で半分程埋められている始末書に取りかかる。

 ドリーに書かせたって事はこの丸文字は彼のなんだろう。


『お酒を飲み過ぎて酷く酔ったあの夜、彼に誘われたんです……。次の日の朝、彼の隣で私は目を覚ましました。でも後悔はしてません。例え一夜限りでも彼への気持ち(殺意)は本物だったんです。この傷は過ちの傷。でも私にとって、忘れられないほろ苦い思い出なんです……』


 単に酔っぱらって喧嘩したって始末書のはずが、なんで「乙女の一夜の過ち」みたくなってんだ。この丸文字といい、あのヒゲマッチョは何者なんだ。

 仕方なく適当にそれらしい文章に書き直し、模範的な始末書と顛末書をでっち上げる。


 そして次のお題は真っ白な装備点検簿と備品申請書。

 この船の装備を把握していない俺は、ついでに装備の点検と備品の確認をするために部屋を出る。

 廊下の戸棚に収納された防弾チョッキにヘルメット、救命胴衣に消火器、薬品箱、担架、懐中電灯やトイレットペーパーに至るまで収納場所と数を確認して点検簿に記し、足らない物は備品申請書に書き入れる。


 続いて船底にある機関室に入る。

 部屋の中央に据えられた2基のディーゼルエンジンの他にも仕様装備以外にごちゃごちゃと設備が追加されているようだった。

と言っても俺は機関科じゃないのでよくわからないし、エンジンを整備しているドリーと二人きりで居るのはとても不安なので早々に切り上げて隣の厨房に移動する。

 驚くことに厨房にはオーブンレンジや中華鍋、圧力釜、大火力のガスコンロまで設置してある。ちょっとしたレストラン並だ。

壁の調味料棚にはマニアックなスパイス類がギッシリ詰まってることからも、コックを兼任してるドリーの料理の腕はかなりのものらしい。

 他にも倉庫を改装してシャワー室まで完備している。

 普通、隊員の寝泊まりは独身寮、食事は食堂か外食なのだが、どうやらレイラやドリーはここで暮らしてるんだろう。


 最後に俺の得意分野である武器装備の確認に移る。好物は取っておくタイプなのだ。

 警備艇には自衛や船舶臨検時に使われる拳銃や小銃が装備されているが、武器庫には銃器マニアのもう一人の隊員が籠もってるらしいので後で来る事にして、武器庫脇の梯子を上って船首甲板に上がる。

武器庫の上の甲板には船の主武装である12、7㎜固定機銃が搭載されているはずだ。機銃の黒い防水カバーを外すと、出てきたのはなんと口径が20㎜もある多砲身機関砲。

 正式には六砲身ガトリング回転式キャノン砲と呼ばれ、発射速度は毎分6600発に達する。

 警備艇の仕様書では単装の12、7㎜機銃となっているから、これも勝手に付け替えたのだろう。マニアの性で少し興奮してしまったが、こんなの見つかったら軍刑務所行きだ。

乗組員だけでなく船の装備までもが非常識な船だった。


 一通りの確認を終え、執務室(食料庫)で書類を片付けているうちに丸い船窓から射し込む陽の光が赤く染まり始める。

 どこからか漂ってきた美味しそうな香りが鼻腔をくすぐり、お昼ご飯を食べてない事を思い出した。

 飯も抜きで書類仕事させるなんて、とんだブラック部隊だよ。

一度空腹感を認識すると、どんどん強くなる夕食の香りに我慢出来なくなり俺はたまらず部屋を出る。


 香りを頼りに後部甲板に上がると、レイラにドリーと初対面のお嬢様風の可憐な女の子が四人掛けのテーブルを囲んでまさに頂きます直前だったが、俺の姿を見てハッとした表情で固まった。

 食卓には湯気が立ち昇るスープに瑞々しいサラダ、キツネ色の美味しそうなローストチキンが並べられている。

 やがて思い出したようにレイラがポンと手を打った。


「おおっ!そういえばお前が居たんだな!昼飯の時も居なかったからうっかり忘れてたよ!悪りい!」


 レイラは悪びれもせずに舌を出しながら後頭部を掻く。

 その言葉通り、俺の席は用意されていない。怒りを通り越して力が抜けるぜ。


「新しい方が来られてたんですか~?朝から何も食べてないんですよね!かわいそう!すぐにお食事と席をご用意しますのでいっぱい食べてくださいね♪」


 と、初対面のお嬢様風の女の子が手早く俺の席と料理を準備してくれる。

 ふわふわの金髪のボブカット、パッチリと大きな瞳がうるうると輝くその子はレイラとは正反対の護ってあげたくなるような女の子だった。

 用意してくれた席に座り、ふと目が合うと頬を染めて恥ずかしそうにはにかむ姿はまさにマイエンジェル、地上に降りた最後の天使!


 「あのっ、レイラ船長!折角だから歓迎会にしませんかっ!自己紹介もしたいし、まだお名前も聞いてないから……」


 そう言いながら俺を上目遣いに見つてくる君の瞳は一万ボルト!

レイラがマイエンジェルの提案にめんどくさそうに承諾し、夕食は俺の歓迎会という事になった。


 「こいつは今日から新任副長としてうちに来たカイルだ。カイル、ドリーはもう知ってるな。この子はエイミーだ。 そう言えば初対面になるか? 」


 「ええ、今日はずっとあの子達の面倒を見てたのでお会いできなくて」


レイラの紹介にまた恥ずかしそうに頬を染める姿がいちいち可愛い。

あの子達って、ペットでも飼ってるのかな。子猫とかすごく似合いそうだもんな。


 「えと、砲手を担当してるエミリアです。みんなエイミーって呼ぶのでそう呼んでくれると嬉しいです。趣味は銃の手入れなんですが、熱中しすぎちゃうと周りが見えなくなる事があるみたいで……」


 困った様にはにかむエイミーは、このまま君だけを奪い去りたくなる程にいじらしい。

 銃弄りが好きなのは意外だったが、周りが見えなくなる程だから相当なんだろう。それが理由でゴーストナンバーに送られたのかもしれない。

俺はそんな君を受け入れるよ、マイエンジェル!


 元海賊のオトコ女に男食系ヒゲマッチョの間でこれからどうなる事かと不安だったが、毎日この娘と一緒だと思うとここも捨てたもんじゃないな。

 などと辛い現実を忘れようとエイミーを見つめる俺をレイラがジト目で睨んでくる。


 「おい……カイル。エイミーまでエロい目で見てんじゃねぇよ!」


 「え、いやだなあ船長。別にエロい目でなんか見てないですよ!」


 慌てて否定する俺をレイラは納得のいかない表情で眺めながらラム酒を煽る。

 俺はそれ以上追求されないように並べられた料理に手を伸ばした。

 コックを勤めるドリーが作った料理はどれも美味しそうだったが、手始めにエイミーが取り分けてくれたローストキチンをほおばる。表面はぱりぱり、中は柔らかくてジューシー。ハーブの香りが程よく効いて食欲をそそり、これならいくらでも食べれそうだ。


 「カイルさん、すごい食べっぷりですね。はい、ワインどうぞ」


 すかさずエイミーがグラスに入ったワインを手渡してくれる。

 優しいし、よく気が付くし、ホントに良い子だなあ。

 そんなデレデレの俺を見て、レイラがボソリと呟いた。


 「ふっ……今は知らない方が幸せだな……」


その言葉の意味を俺はしばらく後に思い知る事になるのだった。


そして俺が暖かい食事でお腹を満たしていた調度その頃、警備船フレイヤを隔てた暗い埠頭には途方にくれたように小柄な少年が立ちつくしていた。


 「えう……桟橋行っても居ないし、ここだって聞いたのに……。お腹空いたよぉ……200号ってどこに居るんだよぉ~」


 一日中歩き回っていたその少年はついにベソをかきはじめてしまった。


誰も居ない船長室で束になった書類の一枚が風で床に落ちると、その下にはこの少年の顔写真が添付された配属通知書があった。


 『人員補充通知・機関科・ライリー・ハミルトン兵長 7月1日付をもって200号艇・機関員として配属する』


 その日、少年が200号艇にたどり着く事はなかった。

 この少年に比べれば俺は幸運だったのかもしれない。

これから始まる俺の苦悩とゴーストナンバー達の活躍はまた後に語るとしよう。

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